3頁目「憧憬から愛慕」⑪



「これでいい?」

 その声で彼の方を見る。暁はじっと私のことを見ていた。
 そんな彼に、今つけられたヘアピンを見せるようにする。

「に、似合うかな……?」

 そう問うと、暁の表情が歪んだ。

「…………もしかしなくても、俺のマネ?」

「そうかも」素直に答えた。

「似合ってます」
 暁は、畏まった様子で言うと、暑そうに服をはためかせる。

「これ……、結構、恥ずかしいね」

「恥ずかしいことを、私にやらせたんだよ」

「すみません……」暁はしおらしく言った。
 
 私はスマホの画面で確認する。自分でもつけたことのないほどの華やかで目立つもので、歯痒い思いになった。校則があるので学校にはつけていけないが、休日はたくさんつけよう。そんな未来を妄想して口角が上がる。

 視線に我に返る。隣の暁は、子どもをみるような目で私を見ていたので、慌ててスマホをしまった。

 沈黙が流れる。恥ずかしくて会話を探していると、暁が「あのさ」と切り出した。私は彼に振り向く。

「消灯過ぎてるぞ。部屋に戻れ」

 同時に、見回りの生活指導の先生が声をかけた。ここにきて規則というものが面倒になるとは思わなかった。

 暁は、一拍置いて「もどろっか」と普段の笑顔になると、腰をあげた。私も頷いて同じく腰を上げる。

 先ほど何を言おうとしたのか少し気にはなったが、彼自身が切り上げたので触れない方がいいだろう。私たちは、廊下を歩いた。

 廊下を歩く。声は聞こえず、皆就寝しているのかもしれないな、とふと思う。明日も日中行動するので体力の回復は必要だ。

 と、ぼんやり考えていると、女子部屋と男子部屋の分かれ道まで来ていた。

「部屋、そっちだよね」
 暁はこちらを向くと、女子部屋側を指差す。

「う、うん……」
 
 私は、曖昧に応える。まだ一緒にいたいと名残惜しい気持ちがあったのか、足が動かなくなった。
 いつの間に、こんなにも貪欲になってしまっただろうか。

 頭に重みを感じた。顔を上げると、暁が私の頭に手を置きながら目を細めていた。

「暁くん……?」
 
 そう問うも、暁は黙ったまま私を見つめる。その視線が歯がゆくなった。 
 数秒後、頭から手を離した。

「おやすみ。また明日」

 そう言うと、暁はひらひらと手を振って男子部屋へ歩いていった。
 私はその場で、茫然と立ち尽くしていた。

***



 今日は清水寺周囲で長めの自由行動が設けられていた。ホームルームで予定を立てた通りに着物レンタルをした。暁が予約をしてくれていたことで、スムーズに着替えが済んだ。

「やっば、テンションあがる」

 真宵が上機嫌で服を見せる。伏見で購入した狐のお面をつけていた。
 私も内心舞い上がっていた。暁からもらったヘアピンも勿論つけていた。暑さを考えてマスクは外すことにした。

「入相さんに見せる」と写真を撮ろうとするが、「アイツキレるな、さっさと出るか」と私たちは外に出た。
 
 着替えが済み、店を出ると、浴衣姿の暁たちが外に出ていた。暁も真宵と同じく狐面をつけ、日中は、陽が鬱陶しそうに額に手を当てている。なんだかんだ彼も着替えたようだ。二人ともスタイルが良いので様になっていた。

 今日は珍しく快晴の六月下旬。自分から言い出したことではあるが、少し暑いい。だが普段見られない姿が見られたことで、勇気を出して言ってよかったと感じた。

「璃空、いいなそれ!」
 暁は、友人たちに声をかけられていた。暁は「いいだろ」と自慢げに着物を見せる。

「一緒に写真撮っていい?」
 女子に話しかけられていた。暁は軽いノリで写真に写った。その様子を横目で見る。

「ほらな、あーいうとこだよ」
 真宵は言う。私は同感した。

「あの、夕雨さん」

 突如、声をかけられて振り向くと、他クラスの男子がいた。一年のときに同じクラスだったが、話したことはない人だった。

「一緒に写真、撮ってもいいですか?」

「え、私?」
 素っ頓狂な声が出た。男子は頷く。

 予想外すぎる出来事に、面食らっていた。
 私は頭が回らないまま、写真を撮った。男子はお辞儀をすると、そそくさとグループに戻った。

「そりゃ、こんな美人を見たら、一緒に写真撮りたくもなるわな」

 ウンウンと頷く。正直、写真を撮ってもらえるほどの存在となるには、おこがましすぎる。暁たちと合流すると、散策を始めた。
 
 その後は、周囲を散策した。慣れない下駄での移動だったが、それすらも楽しいと思えるほどだ。先生たちがカメラを所持している先生を見つけるたびに、暁や真宵たちが声をかけて写真を撮ってもらった。そのおかげで着物姿の思い出がたくさん残すことができた。

