Day3「梅雨前線は来週にかけて、徐々に北上する見込みです」②




ホームルームでは、六月末に迫る修学旅行についての話が着々と進められていた。

以前祐介からもらった旅雑誌のおかげで、私たちの班も滞ることなくスケジュールが埋まっていく。
班のメンバーは、蓮と瑛一郎含む男子三人、私含む女子三人の計六人の割合だった。

「自由時間の時さ、私と蓮、少しだけ抜けちゃだめかな? ちょっと別のクラスの人と集まりたいな、と思ってさ……」

私は、恐る恐る班長に尋ねる。
基本的に班行動をしなければいけないが、以前祐介との会話を思い出したので切り出してみた。

「全然いいよ〜。だったら俺もそうしようかな」
班長の男の子はむしろ目が輝き、肌の血行も良くなる。

「あ、じゃ俺もサッカー部で集まろっと」
瑛一郎は、頭に手をやりながら口笛を鳴らす。

「もしかしてだけど、祐介くん?」
同じ班の奥野さんは問う。

「うん、そうだよ」

「あ、やっぱりそうなんだ。友達が祐介くん誘ったらしいんだけど、断わられたみたいで」

「祐介が?」

「うん。別の人と回るからってさ。でもそっか、彼女かなって話してたから」

「祐介は多分、彼女いないよ」
私は顎に手を当てて言う。

「もしいたら、美子ちゃん嫉妬するだろうな~」
瑛一郎も笑いながら同調する。

「そうなんだよね。でも、むしろその方が安心っていうか」

「安心?」
私と瑛一郎は目を丸くする。

「だって、彼女ができる確率が減るじゃん」
奥野さんは嬉しそうに口角を上げる。

「祐介くん、結構人気なんだよ。でもみんな、妹ちゃんがいるからって諦めてる。むしろ妹ちゃんがいるから喧嘩にならない」

「女子って恐いな~」
瑛一郎は大袈裟に両肘を抱える。

「でもそっか。一年の研修旅行ん時もそんなんあったよな。好きな人と水族館回るってやつ。みんな青春を謳歌しているようで」

「瑛一郎くんはサッカー部で回るんだっけ?」
奥野さんは揶揄うように瑛一郎を見る。

「俺の好きな人は同じ学年じゃないんです~」
瑛一郎は悔しそうに唇を突き出した。

「おーい脱線してるぞ。そろそろいいか」

班長は苦笑しながら切り上げる。私たちは身を縮めて話を戻した。

斜め前に座る蓮を見る。
その体勢はうつ伏せで、ひと目で「睡眠中」と伝わる。

昼食を経た昼下がりの午後であることから、お昼寝の捗る時間だ。
幼児と同類の蓮にとったら、この時間はコアタイムと呼べるので、話し合いに参加する意志がないのは歴然だった。
彼がそういう人間であると周知されているだけに、班の人たちも特に気にすることなく話を進めている。

「小樽での自由行動は、昼の一二時から二時の二時間。最初の一時間は昼食もあるし班で行動するとして、一時から一時半の三十分間は各自適当に動くか。一時半以降は何か卒アルの写真とか取られるらしいし、その時間までには集まっとこうぜ」

班長の男の子は言う。私たちは首を縦に振った。

「下野さんもそれでいい?」

班長は、ずっと黙っている同じ班の下野さんに確認する。

「ぜ……全然! それで、大丈夫です……」

話題が振られると思っていなかったのか、下野さんはびくりと肩を震わせて手を振った。
目にかかりそうなほどの長さの前髪に小柄な体格からも、大人しいタイプの人だ。

うちの班は、基本的に班長と瑛一郎と奥野さん中心に会話が回される。
ノリ気な彼らがいるからこそ、寝ている人がいようとも、黙って下を向いている人がいようとも、観測者がいようとも調和が取れていた。

***

 

午後四時半。本日の授業が終了する。
早朝に起床する生活になってから、この時間には眠気が襲う。
夕食の時間まで眠ろう、と教科書をまとめ始める。

「あの……北野さん」

か細い声に顔を上げると、下野さんが立っていた。その顔は俯き、手はモジモジとスカートを弄っている。小柄な身体がさらに小さく感じられた。
妙に緊張が感じられる態度に、私は首を傾げる。

