第二章『赤い虚構を想う空』⑦




肌がジリジリと焼ける感覚が襲う。普段は室内だっただけに、日差しが眩しく感じた。

隣にいるモモヤマさんも同じく目を細めている。彼女の白い肌も、今日は普段以上に際立った。
目元は赤のアイカラーが入り、赤チークに赤リップと全体赤で統一されたメイクが施されている。髪にはカラースプレーでところどころ赤と金に染められていた。
オクノさんとクリタさんのおかげで、私たちは人生で一番派手であろう外見に仕上がっていた。

「なんか……かゆい」

モモヤマさんは、むずがゆそうな表情を浮かべる。私は同意する。
しかし、普段とは違う外見に少し浮き立ってもいた。

応援席に向かう途中、他の応援団の人たちが目に入る。他の団の練習はまともに見たことがないので背筋が伸びた。どの組も立て看板から気合が入っている。

何気なく見まわすが、青組に顔を向けて驚愕した。

彼らは袴を着用し、さらに派手な装飾の施された羽織を纏っている。男子は扇子を、女子は和傘をさしている。クラスメイトまで青色の法被を羽織り、全体的に和装で固めていた。応援団のみ学ランを着用した他の団とは、かなり印象がかけ離れている。

そんな彼らの中心にいる人物に、目が釘付けになった。

「団長……かっこいいじゃん」

青組の団長を務めるリョウヘイが、輪の中心にいた。他の応援団の羽織っている青色の羽織とは色が区別化され、白ベースに青色で刺繍が施されている。一目で団長とわかる風貌だ。
普段、立てられてる髪も、今日は細かく編み込まれ、青色メッシュが入れられていた。衣装を際立たせる為か、アクセサリー類は外されてる。かなり様になっていた。

「森くん、かっこいいね」
モモヤマさんは真顔のまま口にする。

「うん。本当に」

今までは学生服の応援合戦しか見ていなかっただけに、和装がとても新鮮だった。
リョウヘイに素直に脱帽した。彼の今までの発言も誇大表現と思えなくなった。

リョウヘイに話しかける女の子が目に入る。ここからだと声までは聞こえない。
女の子は自分のスマホを取り出すと、リョウヘイの隣に並び、二人で写真を撮り始めた。何枚か撮った後、女の子はお礼を言って、そそくさとその場を去る。リョウヘイは軽く手を振り、何事もなかったように応援団の人と話し始めた。

その瞬間、心が少しざわつく感覚が襲った。
胸に手を当てて疑問符を浮かべる。ハヤミくんが以前抱いた感覚は、これなのだろうか。

「普段、自分の団しか見ていなかったから、少し緊張する……」

隣から声が聞こえて我に返る。

「確かに、どの組も気合が入ってるもんね」

五分前を知らせるチャイムが鳴ったことで、慌てて応援席に向かった。

赤組の応援席に戻ると、すでに全員集合していた。男の子たちは衣装に加工が施されたことで、以前見た姿よりも一層豪華で際立つ。
だが今日はまだ九月上旬、それに快晴のお昼過ぎだ。

「やべーなこれ。最後までもつ気がしねぇ」
アカイくんはすでに暑さに参っていた。

私たちはまだ露出はあるものの、彼らは衣服で全身覆われている。さらに黒い布地が熱を吸収しているようだ。

「あ、せっかくだからさ。きれいなうちに、みんなで写真撮ろうよ」

B組のクリタさんが声をかける。そばにいたアカイくんは、「おっいいね」と賛同して、スマホを取り出した。

「アカイくんのスマホでいいの?」オクノさんが問う。

「おう。オレこう見えても大人数で撮るのは慣れてんだからな」
ライブでいつも撮ってるし、と胸を張って答える。

ハヤミくんは、周囲に散らばる赤組応援団に声をかけて召集する。

「ジョウジマくんも」

「オレはいいよ〜」

クラスの女の子と話しているジョウジマくんは、苦笑しながら手を振る。
しかし、モモヤマさんから放たれる禍々しいオーラを察知したようで、肩を竦めて私たちの元に寄ってくる。意外と写真の類が苦手なのか。

