第三部④




通常、表で逃避願望が生まれると、目が黒くなり現実が見えなくなる。そして気づいた時には裏街道に来ていた。だから具体的にどのような方法で裏街道に来たのかがわからないとガラクは言う。

だったら

「私が通ってきたトンネルのような場所は一体何なの……?」

「オレが知るわけない。そもそもオレは今までメイが連れて来ていたとすら知らなかったんだ。オレらが裏街道に来た具体的な方法を説明できないことからも、目の白い奴らがこの世界に迷い込んだと言えば説明がつくからな。特にあいつはおもしろそうな奴がいると積極的に関わるから、連れてくる奴も珍しい目の白い奴が多いとしか考えてなかった」
ガラクは少し困惑した調子で弁解する。

「だからお前が『表に帰った』と言った時、初めて行き来できる場所があることを知ったんだ」

だから私が本を届けに行った際、ガラクはあれだけ考え込んでいたのか。私が軽い調子で言ったこともあるだろうが、そのような場所があることすら知らなかったなら、「表へ帰っていた」だなんて言葉は、なおさら聞き捨てならないはずだ。

「おまえの言うトンネルがどのような場所かはわからん。しかし、わざわざメイが表の人間を連れてくる理由。それはさっきも言ったが、自らの意志で裏街道に来た人間は他人に干渉しないから。そして連れて来られた人間があのような状態になってる理由」

「これは多分、表に帰ろうとしたから……」

「恐らくな」

でも、そうだとすれば、

「私もあの人たちのように殺されるの……?」

元々裏街道にいるのは三十日までだと伝えていたはずだ。そのことに関してはメイは否定していなかったが、表の世界に帰ることにはなる。
しかしガラクは、この問いに関しては表情を変えることなく答えた。

「それは恐らくないだろう。これは憶測でしかないが、おまえは帰ったら死ぬとメイに言ってるんだろう。メイは裏街道と表を比べられて『表に戻りたい』と思う感情が嫌なのだと思う。好きなものと嫌いなものを比べられる発言が一番気に障るだろうから」

言われてみれば確かにそうだ。私が表に帰った時もそういった素振りを見せることはなかった。むしろ死ぬことに関しては特に止める様子もない。

しかし、何よりも最大の疑問が残っていた。

「でも、どうしてあのような状態に……?」

一瞬見た死体の状態からも、恨みといったものは感じられなかった。ハサミで固定されていると言ったが、それもこちらからは確認できないほどだった。むしろずっときれいなまま大切にしているようにも思える。
それにメイは、たびたび屋上に上がって何かをしている。ただ衝動に駆られて感情的に殺したのではなく、何か意味があるように思えた。

ガラクは再び考え込み、しばらくしてから顔を上げた。

「おまえは知らなかったな。メイが何故、裏街道に来ることになったのか」

背筋が伸びた。私からは触れられなかった一番デリケートな部分。

「ガラクは知ってるの……?」

「あぁ。ずいぶん前にメイが話したことがある」

ずっと気になっていた。どうしてあんなに幼い容姿の頃に裏街道に来ることになったのか。

「でも、勝手に話してもいいの?」

「あいつだってオレのことを話したんだ。少しくらい構わんだろ」
ガラクは開き直ったように言う。

「とはいえ詳細まではわからん。それに言葉では簡単に片づけられず、また簡単に理解できることでもないが、メイは誰にも存在を認めてもらえなかったと言っていた」

十歳にも満たない歳だ。私たちが想像するよりも何倍も辛いはずだ。

「母親は蒸発して、父親と二人暮らしだったらしいが……その父親が逮捕されてからは、親戚をたらいまわしだったって言っていた。それでも結局、居場所はなかったって言っていた」

あえて父親が逮捕された原因は言及しないガラク。公園が家みたいな場所と言っていた。あの時どんな思いでその言葉を言ったのだろうか。
私が俯いて黙ったので、ガラクもそれ以上は口にしなかった。

「だからこそ、メイは他人からの愛に飢えていた。表で自分の存在を見てもらえず、誰にも構ってもらえなかったからこそ、裏街道ではその穴を埋めるように表から人を連れて来ているのではないのか」

ガラクは目を瞑って息を吐く。続く言葉を選んでいるようだが、中々出てこないようだ。表が嫌いと同時に、一人にはなりたくなかった。だから現状に繋がるのだろう。
裏街道では死体が腐敗しない。だから例え心がなくなろうとも、無理やり存在を繋ぎとめることは可能なんだから。

