ホームルームは、九月十日に行われる体育祭の出場種目を決める内容だった。
私たち三年生は、綱引き、クラス対抗リレー、応援合戦に出場する。
担任から話題が持ち上がった瞬間、辺りから嘆声が漏れた。
小学生の頃は燃え上がったものの、正直今では、体力を消耗するだけの面倒な行事に成り下がっている。
綱引きは全員参加なので、リレーと応援合戦に出場する選手を決めなければいけない。
リレーは必然的に運動部の人たちが推薦された為、特に時間をかけることなく決められた。ハヤミくんも出場するようだ。
だが、問題は応援合戦だ。
「特攻服みたいな学生服着るんだろ。暑そう」
「女子はチアだよな~あの服着るの恥ずかしい」
話題に移る前から、周囲から悲観的な声が上がる。こちらはリレーとは違い、運動神経の善し悪し関係がないので、全員が選手対象だ。
応援合戦は三学年合同の為、一年次から必然的に参加させられる。
生徒中心に創り上げるので、昼休みや放課後など、かなりの時間を費やす。特に三年生は下を引っ張らなければならないので、学年が上がるほど負担は増える。
「リョウヘイが、同じクラスだったらな……」
リョウヘイは、応援団の衣装着たさに、一年から応援合戦に出ていた。彼のような積極的な人物が、クラス内にいるかいないかの差はとても大きい。
去年は、結局ジャンケンで決まった。二年からクラス替えがないので、今年も時間がかかることは目に見えていた。
担任も、話題に移る前からあまりの人気のなさに溜息を吐く。
しかし、予想外のことが起こる。
「じゃあ次、応援合戦希望の人は―――」
担任が言い終わる前に、挙手した人物が現れ、全員釘付けになる。
モモヤマさんが、まっすぐ手を上げていた。
クラス中が、息を呑むのが伝わる。
モモヤマさんは、クラスではあまり目立たず大人しい。だからこそみんな不意を突かれた顔をしていた。特にハヤミくんは、人一倍目を丸くしている。
「えっと……モモヤマ、立候補でいいのか?」
担任も少したじろぎながら確認する。モモヤマさんは、無言でこくりと頷いた。黒板に彼女の名前が書かれる。
クラス中がひそひそ話す空気を感じるが、モモヤマさんは一切、気にする素振りはない。
「だったら、オレもやろうかな」
微妙な空気を打破したのは、ハヤミくんだった。彼は笑顔で挙手する。
「え、おまえ、リレーも出るのに大丈夫かよ」
「全然。むしろたくさん出たいし」
「暑い中、あの分厚い学生服着なきゃならねーんだぞ」
「あれ、かっこいいじゃん」
ハヤミくんは、次々飛んでくる質問に、爽やかに返す。
先ほどと空気がガラリと変わり、担任も安堵の息を吐く。黒板にハヤミくんの名前が書かれた。
「あと男女一人ずつだな。他に希望はいるか?」担任は教室内を見回す。
立候補者が現れるとは思わずに、ご機嫌なのだろう。この流れでサクッと決めたいといった空気を感じる。
しかし、ハヤミくんに続く者はおらず、誰も目を合わせようとしなかった。
その瞬間、モモヤマさんが私の方に振り返る。いつもの鋭い視線で、まるで立候補を促されているように捉えられた。え、私?
