「えっ、特待制度ですか?」
「あぁ。今のおまえなら私立ではあるが、学費免除になる特待制度の推薦が受けられるんだ」
担任はそう言って私に資料を差し出す。
軽く目を通すと、ほとんどがオープンキャンパスで訪れた大学で、全額免除になる推薦枠もあった。
何度目かとなる担任との進路についての個人面談。今までは国公立に向けての話を進めていたが、ここにきてまさかの朗報だ。
「前期の成績が、文句なしだったからな」担任は笑顔で褒める。
三年生の成績評価は基本的に甘くなる、とはリョウヘイから聞いてはいたものの、先日確認した私の成績の評定平均は4.8だったので驚愕したものだった。
「ただ、基本的に特待は併願ができない。できるところもあるようだが、別途費用がかかったりする。だから、その辺りも踏まえて見当してほしい」
私の顔は強張る。国公立と宣言しただけに頭を悩ませた。しかし担任は、だが、と続ける。
「おまえは、学費面で進路を選んでいるだろう。国公立も、模試の結果を見ても可能性はあるかもしれない。ただ確実ではない。センターは年明けだ。それに代わって、この推薦は十一月に行われ、万が一落ちてもセンターにかけることができる。俺は受けるべきだと思うがな」
「た、確かに……」
「推薦は、基本面接と小論文のみで学科もない。受ける場合は、九月最終日までに願書を出さなければならないから、一度ゆっくり考えてみてくれ」
「わかりました」
私は資料に目を落としながら、面談室を出た。
「推薦か……」
まさか受けられるとは思っていなかっただけに、正直驚いていた。
担任の言う通りに、学費面が気がかりだったので、特待生制度が受けられるのはかなりありがたい。
しかし、今まで国公立に体制を整えていただけに、周囲の気遣いに答えられなくなり、少し罪悪感を感じた。
「タニさんに謝らなきゃ……」
特にタニさんは、現役の国公立学生の為、かなり試験について教わった。
次、シフト被った時にでも話そう、と心に決めて教室に戻る。
***
「風嶺、面談どうだった?」教室に着くとハヤミくんが尋ねる。
面談で呼び出される人以外は、自習という形の自由時間の為、みんな各々に行動している。
モモヤマさんの席周囲にハヤミくんとアカイくんが来て、三人で話していたようだ。
「特待制度が受けられそうで、今、少し悩んでいるところかな」
「すごいな!推薦は学科がないから楽だよ」
ちなみにオレもスポーツ推薦でほぼ決定、とハヤミくんはピースする。
「オレも指定校狙いだから、うちから決まったらほぼ決定ー」隣にいたアカイくんもへらっと笑う。
「みんな、決まりそうでよかった」
いち早く進路を固めていたモモヤマさんは、僅かに口角を上げて微笑んだ。
「あ、そういやモモヤマ、週末のことだけどよ」
アカイくんは、モモヤマさんに手招きして自分の席へと誘う。モモヤマさんは無言で彼についていく。
そんな彼女の背中をハヤミくんはしみじみとした目で見ていた。
「最近あの二人、仲が良いんだよな」
「応援合戦のおかげかな」
「アスカが勇気を出した成果だな」ハヤミくんは素直に賞賛する。
体育祭以降から、クラス内のモモヤマさんに対する印象が、がらりと変わった。
私も夏休み前までは大人しくて怖い人かなと思っていただけに、彼女の行動力に素直に感心した。
「でも、もしも」
ハヤミくんは顎に手を添える。「アスカに好きな人とかできたら、オレ、どう思うんだろうな」
私は腕を組む。「彼氏を連れてきた娘を見てる気分になるんじゃないかな」
ハヤミくんは一瞬思案し、「確かにな」と笑った。
金曜日。いつものようにリョウヘイ家に来ていた。
「今日は出勤、早くなってね。だからごはんだけ作っとくから、適当に二人で食べててね」
