あ、なんか人が少ないな、と気になったのは、朝教室に足を踏み入れた時のことだ。
普段は、ほぼ欠席する人がいないだけに、ぽつぽつと歯抜けた状態に疑問を抱いた。
しかし、違和感の正体もすぐにわかる。この時期は部活動が盛んで公欠を取る人が多いからだ。
私の高校は部活動に力が入っており、クラスの半分以上はどこかの部に所属している。帰宅部の私にとっては、無縁の世界であるのだが。
教室内を軽く見回しながら自身の席につく。
馴染みの明るい声が聞こえないな、と何気なく窓辺の席へ顔を向けたところで現実を見る。
ナナミがいない。
自身の左手に、黄色のカラーストーンのついた指輪がつけられていることからも、昨日起こったことは本当だったと再確認させられた。
「あ、飛行機が飛んでる」
そんな声が耳に入ってくるが、今の私には、空の青さすら目に入らなかった。
第一章『青天に映える白』
街中にある中央病院。大きい病院だな、と普段は傍観していたが、ここに足を運ぶことになるとは考えていなかった。
中に入ると、人で少し混雑していた。年配の方は足を広げて新聞を読み、主婦は自分の子どもが騒ぐたびに気まずそうな顔をした。
「騒がしいな」
隣に座るリョウヘイは肩を竦める。
「ここ、広いもんね」
さすが、地元で一番大きな病院であるだけに様々な人がいた。
案内をする看護師さんの後に続く。予防接種の案内や、お見舞いカードの掲示された長い廊下を抜けると、先ほどまでとは別の病院かと疑うほど、ひっそりとした空間に変わった。無意識に背筋が伸びる。
「こちらです」
看護師さんが淡々と告げる。案内された部屋に入った。
ベッドの上で横たわるナナミがいた。呼吸器や点滴など医療器具がたくさんつけられているが、全く目を覚ます気配がない。外傷が見られないだけに眠っているようにも見える。
「原因って、何なんですか?」
縋る気持ちで看護師さんに尋ねた。彼女は目を落として困惑した表情を浮かべた。
「身体に異常は見られませんでした。ですが、反応がありません。深い昏睡状態です。彼女、最近何か気になったことはありませんか?」
むしろ何か情報がほしいといった調子で問いかける。私は首を横に振る。
昨日見たニュースで『若者に相次ぐ意識障害』と取り上げられていただけに、ナナミのような状態の患者が他にもいるのだろう。救急隊員も最近若者がいきなり倒れるケースが多い、と言っていた。
廊下が慌ただしい。そう感じた時には、ドアが勢いよく開かれた。
「ナナミ!!」
ナナミの両親だ。彼らは、ベッド上のナナミを見ると、顔面が蒼白になり、力なくベッドに近づいた。
「何故だ……何があったんだ……」
「原因は何なの……?」
ナナミの母が、近くにいた看護師さんに尋ねる。
ナナミの両親は、海外で仕事をしていたはずだ。連絡が入ってすぐに帰国したのだろう。頻繁に連絡を取っていたからこそ、いきなり娘がこのような状態に陥り、困惑している様子だった。
原因は、確実にあの子どもの矢だ。しかし口にすることができない。
今ここで私が身体を張って伝えたところで、私はペナルティを受け、この場にいるみんなは記憶を消されるだけだ。
それにこんな突飛な話、信じてもらえる気もしなかった。
「ユイ、行くぞ」とリョウヘイに肩を叩れたことで病院を去った。
***
「あれが、ペナルティか?」
病院を出てすぐ、リョウヘイは尋ねた。私は頷く。
「おばさんの時のように、頭に矢が刺さっているところを思い出したの。でも、矢の色が違った」
