「今回はみんなと会わないの?」
私はテレビ雑誌を捲りながら、奏多に尋ねる。
お盆に突入したことで、奏多の実家にお邪魔していた。
「そうだね。萌さんは受験だし、瑛一郎も部活だし、今年は無しかなぁ」
奏多は炭酸水のペットボトルを開けながら答える。プシュッと気の抜ける音が鳴った。
「それだったら来年は奏多以外受験だし、来年も無しになるじゃん」
「まぁ別に毎日顔合わせてるんだから、わざわざ帰省してまで集まろうと思わないよ。哀たちが仲良すぎるんだ」奏多は苦笑する。
「でもさ——……」とそこで口止まる。萌が北海道に行くことは言うなと本人に口止めされていたんだ。
「でも?」奏多はポカンと口を開ける。
「で、でも……もしここ卒業したら、みんなと中々会えなくなるかもしれないよ?」
私は咄嗟に言葉を選ぶ。
「渚もいつも言ってるの。高校生活は今しかないって……」
そこでふと、蓮のことを思う。
萌が奏多たちに気を遣ったように、蓮も私たちに気を遣って何か言ってないことがあるのだとしたら。
母が「重大なこと」と言っていただけに、軽いことではないはずだ。
もしかして、
蓮は、ここからいなくなるの————?
「哀?」
不安気な声が届いて我に返る。
顔を上げると、奏多が私をじっと見ていた。
「あ、ごめん……ちょっと考えごとを…………」
そう答えると、奏多は興味深気に顎を触る。
「哀はさ、多分、恐いんでしょ」
「恐い?」
予想外の言葉にキョトンとする。
「みんなと一緒に過ごす楽しい時間がなくなることに対して、恐怖を感じているんだ。観測者って、自分のことは観測できないものでしょ。哀はみんなと一緒にいる時、自分がどんな顔してるかわかる?」
奏多は悪戯っ子のように口角を上げる。
「そ、そんなのわかるわけ……」
「すっごく楽しそうな顔しているんだよ。僕ら身内と一緒にいる時にですら見せない素の顔」
「素の顔…………」無意識に自分の頬を触る。
「哀って、基本的に少し離れて周囲を観察するタイプじゃん。でもね、祐介くんたちといる時だけは違うんだ。哀もちゃんとみんなと同じ場所に立ってる。その証拠に不安になってるんだ」
そう言うと、奏多は自身の胸に手を当てる。
「恐怖を感じるのは、この関係が壊れたくないから。つまりそれって、今立っている場所が心地良いからでしょ。でも哀はそんなことないって思おうとしているんじゃないかな。少なくとも」
そこで奏多は、天井を見上げる。「唯一、祐介くんたちと関わりのある身内の目からはそう見える」
素直で純粋でまっすぐな言葉を放つ奏多の言葉が、ストレートに胸に刺さった。
渚に将来のことを言われてドキッとしたのも、
蓮がいつもと違うように見えてもやもやしたのも、
萌さんと受験について話した時にひやひやしたのも、
全部、奏多の提言した感情が当てはまっていた。
私は、一歩引いた安全地帯から皆を観測しているだけだと思っていた。
実際は錯覚だった。
奏多の言う通り、私も皆と同じ場所に立っていたんだ。
観測者は自分のことを観測できないだけに、自らの立ち位置を把握できない。
観測対象は、変化することが自然だ。
だから私自身も、心に靄がかかったり、地盤が不安定に感じたんだ。
「た、確かに恐かったのかもしれない……」
そう答えると、奏多は純粋な顔で笑う。
「でも例え変わったとしても今はネットもあるんだし、会おうと思えばいつだって会えるじゃん。腐れ縁ってものは、そう簡単に切れるものでもないでしょ」
会おうと思えばいつでも会える。
祐介も北海道の時に言っていた言葉だ。
「何か、祐介みたいな余裕だね……」
「ほんと? 彼と一緒にしてもらえるのは光栄だね」
奏多は嬉々として笑った。
***
暮れ方の七時。私たち五人は神社に向かっていた。
今日は夏祭りが行われる。赤い鳥居が近づくに連れ、屋台の客引きやはしゃぐ人の声が大きくなった。りんご飴、たこ焼き、ベビーカステラなど食欲のそそられる看板が目に入る。
和太鼓の音が響くたびに、またこの時期が来たんだと実感できるものだ。
「何か警察多くない?」
渚は周囲を見回しながら言う。
以前マネージャーに注意されて以降、マスクに帽子と、一応顔を隠すようになったらしい。
「本当だな。年々人増えてってるし、整備も大変なんだろ。昨日も『珍屋台特集』ってここ取り上げられてたな」祐介は言う。
「確かに変わった店は多いよね」私は同意する。
夏祭りの行われる藍河稲荷神社は、敷地内がとても広いことから出店の規模が桁違いだ。