リョウヘイ母は調理の手を進めながら、申し訳なさそうに言う。私は慌てて手を振る。
彼女は夜の仕事をしており、基本的にいつも夕食を済ませてから仕事に向かっていた。ちなみにリョウヘイ父は、単身赴任中でしばらく姿も見ていない。
「あ、そうそうユイちゃん。遅くなったけどこれ、体育祭の」と言ってリョウヘイ母は、私にDVDを渡す。
「ありがとうございます!」
客観的に見られていなかっただけに、映像を楽しみにしていた。100%出し切った結晶が詰まっているんだと思うと、胸が高鳴る。
私は会釈すると、そのまま二階へと上がった。
「ねぇ、もしリョウヘイだったらどうするか聞きたいんだけどさ」
「何だよ、いきなり」
リョウヘイは腕につけてるブレスレットを弄りながら言う。
「リョウヘイの好きな例え話。例えばなんだけど、一月に数量限定で販売される服を手に入れる為にコツコツお金貯めたり、周囲の人に協力をお願いしたりするけど、十一月に別の新作が一月に販売するものの半額の値段で販売されるとしたら、どっちを買う?」
そう問うと、リョウヘイは訝し気な顔を向ける。
「何を重視するかによるだろ。値段か?質か?メーカーか?流行か?それによって答えは変わってくるもんだ。おまえが一番重視してるもんは何なんだ」
「お金」
「だったらもう、答えは出てるようなものじゃねぇか」
確かに全額免除の方がいいとは、頭ではわかってる。
「リョウヘイは、周囲の人から協力を得ていながら、買わないことに対して後ろめたいとは思わない……?」
「周りは関係ねぇだろ」リョウヘイは即答する。
「何を重視するかの時点で見えてるもんが違ぇんだ。それに、おまえのことなんだから、おまえが好きにすればいいだろ。そもそも協力といっても、自発的に行動したものに対しては、責任はそいつにあるもんだ。気が変わったと一言、言えばいいだけだ」
リョウヘイは力強く言う。彼の言葉も、迷ってる時には背中を強く押してくれる。
「うん。ありがとう。もう少し調べてから、推薦受けてみるよ」
そう答えると、リョウヘイは「大学と服を一緒にするんじゃねぇよ」と眉間にしわを寄せた。
「ところでさ、リョウヘイは進路どうなったの?」
何気なく尋ねた、つもりだった。
「AOで、もう決まってる」
「え?」
私は目を丸くしてリョウヘイに顔を向ける。彼は何だ?というケロッとした顔をしてる。
「いや……だって、初めて聞いたから……」
「そりゃ、今初めて言ったしな」
「な、何で言ってくれなかったの?」
「聞かれなかったから?」
リョウヘイはあっさりと答える。特にそれ以外の理由も感じられない。
「学科はハナから考えてなかったしな。おまえと初めに行った大学」
指を立てて答える。私は怪訝な顔をする。
「……まさか、講義ノートがあるからとか?」
「それもある」
リョウヘイは、本気かどうかわからないことを即答する。
私は顔を伏せた。
確か、推薦大学の一覧には、その大学もあった。
「私も、そこにしようかな……」ぽつりと呟く。
すると、リョウヘイは険しい顔で私を見た。
「何でだ?」
「何で、とは?」私はたじろぐ。
「何でその大学にしようと思ったんだ。まさかオレが、そこに行くからか?」
直球で尋ねられて、言葉に詰まる。
「だ、だって……リョウヘイと違う学校っていうのが、想像できなくて……」
リョウヘイとは、幼稚園の頃から今までずっと同じだった。
それなのに、来年からは学校も違えば、リョウヘイは一人暮らしも始める。だからこそ虚しさが襲った。
私が俯いてると、リョウヘイは私の近くまで寄り、腰を落として目線を合わせた。
