7【雪村 冬馬】②




「いまだに信じられないな」
僕は目前にそびえたつ立派な建物を見ながら声を漏らす。

「何が信じられないのかしら」
隣に立つ少女は、正面を向いたまま反応する。

「だって僕は、自分の足で、病院を抜け出している」

僕は今、十年以上いる病室から出ていた。外はともかく、病院の廊下すらほぼ出たことがなかった僕にとっては異常事態だ。
左胸に手を当てる。心臓の弱い僕にとっては、少しの運動でも負荷になるのだが、今は特に動悸を感じず、さも当然のように脈を打っている。

「そして、僕が通うはずだった高校の前まで来ている」

目前には、白扇高等学校があった。ネットで見たときよりもはるかに大きく感じられる。
校門はシルバーに輝き、劣化が感じられない。周囲の花壇は丁寧に手入れされ、雪解けすら品位を醸し出している。
校門奥にある四階建ての校舎の壁はガラス張りで、中にはエスカレーターが確認できる。

さすが、隣県の『宝皇士学院高等学校』と並ぶ、二大金持ち高校だ、と他人事のように思った。

「挙句の果てには、いつの間にか制服を着ている」
そう言って両手を広げる。

僕の身には、普段の検診衣ではなく、胸元のポケットに『白扇』を示す扇型の校章の入ったブレザーを着用している。
まだノリがパリッと効いており、皺もなく着心地の良さからも高級だ、と肌で感じられる。
昨晩は豪雪でまだ一月上旬ということで、律儀にコートとマフラーと、防寒具まで身に着けている。

「この高校の生徒だから、制服を着ていることは何もおかしいことではない」

「いや、まぁそうなんだけどさ」

「学校を見てみたい、と言ったのはあなただわ」

「それもそうなんだけどさ」

僕は大きく息を吐くと、「何よりも」と言葉を続ける。

「こんなこと、親が許すはずがない。ただでさえ普段から過保護なんだ。それなのに一人で、外に出て」

「その心配はないわ。すでに手は打っているから」

反応を予期していたかのような即答に、僕は「何でもありじゃん」と頭を振る。

「幻想って、そういうものでしょ」

「幻想か。そうだよね、こんなこと、普通はありえないんだから」
僕はもはや投げやりに言う。

「そ。そんなことよりも、ここがあなたの来たかった学校よ。堪能してきてね」

この状況を「そんなこと」で片付けられるほど単純ではないはずだが、少女はくるりと踵を返してこの場を去ろうとする。
僕は「待って」と反射的に彼女の肩を掴んだ。

「ここまで来てそれはないでしょ。君が生み出してくれた幻想ならば、最後まで付き合ってくれるのが、筋ってものじゃないのか」

「というと?」

「例え自分の学校だって言っても、僕はまともに通ったことがないんだよ。だからさ」

僕は歯痒い感情を押さえて、いたって冷静に少女を見る。

「今日一日、僕の友だち役になってよ」

白扇高校内の、広い敷地内を歩く。
外観から想像ついていたものの、学内もやはりそのレベルは健在だった。

校門入ってすぐ右手には、噴水のようなものが置かれ、何かを記念した像が飾られている。すでに昨晩積もった雪は溶解を始め、流れる水は日に照らされて純粋に輝いていた。
地面の石畳は扇型に敷き詰められ、掲示板には『ようこそ!白扇高等学校へ』との看板が掲げられている。
行ったことがないので妄想との比較だが、まるでテーマパークのようだ、と思った。

顔を上げると、外から見えていたガラス張りの本校舎内に、縦横する同じ制服を着用した生徒の姿が見える。ちょうど昼食の時間なのか、三階のテラスのようなベンチでは男女グループが笑顔で談笑しながら、お弁当をつついている。
一階の入り口前に掲示された構内図を確認する限り、この本校舎には屋上が備わっているようだ。

「高校もすごいわね」
隣に立つ少女が呟く。

無理やり引き留めたものの、「これもジャパニーズカルチャーの勉強ね」と少女は付き合ってくれていた。
ちなみに病室で会って以来、青年の姿は見られない。

「高校も?」
僕は素朴に尋ねる。

「前に一度、白扇小学校に訪れたことがある。今考えるとすごかったのね。まだあの頃は仕事を始めてすぐだったから、学校の基準がわからなかった」

「一応、確認するけれど」僕は目を逸らして口を開く。「それは、仕事でかい?」

「それ以外に、訪れる要素はない」

少女はあまりにもきっぱりと答えるので、僕は軽く聞き流した。

「でも本当、立派な高校だよね」

少女に同調するように感心していると、キーンコーンカーンコーン、と遠い昔に聴いた音が鳴る。
隣にある時計台を見ると、午後一時を指しており、昼休憩が終わったのだとわかる。

