ぎらぎらと照りつける太陽に殺意が湧いた。
陽炎揺らめくアスファルトを踏みしめるたびに、身体から汗が噴き出す。確か今日の気温は四十度を超えるはずだ。晩夏の粘り強さを肌で感じながら学校に向かっていた。
講座で毎週登校していた為、久しぶりという感覚にはならない。しかし学校に辿り着くと、人で溢れ返る校門が目に入り、あぁ学校が始まったんだなぁと実感した。
校門前に生徒指導員が数人立ち、目ざとく生徒を呼び出している。抜き打ちの制服チェックだ。道理で普段より人が多い訳だ。
長期休業明けの恒例行事なので、三年生はほぼ掴まることがない。引っかかるのは大抵浮かれたままの一年生だ。案の定、呼び出されてる生徒も若い人ばかりだ。
点検されるのは、スカートの丈に頭髪のカラー。アクセサリー類は許容範囲かチェックされることはない。
私はスカートの丈も弄らなければ、カラーもしたことがないので掴まる要素がない。だが、毎回スカート丈で引っかかっていた友人を思い出して気分が沈んだ。
「おまえ、何だその頭は?」
教師の呆れた声が聞こえる。ちらりと窺うと、生徒指導長だった。
三十代後半で身長が低く丸まるとした体格。名前も『丸山』だから、ついたあだ名は『マルセン』。年齢=恋人いない歴だからこそ、生徒指導にも力が入るらしい。生徒の間で避けられる融通の効かないタイプの教員だ。
これは私の見解ではなく、女子生徒の総合評価らしい。ナナミから得た情報だ。
「や、実は彼女と別れてしまって…」
そんな声が耳に飛び込み、思わず立ち止まる。細くて謙虚な声だけに、発言内容とのギャップに目を白黒させた。
声の聞こえた方へ顔を向けると、一人の青年が目に入る。細身でゆるくパーマの当たった明るい茶髪からは、リング状のピアスが覗き、背格好からも一年生には見えない。しかし、よくもマルセンにそんなことが言えたものだ。案の定、先生は丸い目を三角にして怒り出す。
そんなマルセンを前にしても彼は動じず、含み笑いから、むしろ挑発してるとも捉えられた。もしかしたら、先生の事情を知った上での発言かもしれない。
不意にその生徒と目が合う。彼は可愛い系統に分類される顔で、女子に人気がありそうだとぼんやり思う。
彼はじっと私を見た後、柔らかく微笑んだ。私は慌てて顔を逸らす。
「こら!聞いてるのかジョウジマ!」
ジョウジマ、と呼ばれた彼の前に立つマルセンは、顔を真っ赤にして怒鳴る。生徒にまでなめられた扱いをする彼に、少し同情した。
「ジョウジマ……」
そこで思い出す。
隣クラスの城島 玲央(ジョウジマ レオ)。彼は確か、先月転校してきたばかりで話したことはないが、甘い顔とゆるい性格から、転校当初から女子人気が高い、と存在は知っていた。もちろん、これもナナミから得た情報だ。
二人の様子が気になり振り返ると、頭を掻いて謝罪するジョウジマくんが目に入る。
そこで私は、彼の手が包帯で巻かれていると気づく。
第二章『赤い虚構を想う空』
密集した人の熱気と、換気で開けられた窓から、教室内はとてもぬるかった。冷たい風で身体が冷えると期待しただけに肩を落とす。
登校しただけで全身汗でべとべとしていた。だが始業式初日から午後まで授業がある。
力なく自分の席まで歩くと、斜め前の席で読書するモモヤマさんと目が合った。
「お、おはよう」
「おはよう」
モモヤマさんは、さっぱりとした調子で答える。
彼女は汗ひとつかいていない。黒くて艶やかな髪が白い肌に映え、さらに爽やかに感じられる。汗まみれなのが恥ずかしくなった。
「夏は楽しめた?」
突然、モモヤマさんが尋ねた。本から視線を逸らさないので、一瞬私に尋ねられたと気づかなかった。
「え?い、いや、講座とバイトで、ほぼ潰れたよ……」
それこそ、ハヤミくんと行った夏祭りくらいしか夏らしいことはしていない。
