夏休み➇



 その日の夜。
 再びホテル内で観望会、の予定だったが、あいにく今日は分厚い雲が発生し、観測できる天候ではなかった。

 明日夜は、フェリーで帰宅する。まともに観測できる環境は今晩のみだったので、残念に思いながら各々旅館で過ごした。

「倉木、今日、いつの間に消えてたんだ?」
 ロビーの一年生の集まりに向かった時、天草が尋ねた。

「んー……ちょっと」
 私は、はぐらかすように目を泳がす。「月夜には声かけたし」

「ま、水族館といえば、そうなるよな」
 金城は、まるで何か察しているかのような言葉を言った。

 水族館内は、ほぼ私たち天文部員だけだった。土屋さんといたところを見られていてもおかしくない。

 スマホにつけた、クラゲのステンドグラスキーホルダーを見る。澄んだ水色がキラキラ光り輝いている。

 と、丁度そのタイミングで、通知音が鳴った。

 土屋さんだった。

『空ちゃん、今、時間ある?』
 
 私は、無意識に視線を上げると、月夜と目が合った。表情は変わらないが、その目は「土屋さん?」と尋ねている。

 私は軽く頷くと、「ごめん。ちょっと出てくる」と声をかけて、連絡先へと向かった。



***

 ホテル裏にあるベンチで、土屋さんは一人、空を見上げていた。
 喫煙所のようで、その手にはタバコを挟み、近くに灰皿がある。もう片方の手にはスマホを所持していた。

 土屋さんは、深く息を吐いた。

 心臓が鳴った。初めて見た時と同じ姿だ。
 私の一番好きな、彼の姿だった。

 茫然と見惚れていると、土屋さんが私に気づく。

「来てくれたんだね」

「部長なのに、抜けて大丈夫なんですか?」
 そう言いながら、土屋さんの元まで歩く。

「むしろ、部長だから自由なんだよ」
 ほら、俺がルールだし、と土屋さんは、満更でもなさそうに両手を広げる。

「ほら、雲が晴れてきてさ。空、きれいだよ」

 土屋さんは、空を見上げる。
 私は、土屋さんの隣に腰を下ろすと、同じように空を見上げた。

 雲の隙間から、デネブ、アルタイル、ベガと夏の大三角の一等星が覗いた。そのずっと南には、昨日見た蠍座のアンタレスも光る。

「アンタレスが見えるの、すごいですよね……。私、ずっとサソリ座を見てみたかったんです」
 私は言った。

「ここは、虹ノ宮よりずっと南だからね。地平線に近い星も見られるんだ」

「やっぱりそうなんですね。ここなら、カノープスも見られそうだなって」

「見られるよ。冬に来た時に、見られたし」

「それならよかったです。私たちも冬にまたカノープス観に来ようって話してたので」

 何気なく、会話を続けた。
 だが、そこでぴたりと空気が変わった。

「……土屋さん?」

 反応が無く、恐る恐る隣を見る。
 土屋さんは、思案するように顔を下げていた。

「……ずるいなぁ」

「え?」

「いや、何でもないよ」

 土屋さんは、そう言うと、顔を上げた。

「俺は、空が好きなんだ」

 土屋さんは、吐き出すように言った。
 視線が、私に向いていることで、まるで告白されたような錯覚をした。

「ま、またからかってるんですか〜……さすがに、勘違いしちゃいますよ」

 私は感情を隠すのが苦手だ。
 緩む顔を隠すように、手を口元へやると、その手が握られた。

 ふわっと灰の香りが舞い、遅れてラベンダーの香りが届く。
 じっと、視線が交差した。

「土屋さん……?」

「俺は空ちゃんが、好きなの」

 ドクン、と心臓が跳ねた。次第に、ドクドクと鼓膜の裏まで響く音でなり始める。
 どういうことだ。土屋さんは、まだからかっているのか?

「そ、それは、どっちのことですか?」

 視線を避けるようにそう言うが、「まだ気づかないフリするつもり?」と土屋さんは、ムッと唇を突き出す。

「空ちゃんが好きじゃなかったら、連絡先も聞かないし、水族館にも誘ってない。俺、結構積極的に行ったと思ってるんだけど」

 体温が上がった。
 私が少し勘づいていたことは、恐らく握られた手から感じ取られている。

 そうかもしれない、と思いながら勘違いだと恐くて気づかないふりしてた。
 だって、彼が私を好きになる理由が、全くわからなかったからだ。

「なんで、私なんかを……」
 精一杯振り絞った声でそう問うと、土屋さんはどこか安心したように目を細めた。

「一目惚れだよ」
 深い空に響くような、澄んだ声だった。

「初めての観望会で、君が空を見てすごく感動している顔に、一目惚れだった。純粋にこの子と一緒に空を観たいって思った。あの日から、空ちゃんのことを考えなかったことは、ないよ」