食べ物系はもちろんのこと、謎解き迷路やお化け屋敷まであり、ちょっとしたテーマパークのようにすら感じられた。
「事件でもあったのかな~?」美子は素朴に呟く。
「そんな物騒なこと言わないでよ! 今から楽しもうとしているのに」
渚が拳を握りしめながら言う。
「美子も美子も! 今日は全種類ひとつずつ買うって決めてるんだ」
美子は興奮気味に拳を振る。彼女の波に流れるように変わる会話も安定していた。
神社に辿り着く。走り回る子どもや、焼きそばのジュージュー焼ける音や香りが「夏祭り」だと告げていた。
だが、今日は一段と人が多く感じる。屋台の並ぶ通路は、ほとんど人で埋め尽くされて身動きが取れないほどだ。
「人、多…………」蓮は眉間に皺を寄せる。
「今日やばいな。昨日のテレビ効果もあるんかな」
祐介も苦笑する。
「よーし食べるど~!」
美子は、目を輝かせて屋台まで向かう。
「私も私も!」渚も美子の後を追う。
「一年は本当、仕方ないなぁ……」
祐介は頭を掻くと、私たちに振り返る。
「万が一はぐれて連絡取れなくなったら、この鳥居前に集合ってことで。まぁ地元だし大丈夫だと思うけど、この人ゴミだから念の為」
そう言って、目前の真っ赤な鳥居の元を指差す。
「うん。さすが」
「あいつらが急に飛び出す可能性があるからな。ってことで、俺らも行きますか」
遅れて祐介、蓮、私も渚たちの後に続いた。
***
私たちは、屋台を回っていた。
皆各々に食べ物を購入している。特に美子の腕の中には、唐揚げ、フランクフルト、ポテトなど、すでにいくつも抱えられていた。
私もお好み焼きの列に並んでいるものの、中々動く気配を見せない。
「ごめん。ちょっと時間かかるかも」
私は美子たちを見張っていた祐介に声をかける。
「了解。美子があの角にあるタイ焼き買うって言うから、ちょっとついていくわ」
そう言って祐介は通路角にあるタイ焼き屋を指差す。
「タイ焼き? あたしも食べる!」
りんご飴を齧っていた渚も祐介について行く。
屋台の並ぶ通路は人が多く、あっという間に三人の姿が人の波に飲まれて見えなくなった。
少しだけ心がざわついた。
「ごめん……ちょっと人で疲れたから、そこで待ってるわ」
そう言って蓮は、屋台裏を指差す。
通路は人で溢れているものの、屋台の隙間に入ると人の避けられるスペースがあった。
「あ、うん、ごめん、待たせて」
こんなに時間がかかるとは思っていなかった。
私は、蓮に手を振ると、再び列に並ぶ。
周囲は人に囲まれているにも関わらず、皆と離れたことにより、一気に心細くなった。
やっとのことでお好み焼きを受け取り振り返るも、人が多くて皆の姿が見えない。
ただでさえ夏の暑さに、人ゴミで何だか頭もクラクラしてきた。
足をもつれさせながら徘徊するも、視界もぼやけ始める。
「みんな……どこ………………?」
顔面が真っ青になる。鳥肌も立ち、嫌な汗が流れ始めた。
心臓の音がバクバクと鳴る。
息も乱れ始め、足に力が入らなくなってきた。
冷えた汗で身体が震えるが、人の熱気で思考が回らなかった。
何だか自分だけ取り残されたような感覚に陥った。
皆、私を置いて先に先にと進んでいってしまう。
虚しい
寂しい
怖い
冷静になればなろうとするほど、気が動転した。
皆、どこにも行かないでよ——————
「あの」
突如、声が響く。振り返ると若い男の人が立っていた。
キャップを被り、ベストを着用した線の細い体格で、外見からもお祭り関係者スタッフかな、と認識する。
「もしかして友達とはぐれた? 顔青いよ、君」
男の人は安心させるように優しく笑う。私は震えながらも頷く。
「今日は特に人が多いしね。歩き回るよりもカメラで探す方が早いよ」
「カメラ……?」
「ほら、いろんなところに設置されてるでしょ」
そう言って男の人は木の上に設置されている防犯カメラを指差す。
「あれは防犯だけでなく人とはぐれた時にも使うんだ。大丈夫、ついてきて」
「は、はい」
私は男の人の後に続く。
一人でいるのが恐い。
早く皆に——————
「哀!」
焦燥気味な声と共に、腕が引かれる。
ハッとして振り返ると、そこには息を切らした蓮が立っていた。
「れ、蓮…………?」
「おまえ……どこ行くつもりなんだ!」
「カ、カメラでみんなを探そうと……」
そう言って振り返るが、先ほどの男の人はすでにいなくなっていた。
「あ、あれ………………?」
「俺、すぐ近くの屋台裏にいるって言っただろ。それなのにフラフラと…………」
