第一部③




渡されたものはメガネだった。蝶番がなく、テンプル部分が太目なので、スポーツ用の型に見える。レンズ部分がサングラスのように黒くなっていた。

「しばらくこれをかけておけ。目が白いと、色々面倒なことが起こる」青年は淡々と告げる。

「裏街道の住民は、みんな目が黒いの?」私は素朴に抱いた疑問を投げかける。

「あぁ。それにここの存在意義をメイから聞いただろう。裏街道の住民は、表を嫌う奴らばかりだ。目が白いだけでおまえに何かしてくる可能性も否めない」

「ひっ」

小さく声を上げて、反射的にメガネをかけた。

「あはは、アリス大丈夫だよ。ボクらは何もしないから」

「そ……そう…………」

と言いつつも、メガネはかけたままにした。
レンズが黒いので、暗闇でサングラスをかけるかのように、さらに視界が悪くなるものだと思ったが、不思議なことにそのようなことは起こらず、むしろ先ほどよりもはっきりと周りを認識することができた。
このメガネは、暗視スコープのような機能も備わっているのかもしれない。

青年の言葉を心の中で復唱する。
表から逃避したい人間が来る世界なら、表の人間をよく思わない人たちがいることは、確かに考えればわかることだった。
青年の顔を一瞥する。機嫌を損ねたかと思ったが、先ほどと特に様子は変わらない。

「少しだけでも構ってやってくれ。いかんせん、裏街道の住民は他人に関心を抱かないから、こいつが寂しがる。しばらくお守りを変わってくれるのならば助かるんだ」

「あ、何その言い方! ガキ扱いはやめてよ」

「ガキじゃなければ、何になるんだ」

メイがぎゃいぎゃい言い返す言葉を、青年はひとつずつ冷静に切り落としていく。

やりとりを眺めながら、まだ出会ってさほど経ってないにも関わらず、直感でこの二人は仲がいいんだな、と感じた。見た目や雰囲気の違いからも血縁関係には見えないが、言葉では表すことのできない何かで繋がっているように思える。

そばに積んである本が目に入る。その本は、私がよく読んでいた作家さんの作品だった。

「ガラク……さん」

「ガラクでいい」

「ガ、ガラク……ここにある本は、全て読んでるの?」

「あぁ、ひと通りは」

「この人の小説、おもしろいよね」

「そうだな。その人なら『教室』シリーズが一番おもしろい」

その言葉を聞いた瞬間、私はばっとガラクに顔を向ける。よほど目が輝いていたのかもしれない。ガラクが少し目を開き、驚いたような顔になった。

『教室』シリーズは、私もこの作家さんで一番好きな作品だ。とある学園内で次々と不可思議な殺人事件が起こり、その謎を解くために立ち上がった探偵クラブが奮闘する学園ミステリー作品であり、基本的に舞台が学校の教室であることから、関連作品は『教室』シリーズと呼ばれるようになった。すでに完結しているが、いまだに根強いファンは多い。
しかし、他にも多数のベストセラー作品を生み出している作家であることと、叙述トリックを用いられていることから、メディア化されるのを作者が避けている。その為、この作品の名前が持ち上がることはそう多くない。
それなのにまさか、こんな場所で同士に出会えるとは思わなかった。

「やっぱり『科学の時間』が一番おもしろいと思うの。犯人がまさか探偵クラブの会長だとは思わなかったから本当に衝撃的だったよ。探偵クラブ内に黒幕がいるかもしれない、というフラグは立っていた気がするけれど、会長は一番ないと思っていたんだよね…。しかも、科学の加藤先生と義兄弟関係だったのも驚きだったなぁ。でも今思えば、理科の実験の時の会長の行動も、義兄弟だったからこそできたんだよね。会長結構好きだったんだけどなぁ」