メイの行動は万人に理解されるものではない。ただガラクも以前言っていた。個人の意見が全員に受け入れられることはない、と。
例え一方通行になろうとも、メイは一人じゃない喜びを感じていたのかもしれない。それほど人に見られることがなかったのならば尚更だ。

「まぁ、後半はほぼ憶測だけどな」

ガラクは両手を広げて肩を竦める。「しかし、あのカーテンは少し気になるな…」と呟きが聞こえてくるものの、私はどう会話を続けるべきか悩んでいた。
正直、私も理解はできない。だけど普段無邪気で明るいだけに影が暗く感じてしまう。裏街道だからこそ埋められる穴なのだろう。

ガラクを一瞥すると、机に置いていた図書館の図鑑に興味を持っているようだった。

「あ、それは押し花を作ってるだけで、読んでいるわけでは」

「きれいにできているじゃないか」

ガラクは押し花をしていたページを開く。厚みはなくなったものの、花の美しさは健在していた。

「本当だ。今度しおりにでもしようかな」

「そんなものできるのか」

「ラミネートすればいいだけだから簡単だよ。よければガラクの分も作ってあげる」

流れでそう言ったが、意外にもガラクは少し微笑み、「楽しみにしている」と言った。

「メイの様子を見に行こうか」

ガラクがそう言ったので、私たちは部屋を出た。

 

部屋に入るとメイはいまだ気持ちよさそうに眠っていた。ポケットからスマホを取り出して電源を入れると「二○一九年八日二十日二十時三十六分」と表示される。

「まだ眠ってるね」

「あぁ」

私はメイのそばに腰を下ろす。栗色の髪をそっと撫でると、とても柔らかくてふわふわしていた。まるで子犬のようだ。
その瞬間、ううん、という声と共に、メイが目を覚ました。

「メイ?」

熟睡しているように見えたのでまさか起きるとは思っていなかった。つい頭を撫でてしまったがその行動に少し罪悪感を感じた。

「アリス……?それにガラクも……どうしたの?」

目を擦りながら尋ねる。その目にはまだ眠気が潜んでいるようだ。

「さっきまで公園で遊んでいたの忘れたの?疲れて眠っちゃったんだよ」
あくまで屋上のことは触れないように答える。

「あ、そうだったね。ごめんね。ボクすぐに眠たくなっちゃって……」

目は閉じかかっている。再び眠りに落ちそうな勢いだ。

「無理して起きていなくていいから。ゆっくり眠ってね」

安心させるように頭を撫でながら言うと、メイは力なくふにゃっと笑った。私の手に頭をくりくりして目を閉じた。

「えへへ、でもこうして起きた時に二人がいてくれて嬉しいな……これなら安心して眠れるや。おやすみアリス、ガラク」

「……おやすみ」

眠気がピークに来たのだろう。メイはこてんと枕に頭を乗せて、再び眠りに落ちていった。
撫でていた手を元に戻して身体を起こす。寝息を立てて眠るメイを見つめながら頭を悩ませた。この場に残るべきだろうか。

「どうしよう……?」
私の後ろで壁に肩を預けていたガラクに尋ねる。

「好きにすればいい。別にそいつにずっと構ってる必要もない」

ガラクはそう言いながら、ズボンの後ろポケットから何か取り出してメイの眠っているそばに腰を下ろした。手には文庫本を所持している。
私は、ガラクの発言と行動のズレから、現状を一致させることに少し時間がかかった。

「えっと……ガラクはここに残るの?」

「どこでも本は読めるからな」

澄ました顔で答える。私に構う必要がないと言いながら、本人は当然のようにこの場に残るようだ。

「素直じゃない」

「ツンデレじゃないぞ」

「そんなこと言ってない」

ガラクの鋭い視線が刺さる。私はその視線に気づかぬふりをして脚を崩した。

窓の外を眺める。相変わらず太陽の昇らない空だ。私たちの間に静かな空気が漂うが、今はこの沈黙がとても心地よかった。

 

***

 

ショッピングモールへと続く道。歩くのはもう何度目だろうか。辺りを見回しながら足を進める。今日はいつも以上に人が外に出ていた。それもそのはずだ。今日は気候がよくてとても過ごしやすい。

