第三章『藍の河原と星図鑑』①




「あれ、何の星だろう……」

空を見上げると、どの星よりも一層際立つ明るい星が目に飛び込んだ。近くで輝く夏の大三角を構成する一等星よりも、はるかに明るくて大きい。
星について詳しくはないが、それでも一等星が一番明るい星だとは知っている。

「もしかして、新しい星かなぁ」

それにしてもこんなに目立つのだから、すでに誰かが発見して名前を決めているに違いない。
そんなことをぼんやり思いながら、ベランダの柵に身体を預ける。

今日一日が、とてつもなく長く感じた。
体育祭の応援合戦から始まり、ジョウジマくんから聞かされた恋愛ゲームの事実、リョウヘイから受けた調査報告、それら全て一日の内に吸収したので、脳内がキャパオーバーしてショート寸前だった。

外気のひやりとした秋風と、手に持った炭酸飲料によってヒート状態の脳が徐々に冷えていく。
スマホを開き、今日リョウヘイと撮った写真を表示した。相変わらず私は驚いた顔をしている。
私は、茫然とその写真を眺めた。

「リョウヘイって、こんなにかっこよかったっけ……」

何となく写真をスマホの壁紙に設定すると、自室に戻ってベッドの上に放り投げた。

第三章『藍の河原と星図鑑』

 

体育祭明けの翌日。
教室に入ると、みんな昨日の疲れが取れていないようで、机でうな垂れている人や、天井を見上げてる人など、憔悴しきった様子が目に入る。同じく私も身体に疲労が宿ったままだった。

力なく自分の席へ向かうと、斜め前に座るモモヤマさんが目に入る。
さすがと言うべきか、彼女は普段と変わらずに背筋を伸ばして本を読んでおり、疲労を全く感じさせない佇まいだった。

「おはよう」

いつものようにモモヤマさんに挨拶をするが、今日は無反応だ。
不思議に思いながら顔を覗き込むと、彼女は少し驚いた表情で本から顔を上げ、ワイヤレスイヤフォンを外して私を見る。どうやら音楽を聴いていたらしい。

「ごめん。聞こえなかった」

「ううん。おはようって言っただけだから。珍しいね音楽聴くなんて」

思わず頬が緩む。何を聴いているかの見当がついたからだ。

「あのCDを聴いてるの」

モモヤマさんは真顔のまま答える。予想通りの返答に、さらに口角が上がるのを感じた。

そのせいで、「ヴァイオリン?」と具体的に口走ってしまい、モモヤマさんに訝し気な視線を向けられる。私は慌てて手を振った。

「モモヤマさん、クラシックとか聴きそうだなって思って。読書にクラシックって、何かぴったりじゃん」

意味のわからない弁明だが、特にモモヤマさんは気にせず、「うん。とてもきれいな演奏で」と同調した。

「え、モモヤマも音楽聴くんだ。何聴いてんの?」

私たちの会話が聞こえていたのか、アカイくんが嬉々としてこちらまで歩いてくる。
モモヤマさんがイヤフォンを渡すと、アカイくんは慣れた手つきで耳につけた。

「チャイコフスキーか。レベル高ぇ曲なのに、一切無駄がなくて、耳にスッと届く透き通った音色だな~」

アカイくんは目を閉じて身体を揺らし、耳から流れる演奏に心を委ねて視聴している。モモヤマさんも無言で頷いて同意した。

そんな二人の様子を見て、「その演奏をしてる人物は、昨日までこの学校にいたんだよ」と伝えたくなるが、グッと堪える。

「昨日からずっとぼんやりしていて」モモヤマさんがポツリと呟く。

「ぼんやり?」

「うん。体育祭の疲れなのかわからないけど」

モモヤマさんは胸の辺りを手で押さえる。アカイくんは「まぁオレら昨日頑張ったもんな~」といまだ耳から流れる演奏に浸りながら答えた。
私も初めは、応援合戦のことだと思ったが、ふとジョウジマくんの記憶が消えたことを指しているのではと気づく。

『恋愛ゲーム』に関する記憶が消えるのは、ジョウジマくんだけでなくジョウジマくんと関わった人全てが例外じゃない。モモヤマさんの中で大きく膨れ上がったジョウジマくんへの想いがごっそりと消えたので、心がぽっかり穴が開いたように感じるのも当然だ。

