第三章『藍の河原と星図鑑』④




ベッド脇には普段リョウヘイがつけているアクセサリー類が置かれ、床には私の衣服が散乱している。
薄暗い部屋の中、お互いを呼ぶ声と熱い吐息で溢れた。

「……ユイ…………」

リョウヘイは、私の名前を呼びながら、首筋を唇でなぞって身体を弄った。甘い吐息と艶やかな水音が鳴るたびに、恥ずかしさで体温が上昇する。

「んんっ…………リョウヘイ…………」

リョウヘイの名前を呼ぶたびに、頭が彼でいっぱいになる。
背中に手を回すと、私とは硬さの違う大きくて筋肉質な身体に、男の人だと実感して、さらに胸が熱くなる。

「好きだ……ユイ…………ユイ………………」

リョウヘイが、私の肌を丁寧に堪能しながら何度も呟く。

もっと触れてほしい、もっと名前を呼んでほしい。
胸が苦しくて、熱くて、愛しくて。

気づけば、リョウヘイのことしか考えられなくなっていた。

「私も………………リョウヘイが好き…………」

そう呟いた瞬間、リョウヘイは我に返ったように私を見る。

「ユイ、おまえ…………え?」

リョウヘイが少し驚いた表情になり、手を私の頬に当てた。

「何で……泣いてんだよ……」

私の目からは、ボロボロと涙が溢れていた。
リョウヘイの手が、私の目から溢れる涙を拭う。

「ダメ……好きになったら……幸せになったらダメなの…………」

「ユイ……?」

「恋愛ゲームをクリアすると、記憶が消えてしまう……。今、幸せな気分も、好きという感情も全部忘れてしまう……。幸せになったらなった分……辛くなってしまうから…………」

ボロボロと涙が溢れてくる。
私が条件を破らなければ、リョウヘイの想いに気づいてない。だからクリア後には、記憶が消えてしまうのは確実だ。
今のこの幸せな時間も感情も、全て忘れてしまうんだ。

リョウヘイは私の言葉を聞くと、深い溜息を吐いて身体を起こした。

「なるほどな……。『恋愛ゲーム』の何が『罰ゲーム』だと思ってたんだが、そういう意味なんかよ」

リョウヘイは、乱れたTシャツを伸ばしてベッドサイドに座る。私もふとんで胸を隠しながら身体を起こした。
リョウヘイは前方を見たまま、視線を鋭くする。

「忘れさせてたまっかよ……。やっと、ここまできたのによ」

「リョウヘイ……」

「何が何でもゲームを止める。ただな」

リョウヘイは、私に向き直って頬にキスをすると、いつになく優しい目で私を見る。

「オレは、ゲームが始まる前から、おまえのことが好きだったんだ。例え記憶が消えちまったところで、オレの気持ちが消える訳じゃねぇ。だからまた、何度だって気づかせてやるよ」

力強くてまっすぐな言葉に、私は再び目から涙が溢れた。

「ありがとう……リョウヘイ……」

力なく呟くと、リョウヘイは優しく笑って私の頭を撫でた。

「じゃ、まずはゲームについてだな。おまえの知ってること、全部話してくれ」

リョウヘイは切り替えるように言うと、床に落ちた私のTシャツを拾って私に差し出した。
私は差し出された服を呆然と見つめる。

「何だよ、その顔」リョウヘイは顔をしかめる。

「いや…………」

物足りないと感じた。でも「続きは?」なんて言える訳がない。

リョウヘイは私の顔をじっと見ると、口を曲げて前方に向き直る。

「言ったろ。オレはメインディッシュは最後に食べるタイプなんだ。今はまだ、つまみ食いしただけだ」

いつものように見透かされる。ただ、今は思考が思考なだけに、恥ずかしさで顔が真っ赤になる。

そんな私の顔を見たリョウヘイは、私の首筋に唇を当てると、力強く吸った。チリッとした感覚が襲う。

「何……してるの…………?」

「他のやつに釣られても困るんで」

リョウヘイは満足気に呟くと、身体を離した。

 

部屋のテレビで、リョウヘイ母から頂いた体育祭の映像を流した。

「この人、リョウヘイは見たことある?」
私は画面に映るジョウジマくんを指差す。

「記憶にねぇな」
リョウヘイは顎に手を当てて、ジョウジマくんをまじまじと見る。

「やっぱり……。リョウヘイも記憶が消えてるんだね。そうだよね、プレイヤーではないもんね」

リョウヘイはゲーム参加者ではあるがプレイヤーではない。記憶が消えて当然だ。

「この人、ジョウジマって言うんだけど、彼もプレイヤーだったの」

「包帯で隠してんのか。単純だが、合理的ではあるか」

「ジョウジマくんは、クリアラインが【二ヶ月で二十人】だった。いちいち感情を抱いていたら、時間的にもクリアできない。だからこそ、この『恋愛ゲーム』はゲームを進行する中で得た感情や経験を奪うことが目的だと、早期に気づいたんだと思う。ジョウジマくんは『恋愛ゲーム』を攻略する為に、名前も容姿も性格も学校も変えていたの」

