昼休み、教室内でモモヤマさん、ハヤミくん、アカイくんの四人で昼食を食べていた。最近は応援合戦の話し合いの為に、四人で集まって食事を取る機会が増えた。
「ジョウジマ、やっぱ来なくなったな」
アカイくんは、モモヤマさん家のクリームパンを齧りながら間延びした声で言う。
「スガくんは仕方ないけど、少しB組心配だよね」
ハヤミくんは力なく笑う。
応援合戦の練習が始まって三日。ジョウジマくんは、初回の顔合わせ以来、練習に参加しなくなった。ホームルームをサボって参加を押しつけられたと言っていたことから不安はあった。
「自分が言ったくせに……」
「モモヤマさん?」
突如聞こえた呟きに、私は驚いて顔を向ける。ハヤミくんも、目を丸くしてモモヤマさんを見る。アカイくんは「しかし、モモヤマん家のパンほんとウメ―な」とはしゃぐ。
私の問いかけには反応を示さずに、モモヤマさんは黙々とパンを齧っていた。
***
放課後、遠方のスーパーへ行く為に、練習後すぐに学校を飛び出した。
今日は精肉商品が全て半額で購入できる焼肉の日セールだった。この日の為に、今日は小さいクーラーボックスも持参していた。
無事に目当ての品を確保できたことで、帰路につく。
ひっそりとした住宅街を歩く。初めこそ見慣れない光景に躊躇っていたものの、何度か足を運んだことで、今では帰り道も馴染みのものとなっていた。
「レオくんって学生じゃないの?」
車が通る交差点に出たときに耳に飛び込む。
顔を上げると、前方にジョウジマくんと女の子が横切る姿が目に入った。
「学生だったら、簡単に奢るとかできないよ」
ジョウジマくんは、質の良さそうなジャケットを羽織り、女の子の腰に手を添えていた。一緒にいる女の子もとろんとした目をしている。
唖然として視線を送っていると、不意にジョウジマくんと目が合う。しかし彼は、特に動じることなく口角を緩めると、そのままカラオケボックスへと入った。
胸に嫌な感覚が襲う。
練習を放棄したのは、学校から少し離れたこの街で女の子と遊ぶ為だった。渋々参加を引き受けたとはいえ、後輩もいる立場でよく行動できるものだ。
そして、そんな彼に好意を抱いたモモヤマさんにも同情した。
彼女は、ハヤミくんのように全力を出したくて応援合戦に参加したのに、彼は簡単に踏みにじる。
「ジョウジマくんに、心はないの……?」
怒りからも口から漏れていた。
思わず立ち止まったものの、精肉が腐らない為にも、自宅へと足を進めた。
しかし次の日の放課後、ジョウジマくんは忽然と練習場に姿を現した。
「レオ先輩、全然来ないから寂しかったです」一年生の女の子が心なし上ずった声で言う。
「ごめんごめん。これからちゃんと来るから」
ジョウジマくんはへらっと笑って軽く手を掲げた。
三日間も無断欠席しておきながら、何食わぬ顔で練習場に現れる彼に、開いた口が塞がらない。
「ユイちゃん、顔恐いよ」
私の視線に気づいたジョウジマくんは、笑いながら肩を竦める。
「……練習よりも、女の子が大事?」
「何のことかな」
ジョウジマくんは、軽く手を振ってとぼける。挑発する態度に、私の中でふつふつ怒りが沸き上がる。
だがその瞬間、ジョウジマくんの顔からスッと表情が消えた。
「キミの友人に怒られちゃったからね。大丈夫、これからちゃんと来るよ」
そう言うと、ジョウジマくんはB組の三年生が集まる場所へと向かった。生徒会長は早口で捲し立て、ジョウジマくんは頭を掻いて謝罪している。
呆気にとられていると、ハヤミくんが私の元まで来る。
「やっと、ジョウジマくん来てくれたね」
「ハヤミくんが呼んだんじゃないの?」
「オレが?何も言ってないけど」
ハヤミくんは驚いたように言う。シラをきってる素振りもない。
私は眉をひそめる。
私の友人って、まさかモモヤマさんだろうか。
前方で着席する彼女に視線を向けるも、普段と変わらない凛とした佇まいで、手元のプリントに目を落としていた。
***
男女別に練習をしている時だった。
「スガちん、タイミングが半拍遅い。Bはアレグロだからもっと気持ち速く。拍手は手を大きく振るとずれるから、手を払う感覚で」
男子側の練習サイドからジョウジマくんの鋭い指摘が響き、思わず振り返る。
