「やっぱりそうだ。私服だからすぐにわからなかったや」
振り返ると、そこにはハヤミくんがいた。スポーツブランドのTシャツにハーフパンツ、肩には大きめのリュックを背負ってる。出で立ちから大学生と言われても違和感がない。
「あ、ハヤミくんと……モモヤマさんも」
彼の隣には、モモヤマさんもいた。白いワンピースに麦わら帽子を被っている。ハヤミくんの身体が大きいこともあり、普段以上に小さく感じる。彼女はまっすぐ私を見てる。
「オレらさっき来たばかりでさ。いまから説明会行こうと思ってたんだけど、ここ広くてちょっと迷ってたんだ。そしたら見覚えのある人がいたから」
「あ、文系の学部説明なら、この奥の建物の一階だよ」私は今来た道を指差す。
「ありがとう」
ハヤミくんは隣のモモヤマさんに地図を見せて場所を伝える。私は小さく息を吐く。
自然に会話できていただろうか。ずっとモモヤマさんに見られていただけに、少し顔が強張っていたかもしれない。
ハヤミくんは、モモヤマさんの想いに全く気づいていないのだろう。彼にとったら、クラスメイトがいたから声をかけたに過ぎない。モモヤマさんは、渋々付き合わされているんだ。
ハヤミくんと会うのは決勝戦以来なので、色々話したいことはある。でも、モモヤマさんもいるこの状況で、口にできる訳もない。
「ユイ。次の説明会、間に合わねーぞ」
唐突に声が届いて顔を上げた。リョウヘイは顎で校舎を指して、行くぞ、と合図した。
「じゃ、オレら行くんで」
リョウヘイは二人に軽く会釈すると、私の腕を引っ張って歩き出す。
「リョウヘイ……?」
おそるおそる声をかけるも、彼は気にも留めない。ハヤミくんとモモヤマさんの視線を背中に受けながらその場を離れた。
丸石が並ぶ小道を、腕の引かれるままに歩いた。
「なーに、萎縮してんの」
「え?」
「おまえ、何かあの男に言いたげだっただろ。でも躊躇ってた」
さすがと言うべきか、私のことは筒抜けだ。
「ちょっと、色々と……」
「色々、ねぇ……」リョウヘイは意味深に呟く。
「いや、でもあの隣にいた女の子が多分ハヤミくんのことが好きだから、そういう目では見てないよ」
慌ててフォローを入れたが、リョウヘイは「オレ、何も言ってねぇだろ」と怪訝な顔を私に向ける。確かに口にはしていない。
「でも本当、私のことよく見てくれてるよね。ありがとう」
墓穴を掘ったことを誤魔化すようにお礼を伝えた。あの場が気まずく感じたのは事実だ。
リョウヘイは「オレの存在、忘れられるのも困るんで」と唇を突き出した。
***
学部説明会の招集の放送が流れる。手元の地図を確認しながら足を進めた。
「ねぇ、前に特売の牛肉の話したでしょ」
以前、恋愛について尋ねた際に、リョウヘイが口にした話題を持ち出した。
「何だ、その話」
「ほら、特売の牛肉が買えなくて後悔する話」私は溜息を吐く。
「オレは牛肉より豚肉派だ」と、どこまで本気かわからないことを言い始めたので、脱線しない為にも慌てて言葉を続ける。
「買い手はすでに決まっているけど、同じ商品の試食を食べることには罪はないよね」
そう尋ねると、リョウヘイは眉間にしわを寄せ、「法律的には問題ねぇだろ」と他人行儀に答えた。
「だがな」
先ほどとは違う、冷静で低い声のトーンに顔が強張った。
おそるおそるリョウヘイを見ると、顎に手を当てて真剣に思案していた。
「リョウヘイ?」
「オレなら、購入前に試食をかっさらえてからレジに向かう」
私は苦い顔になる。「それは、ただの迷惑客」
その夜、ベッドでスマホを見ていると、ハヤミくんからメッセージが届いた。文面には『今、電話できるかな?』と書かれていた。
無意識に身体を起こす。
純粋に驚いた。普段はメッセージのやりとりのみの為、変に緊張した。
『うん。大丈夫だよ』
おずおず返信すると、しばらくして電話が鳴った。
「ごめんないきなり。少し気になったことがあってさ」ハヤミくんはさっそく要件を口にする。
「気になること?」
「うん。今日風嶺と一緒にいた人、C組の森くんだよな。怒らせてなかった?」ハヤミくんは焦燥気味に尋ねた。
オープンキャンパスで出会った時のことだろうか。
私に気は遣ってくれたが、特に怒ってる様子はなかったはずだが。
「怒ってなかったよ」
そう答えると、ハヤミくんから安堵の息が漏れた。
「それならよかった。声かけたのまずかったかなってすごく気になっててさ」
