第四セメスター:十月④



 飲み屋を出た後は、予定通り二次会に参加した。だいぶ頭が冷静になった今、スマホを取り出し、メッセージを送る。

『今晩、自由時間で朝まで二次会します。明日は予定ないから、それからでも良ければ会おう』

 自由時間は、名前の通り、自由な時間を過ごせる施設だ。カラオケやダーツ、ビリヤードができたり、個室で漫画を読んだりできる。24時間営業の為、二次会でよく使われる場所だった。

 もはや強制執行だったが、さすがに何も言わずに一晩過ごすのは気が引けた。こういうところが真面目なのだろうか。

『近くのカラオケにいる。朝になったら連絡して』

 すぐに返信が来る。しぶしぶ了承した内容に安堵し、充電も少なくなったのでスマホの電源を切った。

 二次会には、飲み会の半数ほどの人数だった。火野さんをはじめとした部内でも目立つメンバーが中心だ。もちろん天草たちもいる。私が参加するからと月夜も何も言わずに参加してくれた。

 受付を終えると、皆さっそくカラオケやダーツなどに向かう。
 私と月夜は、カラオケの個室に入ったが、マイクを持つことなくドリンクバーのジュースを飲んでいた。月夜はここでもアルコールを選ぶのがさすがだった。

 しばらくのんびりしていたが、ほどなくしてドアがノックされる。

 天草と金城が立っていた。

「おー、こんなとこいたか」
 天草は、私の顔を見ながら言った。

 今まで幾度となくイベントや有志観望会で何度もオールで過ごした仲だ。涙でメイクも落ち、そして気の抜けた女っ気のない顔だったが、正直彼らならいいやと思えるところがあった。

「せっかくここに来たんだ。歌わねぇともったいないぜ」

 そう言うと、天草はリモコンで曲を入れはじめる。金城もマイクのセットをはじめた。

「ちょっと……!」

 せっかくのまったりした空間だったのに、叫ばれて荒らされては困る。
 だが、金城が笑いながら手を振る。

「倉木、知らないだろ?」

「何が?」

「恒星、歌めちゃくちゃウマイんだよ」

 途端、身体が静止する。今流行りのアップテンポでメロディーラインの難しいポップス。
 だが、天草は器用に声をのせて歌い上げていた。

 無意識に路上ライブで立ち止まってしまうような、あまりにも歌が上手い人は聞き惚れてしまうんだ。 

 天草の歌声は、まっすぐに突き抜ける。体格の良い大柄な身体で、腹の底から声を出していた。
 気持ちが良いほどしっかりした声だ。

「歌、超上手いだろ」金城が改めて言う。

「なんか、悔しいけど」私は、苦笑しながら応えた。

 一曲、気持ちよく歌い上げると、いつもの天草の顔に戻る。

「声出すと、結構感情が発散されるぜ」

 天草は口角を上げて言う。私は、ムッとなりながらもマイクを奪った。
 
 数時間、カラオケを楽しんだ。
 歌を歌う、というよりは、声を出して感情を外に吐き出していた。天草に比べるとまともに歌えてないが、感情がハイになっていた。
 心置きなく楽しめる友人がいたおかげだ。