生徒会長は「アレ?ハンパク?」と目を白黒させ、「ジョウジマさん。一般人に専門用語は禁止です」と逆切れを始めた。
「あなたも練習してください」
「オレ練習初めてだから、今日は見物させてって言ったじゃん。それに、客観的に見る人も必要でしょ」
「ジョウジマくん。具体的に指摘してくれるから助かるよ」
オレリズム感はからっきしだしな、とハヤミくんは笑いながら言う。
「やるからには勝ちたいじゃん」
ジョウジマくんは目を細めて笑う。そんな彼をアカイくんは、興味深そうな目で観察していた。
視線を戻すと、モモヤマさんも真剣な目でジョウジマくんを見ていた。
「ジョウジマくんを呼んでくれたのって、もしかしてモモヤマさん?」
気になっていたことを尋ねた。
するとモモヤマさんは、視線を逸らし「勝ちたいって言ったのはあいつだし」と投げやりに呟いた。
***
忙しない日々だった。
本命は国公立と決めたものの、やはり現実は甘くない。せめて私立でも学費免除を受けられるようにと日々勉強に励んだ。
アルバイトは体育祭までの間は、ほぼ休暇を取った。学校は再開し、同じ高校の人も仕事を復帰しているだろうが、いまだ顔を合わせられずにいた。
応援合戦の練習は、大教室内で男女別に行った。普段運動をしていないだけに、中々ハードだ。それにこの教室にはクーラーがない。
「結構しんどいね」
隣で同じく肩で息をするモモヤマさんに声をかけた。
彼女は長い黒髪をゆるく二つに括っている。普段は暑さを感じさせない彼女だが、さすがに練習はハードのようで、額に汗をにじませていた。だが彼女の白い肌に流れる汗すらきれいに見える。
「お腹減った……」
「じゃ、今日もワック寄る?」
軽く声をかけると、彼女は無言でこくりと頷く。練習帰りの寄り道も、ひそかな楽しみになっていた。
「ワックいくの?オレも行こうかな」
会話が聞こえていたのか、ハヤミくんがこちらまで歩きながら口にする。ちょうど男子組も練習が終わったようだ。
「え、それならオレも」と隣にいるアカイくんも便乗したので、「じゃ、A組の結束を固める為に、どう?」とハヤミくんはストレートに尋ねる。
私もモモヤマさんも素直に賛同した。
「スガちんスガちん、A組の人たちあんなこと言ってるけど、オレらは結束固めなくて大丈夫なの?」
ジョウジマくんが、揶揄うように生徒会長に声をかける。あれから練習をサボることなく出席しているようだ。
生徒会長はこちらを一瞥すると、「確かに負けてられませんね。では、私たちも行きますか」と、どこで張り合っているのかわからないが胸を張った。
「え~今日この後、彼氏と会うんだけど~」
B組の女の子の間延びした声が飛んでくる。彼女の言葉を聞いた生徒会長は、口を開けてショックを受けるが、そんな彼に気を留めることなく、女の子たちは教室を後にした。
「えっと、大丈夫?」
ハヤミくんは寂しい背中に声をかけた。
「全く、女ゴコロというものはわからんです」
生徒会長はポツリと呟く。放課後時間を楽しみにしていただろう気は感じ取れた。
「一緒の赤組だからさ、よければ君たちも一緒に行く?」
気を遣ったのだろう。ハヤミくんは、生徒会長に提案する。
「確かに私たちは運命共同体。一度時間を共にするのもいいでしょう」と生徒会長は勢いよく振り返る。
先ほどまでの憂いは一切感じられない。案外単純な人なのかもしれない。
予想外の大人数になったが、たまにはいいかと駅前のワックに向かう。
***
ワックに辿り着くと、ちょうど六人がけのソファが空いていたのでそこに腰を下ろす。
「アカイの選んだ演舞曲、ほんとかっこいいな」
ハヤミくんはハンバーガー片手に、アカイくんに視線を向ける。彼のトレーには手に持たれたもの以外にも、三つハンバーガーが乗っている。
「テーマにぴったりだろ」
アカイくんはシェイクを啜りながら得意気な顔をする。
赤組のテーマは「気炎万丈」。意気込みが盛んであること、という意味合いからも、楽曲も火を彷彿とさせる和太鼓と篠笛が奏でる熱い曲が選ばれた。アカイくんが候補に挙げたものだった。
「それにしてもアカイくん、幅広く音楽聴くんだね」
私はチョコサンデーを食べながら尋ねる。最近寄り道することが増えた為、夕食は我慢していた。
