6【秋月 梨斗】②




「むしろ今回は、あなたが適任だわ」

「俺が適任?」
ゼンゼは目を丸くして、彼女に振り向く。

「あなた、この漫画のキャラクターにそっくりなのよ」

そう言って、リンは一冊の漫画を取り出す。
タイトルは『エンド』。短い学ランを着用して仁王立ちしている、いかにもな不良漫画だ。
その表紙に描かれた青年は、オールバックにした銀髪に赤色の目、加えて眼帯を着用、と正しくゼンゼを構成するパーツと近い。

「この漫画の主人公の名前は、日暮 禅(ヒグラシ ゼン)。中学二年生。作中では不良キャラとして扱われている。正しく対象と似た立ち位置にいるキャラなのよ」

「だから、なんだよ……」

ゼンゼは引き攣った顔で問う。リンは僅かに口角を上げる。

「『目には目を歯には歯を』という言葉を知ってるかしら」

 

***

 

二限目が終了し、十五分間の休憩が始まる。
移動で渡り廊下を歩く学生の中に一人、身長の高い青年が紛れていた。

「全く違和感がないわね」
リンは木の上から感心の目で彼を見る。

校舎内を釈然としない態度で歩く痩身の青年。
普段は全身黒服に身を包んでいる彼だが、今日は一味違っていた。

丈の短い学ランに青いTシャツを着用、髪はオールバック。
ただでさえ普段から銀髪に眼帯、耳には大量のピアス、と物騒な格好をしているが、今日はさらに危険な空気を醸し出していた。

「屈辱だな」
ゼンゼは引き攣った顔で呟く。

いかつい外見と彼の険しい顔も相まって、迫力は十分にある。
だが、目前を歩く生徒たちは、彼には一切目を向けずに通り過ぎていく。

ゼンゼは大股で本校舎を抜けるが、そこで目を丸くする。

本校舎を抜けた花壇前には、私服姿の生徒が六十人ほどずらりと待機していた。
中学生にしては幼い外見に、指導員のジャージに記載された『南赤森小学校』との文字からも、恐らくこの中学に進学予定の小学生が見学に来ているのだとわかる。

ゼンゼは、煩わしそうに顔を歪めると、手に持つ通信機を弄る。

「おい、さっさと終わらせるぞ。対象のクラスはどこだ」

「クラスは、二年六組。いる可能性は低いけれど、一応覗いてみて」
ゼンゼの耳元から、淡々とした声で指示がある。

以前訪れたテレビ局から、軽い好奇心で持ち出された通信機が、このような場面で使われることになるとは、当時のゼンゼは思っていなかったはずだ。

突如、視線を感じたゼンゼは勢いよく振り向く。
それと同時に、待機している女子生徒の一人と目が合った。

小学生の待機する最後尾に並ぶ、メガネでおさげ姿の少女。
以前ゼンゼも読んでいた『REBELS』キャラクターの絵が控えめに描かれたプリントTシャツに、パーカーを羽織っている。

一見、大人しくて地味な雰囲気が漂うものの、口を大きく開け、心なし目を輝かせてゼンゼに釘付けになっていた。

「え、嘘、コスプレ?『エンド』のリアル日暮禅やん……都会、すご……」

メガネの女の子は、訛りの入った発音で滔々と呟く。
大人しそうな外見でありながら、バチバチの不良漫画を嗜んでいる事実に驚愕だ。

近くの生徒が訝し気な目で彼女を一瞥するも、興奮しているのか当の本人は気づく様子がない。

「……あいつは?」

ゼンゼは声を潜めて問う。様子を見ていたリンは即座にリストを開く。

「…………開花時期は未定ね…」

「ほう。珍しいな」ゼンゼは口角を上げて嗤う。

開花時期の迫っていない人間でも、稀に認識されることはある。いわゆる霊感が強い人には、認知されやすいらしい。
特に遺恨は見られやすく、この世界では「幽霊」や「怨霊」として扱われ、今では市場規模の大きいビジネスにまでなっていると聞いている。