「これが終わったら、今日は終わりなんだけどな」
さっさと休みたいのだろう、担任は急かす。辺りでは、おまえがやれよと押しつける声が聞こえた。
モモヤマさんに視線を戻す。なおも彼女は私を見ていた。
私は悩む。正直やりたくない。ただでさえやることが多い中で、さらに負担を増やしたくない。モモヤマさんは、どういった心境で立候補したのだろうか。
彼女はいまだ私に視線を送るが、何も言わない。だが、立候補を促されているとは伝わる。パンをいただいたことからも、断るに断れなかった。
辺りがざわめく中、私はおずおずと手を上げた。その瞬間、クラス中からの視線を浴び、少し怖気つく。
「おお!風嶺やってくれるか」
担任は笑顔になり、私が返事をする前に黒板に「風嶺」と書いた。辺りからは、再びひそひそ話す声が聞こえた。
私とモモヤマさんが立候補するとは思っていなかったのだろう。それこそ、ナナミのような声の通る元気印の人に向いているものだ。しかし、後には引けなくなった。
「あとは、男一人だけだな。あと五分で立候補者がいなければジャンケンな」
担任は投げやりに言うと、椅子に深く腰かけた。男子の扱いがあまりにも雑だ。
これでよかった?とモモヤマさんへ顔を向けると、すでに前方を向いている。しかし、彼女の横顔は、どこか満足気に見えた。
結局、残り一人はジャンケンで決められ、軽音楽部の赤井 隼人(アカイ ハヤト)に決まった。彼は溜息を吐きながらも、ハヤミがいるなら別にいいか、と諦めていた。
無事、応援合戦のメンバーも決め終わり、ホームルームが終了する。
「あの、モモヤマさん」
私は、颯爽と教室を出ようとするモモヤマさんに声をかけた。彼女は無言で私に振り向く。
「きょ、今日暇だったりする?」
おそるおそる尋ねると、彼女は首を傾げた。暇かどうかは内容による、というものだろう。
「よければ駅前のワックにでも行かない?応援合戦のこと、少し話したいし……」
モモヤマさんはしばらく思案した後、小さくこくりと頷いた。断られるかと思ったので少し安堵する。
ハヤミくんを見ると、教壇で担任と話し合っている。
モモヤマさんとは講座で話してたとはいえ、二人で会うのは初めてだ。
そわそわした心持のまま、教室を後にする。
***
駅前のワックに辿り着くと、品を注文する為に順番に席を立った。
私が席に戻ると、モモヤマさんは少し驚いた顔になる。
「夕食、食べられる?」
「あ、えっと……むしろこれを夕食にしようかなって……」
私の持つトレーには、ハンバーガーとジュース、ポテト一式乗っていた。馴染みのフィッシュバーガーだ?優待が利用できないので、もちろんアプリクーポンを利用した。
モモヤマさんは、コーヒー一杯のみ注文して席に戻ってくる。私との差に少し恥ずかしくなった。
「モモヤマさんが、応援合戦に立候補するとは思わなかった」
ポテトをつまみながら、素直に思ったことを口にする。普段の彼女の振る舞いからは、想像ができなかったからだ。
モモヤマさんが口を噤んだことで気まずくなり、「あ、ポテト食べてもいいからね」とさり気なく勧める。
「……シュンの試合を観て」モモヤマさんは、ぽつりと呟く。
「ハヤミくんの試合?」
「何か、ひとつのことに取り組んでみるのも、いいかなって、思ってさ……」
私は目を丸くした。
モモヤマさんを見ると、表情に大きな変化はないものの、身を縮めて萎縮した様子だった。
「私、今まで部活とかもしたことなかったから。受験も終わったし、せっかくだから……」
モモヤマさんは、発言するごとに顔を下に傾け、言い終わる頃には完全に真下を向いていた。普段クールなだけに、彼女の緊張が感じられて新鮮だった。
メンバーを決める際、澄ました顔で挙手していたが、かなり勇気を出した行動だったに違いない。
モモヤマさんの人間味が感じられて、口角が上がる。
「確かに、気持ちはわかるよ。私もそれで国公立目指そうって思えたし」
試合を観に行った時に見かけたモモヤマさんを思い出す。あの頃の私は、モモヤマさんがハヤミくんのことを好きだと勘違いしていたが、私と同じく、彼女も球場の熱さを肌で実感していたんだ。
素直に共感したつもりだが、モモヤマさんから鋭い視線を向けられて、身体が強張る。
しかし、その目には恐縮の色が見られた。
「ごめんなさい……」
「え?」
「風嶺さん、受験で大変なのに、一人は少し怖くて……うまく、言葉で説明できなかったから」
モモヤマさんはたどたどしく言った。
確かにあの時は、モモヤマさんが何を考えているのか読めなかったが、今ではむしろ彼女が思い切って踏み出した一歩に協力できて、嬉しくなっていた。
