6【秋月 梨斗】①




平日夕時の学校。校舎の壁は、ところどころ見られるひび割れからも年季が感じられ、足元には、放置された雑草が生い茂っている。
授業が終了したことで上機嫌に下校する生徒の声が、校舎裏のこの場まで響いていた。

「今週だけでも暴行三件、窓ガラスやドアなどの器物破損五件」

教師らしき人物は、手元の紙を確認しながら告げる。
着込まれたスーツに少し白髪の混じる頭髪からも、三十代後半の中堅くらいの位置づけだと感じられる。

「黒橋中学校の生徒が行方不明になった日に、彼を見かけたと言っている者もいます。疑いたくはないのですが、見過ごすこともできない状況でして」

「いえいえ、うちの子が迷惑をおかけしていることは事実ですから……。本当に申し訳ございません」

教師の正面に立つ主婦が、深々と頭を下げる。少し皺の刻まれた肌に肉付きの良い体格からも、四十代くらいに感じられる。

主婦は顔を上げると、校舎の壁にもたれかかる少年に「梨斗。あんた、本当に何も知らないの?」と厳しい声を上げる。

「何度も言ってるだろ。俺は関係ねぇよ。それに全部、俺から始まったことじゃねぇ。謝罪する義務はないはずだ」

壁にもたれかかる少年は、眉をひそめて答える。
襟足の括られた派手なオレンジ色の髪に、真っ黒の短ランからは赤いTシャツが覗く。手には治療のための包帯が巻かれ、胸元には大振りのシルバーのネックレスがつけられている。
ガンを飛ばす目つきからも、少年からは何とも人を寄せつけないオーラが放たれていた。

「こりゃまた、とんでもねぇ奴だ」

彼らの頭上の木の上に座るゼンゼは、尖った歯を見せながら嗤う。
隣に座るリンは、リストを確認する。

・種名:秋月 梨斗(アキヅキ リント)
・誕生日:二○二三年二月十四日
・職業:赤森中学校二年六組
・種ランク:S
・開花予定日:二○三七年九月二十二日

「でも、彼の所持する種は、元々Sランクだわ」
リンは僅かに驚いて言う。

「どの辺が?」
ゼンゼは、額に手を当てがって対象を観察する。
リンは目の色を変えて秋月を見る。

壁にもたれかかる少年、秋月の顔は目鼻筋が通っていることで、かなり整っている。
衣服や頭髪を変え、愛想良くさえすれば、その外見はテレビで見かけるアイドルグループにいてもおかしくないほどだ。

「恐らく、『顔が良い』ってやつ」

リンは淡々と答える。
ゼンゼは無言でリンに振り向く。

「何よ」

「おまえそんな言葉、どこで覚えたんだ」

「あなたが貸してくれた、ジャパニーズカルチャーよ」

そう言ってリンは懐から漫画本を取り出す。ゼンゼは引き攣った顔をする。

途端、ガシャンッと盛大にガラスの割れる音が響く。
二人は肩を飛び上がらせて下を見ると、秋月が険しい剣幕で教師を睨みながら、校舎の窓ガラスを割っていた。

「何も知らねぇくせに、簡単に言うんじゃねぇよ。殺すぞ」

「なっ……!」

「こ、こら!梨斗!」

秋月の母は焦燥気味に叱る。
だが、秋月はその声を無視し、軽く手を払ってその場を後にした。

「あれが、Sランクか~」
ゼンゼは間延びした声を上げる。「でも、さすがにランクは落ちてるだろ?」

「えぇ、残念ながら」リンは目の色を変えて答える。

今、リンの目で確認できる秋月の種ランクはB。元々与えられていたランクからふたつも落ちている。
これは現に今、非行に走る彼の現状からも、日々の生活の中で落とされたといって間違いないだろう。

「元々Sランクの種を所持している人物は少ない。それに、彼から生える雑草の大きさからも、花はさらに質が落ちる。だからこそ、私たちが手入れしてランクを戻さないといけないわ」

「今回も、骨が折れそうなもんだ」ゼンゼは首を捻る。

「それにしても、本当にカルチャーは参考になるものね」
リンは顎に手を当てて感心する。

「勉強?」

「カルチャーにはこう書いてあった」

リンは指を立てて答える。「中学二年生頃は、『厨二病』という病気にかかりやすいと」

シーズン3【秋月 梨斗】

 