はっと我に返る。マイナー部類に入る作品を好む同士に出会えた嬉しさで舞い上がっていた。当時の衝撃を懐かしむように滔々と話してしまったが、引かれていないだろうか。

おそるおそるガラクの顔を窺うと、案の定と言うべきか、予想通りと言うべきか、とにかく目を丸くして私を見ていた。隣にいたメイは楽しそうにこにこにしている。

「ごめん……つい嬉しくて…………」

気恥ずかしくなったので正直にそう答えたが、ガラクからは予想外の言葉が返ってきた。

「犯人は、会長だったのか……?」

しまったと気づいたが遅かった。勝手に最後まで読んでるものだと考えて口を開いたものの未読だったとは。一番言ってはいけない、核心的なネタバレをしてしまった。

「ほ……本当にごめん…………! 読んでるものだと思って……この作品、結構前に完結したから…」

「裏街道が変化することはない。だから、続刊が出ることもないんだ……」

表情は変わらずとも、明らかに落胆している。とても罪悪感で満ちてしまった。

「だ、だったら、本貸そうか?」

「結末を知ってるミステリーを読みたいと思うか」

ピシャリと返されてぐうの音も出ない。
結末を知りながら伏線を辿る読み方も楽しいよ、なんて軽薄なことは言えない。二度読みするのは、最初に衝撃的な経験をした上で行うからおもしろいのだ。特に『教室』シリーズのような叙述トリック作品ならなおさらだ。
しかしよく考えれば、続刊が出ないのであれば、むしろ延々結末を知ることができないよりはいいのではないのか。

そんな都合のいい解釈を始めたが、先ほどよりも肩を落としている様子が目に入ったので、無神経な言葉を飲みこんだ。本当に申し訳ないことをしてしまった。

そんな様子がおかしいのか、メイはケラケラ笑いながら、揶揄った調子でガラクに「どんまい」と声をかけている。
私はきまりが悪くなり、顔を逸らした。

それにしても、ガラクの周りには種類問わずに様々な本が置いてある。ひと通りは読んだと言っていたが、ざっと見ても三万冊以上はあるだろう。
これだけの量を読んだのか、と感心すると同時に、相当な時間を費やしただろうな、とも思った。ガラクは裏街道に来て、どれだけ経つのだろうか。

そこで、また一冊の本が目に入った。
『現実との向き合い方』とだけ書かれた殺風景な表紙の本だった。著者名が書かれておらず、あれ?っと不思議に思う。

ガラクに尋ねようと向き直るが、彼からはもう話しかけるな、といった空気が醸し出されている。先ほどやらかしたこともあり、今は下手に声をかけるべきではないと判断し、口を閉ざした。

「もういいだろ。一人にしてくれ」

案の定、彼の口からもそう発せられる。ガラクは先ほどまで読んでいた本を開け直して、自分の世界へと戻っていった。

対応を求める為にメイに顔を向けるが、これが通常なのか、メイは平然として「じゃ、またね」と言い、私の手を引いて図書館から出た。

図書館の外に出て、周囲を見回した。一車線道路で家や店が並んでいるが、全く人の気配が感じられない。
隣でメイが何しよっかな、と呟いたので、私は声をかける。

「ごめん……メイ。少しだけ一人になってもいいかな」

「えっ、どうして!? ボク、何かした!?」

メイは、今にも泣き出しそうな顔でそう言った。まだ理由も告げてないのに、すでに罪悪感がのしかかってきたので、慌てて言葉を続ける。

「ち、違う……。えっと、やっと裏街道についてもわかってきたけど……、それでも今日、起こったことが多すぎて、少しだけ頭を休ませたいな、って思ってさ……」

メイがじーっと表情を窺ってくるので、たどたどしくなりながら口にする。

「ま、まだ適応してないからそうだよね。それにボクも、無理やり連れてきてしまったから、ちょっと悪いなって思ってたり」

そう言いながらも、全然悪びれることもなくペロッと舌を出す。

「いいよ、時間はたっぷりあるからね。そもそも時間というものがないんだけどさ、ゆっくり休んで。あ、でも、起きたらボクに構ってよ」

「もちろん。えっと、どこか、休める場所とかある?」

「あっ、それなら」

そう言うと、メイはくるっと身体を捻って、図書館の隣にある建物を指差す。指された先を目で追うと、新築にも古家にも見えない、ごく普通の小さいアパートのような建物があった。

「ボク、いつもここにいるんだけど、今ボクしかいなくてたくさん空き部屋あるし、アリスもどう?ガラクは基本、図書館にいるし、近い方がすぐに会えるよね」

「それならここ、使わせてもらおうかな」

建物に向き直る。アパート一階の壁に『ハローハッピーワールド』と記載されていた。このアパートの名前なのか、それにしても思い切った名前をつけたものだな、と感心しながらアパート玄関のドアノブに手をかける。

メイは、「じゃ、ボクはもう少し出てくるから、ゆっくり休んでね」と言い残し、ぴょんっと跳ねてその場を後にした。

後ろ姿がまるで子ウサギだな、と微笑ましく感じながら見送っていると、メイの腰付近から何かが飛び出ていることに気づく。
よく見ると、飛び出た部分はハサミの持ち手のように見えた。
何でハサミなんて持ち歩いているんだろうと思ったが、あまり気にせずにアパート内に入る。