「全然。バイトの時間を減らせばいいだけだし。それに、高校最後だしせっかくならね」
そう答えると、モモヤマさんは少し歯痒そうな表情を浮かべた。
「キミたち応援合戦に出るの?」
突如、降ってきた声に顔を上げると、シェイク片手に、にこにこ笑う細身の青年が立っていた。
明るい茶髪でゆるいパーマが当たり、ケガなのか左手に包帯が巻かれてる。
彼の姿に見覚えがあった。今朝、マルセンにつかまっていたジョウジマくんだ。
「キミたち三年生?」ジョウジマくんは笑顔で問う。
「は、はい……」
「何で敬語?オレと同じだよ」
「ジョウジマさん。早く話し合いをしますよ」
ジョウジマくんの隣にいる人物が急かす。メガネをかけて、第一ボタンまで留め、この暑い中ブレザーを着用してる堅苦しそうな人だ。名前は思い出せないが、確か生徒会長だったはずだ。
軽そうなジョウジマくんと、生真面目な生徒会長。とても奇妙な組み合わせに感じた。
「だって、この子たちも応援合戦出るみたいだからさ。挨拶は必要だよ」
「あなたの挨拶は、他の目的も感じます」
「ひどいなぁ〜」ジョウジマくんは肩を竦める。
生徒会長は辺りをキョロキョロ見回し、私たちの隣の四人がけテーブルにトレーを置く。コーヒーとポテト大袋が乗っている。
ジョウジマくんは、生徒会長の隣に腰を下ろした。遅れて、女の子二人がドリンクのみ注文して彼らの対面に座る。彼らも話し合いでここに来たようだ。
モモヤマさんとの交流を深める為に来たものの、一気に騒がしくなった。
「あ、オレB組の城島玲央。オレも応援合戦出ることになってさ」
ジョウジマくんは、話し合いそっちのけで私たちに話しかける。彼の後ろでは、生徒会長が目を三角にしている。女の子二人は、雑談中で特に気にする素振りはない。
意外だった。失礼ながらも彼のような軽そうな人が、面倒な応援合戦に出るように見えなかった。
だが、その理由もすぐにわかる。
「ホームルーム面倒でサボったらさ。何か押しつけられちゃって」
ジョウジマくんは頭を掻きながら苦笑する。
「ジョウジマさん!」
「別に、わざわざ放課後割いてまでする必要ないじゃん。スガちんがワック行きたかっただけでしょ~」
ジョウジマくんがケロッと口にすると、生徒会長が顔を真っ赤にして怒る。図星のようだ。
そんな生徒会長には気にも留めずに、ジョウジマくんはポテトをつまむと、再びこちらに向き直る。
「キミたちクラスは?」
「え、A組だよ」
「そっか!なら同じ組だね」ジョウジマくんは目を細めて笑う。
うちの学校は十クラス編成で、AとB、CとD、EとF、GとH、IとJで赤、青、黄、紫、緑に別れることになっていた。私たちのクラスは赤組だ。
「けが、してる」
モモヤマさんは、ジョウジマくんの左手を見て呟く。彼は意表を突かれた顔をして、自身の手に目を向けた。
「あぁこれ、そう。ちょっといざこざがあってさ。でも平気。骨折とかじゃないから全然動かせるし。心配してくれてありがとうね」
ジョウジマくんは、包帯で巻かれた手をにぎにぎして動かした。今朝、マルセンに言ってた彼女と別れたことが関係しているのかな、とふと思う。
モモヤマさんの視線に気づいたジョウジマくんは、にこっと笑って彼女に振り向く。
「キミも応援合戦に出るんだよね?」
「は、はぁ……」
モモヤマさんは、気の抜けた声で返事する。そんな彼女を見て、ジョウジマくんは苦笑した。
「もっと笑顔笑顔!キミ、素材がいいんだからもったいないよ」
ジョウジマくんは、自身の頬に指を差しながら笑顔を作る。モモヤマさんは目を白黒させた。
「せっかく参加するなら勝ちたいじゃん」
「自分のことは棚に上げて、ですか……?」
隣の生徒会長が、冷ややかな声で言った。ここまで来ると、もはや彼に同情する。
ジョウジマくんも、さすがに悪いと感じたのか、身を縮めてクラスの話し合いに参加した。
一気に力が抜けた。無神経にもほどがある。
モモヤマさんに顔を向けるが、彼女の反応に私は目を丸くする。
モモヤマさんは、俯いて頬を少し赤らめていた。
「えっと、モモヤマさん……?」
「あんなこと言われたの、初めて」モモヤマさんはポツリと呟いた。
「シュンもいつも気を遣ってくれるけど、こんなことは言わなかった」
ハヤミくんの気遣いは、彼女の不器用な一面をカバーして周囲に馴染ませるような優しさだ。対して、今のジョウジマくんの一言は、彼女自身に変化を促す言葉だった。
だが、彼女の様子が普段と違い、どこかソワソワした。
「モモヤマさん……」
「違う、少し驚いただけ」
「何も言ってないけど」
そう言うと、彼女はきっと睨むように私を見た。いや、まさかな。
彼女の新たな一面が見られて、新鮮だった。
***