「これから、どうするの?」少女は尋ねる。

「うーん、ここの生徒ではあるけど、僕は登校していないんだから、さすがに席があるわけない。だから、むしろこういう自分だからこそ、いける場所に行こうかなって」

僕は、構内図を確認しながら説明する。無意識に口角が上がっていた。

探検をするような高揚感が湧き上がっていた。
正直、小学一年生の頃から外的要因を断ってきたのだから、心が成長していないのも仕方ないはずだ。

「と、言うと?」

「高校の青春って言ったら、やっぱりここでしょ」

本校舎の中を窺うと、昼休憩が終了したことで慌ただしく生徒が行きかっていた。

僕は躊躇うことなく建物内に入ると、先ほど確認した構内図を思い出しながら上へと目指した。

エスカレーターに乗りながら周囲を見回す。少女も黙ったままついてきた。
制服を着用しているものの不審者だと疑われないか、と妙に心が騒ぐ。

だが、そこで違和感に気づく。
そして、無意識に後ろの少女に顔を向けていた。

相変わらず無機質な表情で校舎内を物珍しそうに観察する少女。制服ではなく、ゴシックな黒服を着用したままだ。艶やかに輝く赤髪も、僕にはすっかり目に馴染んだものの、彼女の外見は異質な空気を放っている。

そんな姿を目撃してもなお、ここの生徒は全く彼女に見向きもしていない。

視線を送りすぎたのか、少女は僕に気づくと「何?」と小首を傾げる。
僕はしばらく黙り込むと、「何でもないよ」としれっと目を逸らした。

現実主義であるだけに、こういった周囲の反応を得るとどうしても頭が回る。
恐らく僕以外の人間には、少女の姿が見えていないのだろう。

ますます幻想のようだな、ともう一度少女を一瞥すると、「こっちだよ」とエスカレーターを下りて左側通路を指差した。

 

力を入れてドアを押すが、向かい風に押される。
腕に力を入れても支障がないか不安になるものの、足すら平気だから大丈夫か、と力任せにドアを押した。
びゅうっと風が吹く。僕は目を細めて地に足を付ける。

「さすが、屋上でさえレベルが違う」

僕の目前には、人工芝生の敷かれた屋上が広がっていた。
室外機のある角には、休憩スペースなのかベンチが複数並び、自販機も備わっている。
軽くサッカーくらいはできるのでは、と思えるほどの敷地の広さに目を丸くする。

ドラマでは、屋上は普段は立入禁止にされ、生徒がこっそり利用する非日常な空間として扱われていることが多い。
だが、白扇高等学校は特に禁止されてる様子はなく、ベンチなどが確認できることからも、むしろ屋上の利用を歓迎されているように感じる。

「どこも隙を見せないね。さすが白扇」

特に返答を期待したわけではないが、無反応の少女が気になり振り向くと、眉間に皺をよせて、あからさまに嫌悪感を示していた。

「どうかした?」

「屋上に、あまり良いイメージを持ってない」

「それは、よく人が飛び降りるからかい?」

「そうよ」

少女はさらりと告白する。僕は顔をそらして無反応を貫く。
ここまできれいに冗談に乗っかられると、やりずらいものだ。

「よ、遅かったな」

どこからか声が飛んでくる。
顔を向けると、隅のベンチに当然のように腰掛ける眼帯の青年の姿があった。

病室で会って以来、見かけないと思っていたが、まさかこんなところにいたとは。
出会った当初から感じていたことだが、この青年はかなり自由奔放なのだろう。

「こんなところにいたのね」
少女は、まさに僕が考えていた言葉を口にする。

「小学校もすごかったけど、ここもやっぱすげーな。格が違ぇ」
青年は、足元に生えている人工芝を足でポンポン踏みながら言うと、「あ、そうそう、おもしろいもんを見つけたんだ」とベンチから立ち上がる。

「おもしろいもの?」

「これだ」

青年は懐から一枚のチラシを取り出す。少女と僕はそれを覗き込む。
男女のキャラクターが大きく描かれ、『夢を現実に!』との煽り文。続いて『入学志願者募集中』と記載されていることから、どこかの学校の広告だとわかる。
目を下げていくと、下部には『青星第一高等学校』との表記があった。

「青星第一高等学校」僕は呟く。「確かここって、芸能人とかが通う高校だよね」

「えぇ」少女は反応する。

病室から出ない僕にとったら、テレビや漫画といった娯楽品が唯一の友だちだった。
そんな娯楽品を生み出している人物の出身高校として、よく名前は見かけていたので、存在は知っていた。

「この絵、何か既視感を感じるなって思ったら、おまえに似てんだよな」
青年はチラシに描かれている女キャラを指差す。

幼い体躯に真っ赤な髪に黒くてゴシックな衣装を身に纏った無表情の女の子キャラクター。確かに今、隣に立つ少女と似ているとは思う。

「だったらこの人は、あなたに似ている」
少女は対抗するように、男キャラを指差す。

銀髪に眼帯の痩身の男キャラクター。全身黒服ではないものの、言われてみれば確かに似ている。

「だよな。俺も思うぜ。つまり、オチはこうだ」

そう言うと、青年は絵の描かれた下部に指をずらす。
そこには小さく『作:火宮 秋奈』と書かれていた。

知り合いかな?と隣の少女の反応を窺うと、「頑張ってるようで」と僅かに目を細めた。