「でも何故か、あのCDに入っていた演奏を聴くと、心が温まるの」

モモヤマさんは、胸に手を当てたまま僅かに口角を上げた。その顔は、ジョウジマくんに好意を抱いていた時と変わらない笑みで、私は自然と口元が緩んだ。

私は、目の前で視聴しているアカイくんに聞こえないように、モモヤマさんに顔を寄せる。

「その人、『白金 玲央』って名前のヴァイオリニストだから、また調べてみたらいいんじゃないかな」

昨日、アカイくんから見せてもらった記事を思い出して答える。
何故、知ってるの?と問われるのは目に見えていたが、どうしても教えたくなった。

案の定、モモヤマさんは首を傾げたが、そのタイミングで担任が教室に入ってきたので、気づかないふりして着席した。

今頃、ジョウジマくんは何してるのだろうか。

ゲームクリアしても記憶が消えるだけで、「城島」になる為に変えた容姿などが元に戻る訳じゃない。記憶が消えた後、自分自身を鏡で見て驚愕しているのではないのか。いや、ジョウジマくんのことだから、その辺りも何か策を取っていそうではある。

二人の関係を私だけが知っている事実に歯痒く感じた。

すでに体育祭ムードは抜け、次は十月末の学園祭に向けて話が進められていた。
三年生は演劇。今日のホームルームは、演劇の内容や役割を決めるものだった。

担任がいくつか適当に見繕った、台本のタイトルと簡単な内容が記載されたプリントが回ってくる。私は軽く目を通す。
体育祭で燃え尽きたので、正直やる気が湧かなかった。幸い、このクラスには演劇部で力を入れている人が数人いる為、話は詰まることなく進められていた。

応援合戦の練習が終わり、本格的に受験に向けて体制を整えていた。勉強の息抜きとして、バイトの数も調整した。
学園祭が来る頃には、私はどうなっているのだろうか。ゲーム終了は十月十六日なので、すでに何らかの結果が出てるはずだ。

昨日、リョウヘイから指輪を送ったのは姉だと告げられた後、すぐに家に帰って姉に確認した。
ほかに告げられた梱包に使用された箱やラッピングの購入履歴などの調査結果からも、姉が絡んでいるのは、ほぼ確実だった。しかし、姉は全く聞く耳を持たず、結局根負けして終了した。

姉が何を考えているのか、全くわからない。

ゲーム参加者以外には他言禁止なルールからも、姉が『恋愛ゲーム』について知識があるとは思えない。だが、今まで散々恋愛を否定してきた姉が、手のひら返して私に恋愛を進めるとも思えない。

姉と向き合う必要があるが、その為には『永遠印』という指輪の存在意義を明確にする必要があった。
姉が何故、私に『永遠印』を渡したのか。「永遠」という言葉がキーワードではあるはずだ。

そこでひとつ決めたこと。

これ以上、ゲームを進めるべきではない。

昨日のジョウジマくんについていた子どもは、彼が制限時間ギリギリまで粘ったと言っていた。つまり、クリアラインが達成され次第ゲームは終了し、記憶が消されてしまうということだろう。彼はそれを懸念して、最後の一人は制限時間までカウントを稼がないでいた。

私は目を落とす。
節々にジョウジマくんの言動と相反する感情が見られて、今では彼が憎めなくなっていた。
ゲームじゃなければ、どれほどよかったのか。しかし、ジョウジマくんのステータス的にも、ゲームじゃなければ確実に二人は出会えていない。これは幸か不幸か、彼らにとったらどう捉えられるのだろうか。

左手につけられた指輪を確認すると、『2』が刻まれていた。私のクリアラインは【三ヶ月で三人】で、すでに二人はクリアしている、という意味だ。

ゲーム終了まであと一ヶ月弱。ひとまずいまは、ゲームではなく指輪について優先するべきだ。
心の中で反芻して、気を引き締めた。

結局、適当に劇の内容が決められて、ホームルームは終了した。

 

***

 

「おはようございますー……」

久しぶりにアルバイトの出勤日だった。夏休み明けから、ほとんど仕事に入れていなかったので、少しかしこまった態度で裏口から中に入る。

「あ、風嶺ちゃん。今日、あの子来てるわよ」

私の姿を見て開口一番、サカグチさんがハツラツと私に告げた。

「あの子?」私は首を傾げる。

「ガクトバラくん。同じ高校の。会ったことなかったんでしょ?」

サカグチさんは笑顔で言う。私はあっと胸が高鳴った。

おそるおそる事務所の扉を開けた瞬間、活発な声が耳に飛び込んだ。

「嘘じゃねーんすって!本当に流れるんすから」

「でも俺、見たことねーからな」

「そりゃ、ここじゃ明るすぎて見れね―すよ。北海道なら明かりも少なくて、地平線だって見えますから」

先輩バイトに意気揚々と話す青年の姿が目に入る。
身長は私より少し高いほどで、赤髪のツンツンしたヘアスタイルに、目も口も大きく開かれて、八重歯が覗いている。

私に気づいた二人は、こちらに視線を向けた。

「あの、私、新入りの……」

「カザミネさんっすか?同じ高校の人がバイトで入ったって、噂で聞いてたっすよ!」

赤髪の青年は、私の元まで大股で近寄ると、さっと中腰に落として、右手の手のひらを見せるポーズをとる。

「お控えなすって!手前、生まれは北海道、現在は、こちらの祖母宅に世話になっておりやす。姓は楽斗原(ガクトバラ)、名は庵次(アンジ)。人呼んで『赤い弾丸』と発する紫野学園高校に通う苦学生でござんす。どうぞお見知りおきいただくよう存じやす」