「そうだな。今は軽音だけど、中学の時は吹部だったしな。クラシックもジャズもメタルも、何でも」
しょっぱいもの食べたら甘いもの食べたくなるように、とアカイくんは言う。
「その気持ち、よくわかるよ」
ジョウジマくんは、生徒会長が頼んだ大袋のポテトをパクパク口に放り込みながら賛同する。彼のトレーには、いちごサンデーとアップルパイが乗っている。生徒会長がポテトを注文することを見越して、甘いもののみ注文したのだろうか。生徒会長が少し気の毒だ。
モモヤマさんは、相変わらずブラックコーヒー一杯のみを注文していた。
「では、これから何をしますか?」
生徒会長は咳ばらいをし、場の空気を切り替えるように切り出した。
「え、何かすることってあるの?」
アカイくんは目を丸くする。
「その為に集まったのではないのですか?」生徒会長は素朴に問う。「結束を固めると言っていたので」
「別に、具体的に何かをするんじゃなくて、適当に雑談するだけのつもりだったけど」
ハヤミくんは苦笑しながら答える。それを聞いた生徒会長は、面食らった顔をする。
「あ~うちの生徒会長、こういった場に馴染みがないから。適当でいいよ」
ジョウジマくんがサンデーをほおばりながら雑にあしらう。
「何ですかその扱いは!私も混ぜてください」
「でも、スガくん。とても声大きいし、しっかりしてるから助かるよ。さすが生徒会長だね」
ハヤミくんは、さらりと話題を変えた。あまりにも自然で爽やかだ。
「まぁ、元々人の前に立つのは慣れていますから。それに、やるからにはやはりいい結果を残したいものです」生徒会長は胸を張る。
「あ、そうそう。話すことならあった」
ハヤミくんはカバンを漁り、プリントを取り出した。衣装の一覧のようなものだ。
「これが今ある赤組の応援団の服なんだけどさ。ここにあるもの以外でもいいらしいんだ。何か希望あったりする?」
ハヤミくんは、プリントを机の上に並べる。男子は真っ黒の長ラン、女子は対照的に白のチア服だった。
「ほんと暑そうだな」アカイくんは頭を掻く。
「しかし、やはり応援といえば長ランでしょう」生徒会長は鼻息を荒くする。
「でも、せっかくなら、もう少し赤を目立たせたいかも」私が提案する。
「確かにな、インナーは赤に統一するか」ハヤミくんは同調する。
「学ランに刺繍とか……」とモモヤマさんは小さな声で呟く。「少し、シンプルだから」
「暴走族みたいになりそうだな」アカイくんは苦笑する。
「うちの団長、ただでさえ迫力あるから、いっそ」
「オレは広告塔かな?」ハヤミくんは首を掻く。
「あ、それなら赤の特攻服を着るのもいいんじゃね?」
いいアイデアだとアカイくんは指を鳴らす。
「ですがハチマキが赤いので、全身赤くなるでしょう」
「赤いアカイ」ハヤミくんが嬉々として言う。
「言われると思った」アカイくんは満更でもなさそうな顔をした。
先ほどから黙ったままのジョウジマくんが気になり一瞥すると、頬杖をついてにこにこした顔で私たちを見ていた。
「ジョウジマさん。あなたも話し合いに参加してください」生徒会長が促す。
「何かいいね」ジョウジマくんが言う。
「何かいい、とは?」
「青春って感じじゃん」
ジョウジマくんは、他人事のように言った。何故か寂しそうに見えたので、私は口籠る。
「何言ってるの」
研ぎ澄まされた声が響き、私たちは目を丸くした。
声の主に顔を向けると、モモヤマさんは少し怒ったような顔でジョウジマくんを見ていた。
「モモヤマさん……?」「アスカ?」
私とハヤミくんは同時に声を発していた。だがモモヤマさんは、ジョウジマくんから目を逸らさない。
さすがのジョウジマくんも彼女の反応にたじろぎ、冷や汗を流した。
「アスカちゃん……?」
「あなたも応援団の一人。ちゃんと輪に入って」モモヤマさんは冷ややかな声で叱る。
その瞬間、ジョウジマくんの顔から笑顔が消えた。
「……敵わないね」
そう呟くと、彼は身体を起こした。
「じゃあ言わせてもらうね。赤の特攻服は、ダサいから嫌だ」
「ダサいって!」アカイくんは頭を抱える。
モモヤマさんを一瞥すると、何事もなかったかのように澄ました顔をしている。
無意識に、私とハヤミくんは目を合わせていた。
***