「おまえの意志はどうなんだ。言ったろ、現状維持に努めたところで変わらねぇものなんてねぇ。おまえが踏み止まっても周りは動く。だからおまえも、ちゃんと意思を持って、前見にゃならねーんだ」
変な例え話もなしに、ストレートに叱られる。私はただ圧倒された。
「ごめん……そうだよね……。もう少し、考えてみるよ」
反省して呟くと、リョウヘイは腕を組んで思案した。
「推薦、どこから来てたんだ?」
「えっと……いくつかあったはずで」
スマホのメモで確認する。リョウヘイも覗き込んだ。
「こことここは、F欄だからやめとけ」
「F欄?」
「Fランク大学。偏差値が低い」
リョウヘイはぶっきらぼうに答える。
一覧を眺めてしばらく思案した後、「まぁ、一番無難なのは、ここだな」とリョウヘイは自分の合格した大学を指差す。
私は無言で顔を向ける。
「消去法で答えただけだ」
リョウヘイは何食わぬ顔で答えた。
「とりあえず、願書締切があと一週間ほどだから、もう少し考えてみるよ」
そう言って、私は一覧の記載された画像を閉じた。
そのせいで、ホーム画面の壁紙に設定していたリョウヘイとの二ショットが目に飛び込む。
「あっ」
慌ててスマホを隠すも遅い。リョウヘイは、無言で私に視線を向ける。
「これは……何となく………………」
「何となくで壁紙に設定すんのかよ」
ピシャリと指摘されて、ぐうの音も出ない。
「……何か……いいなって思って…………」おそるおそる答えた。
リョウヘイの手が、頬に触れてびくっと反応する。
彼に顔を向けると、意地悪そうに目を細めて口角を上げていた。
その目は、私自身理解していない事実まで見透かすほどの鋭い光を宿している。
「何で、いいと思ったんだ?」
「……それは………………」
思わず視線を逸らす。正直に答えられる訳がない。いつものリョウヘイじゃなくて変に緊張する。
顔が熱い。おそらく私の体温が上がったとは、頬に添えられた手から彼にも伝わっている。
「なぁ。今のおまえ、どんな顔してると思う?」リョウヘイは艶やかな声で言う。
「どんな……顔?」
「何だって熟成させた方が旨くなるんだ。今、おまえが抱いた感情をじっくり煮詰めて、噛み締めてみるんだな。味見してほしいってんなら、いつだって言え」
そう言うと、リョウヘイは私の頬から手を離して身体を起こした。
私は火照る頬に手を当ててただただ呆然とした。
体育祭の日から少しおかしい。
リョウヘイが女の子と一緒に写真を撮っている時にはずるいなぁと感じた。
みんなの輪の中心にいる姿を見て、遠い存在だなぁと寂しく感じた。
悔しさから、いきなり普段撮らない写真を撮ろうと言い始めた。
そして、自分だけが持つ写真を壁紙に設定して気分が高揚した。
それだけ私の頭から、リョウヘイが離れなくなっていた。
ハヤミくんの時にも、胸が締めつけられる思いをした。
しかし、今はその時とは違い、自分の知らないドロドロとした感情が見え見えで困惑している。
私は、こんなに汚い人間だったのだろうか。
「――――おい、聞いてんのか?」
リョウヘイの声が耳に飛び込み、我に返る。
はっと頭を上げると、彼は険しい顔で私を見ていた。
しかし、対応するにも頭が回らない。
「…………私さ、最近、何かおかしいの」ぽつりと呟く。
「おかしい?」リョウヘイは目を丸くする。
「リョウヘイが、試食をかっさらえてからレジに向かう、と言っていた気持ちが少しわかる気がするの。欲しいものを手に入れたいって感情だけじゃなくてさ、他の誰にも渡したくない、触れてほしくないって独占したい気持ちは汚いものなのかな?私、汚い人間なのかな……?」
リョウヘイは黙ったまま私を見ている。
「リョウヘイ。味見、してくれるんだよね……?」
私は、彼の顔を窺いながら尋ねた。
