第一セメスター:四月➃

 



観望会当日。
 大学近くにある神社がイベント会場だった。境内はほどよく広く、日の暮れた今は観光客もいない。

 森林に囲まれたこの空間は、絶好の観望会場所だった。

 鳥居前に土屋さんの姿があった。日の暮れた今日の彼は、黒ベースの衣装がより一層闇に溶け込む。受付の部員と導線を確認している様子だ。

「来てくれたんだね」

 私に気づいた土屋さんは、朗らかに笑った。片手には、トランシーバーを携えている。

「絶対来てね、と脅されましたので」

「ふふっ、脅してよかった。今日は雲も出てなくて絶好の観測日なんだ」

 悪びれることもなく言う。軽くあしらう彼が大人だ。

「ちょうどこれから、スライド上映が始まるところだったんだ。見ていってよ」

 その前に名簿いいかな、と土屋さんは受付に促す。私たちは名前を言うと、案内されるまま会場内に入った。

 この神社は観光地で有名で、訪れたことがある。だが、夜に来るのは初めてだった。
 芝生では、望遠鏡が複数設置され、皆空を見上げている。楽しそうな笑い声がいくつも届いた。

 スライドショーのあるテント内は、人が集まっていた。私と月夜は、空いたスペースに腰を下ろす。

 内容は、主に現在見える空の解説だった。春の大三角を中心としたクイズ形式で、神話を絡めた物語中心だ。

 その後は天体観測に移った。スライドで説明された内容をもとに、実際の空と比べて望遠鏡で観測する。
 促されるまま、ブルーシートの敷かれた場所で寝転がった。

 目が奪われた。

 星の輝く夜空が360度視界いっぱいに広がっている。地上に降り注ぐかのようにイキイキと輝いていた。
 隣の人たちは、スライドショーの解説をもとに、空を指差して笑っている。きれい〜との声も届いた。

「すごいね」
 
 隣で寝転がる月夜は言う。感情の起伏は感じられないが、彼女は嘘はつかない。

「だよね……ほんとすご……」

 感動で胸がいっぱいになった。圧迫される感情が湧き上がる。あの時見た空よりも広く、深く、そして眩しい。
 本当にきれいな空だ。

「どう?」

 頭上から土屋さんの声が届く。視界が悪く、はっきりと認識できないが、声の距離からも、私に声がかけられたとわかる。

「とても……とてもきれいです」

 目に浮かぶ涙を悟られないように答えた。今は視界が暗いことが幸いだ。

 土屋さんは、数秒の後、「そっか」と返答をした。

 ずっと、誰かと感動を共有したかった。同じ空を見てきれいだね、と言い合いたかった。

 予想通り、その夢がこの大学では叶えられそうだった。

***



 仮入部期間が終わった。
 新歓で浮かれるのもここまでだ。今日から本格的に講義も部活動も始まる。

「まさか、月夜も入ってくれるなんて」

 ミーティングルームに向かいながら、私は言う。

 月夜は、何だかんだ全てのイベントについてきてくれた。
 だが、まさか入部までしてくれるとは思わなかった。

「ひとつは何か入っといた方がいいかなって。就活にも有利って聞いたし」

 お菓子とかたくさんもらったお礼もある、と月夜は表情を変えずに言う。打算的な彼女に苦笑した。

 ミーティングルームにたどり着くと、ざわざわと声が聞こえた。上級生や入部希望者がたくさんいるのだろう。

 そう考えた途端、緊張から身体が震えた。
今から待ち望んだ学生生活が始まるんだと高ぶる気持ちと、本当に大丈夫かなという不安が一気に押し寄せる。

 恐る恐る扉を開くと、天草と目があった。

「あんた……入部したんだ」

 思わず本音が漏れる。
 無神経な言葉に天草はムスッとするも、「決めてたことだ」と投げやりに言った。

「決めてたこと?」

「俺が天文部に入るのは、生まれた時から決めてたことなんだよ」

 大げさな彼に首を傾げる。だが、「そろそろ始めるよ〜」と声が届いたことで、慌てて席についた。

 教壇前には、二人の先輩が立っていた。そのうちの一人は土屋さんだ。バンドマンのような黒ベースのファッションは、部内でもやはり目立つ。

「まずは新入生、ウチに入部してくれてありがとう。僕は、この天文部の部長の、土屋 昴(スバル)です。これから一年間、よろしくね」

 土屋さんは、目を細めて笑った。

「土屋さん、部長だったんだ……」
 歯痒くなり顔が熱くなる。部長という肩書のある彼に妙に興奮してしまった。

 副部長の人も挨拶を終えると、新入生の自己紹介に入った。

「一年、法学部。天草 恒星(コウセイ)。名前は星の恒星と書きます。運命感じたんで天文部に入りました。先週、虹ノ宮に来たばかりでまだ詳しくないので、ウマいメシ屋とか色々教えてください」

 天草は、普段と変わらない態度で言った。すでに仲良くなっているのか、上級生の一人が「よ、ロマンチスト」と声をかけた。

 生まれた時からって、そう言う意味なのか。
 名前に振り回される天草に、内心親近感がわく。

「一年、法学部の倉木空です。私は、皆と空を見上げたくてこの大学に入りました。これからの活動を楽しみにしてます」

 簡単に挨拶を行い、お辞儀すると拍手が聞こえる。緊張と妙な高揚感で口元が歪んだ。
 顔を上げると、土屋さんと目があった。目を細めて笑う彼の顔が直視できなくて目を反らしてしまった。

***

 ミーティングが終わり、本日の活動は終わった。

「空って名前、良いね」

 ふと、声がかけられて振り返ると、土屋さんが私を見ていた。

「俺も大好きだよ、空」

 土屋さんは、ニヤニヤ笑いながら言った。甘えるような仕草で言うその素振りはあざとく、明らかに私をからかっている。
 爆発しそうになった。

「からかってます?」

「俺は嘘つかないよ」

 軽くいなす彼に歯がゆくなる。
 どうあがいたって、彼のほうが一枚上手だった。

***

「土屋さんだよね、昨年会ったって言ってた人」

 帰り道、月夜は訪ねた。私は頷く。

「いい感じじゃん」

「まさか、からかわれてるだけだよ。だって土屋さん、彼女いるし」

「彼女いるの?」

 月夜は素朴に問う。ふと、足が止まった。

「あれ、そういえば、指輪……」

 思い返すと、さきほど土屋さんは、指輪をしていなかった。
 というよりも、私が入部してからは、していない。

 でも、だから何だという話だ。
 憧れと恋愛は別物だ。

 悶々としていると「楽しみだね」と月夜が言った。その顔は、少しだけ笑っているようにも見えた。

第1セメスター:4月  完