第五セメスター:四月➁



 新歓イベントも終盤。今日は飲み会だった。

 もはや定番となった土下座像前には、新歓コンパで集まる部活やサークルが多数見られた。
 天文部もその一部に陣取る。天草を中心とした幹部は、出席を取っていた。

「天草さんは、学部どこなんですか?」
 手持無沙汰になった新入生が天草に声をかける。

「法学部だな」

「同じです! 今日講義について教えてくださいよ」

「任せろ。何なら使わねぇ教科書やるよ」

「まじっすか。超ありがたいっす」

 天草は話しやすいので、すでに新入生からも親しまれていた。良い意味で「部長」という壁を感じさせない。

 だが、女子生徒と話す光景を見かけるたびに心がもやもやする。お酒のある飲み会の場であるので、浮かれるのは当然だ。だが、どうしても下心があるように思えてしまうのだ。

 私は異性でも友人と恋愛対象は別だと考えているが、彼ははっきりとそれはないと言い切ったんだ。元々の思考の違いがあるだけ仕方ない。

 天草も私が海老原くんと一緒にいると嫉妬する。彼も同じ気持ちだと知ったが、やはり嫉妬する側となるとおもしろくない。人間ってずるい生き物だ。

「――――倉木さん?」

 ハッと意識を戻す。顔を上げると、隣に座る海老原くんが、純粋な目で私を見ていた。

 新歓コンパ中なのに、妙に怒りが増して心ここにあらず状態だった。ピルを飲むようになり、生理前のイライラは収まっているが、やはりメンタルに影響があるようだ。

「ご、ごめん……。ちょっとぼーっとしてしまって」

 誤魔化すように頭を掻きながらそう言うと、海老原くんは、「部長ですか?」と言った。

「部長?」

「天草さんが、気になるんですか?」

 その問いに、思わず身体が強張った。海老原くんはじっと私を見つめる。

「倉木さん。ずっと天草さんのこと、見られているので」

「い、いや、気になるとかじゃないよ……」

 慌てて感情を誤魔化す。まさか後輩にバレるほど視線を送っていただなんて気づかなかった。無意識は恐いものだ。
 海老原くんは、それ以上言及してこなかった。天草との関係は、部内で隠しているわけじゃないが、わざわざ自分から言う必要性も感じられなかったので、私も水を飲んで空気を変える。

「お酒って、楽しいんですかね」
 海老原くんは、ポツリと呟いた。

「僕、まだ年齢的に飲めませんが、アルコール入りのチョコレートを食べた時に顔が真っ赤になってフラフラになったことがあるんです」

「相当、下戸だね」私は苦笑する。

「僕、多分、お酒弱いんです」

 海老原くんは、少し照れ臭そうに口元を窄めると、軽く周囲を見回す。「でも、お酒を飲むと皆さん楽しそうです」

「私も同じこと思ったことあるよ。でも多分、楽しさはわからないと思う」
 つられて私も皆を見る。

「倉木さんは、あまり飲まれないんですね」

「うーん、ちょっとやらかしちゃったことがあって……。それからは付き合いで軽くだけって決めてるんだ」

 私は頭を掻く。二年生の飲み会でトイレに駆け込んだ時を思い出していた。あれ以来お酒は三杯以上は飲まないようにしている。

「飲み会は好きだけどね。お酒の場でしか話せないこととかあるし」

「この場でしか話せないこと……」
 海老原くんは、考え込むように顔を下げる。

「それに、この場の空気が楽しいよ。陽気に酔ってる人を見ると、真面目な自分がバカらしく感じられるし」

「それは、わかります」

「ただ私、お酒のせいで何も覚えてないって言うのは、ずるいと思うんだ」

 飲み過ぎて覚えていない、という言い訳は、警察特番でよく見かける言葉だ。飲んだのは自分のくせに、責任をお酒に押し付ける。お酒に逃げるとはよく見るが、まさにそうだなと感じる。

 そのせいで被害や事故に遭った相手からすると、やるせなさを感じるに違いない。記憶としての重みを感じるからこそ「償い」になるはずだ。
 
「警察特番とか、さすが法学部ですね」

「わりとおもしろいよ」

 私は開き直りながらドリンクを飲む。海老原くんは、表情を変えぬまま、周囲を見ていた。

 何度も話しかけたことで、今では海老原くんからも大分話すようになった。ただ、綺麗な顔立ちで表情に感情を現わさず、正直、何を考えているかわからない。月夜と同類だった。 彼も実はホストだったりするのだろうか、だなんて勝手な妄想をするが、いやそんなわけない。

 ふと、天草と目があった。だが、先ほど海老原くんに指摘されたことを思い出して思わず目を反らす。
 天草は元から席を回るタイプの人間だ。今回も大抵の席に回っているが、女子グループと話していると顔が引き攣る。

 対抗の気持ちもあった。自分は後輩とたくさん話してるくせに。

 悶々とし始めたが「あの」と海老原くんが切り出す。

「ありがとうございます」

「ありがとう?」
 私は首を傾げる。

「僕、昔から人と話すの苦手で、大学入ってからもどうせ一人で過ごすんだろうなって思ってました……」
 海老原くんが、たどたどしく語る。

「なので、新歓の時に倉木さんに声かけていただけて嬉しかったです。皆で空見るのが楽しそうだな、と感じたので、この部活に入ろうって決めました」

 ドキッと胸が鳴った。
 私と似ているな、と内心思った。先輩きっかけで入部を決める。自分がそんな存在になれるだなんて思ってもいなかったので、これほど光栄なことはない。

「嬉しいよ。ありがとうね」

 笑顔で答えると、海老原くんは、少し恥ずかし気に顔を下げる。

「あの……倉木さんのこと、これから空さんって呼んでもいいですか?」

「え?」

「空って名前が、とても素敵なので……」

 海老原くんは、もどかしそうに頬を赤らめる。そんな様子に私まで歯痒くなった。

「ぜひ。こちらこそありがとうね。たくさん思い出作ろう」

 私は笑顔で対応する。海老原くんは、「こんな場でしか言えません」と照れ臭そうに顔を逸らした。

 飲み会は、お酒を飲んでいなくても場の空気で口元がゆるむ。それは海老原くんだけではなく、皆同じことだった。

 内容は良いこともあれば、当然、悪いこともある。

「まさか、土屋先輩が……」との言葉が耳に入ったことで、思わず顔をそちらに向けた。

 同期が深刻そうな顔で、話していた。
 悪寒が走り、顔が青くなる。鼓動が速くなり、耳の裏まで響くようだ。

 私にはもう関係のない、元彼氏なのに。何だ、この胸騒ぎは。
 ただの聞き間違いかもしれない。ただ、何故か変な悪い予感がする。
 
 私の悪い勘は、今まで大抵当たってきた。

 私の視線に気づいたのか、同期と目が合う。彼女たちは、気まずそうな表情で顔を逸らす。その振る舞いだけで、ただ事じゃないと感じられた。

「つ、土屋さんが、何かあった?」

 気づけば同期たちの席にいた。彼女たちは、やりずらそうに顔を逸らす。
 
「空ちゃんは、多分、知らないよね」と誰かが言った。

 周囲の言葉が耳に届かない。分厚い壁に覆われているように、私の周囲はシンと静かになっていた。

「土屋さん。昨年のクリスマスに、事故で亡くなったらしい」

第五セメスター:四月 完