誰かが私の身体を大きく揺する。
「――――大丈夫ですか!?」
焦燥気味な声が耳に飛び込む。
霞んでた視界が徐々に晴れ、目が捉えたのは――――不安気に私を見る、複数の救急隊員の顔だ。
「よかった……彼女は目を覚ました……」
隊員たちは安堵の息を吐くと、私の身体を気遣う言葉を口にする。状況が掴めずに上体を起こして、周囲を見回した。
ピンクを基調とした家具で揃えられているこの部屋の中には、救急隊員が何人もいた。
私の部屋ではないが、馴染みがある。
ぼんやりした頭を無理やり回転させると、ナナミの部屋だと気づく。
何故、私はナナミの部屋にいるのだろうか。何故、救急隊員がナナミの部屋に来ているのだろうか。
何よりも、部屋の主であるナナミ本人の姿が見られない。
そこでふと、先ほど隊員が呟いた言葉を思い出す。
――――よかった……彼女は目を覚ました……
彼女“は”――――――?
「一旦、搬送しよう」
玄関側で忙しなく作業する隊員たちに何気なく顔を向けたが、それに気づいた瞬間、驚愕した。
「ナナミ……!?」
ナナミが担架で運ばれていた。
私は足をもつれさせながらナナミに近づく。口元に呼吸器をつけられ、作業する隊員の隙間からしか窺えないが、着ている服も、身に付けられているアクセサリー類も彼女だと示すものだった。
しかし、ナナミの左手が見えた時に、とある違和感を抱いた。
「――――――大丈夫、息はあるよ」
肩を叩かれて我に返る。振り返ると隊員だった。
「あの、ナナミに何が……?」
「今のところ原因はまだわからない。だけど深い昏睡状態だ。外部に異常は見受けられないから、何か脳に損傷があったのかもしれない。ひとまず結果が出るまで待って」
隊員は私を安心させるように声色を温かくして言う。そのお陰で少し冷静になれた。
だが、隊員は表情を一変させて、「ところで」と言葉を続けた。
「君、何か思い当たることはない?彼女と直前まで何をしていたとか、何でもいい。最近若い人が、突然あの状態になることが多いんだけど、原因が全く掴めなくて少し困ってるんだ」
「な、何をしていたとか……」
必死に頭を回転させるものの、思い当たることどころか、そもそも何故、私がこの部屋に来ているのかすらも思い出せないのだが。
「わ、わかりません……」
正直に答えると、元々期待していなかったのか、隊員は顔色を変えることなく私の肩をもう一度叩いて応えた。
病院に行くか尋ねられるが、特に身体に支障がなかったので、そのままナナミの部屋を出た。
外は真っ暗だった。だが今は、周囲の暗さが気にならないほど思案に暮れていた。幸い、歩き慣れた道なだけに、自然と足は自宅の方へと向かっていた。
何故、私はナナミの部屋にいたのだろうか。それに何故、彼女があのような状態になっているのかも、原因が全く掴めない。
スマホを取り出す。家に向かう前に何かやり取りをしていなかったか確認する為にメッセージアプリを開くが、最後の連絡は二日前の貸している漫画のやり取りだった。
持病があるという話は聞いたことがない。体調もほとんど崩さず毎日学校に来ていた。美容には人一倍気をつけているだけに、何か危ないものを食べたとも考えられない。
まるで、ナナミの部屋にいた時の記憶が、全て抜け落ちた感覚だった。
「こんな時間に、制服で歩くのは危ねぇぞ」
聞き慣れた声にはっとして顔を上げると、無愛想な顔のリョウヘイが立っていた。制服ではなく、柄入りTシャツにハーパンとラフな格好で、襟足の長い髪は括られている。自販機で購入したのか、手には缶ジュースが握られていた。
「外見は重要だって言ったはずだぜ。今のおまえは、狙ってくださいって主張してるようなもんだ。夜道を制服で歩きたきゃ、せめて人類最強ほどの筋肉身に着けてからにしろ」とぶつぶつ怒りながら私の元まで歩いてくる。
辺りを見回すと、いつの間にか家の近所まで帰っていた。斜め前にはリョウヘイの家がある。
反応がなく違和感を抱いたのか、リョウヘイは、眉間にしわを寄せて私の元まで駆け寄ってきた。
「どうしたんだよ?」
「ナナミが、病院に運ばれて……」
「え?」リョウヘイは目を丸くする。「何があったんだ?」