「ホラ、撮るぞ~。ハイッ!」

写真を撮り終えた後、「じゃ、この流れで円陣も組んじゃう?」とハヤミくんが提案する。後輩たちは目を輝かせた。

「心をひとつにするには、形から入るべきです」その中でも一番輝いていたのは生徒会長だった。

ハヤミくんは苦笑しながら円になるように促す。私たちは肩を組んで身を屈めた。

「今まで練習おつかれさま。今日で最後だけど、何よりも全力出し切って、笑顔で終わろうな!」

ハヤミくんが声をかけると「おー!」と声が上がった。元キャプテンなだけに、こういった場はさすが慣れている。

円陣を見たクラスメイトたちも気合が入ったようで、「やるぞ」と意気込んでいる。

応援合戦のアナウンスが流れたので、私たちは位置についた。

 

応援合戦は、六分間の中で自由に応援して士気高揚を図る競技だ。うちの高校はパフォーマンスの難易度、声の大きさ、息の揃い具合等様々な観点から得点が与えられる。
赤組はトップバッターだった。

「気炎万丈——天下の熱風巻き起こせ」

ハヤミくんの力強い声に、クラスメイトの咆哮が地割れを起こして辺りに火がつく。激しく燃え上がり、一瞬で煮え渡ることで日の暑さを忘れさせた。

士気が高揚し、目に火が宿る。普段以上に機敏に風を切り、問答無用に周囲を焦がす。和太鼓の低い振動と応援旗のはためく音が燃え盛る篝火を彷彿とさせた。

対面で行った全体練習以上に大量の視線を浴びた。だが今日は、恥ずかしいとは思わずに、刺さる視線が心地良い。
この場にいる全員が、私たちから目を逸らすことなく、焼ける火の熱を肌で実感していた。

人生で一番濃い六分間だったように感じられた。

「ありがとうございました!」

ハヤミくんの力強い声が響き、無事演舞が終了した時には頭が真っ白だった。

言葉のままに燃え尽きていた。六分間、轟々と燃えた真っ赤な炎は、歓声と拍手によって一気に鎮火された気分だった。
燃焼の余韻を目を閉じて噛み締めた。

***

青組の演舞が開始される。
生徒も、先生も、保護者も、みんな釘付けだった。

応援団が足を踏み鳴らすと、緊張感の孕んだ漣が生まれる。大海を切り裂く笛が鳴り、渦が巻き起こる。狂いのない拍子に扇子の風を切る音で瞬く間に満潮となった。

中でも、やはり風格漂っていたのが、団長のリョウヘイだった。
その顔に一切緩みはなく、神経の研ぎ澄まされた眼差しで高波を操る。リョウヘイが叫ぶたびに士気が高まり、重い海水が堤防に打ちつけられる。普段の彼からは想像できないほどの覇気に富んでいた。
彼が命を懸けて生み出した、完璧な海流だった。

圧巻だった。演舞時間の六分間、呼吸を忘れるほどに目が奪われた。
終了と共に大歓声が起こった。

「森くん、すごいな」

ハヤミくんが拍手をしながら私に声をかける。

「彼、毎年出てるよな。今年はいつも以上に気合を感じるというか」

「リョウヘイは応援合戦に命かけてるからね。特に今年は三年だし」私は心から感心して答える。

ハヤミくんは私を一瞥すると、「彼には敵わないな」と呟いた。

 

結果発表を受けた後、足早に更衣室に向かった。

「やっぱり青組には、敵わなかったね」
私は颯爽と着替えるモモヤマさんに声をかける。

「でも、納得かも」
モモヤマさんは僅かに口角を上げた。私は頷く。

応援合戦の結果は二位。一位は青組だった。だが、悔しい気持ちよりも脱帽の意を示すほどだった。

「でも楽しかったね」オクノさんは笑う。

「うん。応援合戦って、やってみると結構達成感あるね」
クリタさんは額の汗をぬぐう。私とモモヤマさんも同意した。

後輩たちも笑顔で「楽しかった」「来年も出る」と口にする。

今までここまで熱中したことがなかった。全てを出し切って終えられて、完全に燃え尽きた。
ただ、これで本当に終わったんだという寂しさもこみ上げた。

感情が溢れそうだった。化粧が崩れない為にも顔を上に向ける。モモヤマさんも同じく天井を見上げていた。

 

着替え終えて応援席に戻ると、ちょうど隣の団も応援席に戻っているところだった。
リョウヘイの姿が目に入る。すでに袴は脱いでいたが、髪やボディペイントはそのままだ。

周囲にはたくさん人が集まっていた。リョウヘイは、胸を張って忙しなく口を動かしている。
あれだけ迫力のある演舞を創り上げたんだ。しばらく話題の中心であることは確実だ。
リョウヘイが遠い存在に感じて、少し寂しく感じた。