 知人へのお土産は昨日購入したので、食べ歩きをしたり、お土産店をふらふらと散策していた。

 自由行動も終盤となり、着物レンタルの時間もあり、早めに店へと戻った。

 視線を感じて顔を向けると、同じクラスの別グループの人たちがこちらを見ていた。

 目が合ったことから「夕雨さん」と声をかけられる。

「写真、撮らない?」
 
「わ、私でよければ……」

 初めてのことばかりで頭が回らない。いまはマスクもつけてないので、うまく会話もできないが、写真を撮るだけなら私でも対応できた。

「ご、ごめんね」

「夕雨さん、モテるね」
 日中は言った。そんなことないと手を振る。普段着ない服にマスクを外しているから珍しいだけだ。

「そう……」
 暁はどこか上の空だった。その反応に首を傾げた。

***

 自由行動も終了し、残すはバスで地元へ戻るだけだった。
 朝と違い、バス内は静かだ。疲労がたまっているのか、皆寝ているのだろう。隣の真宵も、爆睡していた。

「こんなに幸せで、いいのかな……」

 気づけば呟いていた。その声が聞こえていたのか「こんなウメェもん食ったら幸せだよなぁ」と真宵は、寝言かわからない言葉で反応した。

 自由行動で撮った写真を見返す。この数日は、思い描いていた以上に眩しい思い出となった。

 暁の着物写真に指が止まる。写真に撮られ慣れているのか自然な表情だ。
 本音を言えば、二人で写真を撮りたかった。暁と二人で撮っていた女子が羨ましかった。でも、皆の前では恥ずかしくて言えなかった。マスクをつけていたら言えたのだろうか。
 だが、それでも満たされていた。十分すぎたんだ。これ以上幸せを望んだら、きっとバチがあたる。

***



 修学旅行から帰宅した七月初旬、水曜日放課後。

 私は、川へ向かっていた。
 修学旅行ではたくさんのことが起こった。今回は話題が豊作だ。
 惟月へのお土産も忘れていない。受け取ってくれるだろうか。
 
 小走りで川へ辿り着くと、いつものように惟月はベンチに座って空を見上げていた。

「惟月くん」
 私は名前を呼びながら、小走りで駆け寄る。

「小夜」
 惟月はこちらに振り返る。

「修学旅行はどうだった?」

「すごく、すごく楽しかったの……」
 私は興奮気味に言う。

「君の顔を見たら、すぐに伝わったよ」

 惟月はクスクス笑う。

「全部、惟月くんのおかげだよ……」

「僕?」

「惟月くんが、私に勇気をくれたから……皆を一緒の班に誘うことができた。もしもあの時言えてなかったら私、きっと妄想のままで終わってた」

「だから惟月くん……」

 そう言って私は、お土産の袋を手渡す。

「これ、受け取ってくれないかな……?」
 私は、震える手で差し出した。トンボ玉のキーホルダーだ。

 惟月は、僅かに表情を強張らせた。

「惟月くん……?」

「ごめん」

 惟月は、下を見ながら呟く。私の顔は硬直する。

「ごめん。受け取れない……」

 惟月は改めて言った。頬が震えた。

「ど、どうして……?」

 震える声で問う。だが惟月は「受け取れないんだ」としか言わない。

「でも私は、御礼がしたくて……」

「お礼なんて、いらなんだよ」

 その言葉を聞いた瞬間、私は川へ投げ捨てていた。
 惟月の表情が一変するが、振り返らずにその場を去った。

 うぬぼれなけりゃよかった。
 涙がボロボロ溢れた。マスクで目一杯隠すが、ずぶ濡れになるほどに溢れていた。受け取ってもらないことが、こんなにも傷つくことだとは知らなかった。

 私は真宵みたいに強くない。勇気を出して行動したことを否定されることが、こんなにも辛いものだとは思わなかった。

 そんなことなら、こんな気持ちなんて知りたくなかった。
 なんでこんなにショックを受けるんだ。ちゃんと説明してほしい。気持ち悪いなら、そう言ってほしい。

 惟月が何を考えているのか、私にはわからないよ。

3頁目『憧憬から愛慕』 完