 喉も枯れてきた頃、どっと眠気が襲った。たくさん泣いて、たくさん叫んだせいだ。

 ウトウトしかかっていた頃、トントンと肩が叩かれる。

「おい、倉木」
 小声で話しかけられ、意識を戻す。
 天草が私に顔をよせていた。

「ちょっと抜けようぜ」
 その目は、月夜と金城を見ている。彼らは何か話をしていた。

 彼の意図を察したことから、眠い目をこすりながらカラオケを出た。

 天草に腕を引かれながら個室に入る。コタツが備わり、漫画の読めるスペースのようだ。

「ここなら、お前も寝られるだろ」
 天草は、ぶっきらぼうに言う。

「うん。ありがとう」
 私はコタツに入り、机に頭をのせる。目を閉じるとすぐに眠ってしまいそうだった。

「でも、天草も気を使うんだね」
 そんなことを口にしていた。どっと眠気が溢れ、意識が遠のいていく。

「自分の為だがな」
 天草は、よくわからない返答をした。

 個室の時計を見ると午前三時を差していた。オールで一番眠くなる時間だ。

 朝を迎えると、土屋さんに会う予定だ。ちゃんと話をしなければいけないので、少し眠っておくべきだった。

 二次会に参加して改めて感じた。
 天草たちと一緒にいるのが本当に楽しかった。

 本当は帰りたくない。今日が終わってしまうのかと思うと辛くなった。
 
 この感情から、すでに答えは決まっていたんだ。

「帰りたくないよ……」
 私は無意識にそう呟いていたようだ。

 ほどなくして頭が撫られるような感覚が襲う。「帰んなよ」という言葉が聞こえた気がしたが、どっと眠気が襲ってきたので目を閉じた。

***



 朝になった。
 一晩オールで過ごすというのも大学生になってから慣れたものだった。

 明日は土曜日なので何も用事がない。バイトも元から空けていた。

 土屋さんと、話さなければ。

「この後、朝飯食いに行くけど、倉木どうする?」

 金城が問う。

「私は遠慮しとく。近くで待たせてるから」

 土屋さんは近くのカラオケ屋で一晩過ごしていると言っていた。疲れているが、さすがに私も目をそらすわけにはいかない。

「倉木」

 名前が呼ばれて振り返ると、天草が私を見ていた。

「大丈夫か?」

 天草は問う。いつになく真剣な顔で妙に緊張した。

「うん。大丈夫だよ。ありがとうね」
 心配させないように、できるだけまっすぐに答えた。

 天草は、しばらく黙ると、軽く頷く。

「何かあったら、俺んところ来い」

「え?」

「おまえの近くにいんのは、地咲だけじゃねぇ。男の俺でしかわからねぇこともあるなら、俺を利用しろ」

 真意はわからない。ただ、彼なりに私を気遣ってくれているのだとは痛いほど伝わった。

「うん。ありがとう」

 私は、スマホを手に取り、皆と別れた。

 土屋さんに連絡をし、駅の改札で落ち合う。その後、土屋さんの提案でレンタカーを借り、ドライブへ行った。

 車内は無言だった。サービスエリアに辿り着くが、駐車場に車を止めても車から降りなかった。
 土屋さんも、窓を開けるとタバコを手に取り、火をつけた。

 何も邪魔されずに話すには、ここしかない。

 土屋さんを伺う。ピアスの映える整ったヘアスタイル、少し軽さもあるが黙っていれば、本当に綺麗な顔だった。 
 呆然と空を見上げながらタバコを吸う彼の姿が一番好きだった。
 
「昴……」

 名前を呼ぶと、土屋さんが「なーに?」とこちらを見る。
 ずっと起きていたからか、目にはクマが見られ、疲弊していると感じられた。

 私はずるい女だ。
 離れなければいけないのに、嫌われたくないなんて思ってしまう。

 気づけば、土屋さんに軽くキスをしていた。新鮮な灰の香りが鼻先にツンと纏った。

 土屋さんは、少し驚いた表情をし、そして静かに涙を流した。
 予想外の反応に、私は困惑する。

「す、昴?」

「もうダメだと思った……嫌われたと思った……」

 土屋さんは、タバコの火を消すと、ボロボロと流れる涙を拭った。その様子が子どもみたいで、私は、口を噤んだ。

「だから、嬉しかった……空ちゃんからキスしてくれるとは思わなかった……嬉しい……大好きだから……」

 土屋さんは滔々と言葉を漏らす。

「実は、夜はずっと、どうやったら死ねるか考えてたんだ……俺、空ちゃんがいないと生きていけないからさ……」

 傷跡は深く。
 衝撃的な重みのある言葉に、何も答えられなかった。

 離れるのが怖かった。

 彼より、愛してくれる人がいないのではないのか。
 彼に、何か危害を加えられるのではないのか。

 そして、私がいなくなったら、彼はどうなるのか。

 私ももしかしたら、自分を犠牲にするタイプなのだろうか。

 結局その日は、何も言えなかった。

***