「わからない……でも、運ばれてるところを見て……」
「原因は?」
必死に頭を回転させても、何も思い出せなくて続ける言葉が見つからない。
漠然とした言葉しか吐かない私に、さすがのリョウヘイも困惑していた。
「ごめん……リョウヘイ。少し、話聞いてもらえるかな……?」
ただでさえ私は頭が回ってない。今ある記憶の破片を伝えて冷静な第三者に整理してもらった方が早い。
「あ、あぁ……とりあえずそこに座れよ」
そばにあるバス停のベンチを促される。少し躊躇ったが、すでに最終便は終わっていたので、おそるおそる腰を下ろした。
リョウヘイから缶ジュースを貰う。ぶどうの炭酸が喉を刺激して少しだけ脳が覚めた。
見たもの全てを話した。たどたどしくなったが、リョウヘイは珍しく最後まで黙って聞いてくれた。
「気づけば海堂の部屋にいたってことか。でもよ、それなら救急車はおまえが呼んだのかもしんねぇな」
「え」
「だって、オレがおまえに電話してまだ三時間くらいだしよ」
リョウヘイは、スマホを取り出して時間を確認する。画面には「22時13分」と表示されていた。
私もスマホを確認すると、リョウヘイの言う通り、確かに「119」の番号に発信履歴が残っていた。
「本当だ……でも、それならナナミが運ばれた原因も見てるはずだよね……」
思考を巡らせるものの、やはり何も思い出せない。
「何か、衝撃を受けると記憶が飛ぶ話はよくあんだ」
リョウヘイが「どっか痛みは?」と尋ねるが、私は首を横に振る。それこそ記憶が繋がらない違和感しかない。
「他に思い出せることはねぇのか?」
リョウヘイは問いかける。私は必死に頭を捻った。
視線を落とすと、リョウヘイの腕が目に入った。自宅にいたからか、普段つけているアクセサリー類は外されている。
だがひとつ、水色のカラーストーンのついた指輪、『永遠印』がつけられていた。「外してはいけない」という条件をリョウヘイも守ってくれていた。
私も左手には同じ『永遠印』の指輪がつけられている。男性用と違うのは、カラーストーンの色がピンク色で――――
――――あれ?あの時見たナナミの指輪には
紫電一閃、脳に衝撃が走る。頭が割れそうになり両手で覆う。リョウヘイの声が聞こえるが答えられない。
何か重大なことを思い出せそうなのに、急に襲った頭痛によって思考を遮られる。
ただ、直感ではあるものの、指輪が関係ないとは思えなかった。
「指輪……」
私の呟きに、リョウヘイは顔を上げて反応した。「指輪?」
「ナナミも同じものつけてたの。この指輪」
自身の左手を胸の前に掲げる。
「でも、さっき見た時は色が変わっていた」
運ばれてるナナミを見た時に感じた違和感。
この指輪は女性用は「ピンク色)のカラーストーンがついているはずだ。昼間に彼女の手についていた指輪も「ピンク色」だった。
しかし、先ほど彼女の手についていた指輪のカラーストーンは「黄色」に変わっていた。
「でもこの指輪、色はこれだけだろ?見間違いじゃねーの?」リョウヘイは尋ねる。
「ううん。それはないよ。ナナミたちもたくさん優待を利用しているようだし、それに『外してはいけない』って条件もあって……」と口にして、はたと気づく。
優待をたくさん利用していたナナミが、わざわざオシャレの為に『永遠印』を外すとは思えない。
だが、指輪のカラーストーンの色が変色していたことからも、指輪自体に何かが起こったとは見て取れた。
「もしかしてナナミは、条件を破ったのかな……?」
条件を破る行為は、「永遠を裏切る行為」に当たるとサイトには記載されていた。
私たちも一応、条件通りに使用していたものの、外したらどうなるかの情報がなく、正直信じていなかった。
しかし、もしも何か関係するなら――――。
自身の左手を見る。確証を得る方法はひとつある。
おそるおそる指輪に手をかけた。
「おい!外したらだめなんじゃねーのかよ」
リョウヘイの声で思わず静止する。
確かに普段の私は、例えどんな些細なことでも禁止条件を破るなんてことはしない。
遅刻はしなければ、校則も違反しない。地域の分別も協力すれば、特売の数量制限も誤魔化さない。
条件さえ破らなければ、何事も起きないはずだからだ。
でも――――。