「しゅ、修学旅行の自由行動で、一時から自由って今日の話し合いで決まったじゃん……? 少しだけでいいから、か、風見くんと一緒に行動させてくれないかな?」

「蓮と?」

「ご、五分だけでいいから!」

下野さんは勢いよく顔を上げる。その顔はほのかに紅潮していた。

そんな彼女の顔を見て、私は全てを察知した。

「全然……! 私たちはただお土産を買おうと思っていただけだから、下野さんの予定が終わってからでいいよ!」

私は大げさに手を振る。その反応を見た下野さんの目は安堵したように輝いた。

「あ、ありがとう……!」

下野さんは深くお辞儀をすると、パタパタとこの場を去っていった。
私は、呆気に取られていた。

誰が見ても、読める気象情報ではあるだろう。
だが中には、記号の意味が理解できない人もいるかもしれない。

だから私は、予報する。

下野さんは、蓮のことが好きなのだろう。

高校一年生の時の、研修旅行で水族館を訪れた際にも皆、気になる人に声をかけて回っていたものだ。
ただでさえ全寮制で、「通学」というビッグ青春イベントがないだけに、いつもと違う環境で心躍るはずだ。
そう考えると、先ほどの下野さんの声も顔も態度も納得できる。

観測者の一番望む空色だ。歯痒く感じ、顔が緩んだ。

私は教室を出て自室へと向かう。

寮へと続く廊下は閑散とし、普段は聞こえる部活動をする人の声も無い。
ただ雨粒がアスファルトに叩きつけられる冷たくて不規則な音が響いていた。

「祐介も蓮も、昔から女の子に人気あるよねぇ……」

祐介は、持ち前の社交スキルから、幼馴染という偏見抜きにしても話し辛さはない。人当たりの良さが外見にも滲み、男女共に好感度は高いと感じていた。
蓮は、口数が少なく常に気だるげだが、外見が良いだけ話題に持ち上がることが多い。それに何かと付き合いは良い方だ。
二人とも系統は違うものの、「女子人気が高い」という点は共通していた。

そんな二人と幼馴染である私は、昔から二人の情報を聞かれたりすることが多かった。美子が祐介の彼女だと勘違いされることが、今まで何回あったことか。

とはいうものの、祐介は妹にしか、蓮は眠ることにしか関心がない。
昔からそうなので、二人に女の子の影が見えたことも、増してや好きな人がいる、という話も聞いたことが無い。

だからこそ、二人の恋予報は中々できないのだった。

そこで、ふと思う。

渚と美子の二人もそうだ。
渚は、やかましいもののモデルなだけに外見は良い。もちろん彼女の性格含めて好きだという人もいるだろう。

美子は、天然だがたまに毒を吐くところがツボにハマる人がいるらしい。
現によく話す存在でも一名、高い確率で彼女に恋心を抱いている人物がいる。祐介が敵視するわけだ。

もし皆に恋人ができたりしたら、と考えると妙に肌がこそばゆくなった。

しかし、何故かそこで心がざわついた。

私はただの観測者だ。基本的に対象の観察をすることが好きで、自身が体験したいとはあまり思わない。積極的に関わらないようにしていたこともあり、だからこそこれといったセールスポイントも浮かばない。

観測者は自ら望んだ立ち位置であり、靴も履いてりゃ傘も差しているのでこの場に不満もない。
だが、妙に地盤が緩んでいるように感じられて不安定だった。

これは一体、何の感情なのだろうか。

外は相変わらず雨が降り続き、雨靄が立ち込めている。
日の光が見えないように、心にも靄がかかっていた。

***

ラウンジでの朝の運動も、変化が現れつつあった。

あれだけ全身ガチガチだった筋肉痛も消え、今では渚プログラムを何とか最後までこなせるようになっていた。
一ヵ月以上毎日続けたことで、少しずつ身体が変化しているのだと実感した。

「みんな凄いじゃん。結構体力ついてきたんじゃない?」
渚は、ご満悦顔で手を叩く。相変わらずその外見には、疲労が見られない。

「おかげさまでね……」
祐介は額に手を当て、ソファに仰向け状態で答える。

「おなか減った~……」
美子は、お腹に手を当て呟く。

ソファでうつ伏せ状態の蓮は、意識があるのかすらわからない。

「これぞ『継続は力なり』と言うものね。ということで皆勤賞を準備しました!」

「皆勤賞?」

反応したもののあまり期待はしていない。
渚は、「海岸の石ころ」を「真珠」と表現するほどに物事を誇張する癖があった。

「なんとあたしは、来月発売する『ベリー』の初単独表紙を飾ることになりました!」

「へぇ、すごいな」祐介は素直に褒める。

確か『ベリー』はファッション雑誌だ。CMもよく流れ、雑誌をほぼ読まない私でも知っているほどなので、彼女がその雑誌の表紙を飾る、という意味の凄さは理解できた。
ちなみに『ベリー』は十代女性ターゲットの雑誌なのだが、さすが情報通はその辺りも把握しているらしい。

