眩しい光が降り注ぎ、心地良い温度が肌を包む。
「貴重な気候なんだから、もう少し堪能した方がいいぞ」と太陽が二度寝を誘った。
私は寝返りを打つと、日の光で熱の孕んだ布団に身を丸める。
光合成の行われた柔らかい羽毛に肌が沈み、「そうだそうだ。まだ起きるべきでない」と太陽とグルなのか、布団も腕を離さない。
五月初旬のこの時期は、凍てつく冷気も感じなければ、うっとうしい湿気も感じない、一年の中でも最も穏やかな日和の続く季節だ。
そこまで誘うのならば仕方ないだろう。私は再び布団に全身を沈めた。
そこで、ふと思う。
何故、陽光が私の顔を照らせるのだろうか。
毎晩寝る時は、窓辺のカーテンはきっちりと閉めているはずだ。普段も毎朝起きると、自分でカーテンを開けて日光浴を行っている。
先ほどまでと変わり、全身が引き締まる。内側を覆うように身体を丸めた。
恐る恐る目を開けると同時に、「朝ですよー!」と活発な声が耳に飛び込んだ。
「ほーら、ほらほらほらほらほらほらほら。いつまで寝ているの、早く起きないと遅刻しちゃうぞ!」
神崎 渚(カンザキ ナギサ)は、布団をバリッと剥がすと、私の頬をピタピタ叩く。
いきなり冷水シャワーを浴びせられたかのような強い刺激に脳が追いつかない。私は低血圧なんだ。
「……ちゃんと、自分で起きられるよ」
私は、ブンブン飛び回るハエを追い払うように手をはたく。
渚は目を覚ました私に気づくと、頬をプクッと膨らませる。
「嘘だい! 哀、もうまもなく二度寝を始めるぞ、といった様子だったじゃんか。まさに船が沈没し始める瞬間をあたしたちは目撃したんだから!」
「豪華客船でも沈没するんだから、イカダが沈むことはよくあるよ」
「イカダだなんて自分を卑下するのはよくないぞ。せめてヨットでしょ」
「何が違うの?」
無理矢理起こされた挙句に、渚のテンションの高い会話に付き合わされているのだから、それだけで評価されたいものだ。
適当に返していたものの、ふと渚の言葉が引っかかる。「あたし『たち』……?」
「波に飲まれた船員、救助成功だな」
聞き覚えのある声が届いて、正気に戻る。
勢いよく身体を起こすと、そこには見慣れた顔がいくつもあった。
「祐介に美子……それに蓮まで」
「昨夜、横断した海は青かったか?」
二宮 祐介(ニノミヤ ユウスケ)は、よっと軽く手を上げながら挨拶する。
落ち着いた軽口と動じない態度は、常にあらゆる情報を把握している余裕から来るものなのだろう。
「哀ちゃんがいつ起きるかなって、観察していたんだよ~」
祐介の隣にぴったりとくっついている、妹の二宮 美子(ニノミヤ ミコ)は、兄とは対照的に能天気な言葉を発する。
その手には、『あんぱん』と書かれた袋が握られ、口もモゴモゴ動いている。
「何で俺まで……」
少し離れた入り口付近の壁に、背を預けている風見 蓮(カザミ レン)は、切れ長の目をこすりながらぼやく。
紫黒色の髪はところどころ跳ね、寝間着のジャージもよれている。しかし完成されたスタイルから、そんなだらしない恰好も様になっていた。
「それは、私が聞きたいんですけど……」
私は引き攣った顔で反応する。
一応、私も「花の女子高校生」というやつだ。
渚や美子はともかく、祐介や蓮までお年頃の女子高生の眠っている室内に、勝手に侵入して寝顔を眺めていたのは、いかがなものか。
とはいうものの、よくあることなので「寝起き姿が見られて恥ずかしい」だなんて感情は、遠の昔に消えていた。
「起こしに来たら、鍵が開いていたからさ。女の子なのに不用心だぞ~。あたしたちが強盗だったら、今頃哀は食われている」
渚はがお~と両手を掲げて言う。その後ろでは「食っちゃうど~」と美子も渚の真似をする。
私はドアに顔を向ける。彼女の言う通り、昨晩鍵をかけ忘れていたようだ。