だが、本当に霊感のある人間は少ない。死神だけでなく、鎌の姿まではっきりと捉えられる人物は中々いないものだ。
彼女には、よほど強い霊感があるのだろう。

「長生きしろよ」
ゼンゼは軽く手を振って言う。

その言葉を聞いた女の子は、眉をひそめて「か、解釈違い」と呟いた。

「おもしろい人間もいるもんだな」

「この格好していてよかったでしょ」

「調子の良い奴だぜ」
ゼンゼは小さく溜息を吐いた。

すでに授業が開始されているようで、廊下は閑散とし、教室内から先生の話す声や、ノートを取るペンの音が聞こえる。

ゼンゼは、秋月のクラス前まで辿り着く。ドア前にかかった『二年六組』と記載されたプレートを確認すると、躊躇うことなくドアを開けて中を窺った。

突如、勝手に開いたドアに、教壇に立つ先生やクラスメイトは、目を丸くしてこちらに振り向く。
離れた木から見ていたリンも、呆気にとられる。

「……あなた、わかってる?」

「何が?」

「人間に認識されないことを」

「さっきは認識されたじゃねーか」

「あの人は特別なのよ」

二年六組内は、「勝手に開いた?」「幽霊?」と次々声が上がり、騒然としていた。
授業を進めていた先生も、目を白黒させて開いた口が塞がらないようだ。

「ほら、あなたのせいで面倒なことになった」
リンは溜息を吐いて首を振る。

「別に何も問題ねーだろ。勝手にドアが開いたように見えるだけだ」

「それが問題なのよ」

「それよりも対象、いねーんだけど」
ゼンゼは教室内を見回して答える。

リンは観念したように小さく頭を振って、脳内を切り替える。

「念の為、もう少し学内を散策してみて」

「わかったよ」
ゼンゼは律儀にドアを閉めると、その場を去った。

ドアの奥からは「また勝手に閉まった?」「幽霊がいるんだって」との声が上がるが、ゼンゼは全く気にすることなく、探索を始めていた。

不良青年が、学内を軽快に徘徊する。

外の飼育コーナーのうさぎに餌を与えたり、花壇の花に水をやる。
生徒のお弁当をつまみ食いしたり、喫煙所で黄昏れる教師の隣で売店から持ち出した缶ジュースを飲む。
和室で立てられた茶を啜り、校庭で練習するサッカー部に混じってボールを弄ぶ。
姿の見えるものにとっては、もはやキャラがブレブレの好奇心旺盛な不良にしか見えない。

初めて一人で探索する学校に、最初は乗り気じゃなかったゼンゼも、今ではすっかり楽しんでいるようだ。

「ゼンゼ……」

リンは額を抑えて名前を呼ぶ。呆れて言葉も出てこない。

「少しくらい、良いじゃねーか。これも百戦勝つ為の勉強だ。それに、いつもは俺が待機してるんだ。ちったぁおまえも待たされる奴の気持ちがわかるだろ」

ゼンゼは全く悪びれることもなく言う。

「時間は限られてる。そもそも対象と接触する為にあなたを起用したのよ。いないのならば、早く撤退して」

「でも、もしかしたら未練のきっかけが掴めるかもしれねぇ」

「和室で茶を啜ることが、きっかけになるとは思えないわ」

ゼンゼはふと、掲示板前で足を止める。

部活動の結果報告や在校生の進路報告などの成果が掲示されていた。
『吹奏楽部の金賞受賞』『白扇高等学校への推薦決定』などの文字が並ぶ中、ゼンゼはある新聞記事に注目した。

「対象、名前、なんつったっけ?」

「秋月 梨斗」

「そいつ、少林寺やってたのか」
ゼンゼは興味深気に顎を触る。

掲示板に掲示されている新聞記事には、『秋月 梨斗(13)少林寺拳法 全国大会優勝』との文字と、彼の写真が掲載されていた。
この学校の部活で少林寺拳法はないことから、学外の稽古からだとわかる。