思い出して、一人赤面した。
「おはよう」
爽やかな声が頭上から降り注ぎ、肩を飛び上がらせた。
顔を上げると、ハヤミくんがいた。いつもの大きいスポーツバッグではなく、普通のスクールバッグを所持している。
ハヤミくんは私を見ると、少し目を丸くした。
「大丈夫?顔赤いけど」
「大丈夫だよ!今日、暑くて……」
大げさに手を振る。タイミングが悪すぎた。
「今日、四十度らしいからな。気をつけてな」
ハヤミくんは爽やかに言うと、颯爽と自分の席まで歩く。彼には特に、動揺は見られない。
視線を感じて顔を上げると、じっと私を見るモモヤマさんがいた。
「ど、どうかした?」
以前話して以来、嫌われていないとは感じていたが、感情の起伏が見られないだけに、いまだ委縮する。
しかし、モモヤマさんは意外にも小さく微笑み、「何でもない」と答えた。身体は小柄だが、大人な彼女に自然と見惚れた。
もっと彼女が知りたいな、と素直に思った。
***
昼休みを告げるチャイムが鳴る。
私は基本的にお弁当を持参するものの、夏場は作り置きができずに学食を利用する機会が増える。
食堂はすぐに席が埋まる。だが以前、味わった孤独感を思い出して、少し躊躇ってしまった。
売店でパンでも買ってこよう、と考えて席を立つ。
「風嶺。もしかして食堂?」
声が聞こえて振り向くと、モモヤマさんの席にハヤミくんが来ていた。彼の手には紙袋が握られている。モモヤマさんも私を見ていた。
「う、うん。パンでも買ってこようかなって」
「あ、ちょうどいい。それならこれ、食べないか?」
ハヤミくんは、所持していた紙袋の中を漁る。取り出されたものは、パンだった。
「アスカん家、パン屋でさ。いつも廃棄が出るからって、持ってきてくれるんだ」
「パン屋!?」
驚いた顔でモモヤマさんを見る。
「うん。どうせ捨てるものだからよければ」モモヤマさんは淡々と答える。
「あ、ありがとう……!」
私は、モモヤマさんの机上に並べられていくパンに目を落とす。シンプルなあんぱんから、フルーツがたくさん乗ったタルトまである。十個ほど取り出されて、紙袋が畳まれた。
「オレのオススメは、このカレーパンだな。外サックサクなんだよ。冷めててもウマいし腹持ちも良い。人気で中々廃棄にならないから珍しいよ」
「そっ、それならハヤミくんが食べなよ……!」
「いやいや、せっかくだから食べてくれって」ハヤミくんは笑顔で差し出す。
モモヤマさん家のパンでありながら、自分のもののように薦めるハヤミくんがおかしくて苦笑した。それだけ彼女家のパンを食べたとわかる。
私はありがたくカレーパンを受け取り、シュガーのかかった甘いパンも頂くと、お礼を伝えて席に戻る。
以前モモヤマさんが、ハヤミくんに紙袋を渡していた光景を思い出す。あれはパンを渡していたのか。
「あ、春山。ここの席、借りてもいいか?」
ハヤミくんは、モモヤマさんの後ろの座席、すなわち、私の隣の席の人物に了承を得ると、席に腰かけた。
「あれ?今日は教室で食べるんだ」と、口にしてから気づく。
「もう、引退したからな」
案の定、私の思考がハヤミくんからも発せられる。
だからミーティングもないんだ、と彼は苦笑した。荷物の軽さから見てもわかることだった。
私はカレーパンを手に取り、口にほおばる。サクッと軽やかな音が鳴り、甘くて濃厚なバターの香りが舞った。香辛料の効いたピリ辛のカレーが甘いパン生地と混ざり合い、口の中いっぱいに広がる。噛みしめるたびに、調和のとれたハーモニーが楽しめた。
「おいしい……!」
「だろ?アスカん家のパンは、毎日食べても飽きないからな」ハヤミくんが嬉々として言う。
前方を向いて、黙々とパンを齧っていたモモヤマさんは、こちらに振り返る。
「こんなのでよければ、毎日あげようか」
