夏休み➀



「私、やっぱり夏って嫌い」

 人の少ない食堂内。月夜は、冷やし中華をすすりながら吐き捨てる。
 私は、ざるそばを掴んだ手を止めると、彼女に顔を向ける。

「なんか、前にも聞いたような」

「毎年言ってるからね」
 月夜は、開き直ったように手を広げた。

「でも、今日から夏休みだし、一ヶ月半は自由じゃん」

 私たちは今日、テストを終えた。三年生だがまだフル単位入れてるので、テスト日程は変わらずだった。

 月夜は、ふと箸を止めて天を見上げる。

「同じだね」

「同じ?」

「去年も、夏休みには落ち着いてた」

 月夜の言いたいことは伝わった。昨年は、水谷さん周りで色々あり、今年は海老原くん周りで色々あった。

 私は、深くため息をつく。

「私は春が嫌いかも」

「変わった後輩が多い」

「ある意味、個性的か」

 私は、箸を下ろし、天を見上げる。

 海老原くんは、今、望んだ人生を歩めているだろうか。あの選択で後悔していないだろうか。
 ……無事に、生きているだろうか。

 胸がズキリと痛む。
 彼のしたことは許せないし憎い。部活を、恐らくは学校をも辞めてくれて正直安堵している。
 ただ、この何とも言えないモヤモヤは一体なんだろうか。

 私しか彼を止めることができなかったが、私はそれをしなかった。れっきとした犯罪への道でもあったにも関わらず、彼が望むことならば、と私は見過ごしてしまった。これは、見て見ぬふりに入るのだろうか。

 海老原くんは最初に出会った頃から、内面外見共にかなり変わった。それだけ私は彼を変えてしまった。
 自分と関わった者がどんどん変わってゆく。私は人と関わらない方がいいのだろうか。

 そのせいで、また大好きな空を見上げられなくなっていた。

「空?」

 ふと声が届き、我に返る。顔を下ろすと、月夜が私をジッと見ていた。

「あぁ、ごめん……何?」

「大丈夫?」
 いつになく月夜がまっすぐに見る。常にポーカーフェイスだが、金城の一件から彼女も変わったように感じた。

「大丈夫。ありがとう」
 強く返事をすると、月夜は食べ終えた器に箸を乗せた。

「今晩、空いてる?」

「空いてる、けど」

「飲みにいこう」

 月夜は、淡々と言う。私は目が丸くなる。

「えっと……いくらかかる?」

「本気で言ってる?」
 月夜は怪訝な顔で言う。

「最近飲めてないし、久しぶりにたくさん飲みたいのよ」

「太客さんは、今アメリカだもんね」

 横目で伺う。さすが、私の軽口にはスルースキルがあるようだ。

 キャンパス内では一緒に行動する機会が多いが、外では中々会う機会がなかった。旧友であるにも関わらず、改めて二人で会うことに妙な歯痒さを感じる。

 不器用ながらも月夜の気遣いが感じられて内心嬉しくなる。

「私もちょっと飲みたいかも。街出て時間つぶそっか」

「コンセプトカフェもいいんじゃないかな。猫カフェとか忍者カフェとか」

「確かに。適当に入ってみよっか」

***

 最高学年の夏休み。活動では、夏休み中のイベント準備に加え、学園祭に向けた出展の準備も始まる。
 いよいよ、私たちの引退の時も近くなった。

「俺らも、もう引退か〜」

 活動後の部室内。パソコンデスクの椅子に座っている天草は天井を見上げて言った。
 最高学年になってから部室は、空きコマや暇つぶしで居座る部屋になったものだ。今は、私と天草二人だけでいる。
 部内ではすでに付き合っていることは認知されているが、だからといって気を遣われることはない。本当に偶然二人だけだった。

「早いよね」
 私は作業デスクに置かれていた合宿パンフレットを見ながら応える。

 今年の合宿は、一年の時に行った場所。交通手段はフェリーの車中泊を含める予定だった。

 何もかもが新鮮に映っていたあの頃から二年経ち、いつの間にか私たちが三年生であることを改めて実感する。

「もう、二年も前なのか……」

 全てが輝き、土屋さんのことを一途に想っていたあの頃。そして最終日には彼と恋人同士になった。
 つい最近のようにも感じれば、今まであったことを思い返せば遠い昔のようにも思える。

 過去の思い出が美化されるとはこういうことか。
 ただ、また戻りたいとは思わない。過去は過去だ。もう終わったことだから。

 土屋さん……。

 現実を思い出し、ゾワッと悪寒が走る。鳥肌が立ち、無意識に両手で腕を覆った。

 土屋さんは、もうこの世にいない、という現実が、いまだに実感できなかった。全て部員から聞いた噂話でしかないからだ。
 だが、そんな噂話でさえ信じてしまえるほど彼の行動は不安定だった。私がいなくなったら死んでしまう、とは別れる直前に言われたこともあった。
 あれだけ危険だと言っていた冬の山に入ったこと。事故であるはずがない。

 今はネットが普及した社会。恐らく調べればすぐに情報が出てくる。だが、向き合う勇気はなかった。
 土屋さんとは別れていたので私には関係がないはずなのに。現実を見てしまうと、自分のせいだと自分を責める未来が見える。

 そのせいで、三年経った今でも、父が亡くなった原因を知ることができないでいる。

 海老原くんだってそうだ。彼には許せないほどのことをされたにも関わらず、最終的には自分のせいだと考えてしまった。
 冷静な今は、客観的に見られるのに、当時は思考が回らない。本当におせっかいだ。

「空は優しすぎるぜ」

 温かい声が降る。顔を向けると、天草は、そっぽを向いていた。

「全部自分で抱え込んで、見えたものは見過ごせねぇ。でも、言ったろ。今は真面目な人間ほど損をするんだ。全員を救いたいなんてヒーローみたいなことはできねぇよ。まずは自分が幸せにならねぇと。まぁ」
 
 そこまで言うと、天草はおもむろにペンをいじる。「俺が幸せにするって約束だったがな」

 いじけたような、照れくさそうな天草の姿がとても愛おしい。大きい身体なのに、少年のように小さく見えた。

「うん。そうだよ」

 私は笑顔で応えると、甘えるように天草に抱きつく。天草を全身に感じる。体温が暖かく、すっと体内に安心感が駆け巡る。
 全身が包まれてストレスが浄化する感覚だった。

 と、下半身に違和感を感じて苦笑する。

「…………ちょっと、何で勃ってんの」

「至って、健全な生理現象だ」
 天草は、開き直ったように言うと、私の顔を引き寄せた。

「ここ、部室だけど」
 私は、挑発するような顔で笑う。

「鍵締めときゃいいんだよ。それに俺が部長だ」

 天草はバチンと鍵を閉めると、「学校で一回してみたかったんだ」と続きを促すように再び私に絡みついた。

***