「これでいい?」
その声で彼の方を見る。暁はじっと私のことを見ていた。
そんな彼に、今つけられたヘアピンを見せるようにする。
「に、似合うかな……?」
そう問うと、暁の表情が歪んだ。
「…………もしかしなくても、俺のマネ?」
「そうかも」素直に答えた。
「似合ってます」
暁は、畏まった様子で言うと、暑そうに服をはためかせる。
「これ……、結構、恥ずかしいね」
「恥ずかしいことを、私にやらせたんだよ」
「すみません……」暁はしおらしく言った。
私はスマホの画面で確認する。自分でもつけたことのないほどの華やかで目立つもので、歯痒い思いになった。校則があるので学校にはつけていけないが、休日はたくさんつけよう。そんな未来を妄想して口角が上がる。
視線に我に返る。隣の暁は、子どもをみるような目で私を見ていたので、慌ててスマホをしまった。
沈黙が流れる。恥ずかしくて会話を探していると、暁が「あのさ」と切り出した。私は彼に振り向く。
「消灯過ぎてるぞ。部屋に戻れ」
同時に、見回りの生活指導の先生が声をかけた。ここにきて規則というものが面倒になるとは思わなかった。
暁は、一拍置いて「もどろっか」と普段の笑顔になると、腰をあげた。私も頷いて同じく腰を上げる。
先ほど何を言おうとしたのか少し気にはなったが、彼自身が切り上げたので触れない方がいいだろう。私たちは、廊下を歩いた。
廊下を歩く。声は聞こえず、皆就寝しているのかもしれないな、とふと思う。明日も日中行動するので体力の回復は必要だ。
と、ぼんやり考えていると、女子部屋と男子部屋の分かれ道まで来ていた。
「部屋、そっちだよね」
暁はこちらを向くと、女子部屋側を指差す。
「う、うん……」
私は、曖昧に応える。まだ一緒にいたいと名残惜しい気持ちがあったのか、足が動かなくなった。
いつの間に、こんなにも貪欲になってしまっただろうか。
頭に重みを感じた。顔を上げると、暁が私の頭に手を置きながら目を細めていた。
「暁くん……?」
そう問うも、暁は黙ったまま私を見つめる。その視線が歯がゆくなった。
数秒後、頭から手を離した。
「おやすみ。また明日」
そう言うと、暁はひらひらと手を振って男子部屋へ歩いていった。
私はその場で、茫然と立ち尽くしていた。
***
今日は清水寺周囲で長めの自由行動が設けられていた。ホームルームで予定を立てた通りに着物レンタルをした。暁が予約をしてくれていたことで、スムーズに着替えが済んだ。
「やっば、テンションあがる」
真宵が上機嫌で服を見せる。伏見で購入した狐のお面をつけていた。
私も内心舞い上がっていた。暁からもらったヘアピンも勿論つけていた。暑さを考えてマスクは外すことにした。
「入相さんに見せる」と写真を撮ろうとするが、「アイツキレるな、さっさと出るか」と私たちは外に出た。
着替えが済み、店を出ると、浴衣姿の暁たちが外に出ていた。暁も真宵と同じく狐面をつけ、日中は、陽が鬱陶しそうに額に手を当てている。なんだかんだ彼も着替えたようだ。二人ともスタイルが良いので様になっていた。
今日は珍しく快晴の六月下旬。自分から言い出したことではあるが、少し暑いい。だが普段見られない姿が見られたことで、勇気を出して言ってよかったと感じた。
「璃空、いいなそれ!」
暁は、友人たちに声をかけられていた。暁は「いいだろ」と自慢げに着物を見せる。
「一緒に写真撮っていい?」
女子に話しかけられていた。暁は軽いノリで写真に写った。その様子を横目で見る。
「ほらな、あーいうとこだよ」
真宵は言う。私は同感した。
「あの、夕雨さん」
突如、声をかけられて振り向くと、他クラスの男子がいた。一年のときに同じクラスだったが、話したことはない人だった。
「一緒に写真、撮ってもいいですか?」
「え、私?」
素っ頓狂な声が出た。男子は頷く。
予想外すぎる出来事に、面食らっていた。
私は頭が回らないまま、写真を撮った。男子はお辞儀をすると、そそくさとグループに戻った。
「そりゃ、こんな美人を見たら、一緒に写真撮りたくもなるわな」
ウンウンと頷く。正直、写真を撮ってもらえるほどの存在となるには、おこがましすぎる。暁たちと合流すると、散策を始めた。