確かに今のようなことが起こると痛感したので自分を戒める。
「そうだね。これからは気を付けるよ」
私は、首を掻きながら壁にかかった時計を確認する。
だが、そこで再び目を見張った。
「ちょっと……遅刻どころか、食堂すら開いてないじゃない」
針は午前六時を示していた。食堂が開くのは七時。まだ一時間もある。もっと言えば、八時半の授業開始までニ時間半もある。
確かにあのままだと二度寝の海に溺れていたのは確実だが、それにしても早すぎる。
私が唖然としていると、渚が胸を反らしながら近づく。
「今日からまた授業が始まるんだから、気持ちを切り替えないとダメでしょ。だからみんなで、ラジオ体操するよ!」
「はい?」目が点になる。
「まぁみんな、そんな反応になるわな」
祐介は小さく溜息を吐きながらそう言うと、渚の奇行の解説を始める。
「俺らがゴールデンウィーク地元帰った時に、バーベキューしただろ。そのことをこいつが知ったみたいで。自分だけ参加できなかったことが悔しいから、てさ」
「だってずるいじゃん! 自分たちだけ楽しいことをやってさ、だから報いを受けるべきよ!」
渚は、キッと祐介を睨む。
「まぁ、親たちが乗り気だっただけだけどな」
祐介は、肩を竦めて弁解する。「だって俺らはこうして、毎日顔合わせてるわけだし」
「バーベキューのお肉、おいしかったなぁ〜」
美子はさらりと煽る。毒気が感じられないことからも、渚の顔は梅干みたいにシワシワになる。
確かに地元に帰った時、渚除くここにいる皆とバーベキューをしたが、とはいえ何故「ラジオ体操をする」という発想に辿り着くのか。
「でも、何でラジオ体操なのさ……」
そのまま尋ねると、渚は表情を反転させて不敵に笑う。
「みんな朝起きるの苦手でしょ。特にここ入ってからは、朝にゆとりができてしまって、身体もなまってるはず。だから『朝早くに起きる』ということが、罰になるのよ」
特に蓮にはツラいでしょうね! と渚は、高らかに笑いながら彼を指差す。
指された本人は、立ったまま眠りの海に落ちそうになっていた。
罰にしてはあまりにも健康的すぎる内容だが、とはいえ渚は、一度言い始めると聞く耳を持たない。
だからこそ皆諦めて、こうして集まっているんだろう。それにもう完全に目が覚めてしまった。
渚に同情したこともあり、観念してベッドから腰を上げる。
「でも、顔だけ洗わせて」
「じゃ、十五分にラウンジに集合ね」
降参したことで、渚は晴れやかな笑みを浮かべる。
私が立ち上がったことで、自室のようにあぐらをかく祐介、もりもりと菓子パンをほおばる美子、立ちながら眠りかけていた蓮もしぶしぶ動き始めた。
***
私たちの通う「緑法館」は、虹ノ宮市唯一の全寮制中高一貫校となっている。
高校生は基本的に個室が与えられ、まるで自宅のようにのびのびした環境で過ごすことが可能だった。
交換留学生用の寮も備わっていることから国際交流が盛んに行われ、学科も外国語に力が入っていることで有名だ。
そして今、私の周りにいる渚、祐介、美子、蓮は、全員地元が同じ幼馴染だ。
廊下窓の外から、部活動の朝練を行っている生徒の叫ぶ声が聞こえる。早朝から練習ができるところも全寮制の利点だ。
左側にある浴室からは、誰かがシャワーに入っているのか水の滴る音が響く。ドアの前を通ると、清潔感漂う石鹸の香りがふわりと舞った。
突き当たりにある食堂からは、食器を準備するカシャカシャという音や、トントンと食材を包丁で切る音が聞こえる。
窓からは、二度寝を誘った根源が差しこんでいる。
清々しい朝の空気に、私は大きく息を吸った。
心地良い朝だ。
もうこの生活もニ年目を迎え、周囲の光景も実家のように馴染みのものとなっていた。
「ずるいなーずるいなー、バーベキューするってわかってたら、あたしだって仕事をキャンセルしたのにな」