 土屋さんは、すらすらと話す。躊躇うことなく、出てくる言葉からも本心だと感じられた。

 いまだに信じられない。直球の好意の、受け止め方を知らなかった。

「私も……昨年から、土屋さんのことばかり、考えてました……」

「知ってる」
 土屋さんは笑う。

「でも……正直、まだ、好意とか、わからないです……。私、こんな風に想われるのが初めてで……告白なんて……初めてで……」

 頭が回らず、語彙の無い言葉ばかり飛び出す。
 そんな私を、土屋さんはじっと見ていた。

「俺のことは、嫌い?」

 その問いに、勢いよく、首を横に振る。

「じゃ、俺のことは、好き?」

 その問いに、小さく頷くも、首を傾げた。

 そんな私の反応に、土屋さんは噴き出す。

「ふふっ、空ちゃんって本当正直だよね。ま、そこが好きなんだけど」

「なっ……!」

 私が面食らっていると、土屋さんは、掴んだ腕を滑らせ、手を重ねて握りしめた。残暑の夜に、じんわりと熱を帯びる。

「ね、俺のことは、嫌いじゃないんでしょ。だったらさ……」

 握られた手を、顔の近くまで引き寄せた。
 熱く、強い眼差しが、私を見る。

「俺と、付き合ってみない……?」

 低く、冷静な声で言われた。
 逃げ隠れも許されない、そんな気迫を感じた。

 情報のキャパオーバーで頭がショート寸前だった。
 憧れの土屋さんに思われてたというのに、理解が追いつかない。

「私……なんかが……いいんでしょうか?」
 私は、震える声で問う。

「空ちゃんだからいいんだよ」

「私、子どもっぽいですよ」

「俺も、子どもっぽいよ」
 土屋さんは、笑う。

「土屋さんに、釣り合いませんよ……」

「さっきから、何言ってんの」

 握られた手の力が更に強くなる。「俺が良いって言ってんだから、良いんだよ」

 全身が熱い。暗闇でもなお、土屋さんの体温を感じた。

 私は、返答に困った。
 そんな私に気づいた土屋さんは、軽く笑うと、ぱっと両手を広げた。

「言葉が難しいなら、これならどう? ほら、前に一度、してくれたでしよ?」

「そっ、そんな!」

「ここは誰もいないし、暗いから遠くからも見えないよ?」

 余裕が観じられる。私がどんな返答をするのか見透かしているようだ。

 私は、数秒悩んだ後、彼の胸に腕を回した。
 土屋さんは、待ってましたと言わんばかりに私を抱えた。

「つかまえた」

 そう言うと、土屋さんは、私の背中を擦る。
 細い身体なのに、筋肉の筋を感じる。骨ばっており、女の私とは全然違うと感じられた。
 彼に抱きしめられて、全身が安心感に包まれる。

「よ、よろしくお願いします……」

 埋もれた状態で言うと「ふふっ、こちらこそ」と土屋さんは、頭を撫でた。

「俺、独占欲強いんだよね」

 土屋さんは、私を抱きしめながら耳元で言った。

「だから空ちゃんに、いじわる言っちゃったし、水族館でも二人で行動して、皆に見せつけたかった。多分、皆、俺が空ちゃんに好意があること知ってると思う」

 そう言うと、土屋さんは、私に頭を摺り寄せる。サラサラの紫紺色の髪から、風呂上りの清潔な香りが漂った。
 一瞬で湧き出た汗で臭く感じられてないか不安になる。

「もう本当に、好き……大好き……大好きだよ空ちゃん……」

 猛烈な好意に全身が熱くなった。
 そんなウブな反応に、土屋さんは笑うと、私の頬に手を当て、唇を重ねた。

 突然のことで思考が停止する。しかし土屋さんは躊躇うことなく唇に噛み付く。

 舌を絡め、熱い息が混じる。光の届かないホテル裏、ちゅっと静かに音が鳴る。無意識に色艶のある吐息が何度も漏れた。
 背中を擦られた手が熱を帯びる。頭が彼いっぱいになり、ゾクゾクとした快感が湧き上がった。
 土屋さんは慣れている。彼の要求に応えるのに必死だった。

 唇が離れると、目の前がチカチカした。
 思考が回らないまま、茫然と彼を見つめる。

「もう、何なのその顔……」
 土屋さんは、観念したようにそう言うが、勢いよく頭を振った。

「今日はここまでかな、とさすがにこれ以上は、我慢できそうにない」

 そう言うと、私の額にコツンと自分の額を当てる。
 土屋さんのくすみのない琥珀色の目が、じっと私を捉える。

「さっきも言ったけど、俺、嫉妬しやすいから。ちゃんと構ってよ」

 土屋さんは、勝ち誇ったように笑う。その表情から、大人の余裕と、少年のようなあどけなさを感じ、たまらなく愛おしかった。

 今日一日で、「先輩」じゃない一面をたくさん見た気がした。

「……土屋さんは、チャラいです」

 思わず本音が漏れた。
 土屋さんは、面食らったような表情になるも、すぐに表情を崩す。

「ふふっ、これでも付き合った人数と経験人数は一致してるから、一途なんですよ」

 気付けば雲は去り、深く、静かな夜が訪れていた。
 月明りが街を照らす。私たちは、ホテルの玄関まで、手を握り合ったまま歩き始めた。

夏季休暇 完