その後は、周囲を散策した。慣れない下駄での移動だったが、それすらも楽しいと思えるほどだ。先生たちがカメラを所持している先生を見つけるたびに、暁や真宵たちが声をかけて写真を撮ってもらった。そのおかげで着物姿の思い出がたくさん残すことができた。
知人へのお土産は昨日購入したので、食べ歩きをしたり、お土産店をふらふらと散策していた。
自由行動も終盤となり、着物レンタルの時間もあり、早めに店へと戻った。
視線を感じて顔を向けると、同じクラスの別グループの人たちがこちらを見ていた。
目が合ったことから「夕雨さん」と声をかけられる。
「写真、撮らない?」
「わ、私でよければ……」
初めてのことばかりで頭が回らない。いまはマスクもつけてないので、うまく会話もできないが、写真を撮るだけなら私でも対応できた。
「ご、ごめんね」
「夕雨さん、モテるね」
日中は言った。そんなことないと手を振る。普段着ない服にマスクを外しているから珍しいだけだ。
「そう……」
暁はどこか上の空だった。その反応に首を傾げた。
***
自由行動も終了し、残すはバスで地元へ戻るだけだった。
朝と違い、バス内は静かだ。疲労がたまっているのか、皆寝ているのだろう。隣の真宵も、爆睡していた。
「こんなに幸せで、いいのかな……」
気づけば呟いていた。その声が聞こえていたのか「こんなウメェもん食ったら幸せだよなぁ」と真宵は、寝言かわからない言葉で反応した。
自由行動で撮った写真を見返す。この数日は、思い描いていた以上に眩しい思い出となった。
暁の着物写真に指が止まる。写真に撮られ慣れているのか自然な表情だ。
本音を言えば、二人で写真を撮りたかった。暁と二人で撮っていた女子が羨ましかった。でも、皆の前では恥ずかしくて言えなかった。マスクをつけていたら言えたのだろうか。
だが、それでも満たされていた。十分すぎたんだ。これ以上幸せを望んだら、きっとバチがあたる。
***
修学旅行から帰宅した七月初旬、水曜日放課後。
私は、川へ向かっていた。
修学旅行ではたくさんのことが起こった。今回は話題が豊作だ。
惟月へのお土産も忘れていない。受け取ってくれるだろうか。
小走りで川へ辿り着くと、いつものように惟月はベンチに座って空を見上げていた。
「惟月くん」
私は名前を呼びながら、小走りで駆け寄る。
「小夜」
惟月はこちらに振り返る。
「修学旅行はどうだった?」
「すごく、すごく楽しかったの……」
私は興奮気味に言う。
「君の顔を見たら、すぐに伝わったよ」
惟月はクスクス笑う。
「全部、惟月くんのおかげだよ……」
「僕?」
「惟月くんが、私に勇気をくれたから……皆を一緒の班に誘うことができた。もしもあの時言えてなかったら私、きっと妄想のままで終わってた」
「だから惟月くん……」
そう言って私は、お土産の袋を手渡す。
「これ、受け取ってくれないかな……?」
私は、震える手で差し出した。トンボ玉のキーホルダーだ。
惟月は、僅かに表情を強張らせた。
「惟月くん……?」
「ごめん」
惟月は、下を見ながら呟く。私の顔は硬直する。
「ごめん。受け取れない……」
惟月は改めて言った。頬が震えた。
「ど、どうして……?」
震える声で問う。だが惟月は「受け取れないんだ」としか言わない。
「でも私は、御礼がしたくて……」
「お礼なんて、いらなんだよ」
その言葉を聞いた瞬間、私は川へ投げ捨てていた。
惟月の表情が一変するが、振り返らずにその場を去った。
うぬぼれなけりゃよかった。
涙がボロボロ溢れた。マスクで目一杯隠すが、ずぶ濡れになるほどに溢れていた。受け取ってもらないことが、こんなにも傷つくことだとは知らなかった。
私は真宵みたいに強くない。勇気を出して行動したことを否定されることが、こんなにも辛いものだとは思わなかった。
そんなことなら、こんな気持ちなんて知りたくなかった。
なんでこんなにショックを受けるんだ。ちゃんと説明してほしい。気持ち悪いなら、そう言ってほしい。
惟月が何を考えているのか、私にはわからないよ。
3頁目『憧憬から愛慕』 完