威勢よく仁義を切る彼に、私は圧倒されて目を白黒させた。

「よ、よろしく……」

おそるおそる答えると、ガクトバラくんは満足気な笑みを浮かべて、さらに近寄った。

「カザミネさん、もしかして応援合戦出てましたよね?スゲーかっこよかったっすよ!オレ応援合戦て何やるのかわかンなくて今回はスルーしたんすけど、来年は絶対出るって決めました!あの特攻服暑そうっすけどかっけーんで着たいんすよ。カザミネさん三年っすよね?オレ一年ですし、まだ春に入ったばかりのヒヨッ子なんで、全然敬語とか気使わないでください。あ、これ帰省した時のお土産のポックルなんすけど食います?スゲーうまいんすよ」

「風嶺ちゃんを困らすな」

「あだっ」

怒涛の如く喋るガクトバラくんの頭を大学生バイトの先輩、谷 龍河(タニ リュウガ)さんがこづいて強制終了させる。

私は勢いについていけなくて、ただ目をぱちぱちさせていた。
ガクトバラくんとは今、出会ったばかりだが、リョウヘイやナナミとはまた違ったおしゃべりなタイプなんだとすぐに理解した。

「地元、北海道なんだね」

一応先輩にあたるが、ガクトバラくんの気遣いからも口調を崩して話しかける。

「ハイ! 八月はここ暑いんで、夏休み中は帰省させてもらってました。と言っても、向こうも暑いのは変わんねーんすけどね」

ガクトバラくんはハキハキと答えると、あっと言って言葉を続ける。

「カザミネさんは、流れ星、見たことあります?」

「流れ星?」

「八月にペルセウス座流星群があったんすけど、今回晴れててスゲーたくさん見えたんすよ。でも、タニさんは流れ星見たことないから信じないって」

そういえば、私が来るまで何かが流れたとかいった話をしていたな、と思い出す。

「見たことないなぁ……」私は答える。

「流れ星とか本当に見られんの?」タニさんが問う。

「本当に見えますって、フィクションの中の産物じゃねーっすよ。ここでも、山の方に行けば、少しは見れんじゃないんすか」ガクトバラくんは頬を膨らませて言う。

「星に詳しいんだね」私は感心して言う。

「地元が空スゲーきれいに見えるんで、ぼんやり見てたらなんかハマったんすよね」ガクトバラくんは得意げな顔をする。

「あ、星っていえば、最近すごく輝く星見えてない?夏の大三角から、南に下がった位置にある眩しい星。あれって何の星なの?」

先日、ベランダから見た空を思い出して尋ねた。
ガクトバラくんは、あぁと人差し指を立てる。

「アレは星っつーか、惑星っすね。今の時期、木星と土星が並んで見えてるんすよ。今の空で一番眩しいのは木星なんで、カザミネさんが言ってるのは多分、木星っすよ」

「惑星って、ここからでも見られるんだー……」
私はあほの子みたいな反応をする。

「モチっす!木星は二本の線が見えて、飴ちゃんみたいなかんじでかわいいんすよ!安い望遠鏡でも見られるんで、超おすすめっすね」ガクトバラくんはキラキラした顔で言う。

「じゃあ俺、今度車出すから観に行こうや」タニさんが提案する。

「えっいいんすか?でも男二人は何かアレなんで、せっかくならバイトの人みんな誘いましょうよ。カザミネさんの歓迎会名目の、星空観測会っつーことで」ガクトバラくんは意気揚々と賛同する。

「山……」私の顔が強張る。

「風嶺ちゃん、どうかした?」タニさんが尋ねる。

「夜の山が、少し怖くて……」

両親の件からも、正直山には近づきたくない。私の歓迎会名目と言われているだけに私の参加は必須だろう。しかし、嬉々として提案するガクトバラくんに否定もできない。
案の定、ガクトバラくんは勢いよく私に振り返る。

「夜の山はおもしろいっすよ!オレら年齢的にも大人同伴じゃねーと深夜は無理っすけど、夜ってだけでテンション上がりますし、それに……むぐっ」

「はい、五分前。そろそろ準備」

タニさんは、喋り続けるガクトバラくんの頬を押さえてストップさせた。
ガクトバラくんは、やべー! と叫びながらロッカーまでかけていく。私も慌てて着替えに向かった。

 

***