山から顔を覗かせた朝日が街に光を灯す。紅く染まった木々の葉も、日に照らされてより一層賑わった。
ヒュルルッと乾いた秋風が吹くと、出勤や登校する人たちは皆、身を縮こませて暖をとる。

平日の午前七時。駅周辺から少し逸れた住宅街の中にある、二階建ての至って平凡な一軒家前にそびえる桜の木の上に、二人の姿があった。

「この女性は、何故こんなクズを助けるのかしら」

リンは、不満気な顔で呟く。
彼女の目立つ赤い髪も、紅葉の中にいると紛れるものだ。

「彼女は、両親が会社経営者でお嬢様学校出身、見るからにランクA以上の種だとわかる。比べてこのクズは、頭も悪ければお金もない、運動もできなければ容姿も中の下。恐らくランクはD以下と数値も最悪。彼女と釣り合わないとは誰もがわかるわ。なのにどうして」

リンは手に持つ漫画本を広げると、隣に寝転がるゼンゼに向ける。
表紙には『何の取り柄もないクズでも社長令嬢と結婚できました』とオチまで書かれたネタバレのタイトルと、可憐な女性と冴えない男キャラが描かれていた。

ゼンゼは力説するリンを一瞥すると、「人間には、『情』というものがあるからだ」と即答する。

「理屈では説明できない『情』によって、物事の解釈をまるっきり変えることができる。周囲からは救いようもないクズと思われようが、この女から見たら可哀そうだと同情したんだろうよ。そんでつい、助けたくなった。それに、こんなおもしろいことも聞いたことがある」

「おもしろいこと?」

「人間には、助けられた人間よりも助けた人間の方が相手のことを考える性質があるらしい」
ゼンゼは口角を上げて応える。

「つまり女は、クズを助ければ助けるほど、クズのことが頭から離れなくなる。逆に助けられたクズは、段々助けられることが当然となって感情が薄れる。薄情なもんだぜ」

「私たちには理解できないわけね」リンは溜息を吐く。

「でも、俺らにも感情がないわけじゃねぇよ」
ゼンゼはふと思い出したように、言葉を続ける。

「『人間は面倒くさい』という感情が湧くから、他の奴らは手入れしない。おまえだって『汚いのが嫌だ』と思う感情から、入念に手入れをしてる」

ゼンゼの言葉を聞いたリンは、顎に手を当てて思案する。

「だけど、私たちには感情は必要ないものだと教わった」

「それは俺らの使命が『花を刈ること』だからだ」

ゼンゼは漫画本を閉じると、身体を起こす。

「前にも言ったろ。『情』を持ったことで花を刈る使命を放棄しちまうと、魂の循環が止まる。そして」

そこで彼の視線は険しいものに変わる。

「使命を全うしなかった俺らは、神としての存在意義を失う」

「つまり」

「消えるってことだ」

ゼンゼは、はっきりと告げる。

「人間と関わることを避けるのは、ただ面倒くさいだけじゃねぇ。人間と接していく中で、厄介な『情』か生まれて、気づかぬうちに使命を放棄する危険があるからだ。質の良い花を咲かせたところで、報酬が出るわけでもねぇ。だからみんな手入れする気がないんだ」

「そういうものなのね」

リンは興味なさそうに答える。
ゼンゼは険しい顔で彼女を見る。

「おまえだけの問題じゃねぇ。これは相棒を組んでる奴ら連帯責任だ。おまえが無茶をすると、俺まで消える可能性があるんだよ」

彼の低い声にリンは僅かに怯む。
数秒した後、彼女は首を傾げて口を開く。

「授業で『花の開花時期を延期にする』ことを教わらなかった理由。ただ単に教師が面倒くさくて言っていなかっただけだと思っていたけれど、少し見方を変えたら使命を放棄したようにも捉えられる危険な選択。だからあえて教えなかった、という理由の方が納得できるわね」

