第六セメスター➀



「空ちゃん、久しぶり!」

 威勢の良い声に身体がびくりと反応する。聞き覚えのある声に振り返ると、案の定、火野さんだった。他に数人先輩たちがいる。

 夏の暑さも引き、すでに冬の寒さが到来している十一月初旬。毎年思うが、虹ノ宮に秋は存在していないように感じる。昨日まで夏でした、今日から冬です。
 だが、火野さんは、いまだ夏の熱さを感じさせるオフショルダーにショートパンツと肌の露出が多めのスタイルだった。

 天文部最後のイベントである、学園祭。
 天文部の出展も連日盛況で、一般客はもちろん、火野さんたちOBらもたくさん来る。

「火野さん。お久しぶりです」
 
 私が返事をすると、周囲にいた同期や後輩たちも火野さんたちに気づく。

「火野さん、ちわっす!」
「先輩は就活終わったんすか?」

 火野さんは天草のように後輩たちに慕われていたからか、容赦なくデリカシーのない言葉が飛んだ。
 
 だが、火野さんは、ノンノンと指を振る。

「甘いね。あたしは大学院に行くのさ。だからまだモラトリアム人間」

「いいよな〜。俺らは学割が効くのも、あと半年もねーしな」
 火野さんと一緒にいた先輩が言う。

「学割といえば、まず映画料金だよね」
「それに定期券とかも」
「あーまだ学生でいたい!」

 先輩たちが喚くように言う。そんな姿が微笑ましかった。

 この時期では就活を終えた先輩が多いが、理学部である火野さんは大学院に進むようだった。

 理学部…………。

 共通点を思い出すたびに顔が暗くなる。
 そして、急激に現実味を帯びた。

 来年の今頃は、私も先輩たちと同じ立場になるんだ。アルバイトで一応、社会には出てるものの、社会人として働いている未来が想像できない。

 先輩たちが嘆くように、学生でいられるのは限られた時間しかない。文系で大学院進学は中々いない。特にウチのようなFランク大学はただ高い学費を支払って『学生』という切符を買ってるだけにすぎなかった。