おばさんの矢は黄色で、ナナミの矢は赤色だった。外傷がないことからも、脳に影響を与えるものは確実だが、黄色の矢よりも程度が強いことは歴然だった。
「ナナミが矢を受ける直前、指輪について私に話した。だからペナルティを受けたんだ。そして、その場にいた私も記憶を消されていたみたい」
「やっぱり、この指輪なんかよ」
リョウヘイは、自身の左手に目を向ける。私が条件を破ったからか、彼の指輪は緑色に変わっていた。私は口を噤む。
「ごめん、本当にごめん……リョウヘイまで巻き込んで……」
まさか、こんなことになるとは思っていなかった。普通の指輪じゃないとは、初めからわかっていたはずなのに。
「おまえのせいじゃねぇ。オレだって信じてなかったんだ」リョウヘイは答える。
「それよりも、おまえは自分のことを考えろ」
「自分のこと?」そこでハッと思い出す。「恋愛ゲーム……」
「三ヶ月で三人のイセイとリョウオモイにならにゃならねぇんだろ。レンアイしたことねぇくせに、よくチャレンジしたもんだ」リョウヘイは棘のある口調で言う。
私は無言で顔を向ける。「……リョウヘイ。やっぱり少し怒ってるよね」
「そりゃ、振られたら少しは落ち込むよな」開き直った調子で言う。「今ならメガネの気持ちもわかるってもんだ」
彼の軽い発言も、今は受け流せなかった。
――――オレはずっとおまえが好きだったんだよ
リョウヘイの言葉が脳内に反響する。
あんなにストレートに、本心を伝えられたのは初めてだった。それだけリョウヘイは真剣だったんだ。
何も言えない。どんな理由であれ、私が応えられずに彼を傷つけたのは事実だ。
遮断機が下りてきて立ち止まる。ここの踏切は、一度閉まると中々上がらないと有名だ。静止していることにむず痒く感じた。
「リョウヘイに、この先一生、枷のかける負荷をかけたくなかったの……。恋愛をしてこなかっただけに、勢いだけで答えを出したくなかったの……だからさ……」
気づけば震える声で弁明していた。
リョウヘイは私を一瞥すると「わかってる」と大きく溜息を吐いた。
「オレこそ混乱させることを口走って悪かった。元々言うつもりなかったんだ。だから忘れてくれ」
「忘れないよ」
私は勢いよく顔を上げる。リョウヘイは少し驚いたように目を見開く。
「ナナミにも言われた。自分は経験していないよねって。お姉ちゃんや親のことを理由に、自分と向き合ってこなかった。だから……ちゃんと覚えているから……」
勢いで口にしたものの、恥ずかしくなって語尾が消えそうになる。
「ありがとな」
リョウヘイは、いつになく柔らかい笑みを浮かべて呟いた。
「メガネと一杯飲みに行くかな」と投げやりに呟く声が聞こえたが、私は顔を逸らして聞き流した。
***
「……ということで、海堂さんはしばらく休学されることになります」
朝のホームルームで告げられる。担任も状況が掴めていない様子だ。教室内は「あの海堂が?」とクラスメイトの動揺でざわざわする。
休憩時間を知らせるベルが鳴ると、私は無意識にナナミの席に向かっていた。
クラスメイトの視線が刺さるが、今は気にもならない。机に触れながら、昨日見た光景を思い返した。
――――この指輪を外すと、殺されてしまうの
あの時のナナミは、異常なまでに怯えていた。それは、殺されると思っていたからだ。
実際、ペナルティは命を奪うものじゃないので、ナナミは勘違いしていた。だが、誰かが矢で射られる瞬間を目撃している。もしかして、ナナミの彼氏がペナルティを受けたのか?
