「何もやる気が起きないなぁ…」
着用しているスーツが汚れることをも躊躇わず、地べたに座り込み、空を覆う木々の葉を見ながら僕は思う。
腕時計の時刻は、もうすぐ午後1時を示そうとしている。会社の昼休みが終了する時間だ。
だがどうしてか、腰は地面に磁石のようにくっついたまま、離れる気配も無い。
何なら離そうという労力すら沸かなかった。
会社に戻れば、仕事のできる同僚に口うるさい上司、気をつかう環境ばかりで胃を痛めるだけだ。
ゴールデンウィークに、大学の友人とバーベキューをしたりと楽しい時間を過ごしただけ、その落差に現実逃避したくなっていた。
「どうせ今から戻っても、間に合わないし……」
昼休みに入って会社を抜け出してきたのも、気分転換のためと言っていた。
このまま体調が悪くなったと言って休んでしまおう、なんて嘘すら思い浮かんできた。
仕事のために身体は働こうとしないのに、逃避するための言い訳のためなら頭は働くものなんだなぁ、と苦笑する。自分が情けない。
「こんなところにいたのか、沙月」
突如、背後から声が届く。一人の空間だと気を抜いていただけ肩を震わす。
振り返ると、そこには同じくスーツを着用した同僚の拓哉が立っていた。
「もう仕事始まんぞ。何やってんだ」
拓哉は苦笑しながら僕に問う。
サボっていることがばれたことに身構えるも、はてと思い、首をかしげる。
「それは、こっちのセリフでもあるんだけど」
近くの高校から、午後一時を示すベルが響く。昼休み終了の合図だ。
二人して無意識にベルが鳴り止むのを待機する。
「昼休み、終わったぞ〜」
ベルが鳴り終わったと同時に、拓哉は、他人事のように間延びした声で言う。
「仕事、いいのかよ」
僕は、他人事ように問いかける。
「それはこっちの台詞でもあるんだけど」
拓哉は肩をすくめながら返答する。
昔からそうだ。お互い腹の中を明かすことはない。
堂々巡りだと気づいたことで、僕は観念して息を吐く。
拓哉も諦めたように軽く笑いながら、僕の隣におもむろに腰を下ろす。
「お前は昔から、こういった森が好きだったよな。本当に変わってないなぁ」
拓哉は地面に手を吐くと、広い空を見上げる。
成長していないと指摘されたように感じられ、少しむっとして対抗するように言葉を無視する。
拓哉に反抗して、僕は地面をはう森特有の大きな蟻の行方を観察していた。
拓哉とは幼なじみだ。
僕が転校したことで、一緒の学校に通っていたのは小学校だけだが、今年の春、偶然同期として同じ会社に入社したのだった。別部署であるだけ、会社内で関わる機会はあまりないのだが。
「でもこんなに近くに森があったんだな」
「僕の秘蔵の場所だったんだけどなぁ」
「減るもんじゃねぇし別にいいじゃねぇか」
拓哉は肩をすくめながら言う。
「それに森林療法ってあるだろう。自然が病気を治すっつーやつ」
「お前何かの病気なのか」
僕は適当に相槌を打つ。
「お前だって病気じゃねーか」
拓哉はあっけらかんと言う。「五月病ってやつだ」
「新しい環境であることと、ゴールデンウィークで楽しいことをやっちまったせいで、仕事が手につかなくなるっつー症状が出るらしい」
「まさにそれだわ」
先ほどからモヤモヤしていた感情が、一気に明確化されたようだ。
強い風が木々の葉を揺らす。ざぁっと心地よい葉のこすれる音が鳴り、僕と拓哉は無意識に耳を済ませた。
「でも緑ってのはメンタルにもいいらしいな」
「お前、だってメンタルがやられてたりするもんなのか」
僕は少し驚いた声で問う。
「知ってるか?俺だって、お前と同じ人間なんだぜ」
「それは知らなかったなぁ」
拓哉は昔から人と関わることが好きで、周囲にもすぐに馴染める対人スキルを持っているだけに、正直驚いてはいた。
「でもまぁ、いきなり新入社員二人が逃げたんだからさすがに会社も困っているよな」
「佐藤さんは、口うるさいからなあ」
僕らはどこが他人事のように言い合う。
「じゃ、そろそろ怒られに帰りますか」
拓哉がそう切り出した瞬間、腰がふっと軽くなる。
あれだけ離れることがないと思っていただけに、不思議に感じる。
少し先を歩く拓哉の背中をぼう然と見つめる。
昔から腹の内を明かす事はないものの、彼が関わると気が楽になるから不思議なものだ。