「なるほど」ゼンゼの言葉を聞いたリンは、噛み締めるように呟く。「才能も、あったわけね」

「でも、昨日の様子じゃ、これは過去の話だろうな」

「恐らくは」

「ほら、やっぱり意味はあったじゃねぇか」

ゼンゼは満足気に胸を張る。
リンは釈然としない表情のまま、何も答えない。

「俺に何か用か?」

突如、先ほどまでこの場になかった声が響く。

ゼンゼは声の出所へ顔を向けると、そこに秋月の顔があった。

オレンジ色に染められた襟足の括られた髪に、目鼻筋の通った端麗な顔立ち。短ランの中には緑色のカラーTシャツを着用し、昨日よりさらに入念に巻かれた包帯の腕が目に入る。
前回、観察した時と、ほぼ変わらない外見の対象そのものだ。

「あ。いたわ」ゼンゼは素っ頓狂な声で言う。

ゼンゼは身長が高く、今日はさらに威圧的な外見をしている。
そんないかつい外見の彼と目が合った秋月は、僅かに怯むも、鋭い眼光を緩めることなく「おまえ、誰だよ」と、短く問う。

「俺は――――……」

ゼンゼは、必死に漫画『エンド』の内容を脳内で思い返す。

「ゼン?」

「何で疑問形なんだよ」

「だって、そう言われたから」

「意味がわからねぇんだよ」
秋月は険しい顔をしながらも、律儀に突っ込む。

そんな彼の様子からも、根は真面目だと感じたゼンゼは、「ま、そう怒るなよ」と尖った歯を見せながら彼に近づく。

肩に触れようとした瞬間、秋月は即座に手を振って彼の手首をいなした。

瞬時の反応に、ゼンゼも、遠くから見ていたリンも、目を丸くした。

「気安く触んじゃねぇ。殺すぞ」
秋月は、鬼の形相でゼンゼを睨む。

だが言われた本人は、先ほどよりも口角を上げて、ニヤニヤ嗤う。

「殺す……殺すねぇ……」

ゼンゼは興味深気に顎を摩る。「まさか人間に、そう言われる日が来るとは思わなんだ」

「はぁ?」秋月は、意表を突かれた顔になる。

「面倒だけど、案外退屈しないもんだな」

予想外の反応を見せた相手に、秋月は僅かに困惑の色を見せる。

「意味のわからねぇこと、言ってんじゃねぇよ」

言葉に詰まった秋月は、右手を大きく振ってゼンゼに飛び掛かる。

だが、花を即座に刈る為に特化した鎌の身体能力は、もちろん人間をはるかに凌駕するものだ。
ゼンゼは瞬時に秋月の背後に回ると、彼をあっさり羽交い絞めにした。

口元を押さえられ、身体が拘束された秋月は、がむしゃらに足掻く。
さすがに並以上の身体能力を持つ人間相手では、ゼンゼも疲労を感じ、外側だけの拘束だけでは厳しいな、と判断をした。

「おい」

ゼンゼは秋月の耳元で低く呼ぶ。それと同時に、身体を拘束していた右腕を離し、その腕を彼の身体の中に貫通させた。

秋月は自分のお腹から出ているゼンゼの腕に驚愕する。だが、物理的な痛みは感じずに、腕の部分だけ透けているように感じられる。
ただ視覚的な違和感と、言語化できない恐怖により、秋月は言葉が出なくなる。