右手側、カフェらしき店前のテラスではジグソーパズルをしている少年がいる。パズルは半分以上完成しており、そこにはカラフルな虹が現れていた。しかしそれだけではなく、少年の服も髪も虹色だったので驚いた。もしかしたらこの少年は虹色が好きなのかもしれない。とても奇抜な格好だが、周りの人たちは気にしている様子もない。

左手側、カラオケらしき店前の広場では、ヘッドフォンをしたセーラー服の女の子がいる。激しい音楽なのだろうか、長い髪が乱れるのを躊躇うことなくブンブン頭を振っている。ヘドバンというものだ。遠くからもその様子は捉えられ、すでに五分はこの状態なので、知能的な意味ではなく物理的な意味で少しだけ頭を心配した。

改めて観察しても、裏街道の住民には「自由」という言葉がふさわしく思える。しかし表の世界と圧倒的に違うのは、同じ空間に存在しながらも個人の時間を大事にしているところだった。住民を見るたびに実感することだ。

以前、花の手入れをしていた主婦の家らしき前を通る。今日は外に出てきていないが、花壇の手入れは済んでいた。花壇には鮮やかな色彩を帯びた花が咲いていた。私が頂いた花も色褪せることなくきれいに押し花が完成していた。

今は、押し花のしおりを作る為に使用する材料調達で外に出ていた。困った時のショッピングモール。大抵何でも置いてあるだろうと踏んでいる。

無事にショッピングモールへと辿り着き、文具売り場まで向かった。この時代にはラミネートできるものはないかと考えたが、難なく入手することができた。ラミネートと一緒にリボンと穴あけパンチ、そしてハサミも入手した。

「ハサミ…」メイの顔がよぎった。

メイにもしおりを作ってあげよう。

どうせなら色違いにしようと、赤と青と黄色、三色のリボンを手に取った。レジから袋を一枚貰って、そこに入手したものを入れた。
部屋のソファに腰を下ろし、ふうと息を吐く。歩き慣れたとはいえ、ショッピングモールまでは結構距離がある。長時間歩いたことにより、むくんだふくらはぎを軽く揉んだ。

机に入手してきたものを並べる。ラミネートは機械で行うものではなく、透明のフィルムをめくり、間に挟むだけで簡単に完成するタイプのものを入手していた。

フィルムをめくり、そこに適当な大きさにカットした押し花を並べていく。気泡が入らないように空気を押し出すようにして、丁寧に挟み込む。板とフィルムの接着が完了したら一枚一枚ハサミで切り分け、上部に穴を開ける。そこに三色のリボンをそれぞれの穴に通していく。

簡単ではあるが、しっかりとした押し花のしおりが完成した。

「まぁ、いい感じじゃないかな……」

主婦が言っていたように、この花はとても丈夫だ。押し花にされてもなおその花の美しさが失われておらず、生き生きとしている。
きれいにできたなと自画自賛する中、大前提のことを思い出す。

「よく考えたら、二人とも男の子だった……」

かわいらしく仕上がったが受け取ってくれるだろうか。しかし、楽しみにしていると言ってくれたガラクの顔を思い出したので、その不安も薄れた。
私はソファの背もたれに身体を預け、天井を見上げた。

いつからだろうか。相変わらず一言多い気がするが、ガラクは以前よりも丸くなったように感じられる。メイが優しいと言うのもだんだんわかるようになっていた。

そばに置いていたガラクから借りた小説に目をやった。自分のあり方を少し変えるだけで、物語のような世界が私にも広がっていたのかもしれないんだな、と自分を哀れんだ。

そこでふと、表紙を見て違和感を抱いた。

本を借りた当時は、裏街道の誕生した時代に気づいていなかったので、ごく自然に受け入れていた。だが借りた小説の表紙は、どれも今現在でも見ているような若向けの本だと窺える。
以前読んだ『青い夏』を手に取り、奥付を確認した。そこには「二○○七年五月二十一日 初版発行」と書かれていた。

「あれ……?裏街道ができた時よりも後に発行されている……?」

他の数冊も確認してもどれも二○○○年以降に発行された作品ばかりだった。裏街道では新刊が発行されないことはガラク自身が言っていたことだ。それなのに裏街道が誕生したよりも後に発行された本がここにある。

「ガラクが表から持ち込んだもの、とか?」

そうとしか考えられないが、表では本を読んでいなかったと言っていた。
またひとつ現実を見たことで、謎が増えてしまった。