そこまで話すと、私はスマホで「白金 玲央」を検索して、リョウヘイに向けた。

「全然ちげぇな……」リョウヘイは目を丸くする。

「うん。ジョウジマくんは、感情を抑えて思い出を作らないようにゲームに挑んだ。だけど、最後の最後である人に好意を抱いてしまったの」
画面のモモヤマさんに視線を向けながら話す。

「恐らくクリア次第、記憶が消されてしまう。ジョウジマくんは、それを懸念して、制限時間ギリギリまで粘っていた」

子どもが現れた後、ジョウジマくんのスマホに『残り60分』とスマホに表示された為、厳密にはクリア後一時間の猶予があるとわかる。
しかし、その前にジョウジマくんがスマホを確認して「一時間後にはこの場にいない」と発言していた為、制限時間自体があと一時間だったことになる。
彼は本当に、ギリギリまで粘っていたんだ。

「クリア時間=記憶が残る時間。つまり、制限時間=指輪を調べられる時間っていうわけか」リョウヘイは思考を柔軟に働かせる。

「私のクリアライン的にも、今はゲームじゃなくて、指輪について調べようと思ってる。姉は現時点では全く聞く耳を持ってくれない。だから、何故姉が私に指輪を渡したのかを調べて突きつければ、少しは話をしてくれるかもしれないから」

私は、はっきりと意志を伝えた。
だが、そこでリョウヘイは、怪訝な顔で私を見る。

「何……その顔…………」

「つまり、二人はクリアしたってことか」

「あっ」私は口を押さえる。

「こいつとジョウジマだな」

リョウヘイは、画面に映るハヤミくんを目で指して言う。あっさり見抜かれて逆に驚愕した。

「何で、わかるの……」

「そりゃ、オープンキャンパスん時、あんな態度見せられたら嫌でもわかるわな。あとプレイヤー同士だとわかったら、カウント稼ぐもんだろ」

リョウヘイは諦めたように言う。
私は顔を落とす。本当に彼は鋭い。

「ごめんなさい……。でも、お互いさまってことで」

「何がお互いさまだ」リョウヘイは眉間にシワを寄せる。

「リョウヘイだって、勉強したんでしょ?」

私はムッとした顔を向ける。リョウヘイは顔を僅かに強張らせて視線を逸らした。
リョウヘイは嘘は吐かない。自分の都合の悪い時は、適当に紛らわす性格だと、私は知ってる。

「…………リョウヘイは誰と?」

「おまえには関係ねぇだろ」

「そんなのずるい」

「話す義務はない」

私は口を曲げて視線を落とす。

「……ずっと前からわたしのことが好きって言ったくせに、リョウヘイって結構軽いんだね……」

「今まで恋人作らないって言ってたくせに、よく言うぜ」

お互い険しい顔でにらめっこをするが、リョウヘイが唐突に、唇が触れるだけのキスをした。
彼は特に動じてる様子はなく、私も表情を崩さないように努めるものの赤面してしまい、根負けした。

リョウヘイは、勝ち誇ったような笑みを浮かべると、私の頭を自分の胸に引き寄せた。

「………………ずるい」

「言っとくけど、全部、おまえのせいだかんな」

それは否定できない。

「ごめんなさい……」

観念して謝ると、「それでいい」とリョウヘイは私の頭を撫でた。

 

***

 

制服の移行期間が始まり、久しぶりにブレザーを着用した。今までは白シャツというラフな格好だったが、やはり正装は気が引き締まる。
外見で簡単に印象操作ができるという話は以前聞いたが、着用する側も心持が変わるので、改めて外見の重要さを実感した。
外に出ると、風が本格的に秋の訪れを知らせた。心地よい冷気を肌で感じながら学校まで向かう。

昨日、リョウヘイに言われて気づかされた、ゲーム中断の為に私が一番努めなければならないこと。
すなわち、唇を守ることだ。

ジョウジマくんの件から、相手に好意を抱いていなくても、唇にキスすればカウントされると身をもって知った。だから気を抜いて、漫画のように唇が触れるなんてあってはならない。
もちろん、マスクも着用した。