「……今度はさ、私がナナミの力になりたいんだ」
私の言葉に、リョウヘイの顔は強張る。具体的に口にしなくても、背景に何があるのか彼も察したようだ。
去年の十二月、私の両親が崖から転落して亡くなった。
その日は結婚記念日だったので、高級レストランの帰りに、夜景でも観に行ったのかもしれない。
はっきりしていることは、両親は『立入禁止』と書かれた看板を無視して、山に入ったことだった。
耳に入った時には、悲しみと怒りと呆れが同時に襲った。
姉の件から、突然の両親との別れ。受け入れられずに、しばらく放心状態だった。
だが、そんな時にそばにいてくれたのが、リョウヘイとナナミだった。
「こんなことでも、少しでも原因がわかるなら知りたいの」
自分に言い聞かせる為にも、はっきり口にした。
リョウヘイは観念した様子で大きく息を吐くと、「気負う必要ねぇよ」と呟き、左手薬指に手をかけた。
彼が何をしようとしているのか、瞬時に察知して泡を食う。
「だ、だめ……!!」
ピピッ
どこからか音が鳴った。
「ユイ……おまえ……!」
リョウヘイは目を丸くしていた。そこで我に返る。
リョウヘイが、私の代わりに指輪を外そうとしてると気づいた瞬間、頭が真っ白になり咄嗟に指輪を外していた。今、私の左手薬指につけられていた指輪は、右手で持っている。
おそるおそる音の鳴った指輪に視線を向けると、異変に気づく。
カラーストーンが、黄色に変わっていた。
再び音が鳴る。指輪のカラーストーンから光が漏れ、何かが空中に映し出された。
キレイな金髪をした子どもだ。白い服を着ており、手には弓のようなものを所持している。
「何だこいつ……!?」
リョウヘイは、化け物を見る目で子どもを凝視する。
この子どもの姿に既視感を感じて、必死に思考を巡らせた。
マスコットキャラだ。指輪の公式サイトやナナミの見せてくれたアプリの中に、今ここに映し出されている子どもに似たキューピッドのキャラがいた。
目前の子どもは、私たちに顔を向けると、にっこり微笑んだ。
「永遠が裏切られました。罰として、これから『恋愛ゲーム』に参加していただくことになります」
***
「恋愛ゲーム……?」
「説明を始めますね」
子どもは私たちを一瞥すると、咳払いをして居住まいを正した。
「『恋愛ゲーム』。内容は、『裏切者が、期限内に決められた人数の異性と両想いになる』というものになります。今回の裏切者、ユイさんの場合、クリアラインは【三ヶ月で三人】になります。クリアした際には、それらに関する記憶は全て消え、お二人は指輪をはめる以前の関係に戻ります。裏切者の償いは完了され、『永遠』も正式に解消されて、完全クリアとなります」
子どもは、事務作業のように淡々と述べる。
条件を破る行為が「永遠を裏切る行為」に当たるとは、サイトに記載されていた。
「もしかして、このゲームに参加することが永遠を裏切った『罰』……?」確認をするように問う。
子どもは私に向き直ると、「そのように申し上げましたが」と、私が裏切り者だからか、突き放すように答えた。
ナナミの指輪も黄色に変わっていた。今私が指輪を外して色が変わったことからも、彼女も条件を破っていたとわかる。つまりナナミも、この『恋愛ゲーム』に参加させられていた。
しかし、何故ナナミが倒れていたのかの説明がつかない。
子どもは説明を続ける。
「ゲームとは申しておりますが、舞台はこの現実世界です。あなたたちの生活を奪うつもりはありません。普段の日常を送りながら、クリアラインさえ達成していただければいいのです。しかし、ゲームですので、ルール違反やゲームオーバーした際にはペナルティがあります」
「ペナルティ?」
反射的に聞き返していた。子どもはニコッと微笑み、こちらに振り返る。
「ユイさんは、先ほど目にされましたね」
私は目を見開く。
「ペナルティを受けるタイミングはふたつ。①ゲームオーバー時 ②『恋愛ゲーム』についてゲーム参加者以外に少しでも知られた時、になります」
子どもは指を立てて説明する。
「匂わす言葉でもダメ、SNSに書き込むのもダメ、ここはクローズドサークルでも仮想空間でもない現実世界ですが、常に監視されていると思ってください」