リョウヘイは数秒静止すると、私の隣に腰を下ろし、メガネを外して私の頭を引き寄せた。
じっくり味わうようにキスをされた後、リョウヘイの胸の中で頭を撫でられていた。鼓動の音が心地よく、私の頭を冷静にさせた。
「何か……慣れてるよね」私は呟く。
少し間があって、リョウヘイは「例えばだ」と切り出した。
「弾丸で釣りに行くことになったとする。今日は珍しくツいてて大物が釣れた。だが釣ったところで、捌き方を知らなければ食うことができねぇだろ。そのままかぶりつく訳にもいかねぇし、技術を習う間に腐っちまう。縄から逃げる魚もいる。中には、ふぐみてぇに毒のあるものは免許が必要なものもあんだ。つまり、技術は事前に身につけとくのが常識だ」
動じることなく言い切る。私は険しい顔になった。
「ちょっと、複雑なんだけど」
「でけぇ魚を逃がしたくせに、よく言うぜ」リョウヘイは呆れたように答える。
「つか、食事中は黙るのがマナーだ」
食事、と例えられて、顔面から火が出そうになる。
「リョウヘイの方が喋ってるよ」負けじと対抗する。
「じゃあ、黙らせてくれよ」
私はむっとした顔でリョウヘイを見る。彼も視線を逸らさない。
私は大きく息を吸い、意を決してリョウヘイの唇に自分の唇を押し当てた。
その瞬間、彼が私の頭を抱え込んで食いつく。
「んんっ…………」
リョウヘイの舌に私の舌を交え、必死に彼に応える。
柔らかい唇の感触、ちゅ、と音が鳴るたびに身体がむず痒くなる。香水とミントの香りが混ざり合い、脳がクラクラして理性が保てなくなる。
頭を撫でられるたびに気分が高揚し、激しく求め合うことで興奮して気づけば彼の背に腕を回していた。
リョウヘイは、そのまま私をベッドに押し倒す。私の上にリョウヘイがのしかかり、彼の体重を全身で感じた。
「ちょっ……リョウヘイ…………!」
リョウヘイのキスは唇から頬、おでこ、耳とずれる。
「あっ…………」
耳を舐められた瞬間、ゾクゾクとした快感が全身に駆け巡った。今まで感じた経験のない心地良い痺れが、爪先までビリビリと響く感覚だった。
私の声が聞こえたのか、リョウヘイは先ほどよりもわざと音を鳴らして、丁寧に耳を味わった。
「リョウヘ……んぁ…………」
「声は反則だろ」
「だっ……ンンッ」
再び口を塞がれて気を逸らされる。息を吐かせる暇すら与えてくれない。
頭を撫でていた手が背中に周り、身体がびくっと反り返る。私の肌とは違う、固くて厚い手の摩擦で身体が熱を帯びた。
だが、そこでリョウヘイは我に返ったようにがばっと身体を起こす。私は呆然とした顔で彼を見る。
リョウヘイは、大きく息を吸うと、まっすぐ私を見た。
「おまえは多分、理解してないだろうから、今から何をするか言っちまうと、オレはおまえを食う。言葉通り、おまえを全身くまなく、骨の髄まで食うつもりだ。そして、手をつけ始めると多分、歯止めが効かねぇ。だから、嫌なら今、ハッキリ嫌だと言ってくれ」
リョウヘイは、力強い目ではっきりと言った。その顔には恥じらいはなく、冷静に状況を見据えている。私は赤面したまま目を白黒させた。
「リョウヘイ。ごはんできたよ」
その時、一階からリョウヘイ母の突き抜ける声が届く。リョウヘイは、声につられるようにドアに向かった。
「今、食べるなら準備しておくけど、どうする?」
「…………どうする?」
リョウヘイは私に振り返り、低い声で尋ねた。
私は俯いて思案する。
「………………リョウヘイがいいです」
ぼんやりした頭では理性が保てておらず、意味のわからない言葉を口走っていた。
リョウヘイは数秒黙ると「わりぃ、後で食うわ」と叫んだ。
「じゃあ行ってくるわね~」と声が届くと、リョウヘイはドアを閉じ、部屋の電気を消した。