「わ……私、みんなと離れたくなくて…………それで………………」
頭が全然回らない。
気候や熱気で、感情のコントロールができなくなったのかもしれない。
蓮が現れたことで、安心して気が抜けたのかもしれない。
私の目からはボロボロと涙が溢れ出た。
「は!?」
蓮はギョッと目を見開く。
手で拭っても溢れ出る。
感情の止め方なんて、私にわかるわけがない。
「ちょっ…………とりあえず、こっち」
蓮は私の腕を引くと、足早に屋台の並ぶ通路から抜けた。
通路から少し逸れた木の下で立ち止まる。
「ちょっと、何か飲み物買ってくるわ……」
蓮はそそくさとこの場を離れようとするが、私は即座に彼の腕を掴む。
頭で考えるよりも先に身体が反応していた。
蓮も私も静止する。
「は、離れないで」
口に出ていた。
私の言葉を聞いた蓮は、困惑しながらも体勢を戻す。
「どうしたんだよ、哀」
「何か……みんなみんな、どっか行っちゃって、すごく寂しくなって…………」
「そんな大袈裟な」蓮は目を細めて笑う。
「だって……嫌なんだもん…………蓮だって……」
そうだ。彼ももしかしたら遠くに行ってしまうのかもしれない。
「蓮だって……どっかに行っちゃうんでしょ………………?」
私は蓮に顔を向けた。
蓮は一瞬口籠るも、小さく息を吐いた。
「おまえが離れんなって言ったから、ここにいるだろ……」
そういう意味じゃない。
でも、どう言えばいいのかわからない。
熱気で頭の思考回路がショートしたのか、考えることすらできなかった。
そう判断した瞬間、蓮の手を握っていた。
蓮が目を丸くして静止している姿が視界に入るが、弁解する余裕もない。
我儘だってわかってる。
だが、今まで観測者であると思っていただけに、バランスの取り方がわからなかった。
何かにしがみつかないと、不安定だったんだ。
「…………あのさ、俺が前、言ったこと覚えてる?」
蓮の低い声が届く。
————俺たちは幼馴染以前に、男と女なんだよ
「覚えてるよ……でも、ごめん……なんか恐くて…………」
蓮はしばらく黙り込むが、やがてそのまま歩き始めた。
繋がれた手から伝わる体温はとても心地良く、徐々に落ち着きを取り戻していた。
蓮が向かった先はトイレだった。
「このままあいつらのとこ向かえるわけないだろ。とりあえずその顔何とかしてくれ」
蓮はやりづらそうに顔を歪める。
「わざわざごめん……」
「ちゃんと、そこから出てこいよ。……俺はここにいるから」
蓮は不愛想に言いながら、木にもたれかかる。
「うん。ありがとう……!」
私は小走りでトイレに向かった。
***
洗面台で顔を洗い、軽く化粧を直す。
冷やされた水で脳も徐々に冷め、先ほどまで昂っていた感情も冷静になっていた。
それと同時に頭を抱えた。
「……何か私…………」
とんでもなく恥ずかしいことをしていたのではないのか。
————あのさ、俺が前、言ったこと覚えてる?
「覚えてるよ……でも…………」
自身の手のひらを見る。
初めて繋いだ蓮の手は骨張り、女の私とは造形が全然違った。
思い出すだけで顔が熱くなる。外気や人の熱気からくる暑さなのか判断はできない。
待たせるわけにもいかず、颯爽と外に出た。
外に出ると、先ほどの木の下に蓮が立っていた。
胸を撫で下ろし、彼の元まで寄る。
だが、その瞬間、彼に声をかける若い女性グループが目に入った。
若い女性たちは、丈の短い短パンにノースリーブとかなり露出が多く、ブリーチされた奇抜な髪色をしている。化粧も濃く、いかにもカースト上位な空気が醸し出されていた。
手には酒缶を持ち、酔っているのか足元もふらついて締まりのない顔をしている。
私は目の前がカッとなり、気づけば走っていた。
「つ、連れて行かないで!」
私は女性たちを退けるようにして蓮の腕を持つ。
女性たちは私を見ると、「彼女持ちかよ〜」と呟きながら去っていった。
呆然とする蓮に、私は興奮気味に振り向く。
「もう本当……どこでも寝るんだから!」
「そ、そう言われても」
「また蓮がどこかに言ったら……」
そう言った瞬間、頬にヒヤリとした感覚が襲う。
蓮が目を細めて、私の頬に冷えたペットボトルを当てていた。
「興奮し過ぎ」
「………………ごめんなさい」
ようやく目が覚める。トイレで落ち着いたはずなのに、またぶり返していた。
「まぁでも、これでお互い様ってことで」
蓮はそう言うと、左手を差し出す。
「えっと」
ぽかんとしていると、蓮はやりずらそうに顔を歪める。