「おまえらも、学生のうちにできることはやっとけよ」

 先輩の声が刺さる。

 やりたいことをやらなきゃ、いつ死ぬかなんてわからない。

 私が、大学進学前に決めたことだったのに。

***

 学園祭では、部活動だけでなくゼミの出し物でも張り切った。お陰で最後の学園祭も無事、全日参加する充実した三日間となった。

 そして、私たちは天文部の引退となった。

 最後のミーティング時。寂しくて、一人ずつの挨拶の時に感極まって泣きそうになる。

「私は……天文部に入りたくてこの大学にきました」

 三年前を思い出す。進路に回っていたあの頃、思いがけない経験から、私は今できることを、やりたいことを優先しようと思った。
 それが、誰かと空を見上げることだった。

 商業学校で皆が就職する中、私だけが違う道を歩んだこと。勇気はいったが後悔はしていない。

「みんなで見上げた空が本当にきれいで楽しくて、この三年間がすごく幸せでした。私の大学生活は天文部が全てです」

 私は、深くお辞儀する。それと同時に拍手が鳴った。

 次々に挨拶が終わり、あとは部長の天草だけになった。

 壇上に上がった天草は、おもむろに部室を見回し、一呼吸置いて「やっぱ寂しいな」と苦笑した。

「でも引退しても、空見上げることはできるだろ。俺らが大好きな空はいつだって見上げられる。だって上を向けば、そこには空が広がってんだからな」

 天草はそう言うと力強く天井を指差す。いつも通りの語彙力の低いクサイ言葉に部員は皆ツッコんだり苦笑する。正直私は、頬が引き攣った。

 空を見上げることが好きなロマンチスト集団。私の大学生活の大半は天文部で出会った人と時間を過ごしていた。

 三年前、憧れた先輩を追い、灰葉大学の天文部へ入部を決めた。
 二年前、憧れの先輩と恋人同士になった。
 一年前、男女の友情はないのだと気づいた。

 様々な思い出を詰め、今日、私は引退した。

***



「恒星の挨拶、アレわざと言ってた?」

 部室から去った後、夜道を歩きながら天草に尋ねた。
 天草の最後の挨拶で、意識して私の名前「空」を口にしているように聞こえたのだ。

「ばれたか」
 天草は、開き直ったように両手を広げる。

「天文部入ってから空って言葉はよく口にしたが、もう最後だしな。だから言い納め」

「もう名前、呼んでくれないんだ」

 わざとらしくいじけたフリをすると、天草は唇を尖らせる。
 出会って三年目、私は理解した。この表情の時は、ゴタクを口にするときだ。

「ほらよ、年末年始によく言うだろ。仕事納めして数日休んで年明けに仕事初め。大晦日に書き納めした次の日の元旦に書き初めするやつもいる。だからそういうもんだ」

「どういうもんだよ」

 案の定の反応に私は苦笑する。天草は、照れくさくなったのか、頭を書きながら空を見上げる。

「良い名前だよ、空って。口にしたくなる。俺の名前も最高だけど」

「暗い夜に目立つ恒星。恒星らしい」

 天草の大きな手が私の手を包む。小さくて末端まで熱の届いていなかった私の手に、天草の温かい熱がじんわりと伝わり、ほぐれていく感覚になった。
 まだ学内だが、周囲は暗く、人気もないので問題ない。

「おまえの手、ほんと冷たいよな。冬は危険だ」

「小さい頃、冬場友だちの首とかに手を当てて暖を取ってたなぁ」

「容赦ねぇ」

 天草は笑う。「逆に俺は代謝良すぎるし、冷たくて気持ちいいくらいだぜ」

 無意識に天草との夜を思い出した。確かに天草は行為中、毎度シャワー上がりのように汗が吹き出していた。

「確かに」

 意味深に頷くと、天草は「おまえ今、何想像した?」と口を曲げてこちらに向く。私は気づかないフリして顔をそらした。

 きらびやかな光が目に飛び込んだ。校門周りは装飾された電飾が鮮やかに光っている。

「学費が光ってるぜ〜」

 天草は、装飾された電飾を見ながら言う。

「半年でゴジューマン。その金はこういうもんにも使われてんだろな」

「確かにそうかも」

 そう言われるとムキになる。税金と同じで、無駄に使われるほど気分の悪いものはない。
 私も女なので、正直キラキラしたものに一瞬心を奪われたが、これが私たちのお金でつけられたものだと現実を突きつけられたら見方が変わる。

「だから、学校の機能はできるだけ使うべきだぜ。テスト時に空き部屋でクーラーつけて勉強したり、図書館の個室にコンセントあんのは超役立つ」

「電気ドロボーじゃん」
 
 適当に返すと、天草は頬を膨らましてこちらを向く。

「教室に備わってんのに生徒が使わねぇで意味あんのか? 俺らの金でつけたコンセントを生徒が使えねぇ理由あるか?」

 そう言われたら正論だった。

「私もたくさん図書館でサボってやろ」

「図書館は仕切りがあるし、部室じゃうるせー時に寝るにはちょうどいい場所だ」

 工事中の看板が目に入る。通行規制がされていたので少し遠回りして駐輪場へ向かう。

 うちの大学は、キャンパスが一箇所に固まっている為、基本どこかの棟が工事してる。さすがに三年目となると慣れたものだった。あっちが完成したらこっちを修理、常にどこかに通行規制の指示がある。ばか広いキャンパスだから仕方なかった。これが通常なのだ。

 赤、緑、黄、白とクリスマスカラーが点滅し、冬が迫ってきているのだと実感した。

 クリスマスに良い思い出がない。今年くらいは落ち着いた日を迎えたいものだ。

***