「俺はおまえとは次元の違う存在だと、これでわかったろ」

ゼンゼは、秋月のお腹に貫通させた腕をそのまま種の埋まっている左胸へと寄せる。
彼の手が種に触れた瞬間、秋月の心臓はドクンッと大きく脈打ち始める。

「俺は唯一、生命に触れられる存在だ。このまま取り出すことも、圧縮して潰すことだってできる。だから今は、大人しくしてくれねぇか?」

ゼンゼは冷静に秋月を諭す。

開花時期の未定の種に手を出すことは規則違反だが、秋月は開花期間中だ。
もちろん、彼を従順にさせる為の脅しでしかなかったものの、最悪手を出しても問題がないという空気がゼンゼから漂っていたことから、本能で危険だと感じた秋月は色を失い、意気消沈した。

「これでよし。おいリン、見ていたか?」

ゼンゼは何食わぬ顔で腕を身体から抜くと、通信機を繋ぐ。
遠くから様子を見ていたリンは、もはやどうにでもなれと言わんばかりに頭を振っていた。

 

***

 

普段は立入禁止されている赤森中学校本校舎にある屋上。大型の室外機が備わり、周囲は柵で覆われている。
片隅に煙草の吸殻が落ちていたりと、僅かに人の立ち入った空気は感じられるものの、まだ午前の授業中である今は誰もいない。

「あなたは、彼をここに連れて来て、何をするつもりだったの?」
リンは、柵に寄りかかって気を失っている秋月を見ながらゼンゼに問う。

「そりゃ、未練が何か、聞くんだろ」

ゼンゼは当然のように答える。
リンは、無言で彼に振り向く。

「以前、私に言った言葉を覚えてる?」

「何だ?」

「『まぁ、いきなり見ず知らずの奴に『何かひとつ、願いが叶うなら?』と尋ねられて、正直に答える奴も中々いねーだろうよ』」
リンは、心なしゼンゼに声を似せて答える。

「確かに、聞いたことあるなぁ」

「もはや拉致であるあなたの行為の後すぐに、彼が素直に話すとでも?」

「あれは正当防衛ってやつだ。そもそもおまえも『エンド』読んだなら、話を思い出してみろよ。アレに出てくる不良はみんな、言葉じゃなくて拳で会話をしていたもんだ」

「あなたは根っから急所を掴みにいってた」

「揚げ足を取るのはやめてくれ」

ゼンゼは開き直ったように肩を竦める。
リンは小さく溜息を吐くも、「でも、確かに彼とまともに話すことはできなさそうではあった」と補足する。

「でもな、なんつーか。漫画で読んだ不良よりももっとこう……。まともな感じはするんだよな」

「えぇ。それは私も思うわ」

じっと観察していると、秋月はうっすら目を開けて意識を取り戻す。

目前の見覚えのない赤髪の少女に茫然とするも、そばに立つゼンゼに気づくと、顔色を一変させて身構える。

「おまえ……何なんだよ」
秋月は、引き攣った顔で問う。

「さっきのは仕方なかったんだ。許してくれ」
ゼンゼは肩を竦めて答える。

「許す許さねぇの問題じゃねぇだろ。だって、俺の身体に……」と秋月は自身のお腹を擦る。

視覚的に手が貫通していたにも関わらず、痛みはないのだから秋月もいまだ困惑しているようだ。

「大丈夫。あなたに危害は加えない。だから今だけは、私たちを信じてくれないかしら」

リンは真顔のまま尋ねる。何の説得力もない言葉ではあるが、彼女たちの異質な空気に、逃げ場のないこの場所から、秋月も押し黙った。

「あなたの人生は本来、並以上のものが与えられていた」
リンは滔々と語り始める。

普段は、人間に扮して観察を行うものの、相手に人間でない存在だと伝わってしまったのならば、もはや隠すこともない。
突飛な話も肌で実感され、理解も早いものだ。

現に秋月も、真剣な眼差しでリンの話を聞いていた。

「おそらくあなたに与えられていたのは、人並み以上の外見と、武道の才能。だけど、そんな上質の項目をあなた自身が下げてしまった。そうさせた原因が何かあるはず」

そこでリンは、強い眼差しで秋月を見る。