「そのお祝いでリンくんから『みんな用に』ってお菓子を貰ったから、わけてあげましょう!」

「やったー!」
美子が、いの一番に両手を上げて喜ぶ。先ほどまでの疲労は吹っ飛んだようだ。

渚は、ソファの隣に置いていた大きな箱を机に置く。
中はクッキーやマドレーヌ、チョコレートなどの洋菓子が大量に詰められていた。

「食べていー? 食べていー?」
美子が目をぴかぴか光らせて渚に問う。

「えぇ、これは監督からのご褒美よ。さぁ遠慮なく食べなさい!」
渚は大っぴらに両手を掲げる。それを合図に、美子はクッキーをがばっと掴んだ。

私もチョコレートをひとつ手に取る。今までは朝食が喉を通らなかったが、運動の慣れてきた今ではお腹にも余裕が生まれていた。

包み紙を剥がして口に放り込む。滑らかな舌触りと鼻をつきぬけるフルーティーなカカオの香りからも、売店やコンビニで食べるものよりも格段に質が違うと感じられた。

「そだ。エイくんにもご褒美あげよう」

美子は、大型テレビ横の棚に置いてあるエイのぬいぐるみの元まで向かう。
手に持った個包装のクッキーを口元付近に置いた。

「美子が、食べ物を人にあげるなんて珍しいな」
祐介は軽く目を見開く。

「人じゃないけど」私は苦笑する。

「あれは瑛一郎の分身だろ?」

「じゃあ、瑛一郎に嫉妬してるんだ」

「前言撤回」
祐介は、笑いながら手を振った。

「あっおまえら、やっぱここにいたか」

癖のある声に振り向くと、瑛一郎が立っていた。スポーツブランドのTシャツにハーパンと部屋着姿からも、今日は練習が休みだとわかる。

「今日もノルマを終えた後って感じだなぁ。もう一ヶ月くらい経つんか?」

「おまえって、ほんとタイミングよく現れるよなぁ……」
祐介は頭を掻きながら言う。

「え、何、俺のことでも話してた? って何かうまそうなもん食ってんじゃねーか」

瑛一郎は机に置かれたお菓子の缶を見ると、嬉々として近づいてくる。

「瑛ちゃんの分はないよ〜」
美子は缶詰を両手で守るように庇う。

「ガーン! 俺の分身にはあげてんのにさ」
そう言って瑛一郎は、テレビ横のエイのぬいぐるみを指差す。

「あれはおまえじゃない」

強調して宣言する祐介に思わず失笑した。

「と、まぁそうじゃなくて、おまえら今から暇か?」

瑛一郎は、指を立てて切り出す。私たちは茫然と彼を見上げる。

「なんか前、奏多と直樹らとトランプやったんだろ。ということで、今から人狼やろうぜ」

「いや、全く意味がわからない」
思わず声に出た。

「だって俺、誘われてないしずるいじゃねーか。だから今日は、俺の都合に付き合ってもらうぜ。人狼やんなら大人数の方がおもしろいし」

「いや、意味がわからない」
蓮も続けて言う。

「人狼? やるやる!」
渚は、目を輝かせて言う。

「そうこなくっちゃ。ちょっとあいつら呼んでくるわ!」

瑛一郎はそう言うと、さっと手を挙げてこの場を去った。

「無駄にフットワーク軽いよなぁ」
祐介は溜息を吐く。

「中身のない人は軽いんだね〜」
美子は、クッキーを咀嚼しながら呟く。

数分後、ぞろぞろと見知った顔がラウンジまで辿り着く。

瑛一郎に連れられた憐れな人員は、奏多に直樹、そして前回はいなかったが、同じく彼らと幼馴染の山城 沙那(ヤマシロ サナ)だった。

「沙那ちゃん、なんか久し振りだね!」
渚は笑顔で言う。

「確かに。最近は中々タイミングが合わなかったもんね」
沙那も笑顔で答える。

相変わらずきれいな蒼黒色のボブヘアがなびき、清廉な空気が漂っている。
彼女の纏う空気は、この場にいる人間の中でもひと際澄んでるな、と改めて感じた。

「今回は、ちゃんと沙那もいるじゃん」
私は、奏多にこっそり耳打ちする。

「哀ねぇ……」
奏多はやりづらそうに顔を歪めた。

「萌さんは、寮長の集まりで行けないってさ」
瑛一郎は肩を落として言う。萌さんとは、直樹のお姉さんだ。

「瑛くん、どんまい」
渚はケラケラ笑いながら揶揄う。

「せっかく俺の狼ハントを披露しようと思ってたのによ」

「大丈夫。姉貴はおまえのことなんて、一ミリも眼中にねぇ」

直樹はずばっと言い切る。
実の弟からの言葉に、瑛一郎は「うるせー!」とザーザー雨の降る窓に向かって叫んだ。

彼らの幼馴染関係は、私たちとは違い、中々に複雑だったりする。
興味深い現象なのだが、恋予報はまた日を改めるとしよう。

「人狼か~。俺やったことないんよな」
直樹は、荒れる瑛一郎を無視してぼやく。

「狼がそれ言っても説得力ねーなぁ」

「おまえなぁ……」
直樹は祐介の言葉に顔を強張らせた。