女子洗面所内。渚はヘアバンドを頭につけながら、悔しそうに唇をとがらせる。
渚がバーベキューに参加できなかった理由だ。
彼女はこれでも、現役高校生モデルをやっている。中高生向けのファッション雑誌中心に活動中らしい。
普段の彼女と別人に見える為、あまり積極的に見られてはいないのだが、それでも何度も表紙に起用されていることから、恐らく人気はあるのだろう。
渚を横目で見る。キューティクルの輝く黒漆の髪に、Tシャツにジャージといったラフな格好だが、健康的な白い肌にしなやかな四肢で、スタイルの良さは目に見えてわかる。
「喋らなければ美人」というやつだ。普段の言動から品位が感じられないだけに、度々忘れそうになる。
「バーベキューくらいで仕事をキャンセルなんて、そんな自由が利くものでもないでしょ」
私は髪を束ねながら反応する。
「現役高校生って、案外融通が利くもんなんだよ。学業を一番優先したいとは、リンくんにも言ってるからさ」
確か「リンくん」は渚のマネージャーだったはずだ。
「バーベキューは、学業に全く関係ないけど」
「『学生の時にしかできない貴重な経験』って言う方がいいかな」
「バーベキューは、大人になってからでもできるけど」
私が淡々と指摘するからか、渚はおもしろくなさそうな顔でこちらを見る。
「そんなのわかんないじゃん。高校生活なんてたった三年間なんだし、ずっとこの関係が続くとも限らないでしょ」
その言葉を聞いて、ふと思う。
家が近所で、親同士が仲が良いこともあり、皆とは幼少期から日常的に会っていた。
二宮両親の都合で、祐介と美子が全寮制に入ることになり、高校受験の時期だったことから私と蓮も緑法館を志望。「一人だけ除け者は嫌だ」と、当時中学三年生だった渚もこの学校に転校した。その時からモデルの仕事をしていた為、あまり学校に拘りがなかったらしい。
全寮制に変わったことから、今まで以上に顔を合わせるようになったんだ。
だが、確かに彼女の言うように、この関係が永遠に続くとは限らない。
この学校は、中高一貫であるものの、大学は無い。
まだ一年生の渚や美子はともかく、私と祐介と蓮は、来年の今頃は進路を考えなくちゃいけないんだ。
観測者であるからこそ、変わらないものなんてない、と断言できる。
だが、今まで当然のように顔を合わせていただけに、想像ができなかった。
隣で、ぶつぶつぼやく渚を一瞥する。
さすがと言うべきか。一期一会が貴重な芸能界にいる渚には、時間の大切さを深く理解しているようだった。
「渚はえらいね〜。まだ高校生なのにもう仕事してて」
美子は、食べ終えたあんぱんの袋を律儀に畳んでゴミ箱に捨てる。いまだ口をもぐもく動かし、じっくりと味わっていた。
「美子だってかわいいんだから、チャレンジしてみようよ!ちやほやしてもらえるのは、若いうちの特権だよ」
渚はウィンクして、美子に提案する。
しかし美子は、あまり関心がないようで、人差し指を顎につけて天井を見上げる。
「だってモデルになったら、ごはんたくさん食べられないでしょ?」
「まぁ美子はそこだよね」渚はあっさり手のひらを返す。「何よりあの祐介が許すわけないか」
「美子は、お兄ちゃんにかわいいと思ってもらえたら、それだけで充分なんだ」
美子は毒気なくふにゃりと笑う。
二人のやりとりを聞きながら、洗面台の水道の蛇口をひねる。外の空気に冷やされた水は肌を刺激し、脳や肌を活性化させた。
五分ほどで洗面を終えて外へ出ると、ちょうど男子洗面所から祐介と蓮も出てきた。先ほどまでついていた蓮の寝癖も気持ち整えられている。
「準備は終えたね。じゃ、今から体操始めるよ!」
渚はおーっ! と拳を突き出す。
私たちは、はいはいと適当に首を振りながらラウンジへと向かった。
***