「い、いいの?」
「どうせ、毎日廃棄は出るし、残っても捨てちゃうから」
「そうだよ。オレなんていつも貰ってるし」
「廃棄物処理機」
モモヤマさんはピシャリと発言する。
「その言い方はないだろ」
ハヤミくんは軽く笑って受け流す。そこでやっとモモヤマさんが冗談を口にしたと気づく。
二人の中に混ぜてもらうことに恐縮したが、それでも私は安堵していた。
「でも、本当にこのパン美味しいよ。ありがとう」
モモヤマさんに改めて伝えると、彼女の目尻が僅かに下がった。
「ずっと気になってたんだけどさ。何で薬指に指輪つけてるの?」ハヤミくんは素朴に尋ねる。
「これは、その……恋人を作らない為の牽制というか……。だから、幼馴染に協力してもらってるんだ」
以前は言い辛かったものの、今では変に誤魔化す方が気が引けたので、正直に告げた。
「幼馴染って、C組の森くん?」モモヤマさんは尋ねる。
「あ、うん。そうだよ」
「オープンキャンパスの時は怒らせたんかなって本気で焦ったんだよな」ハヤミくんは苦笑する。
「そのせいでシュン、説明会中、上の空だったし」モモヤマさんは淡々と告白する。
確かにあの日は、その件で電話があった。リョウヘイはどんな顔をしてたんだ。
「その指輪、今流行ってるあの指輪に似ている」モモヤマさんが言う。
名前が出てこないのだろうが、私には『永遠印』を指しているのだとわかった。
「あの優待とかあるやつだろ。OBの先輩もつけてる人いたな。でも、あの指輪ってすごく高くなかったっけ」
「うん。学生には買えないよ」
ハヤミくんに波長を合わせて会話を逸らす。あまり指輪の話題になるのは、口を滑らせる危険が高くなるので怖かった。
「でも、協力してくれるなんて良い幼馴染だね」
モモヤマさんは表情を変えぬまま言う。後ろに座るハヤミくんは、気まずそうな顔をしていた。
「でも夏休みも終わったし、いよいよ本格的に受験だなぁ」ハヤミくんは呟く。
「二人はもう進路、決めてるの?」
おずおず尋ねると、ハヤミくんはモモヤマさんを指差す。
「アスカは、もう決まってる」
「え、本当に?」
「うん。AOで」
モモヤマさんは真顔のままピースをした。
「すごいね。あとは、高校生活を楽しむだけだ」
素直に羨ましい。私も早く進路を固めて、負担を軽くしたいものだ。
「オレも一応、推薦でいけそうなんだよな」
まだ大学は選別中、とハヤミくんは言う。
「風嶺さんは?」モモヤマさんが尋ねた。
私は口籠る。大して頭も良くないので、無謀だと思われる気がした。
だが、そんな私でも意欲をくれた彼が目の前にいるだけに、意思を伝えたいと思った。
「実は……国公立狙ってて……」
金銭面から頭の隅に置いていたものの、数値化されて突きつけられた現実によって、ほぼ諦めていた。
だが、ハヤミくんの試合を観てから、チャレンジするのもいいかもしれない、という考えになり、偶然バイト先に国公立に通う先輩がいた為、教本を譲り受けたり、話を聞いたり、少しずつ受験に向けて体制を整えていた。
反応がなく、恐々顔を上げると、二人とも目を丸くしていた。
「国公立!?すごいな!」
「や、ほぼ記念受験になるだろうけど……」
「いや、まずやってみようと思える心がすごいから」
オレは勉強するだけでも参るからな、とハヤミくんは両手を広げる。
「応援してる」
モモヤマさんは、優しい表情を浮かべた。
「ありがとう……!」
勢いで口にしたものの、二人から応援されてさらにやる気がもらえた。
今までは現状維持にばかり目を向けていたものの、一歩踏み出せば新たな出会いや情報が手に入れられるんだと実感した。
しかし、行動のきっかけが全て『恋愛ゲーム』なのが憎いところだった。
昼休み終了のベルが鳴り響いたので、ハヤミくんは自分の席に戻った。
***