小物ひとつでも印象操作が可能だ。
その為、学校では心配の声をかけられることになった。

「風嶺、風邪?」

ハヤミくんが不安気に尋ねる。衣替えで久しぶりの彼のブレザー姿が新鮮に映る。

「うん、少し、喉を傷めて……」
私はわざとらしく声を潜めて、喉が痛いふりをする。

「一気に寒くなったもんなー。秋はどこ行ったんだ」

気の抜ける声が聞こえて振り返ると、アカイくんだった。彼もブレザーを着用し、相変わらず首にはヘッドフォンを、ポケットには音楽プレーヤーが装備されている。
しかし、思ったよりも距離が近くて、私は無意識に身体を逸らした。

「風嶺?」ハヤミくんは首を傾げる。

「いや、びっくりして……」私は弁解する。

衝突して、不意打ちでキスをしてしまってはだめだ。例えマスクをしているとはいえ、万が一カウントされたら終わりなんだ。
当のアカイくんは気にもせず、「あ、そういや今日、舞台演習だな~」と間延びした声で言う。

「あれ?そういやモモヤマさんは……」
斜め前の席を見ながら尋ねる。

「あぁ、今、学園祭の衣装のことで職員室に行ってるんだ。アスカやる気みたいで、最近いつもより早くに家出てるみたいなんだ」ハヤミくんは笑顔で言う。

「モモヤマさん、手器用だもんね。どんな衣装になるのか楽しみだな」
私は、机に置いたカバンにつけているミサンガを弄る。

「え?」

突如、ハヤミくんが声を上げた。
振り向くと、私の首筋に目を向けている。

「な、何かついてる?」私は慌てて首を掻いた。

「い、いや、何でもないよ……」

ハヤミくんは力なく笑った。しかし、その顔には少し動揺が滲んでいたので、私は困惑した。軽く首を払うものの何もついていない。

そのタイミングで授業を知らせるベルが鳴り、私たちは着席した。

教室を掃除中には暴れている人に身構え、階段を上るたびに人と接触しないか怯えた。
記憶がかかってるんだ。一切、気が抜けない。

とはいえ、はたから見たら、怪しいことこの上ない素振りだ。

「今日の風嶺さん、何かおかしい」

舞台演習の為に体育館へ向かう途中、モモヤマさんに直球で指摘される。

「生きるのって、結構大変だね……」私は苦笑しながら頭を掻いた。

「ラストで流れる曲、良いね」

舞台演習が終了した後、アカイくんに話しかける。
今回はタイミングの確認と雰囲気掴み程度のものだったが、初めての舞台演習なだけに、各班の進捗も初めて目にしたのだった。

「だよな。これ、モモヤマが提案してくれたものなんだ」アカイくんは嬉々として言う。

「モモヤマさんが?」私は隣のモモヤマさんを見る。

ラストに流れたものは、静かな夜を彷彿とさせる、きれいなヴァイオリンのソロ曲だった。
私は、はたと思う。

「も、もしかして……」

「そう。あのCDの人の」モモヤマさんは淡々と告げる。

「名前聞いたら、オレも知ってる奴でよ。偶然、近くで演奏会やるって情報入ったから、昨日モモヤマと行って、直接許可をもらってきたんだ」

「ジョウジマくんと話したの?」驚いて目を見開く。

「ジョウジマ?」

二人はポカンとした表情を浮かべる。私は慌てて手を振った。

「あ、違う……えっと、白金くん……。許可もらえたんだね」

モモヤマさんの行動力は、今に始まったことではないが、まさか二人が彼の演奏会に行っていたとは思わずに、正直驚愕した。

「何故かわからないけど」モモヤマさんは思案する顔つきになる。「私の名前を聞いたら、あっさりと許可してくれて」

私は動揺する。
ジョウジマくんの中に、モモヤマさんの記憶が残っているはずがない。
でも彼のことだから、モモヤマさんを忘れない為に、何らかの方法を取っていた可能性はある。

「合同の演奏会だったけどよ、やっぱ白金が一番よかったよな。あれで同い年っていうんだから、嫉妬しちまうぜ」アカイくんは嘆く。

楽しそうに演奏会を振り返る二人を前に、私は何を口にするか、必死に頭を回転させた。

聞きたい内容は山ほどある。ただ、彼らの中に、どこまで記憶が残っているかが把握できないだけに言葉に悩んだ。

「照明担当の人!タイミングの確認したいから、少しだけ集まってもらえるかな」

「あぁぁ……はい!」

思い悩んだ結果、惜しくもその場を離れ、またの機会となる。

でもひとつわかったのは、モモヤマさんとジョウジマくんそれぞれの中に、お互いの存在が今も残り続けている事実だった。

 

***