しかし、彼女自身、今まで条件に気をつけていたはずなのに、ナナミと彼氏の間に一体何があったんだ。
「――――――風嶺。ベル鳴ったよ」
その声で現実に引き戻される。
顔を上げると、大きな身体が視界に入り、反射的にのけぞった。野球部の速水 瞬(ハヤミ シュン)だ。
はっとして今いる位置を確認する。彼はナナミの後ろの座席だ。私が邪魔して、席に座れないでいた。
「ご、ごめん……。邪魔だったね」
私は頭を下げて、身体を引いた。
「気にしないで。海堂のことを思うと仕方ないから」ハヤミくんは罰が悪そうに言った。
私はもう一度頭を下げて、自分の座席へと戻った。
***
教壇に立つ先生は、教科書に書かれた文を単調に朗読し、それらを黒板に羅列する。意味のない行為だとわかりつつも、ノートに書き写していた。機械的な作業に飽きたのか、誰かがペンの頭を何度もカチカチと押す音が聞こえる。
周囲を窺うと、身体を伏せて寝ている人や、本を読んでいる人が目に入る。テストは終了し、来週から夏休みなので、気が抜けるのも仕方ない。
必死に書き写していたことが馬鹿らしくなったので、私も手を止めて頬杖をつく。
左手薬指に視線を向けた。
全て、優待に眩んで指輪をつけたせいだ。その結果、リョウヘイまで巻き込む羽目になってしまった。
しかし逆に考えれば、ナナミを救える人間も、指輪について情報のある自分しかいない。
教卓に立つ先生を一瞥し、ポケットからスマホを取り出してアプリを確認する。
優待が使えないと言っていた通り、優待一覧ページは反応せず、代わりに残り時間が表示されていた。ゲーム開始が七月十六日だから終了するのは十月十六日だ。
「SNSに書き込む行為もダメ」と言っていたことからも、ネットから情報は得られない。その為、実際に私がゲームを進める中で何か掴んでいくしかない。
意気込んでスマホの電源を切る。すると、画面には私の顔と、私を見る先生の顔が映った。はっとして頭を上げる。
「あ、えっと……」
言い逃れができない。
「オレの授業は、そんなに退屈か?」先生は微笑んで尋ねる。
「板書に意味があるのですか?」と口から出かかるが、何とか堪える。
教卓前で漫画を読んでる生徒には注意しない。運の悪い日は、とことんついてないものだ。
私は身を縮めて謝罪した。
***
「最近若者が突然、意識を失うことが多発しておりまして……」といった言葉が耳に届いて、反射的に手が止まる。
鍋にかけていた火を止めてリビングに向かい、テレビの音量を上げた。
「原因不明と言われていますが、脳梗塞ではないのですか?」
「えぇ。身体には全く異常が見当たりません。証言によると、昨日までぴんぴんしていた人がいきなりこのようなパターンになる方が多く……。その場には決まって、友人や恋人も同じく倒れているようですが、彼らも理由がわからないとのことで……」
情報が少なすぎることで、コメンテーターも漠然とした言葉しか吐けないようだ。
この指輪のせいだ。私もリョウヘイも、ただのアクセサリーとしか思ってなかった。条件といっても、外したらどうなるかの情報が一切ない。だからこそ信じる気にもなれなかった。
スマホが鳴り、反射的にびくりと肩を震わせる。
画面を確認すると、リョウヘイからだった。
『明日も来るよな?』
このメッセージを見て、明日が金曜日だと気づく。
毎週金曜日は、リョウヘイ宅で夕食をご馳走になっていた。うちの両親が亡くなってから、リョウヘイ母が提案してくれたことだ。気を遣わせているようで申し訳無かったが、断られる方が悲しいと言われてからは、恐れ多くもお邪魔していた。
『ごちそうになってもいいかな?』
『もちろん』
いつもと変わらぬ文面に安堵の息を吐き、スマホを机に置いた。
私とリョウヘイは、物心ついた時から一緒にいた。元々母親同士が仲が良く、偶然一軒家を購入するタイミングが被り、近所に家を建ててから、さらに交流は深まった。
昔からこのような生活なので、彼は自然と隣にいる存在だった。
だからこそ、リョウヘイの告白には頭がついていかなかった。
ナナミの言う通りだった。私は昔から恋人は作らないと彼にも告げていたのでずっとリョウヘイに気を遣わせていたことになる。
このゲームを進めていく中で、今まで避けていた恋愛についても向き合わなければ。
夕食の準備の途中だったと思い出してキッチンへと戻った。
***