ハヤミくんは苦笑しながら言う。同伴者にまで気にかける気遣いも彼らしい。
それにしても、私はあの時モモヤマさんの視線にばかり気を取られていたが、リョウヘイは一体どんな顔をしていたんだ。
「リョウヘイは、少し外見がいかついからね…でも、ほんと大丈夫だから」
「いや、こっちこそごめん。勝手に判断してしまって」ハヤミくんのかしこまった声が耳に届く。
実際リョウヘイは、第一印象は怖いと思われがちだった。以前の話からすると、印象操作を狙った結果なんだろうか。彼の思考だけは、長年一緒にいても全く読めない。
とはいえ、ハヤミくんと電話ができると思っていなかっただけに、少しだけ高揚している自分がいた。
「メッセージでも言ったけどさ、決勝、本当にお疲れ様」
試合を思い出させることにはなるが、どうしても直接言いたかった。
「ありがとう。でも、負けたから暇になったんだよな」
「高校三年生なのに暇って」
「だって、この夏は甲子園にかける気でいたからさ」
投球がミットに収まる心地よい音が響いた感覚だった。力強いストレートで、寸分の狂いもない完璧なストライク。
普段、クセ球の変化球ばかり投げる投手を相手にしているからこそ、彼のまっすぐな発言がダイレクトに胸に届いた。
「かっこいいね」
無意識に言葉に出て、慌てて口を押える。ハヤミくんも電話の向こうで驚いているのが伝わった。
「いきなりごめん……。ハヤミくん、素直に口にできるところが、かっこいいなって……思って……」
たどたどしく補足するが、結果二度口にして恥ずかしさが増した。顔が熱い。
「まさか、風嶺にそんな風に言ってもらえるとは思ってなかった」ハヤミくんはははっと笑う。
「噂で聞いてたんだ。風嶺は彼氏をつくらないって。だからどこか男を避けているように見えててさ」
その通りなのでたじろいだ。だが、ハヤミくんからは、特に嫌悪感は感じられない。
「だから試合来てくれるって言ってくれた時は本当に驚いたんだよな」
「で、でも、私も球場に誘ってもらえたおかげで貴重な経験ができたからさ」
私は本心を素直に口にしていた。不思議なことに、真っ直ぐなハヤミくんと話していると、私まで素直になれるようだった。
「ハヤミくんは本音を引き出す才能があるのかな」
「何だそれ」ハヤミくんは苦笑した。
「じゃあ今、風嶺が口にしている言葉は、本心ってことだ」
「そうだね」
素直に即答すると、少し間があった。
何か話そうと口を開きかけた時にハヤミくんの声が耳に届く。
「なら率直な返答がほしいんだけどさ」
「返答?」
素朴に尋ねるが、ハヤミくんの質問は、私の予想をはるかに上回るものだった。
「八月十三日、神社で祭りがあるんだけど、一緒に行かない?」
全く予想していなかっただけに、言葉に詰まった。
「えっと……」
「あ、ごめん、いきなりこんなこと。オレの地元の神社でさ、毎年結構大規模な祭りがやってるんだ。だから、受験勉強の息抜きにでもって思ったんだけど」
気を遣ってくれたのだろう。ハヤミくんは沈黙を繋ぐように詳細を話す。
率直な返答と言われたものの、どう答えるべきか悩んだ。
ハヤミくんとゆっくり話せる機会があるのは、素直に嬉しい。
今年夏らしい行事もしていないだけに、夏祭りという言葉が気分を高揚させた。
しかし、どうしてもモモヤマさんが引っかかった。
ハヤミくんの地元のお祭りならば、彼女と遭遇する可能性もあるかもしれない。二人の関係を崩したくはないんだ。
――――感情に正直になるべきです
「えっ」
「『え?』とは?」ハヤミくんが苦笑して我に返る。
「あ、ごめん……いや、ごめんって違う。えっと……」
「風嶺、落ち着いて」
「ごめんなさい……。あ、違う。これは私の不手際に対しての謝罪であって……」
電話の奥でハヤミくんが笑う声が聞こえる。
堂々巡りだ。私は大きく息を吸って、深呼吸する。
「私でよければ、一緒に行ってください」
「本当?ありがとう!」
私の返答を聞いたハヤミくんは、心なし声が明るくなった。
「じゃ、また近くなったら連絡する。遅くまで電話ごめんね」
おやすみ、と言って電話を切った。私はベッドにうな垂れた。
指輪に視線を向ける。アドバイスしてくれたのだろうか。
普段監視されている気配を感じないが、あのキューピッドのような子どもは、確かこの指輪から映し出されていた。
指輪の中に潜んでいるのか、と顔を近づけるも何も見えない。いや。まさかな。