「ま、そうだろな」
ゼンゼはあっけらかんと答える。
リンは彼の顔をじっと見る。

「経験者がいたことに感謝するわ」

「同情するのはやめてくれ」
ゼンゼは右眼につけられた眼帯を触りながら答える。

「俺はもう後がないんだ。だからこそエリートと呼ばれるおまえと組んだんだ。せいぜい長生きさせてくれよ」

「当然だわ」
リンは力強く答える。

「私はきれいな花を咲かせることに命をかけている。たかが『情』なんかで、花の開花を見極めたりはしない」

二人の間には、重い空気が漂う。
ただ、その種類は気まずいものではなく、それぞれ真剣に思案していた。

リンとゼンゼの使命に変わるそれぞれの目的。強い信念の元に自ら心に刻み、達成する為に相手を利用する。
そこには言葉に表せないほどの絶大な信頼感が生まれていた。

会話が途切れたことで、いつの間にか出勤する人間の姿がなくなっていたことに気づく。
リンはおもむろに懐中時計を取り出すと、時刻を確認する。

「もう、一時間目が始まる時間だわ」

「でもあいつは、家から出てきていない」
ゼンゼは目前の家を窺うように観察する。

リンは腕を組んで思案する。

「すでに学校にいるのかしら」

「昨日の夜から?」

ゼンゼは目を丸くして言う。「だって俺ら昨晩からずっとここにいただろ」

「もしかしたら、あれから帰宅していないのかもしれない」

「でも確か、中学生は夜出歩くのは法律で禁止だったろ」

ゼンゼはそう言った後すぐ、「あ、そっか。確か『不良』なんだっけ」と言葉を続けた。

「窓ガラスを平気で割るような人間だから、規律通りに行動するようには思えないわ。とりあえず、学校に行ってみましょう」

リンは身体をずらして、木から飛び降りる。落ち葉の上に着地すると、パリパリッと葉の割れる軽い音が鳴る。続いてゼンゼも木から飛び降りた。
木の上に漫画本を残したまま、二人は学校に向かった。

街から少し離れた住宅街の中に、ひっそりと佇む赤森中学校。
三階立ての本校舎が二棟と体育館、グラウンドが備わり、至ってレベルは並の公立中学校だと感じられる。
一限目終了のベルが鳴る。寝坊で遅刻した生徒が通る校門前に、二人の姿があった。

「前も思ったけど、今回の対象は、本当にSランクの種が与えられてたんか?」
ゼンゼは訝し気な顔で校舎を見る。

「えぇ」
リンも疑いの目でリストを捲る。「確かに、Sランクと記載されている」

以前出会ったSランクの種を持つ者は、金持ち学校の白扇や芸能学校の青星第一、とわかりやすく上質だと示す私立学校に通っていた。
だからこそ、データを疑わざるを得なかった。

「恐らく内に秘めた才能でもあるのでしょう。まだ詳細に観察していないのだから仕方ないわ。それよりも私は、こっちの方が気になるの」

リンはリストを開けると、ゼンゼに向ける。
ゼンゼは身を屈めてリストを覗く。

「輪廻図?」

「えぇ。今回の対象、【秋月 梨斗】周辺の輪廻図。ここ」
そう言って、リンは問題点を指差す。

「彼には三つ年下の妹がいた」

リンの指差した、【秋月 林檎】と記載された箇所。
隣に記載されている【秋月 梨斗】から右横に線が伸びていることで、彼の兄妹だと示している。

「でも、一年前に開花した」

今回の対象、【秋月 梨斗】は【開花期間中】と記載されているが、妹の【秋月 林檎】の下には、【開花済】とのステータスが刻まれていた。

リンとゼンゼは、顔を見合せる。

「何か、あいつと同じ匂いがすんな」

「彼の時は身内でなかったものの、未練はほぼ彼女の死が絡んでいた。それほど身近な人間の死は、人間の心に負の感情を与える」

「確かに、関係ないとは思えねぇ」

「これだけ絞れたら、あとは簡単でしょう」
リンはぱふんとリストを閉じる。ゼンゼは背を起こすと「で」と言葉を続ける。

「今回も俺は、外で待機か?」

突然の問いかけに、リンは彼に振り向く。
ゼンゼは口を尖らせて、大きく伸びをしていた。

「ここは中学校だろ。俺が入ってたら違和感しかねーもんな。ま、適当に暇つぶしてっから頑張って来いよ」

踵を返して去ろうとするゼンゼに「待って」とリンは呼び止める。