「ユイ」

突如、聞こえた声に驚き振り返ると、ずかずかと人を掻きわけて私の元まで歩くリョウヘイが目に入った。
周囲の視線が私に向いて怯むが、彼は全く意に介さない。

「どうだ。世界がひっくり返ったろ」
リョウヘイは、両手を広げて高らかに言う。

図星であることと、先ほど感じた虚しさからも少し悔しくて私はあえて言葉にせずに笑った。

その反応に釈然としないのか「おまえの世界は所詮、井戸の中のままなんだ」と唇を突き出す。

「とはいえ、おまえ」とリョウヘイは私を指差す。「スカートは、今後禁止だ」

いきなり頑固おやじみたいなことを言い始めるリョウヘイに、怪訝な顔を向ける。

「だったら、制服着れないよ」

「団長の命令は絶対だ」

「私、青組じゃないけど」

「青い空の下だから、全員青組の傘下だ」

むちゃくちゃな理屈を堂々と繰り出す。彼に口で敵う訳がない。

「でもさ、本当にかっこよかったよ」私は観念して溜息を吐いた。

「おせぇよ」
リョウヘイはへそを曲げた。「こういうのは、鮮度が命なんだ」

「ごめん。ちょっと悔しくて」笑って誤魔化す。

「本当にすごかった。想像以上だった。息が止まったもん」私は繕うことなく言葉を吐いた。

リョウヘイはいまだ険しい顔をしたまま「オレがヘラクレスなら、おまえはアトラスだ」と言い始めた。

「何それ」私はまたかと眉間にしわを寄せる。

「アトラスは天空を支えることしか頭にねぇ石頭だ。重けりゃひっくり返せばいいものの、その発想には至らねぇ。結局、重量を忘れる為に、ペルセウスの倒したメデューサを見て、本当に石になっちまった」とリョウヘイは神に暴言を吐く。

「天空がひっくり返ったら、青い空はなくなる」と因果関係を口にするが、「下には青い海があんだろ」とリョウヘイは当然のように答える。

「ヘラクレスは一度アトラスの代わりに天空を支えてやってるんだ。その間にアトラスはいろんな世界を見たにも関わらず、結局また天空を支える立場に戻る。おまえとおんなじだ」

「でもそれって、アトラスの逃げ出そうとした思惑に気づいたヘラクレスが仕掛けたからでしょ」と答えると、リョウヘイは「おまえギリシャ神話知ってんのかよ」と冷めた目を向けた。

「結局、何が言いたいわけ?」

私は溜息を吐くと、リョウヘイは「おまえの世界は、結局そういうもんなんだ」と投げやりに言った。

確かに今まで私は、現状を支えることばかりに目を向けていたので、今回は妙に納得したところがあった。

「確かに、私の世界は維持費を支払うだけで精一杯。ただ」

彼の演舞に心打たれて、新しい世界を知ったことは事実だ。

「ただ?」リョウヘイは発言を促す。

私は頬に手を当て、「とびっこをいくらだと思っていた時期はあった」と告白した。

「リョウヘイ、写真撮らない?」

私はポケットからスマホを取り出しながらリョウヘイに尋ねる。
彼を見ると、露骨に顔を歪ませていた。

「……何、その嫌そうな顔」

「いきなりなんだよ。いつもはそんなこと言わねぇだろ」

確かに普段の私は、写真は風景や食べ物を撮るくらいで、自分から誰かと写真を撮ろうとは、ほとんど言わない。

「うーん、応援合戦記念?」

「だったらせめて、衣装着てる時に言えよな」

リョウヘイは頭を掻きながらも私の側に寄る。私は同意と捉えて、スマホでカメラを起動し、インカメラに設定した。

画面に私とリョウヘイが収まるように腕を伸ばす。
考えれば、第三者に写真を撮ってもらった経験はあるものの、二人だけで写真を撮るのは初めてだった。少し歯痒く感じながらも画面を見る。

「じゃあ撮るね。ハイッ!?」

パシャッ

「ほらよ。じゃあな」

リョウヘイは何食わぬ顔で、その場を離れて、自分の応援席まで戻った。
私は何が起こったかわからないまま、今撮られた写真を確認する。

画面には、カメラ目線のリョウヘイと、彼に頭を引き寄せられて驚いた顔をしている私の顔が映っていた。

「私……すごく驚いた顔してるし……」

写真を名残惜しく確認した後、私も応援席へと戻った。

 

***