モモヤマさんの存在があるだけ少し後ろめたい気持ちはあった。
だが少し、夏祭りの日を楽しみにしている自分はいた。
***
「じゃあ、来週の月曜日からさっそく入ってもらうね」
目前の三十代くらいの男性社員は、履歴書を眺めながら言う。
「はい。ありがとうございます」
私はできるだけハキハキとした声で答えた。
「若い子が入ってくれて助かるわ~来週からよろしくね」
裏口を通った時に声をかけられる。外見からも長年この店で働いているパート主婦と感じられた。名札には『坂口(サカグチ)』と書かれている。
「よろしくおねがいします」
「その制服。あなた、紫野学園高校の人?」
「はい。三年です」
「うちにも紫野学園高校の人がいるわ。仲良くできるといいね」
心の中でほぉ、と呟く。同じ高校というだけで、少し親近感を抱いた。
私はもう一度お辞儀をして、店を後にした。
以前、リョウヘイに触発されて、私もアルバイトを始める気になった。
求人サイトを漁っていると、偶然普段利用しているスーパーでレジ打ちの求人を見つけたので、勢いで応募していた。
元々アルバイトは受験が済んでからと考えていたが、結局、経験がないだけ一歩が踏み出せない言い訳だった。
せっかくなら、やる気をくれたリョウヘイに報告に行こう、と足を進めた。
***
テレビでは甲子園が始まっていた。
決勝時に見た高校名が映し出される。あとアウトひとつ取れていたら、ここに私たちの高校が映っていたのかと思うと、再び胸が締めつけられた。
テレビからも感じられる球場の熱気。先月観戦した時を思い出して身震いした。
暑くて熱い。今まで感じたことがなかったものだ。それだけ眩しい世界だった。
大学訪問と受験講座に加えて、アルバイトも始まった。慣れない作業に四苦八苦しつつも、職場の環境が良いだけ意欲は湧いていた。
「風嶺ちゃん。これ、廃棄が出たから持って帰っていいよ」
パートのサカグチさんが、私にレジ袋を差し出す。
「ありがとうございます」
レジ袋の中身を見ると、陳列の際にパッケージの切れた商品や、賞味期限の切れたデイリー商品などが詰められている。
親がいないと知られてからは、恐れ多くもご厚意に甘えていた。正直かなり節約になるのでありがたい。
そこでふと、以前聞いたことを思い出した。
私は、野菜の梱包をするサカグチさんに、おそるおそる尋ねる。
「あの、私と同じ高校の人は……」
アルバイトを始めて約二週間。ある程度、仕事内容も把握し、職場の人とも一通り顔合わせも済んでいたが、同じ高校の人はいまだ見かけなかった。
「あぁ、楽斗原くんね。彼、夏休み中は帰省してて休暇取ってるから、早くても会えるのは来月じゃないかな」
楽斗原(ガクトバラ)。珍しい苗字なだけに三年生でないとはわかる。
年下とわかったことで、会うまでには仕事を覚えるぞ、とさらに気が引き締まった。
目まぐるしい毎日だった。それだけに十三日を心待ちにしていた。
壁にかけた浴衣に目をやり、気合を入れて今日も玄関の扉を開く。
***
午後六時。まだ日は沈んでおらず、外は明るい。
歩くたびにカランコロンと下駄がアスファルトに擦れる音が響く。
着付けに手間取ってしまったので、気持ち急いで駅へと向かった。
神社に着くと、辺りは人で溢れていた。地元の小規模なお祭りとは違い、たくさんの屋台が並んでる。
小学生の男の子グループが、自転車で颯爽と脇を通り過ぎる。鉄板の上でジュ―ッと焼ける音や太鼓が響く音が夏祭りを感じさせた。
胸が高鳴る。小走りで待ち合わせ場所へと向かった。
鳥居の前には、すでにハヤミくんが来ていた。
白いTシャツに紺のカラーシャツを羽織り、ゆるいシルエットのボトムスを履いている。元々身長が高く、少し髪が伸びたことも相まって、より一層彼の姿が大人に見えた。普段派手な外見のリョウヘイを見ている反動でもある。
「ごめん、おまたせ」
「えっ」ハヤミくんは私を見ると目を丸くした。
「へ、変かな……?」
不安になって尋ねると、ハヤミくんはすぐに首を横に振る。
「あ、いや。浴衣だとは思わなくて驚いただけ……似合ってるよ」
「祭りが久しぶりだから……せっかくならって……」
言い訳するように呟いた。
ハヤミくんはいつもの笑顔になると、鳥居から背を起こして神社に向き直った。
「七時から中央広場で和太鼓の演奏があるらしい。だからそれまでは適当に回ってみよっか」
「うん」
ハヤミくんの後に続いて神社の中に入った。