6月*六車 純


雨は嫌いだ。
登校中に靴下がずくずくになるし、雨粒で蒸らされた土臭い匂いや湿気が身体にまとわりつく。
教科書やノートもしっとりとし、授業もやる気がなくなる。まぁ普段からやる気は無いのだけれど。
何よりせっかく先週プール開きだったのに、中止の代わりに体育館で球技をする羽目になる。万が一雨が止んだ時の為に、水着と体操着の両方を持参しなければいけないのもまた面倒だ。

「純!そろそろ時間よ」お母さんの叫ぶ声が聞こえる。

「わかってるよ!もう行くから」僕はぶっきらぼうに答える。

もう一度窓の外を見る。雨は全く止む気配を見せない。思わず溜息が出た。
僕はランドセルを背負うと、足早に玄関へと向かう。

「雨だから気をつけてね」
お母さんは僕の服の襟を整えながら言う。

「これぐらい平気だよ。もう五年生なんだから」

僕はムッとなる。いつまでも子ども扱いしてもらっては困る。
お母さんはふふっと声を漏らして笑う。その顔がまさに子ども扱いしていると感じられた。

僕は無言で玄関の扉を開いた。

「純くん。おはよう」

玄関前には、同級生の卓也が立っていた。彼は家の近所に住み、小学校も同じだった。偶然方角が一緒だから、毎朝登校してるのだ。
この鬱陶しい雨の中であるにも関わらず、彼は能天気に笑っている。

僕は彼の元まで向かうと、颯爽と学校へと歩き始める。

「今日は雨だね~」

卓也は能天気に呟く。「せっかく先週プールが始まったばかりなのに」

「そうだよ。夏休み入ったらもうなくなるし、雨はほんと最悪だ」
僕は無愛想に反応する。想像以上に雨粒が大きくて苛立っていたのもある。

歩くたびにアスファルトの窪みに溜まった雨水が跳ね返る。ぱちぱちと足を濡らし、靴下が肌に貼りつく。
校則のせいで靴に指定があることから長靴が履けないのだ。何もかも鬱陶しいな。

「でもね。雨にしかできないことだってあるでしょ」
卓也の能天気な声が届いて顔を上げる。

「雨の中でしかできないこと?」

「例えばこれ」

そう言って卓也は、ブロック塀にへばりついているカタツムリを指差す。

「晴れてると身体が干からびちゃうからさ、雨の日にしか出てこないじゃん。だから、雨の日限定で会うことができる」

そこまで説明すると、卓也は躊躇うことなくカタツムリを手に取る。
僕は反射的に体をそらす。

「汚いよ!素手で触るなんてさ!」

「あはは、純くんって生き物嫌いだっけ?かわいいよ~」
卓也はカタツムリを顔に近づけてまじまじと観察する。

殻で覆われていないところは水分を含んで膨張し、艶やかに輝いている。なまめかしく動くその生物に総毛立つ。

「ほら遅刻するよ!早く行くよ」

僕は顔を背けて再び歩き始める。
背後から「待ってよ」と言う声が届くものの、無視して足早に歩く。

「でもさ、そんなに雨が嫌だって言ってたら大変でしょ?」
卓也は能天気に尋ねる。

「だって、今は梅雨って時期なんだからさ、そんなんじゃ純くん、毎日ピリピリすることになるよ」

「余計なお世話だよ」僕は冷たくあしらう。

歩くたびに靴下はどんどん湿っていく。恐らく学校に辿り着く頃には、雨で絞れるほどになっているだろう。そう考えるだけでも眉間にシワが寄った。
靴の中に雨が入り込み、足を動かすたびにぴちゃぴちゃと不快音が鳴る。水に満たされていることで足裏の皮膚がふやけ、歯痒い感覚も生まれる。
雨なんて、何ひとつ良いことが無い。

「とにかく雨は嫌なんだ。だから寄り道してないでさっさと……」

とそこで卓也の気配がしないことに気付く。
振り返ると、彼はどこが一点を見つめて立ち尽くしていた。

いつもこうだ。卓也は好奇心旺盛であることから、おもしろいものや珍しいものを見かけると身体に正直に反応が現れる。
大きく溜息を吐いて、彼の元まで向かう。

「何してるんだよ。早く行くぞ」

だが卓也は目を離すことなく、前方を指差す。
つられるように顔を向けると、そこで目を見張った。

「これも、雨の日だけかな?」

指差された先には、紫陽花がたくさん咲いていた。私有地なのかはわからないが、田んぼひとつ分くらいの広さ一面に満開だ。浅葱色や蒼色、水色や桃色に色付き、雨粒に反射してきらきらに輝いている。
雨によってチリの落とされた澄んだこの空間がとても新鮮に感じられ、一瞬雨の鬱陶しさを忘れてしまう。

「すごいよね!この紫陽花の量!もっと近くで見ようよ!」
卓也は目を輝かせながらそう言うと、僕の手を取って走り出す。

「ちょっ……ちょっと!」

水たまりに足を突っ込み、大きく水がかかる。
だが、目前の光景に目を奪われていたことで気にならなくなっていた。

近くまで来ると、先ほど見たものよりも色鮮やかに洗練されているように感じられた。
紫陽花は今までも何回も見たことがある。だが、こんなにもたくさん見たことがなかったことで
無意識に感動していたのかもしれない。

自然の美しさに見とれて茫然と立ち尽くしていた。

「純くん。濡れてるよ」
卓也は傘を僕に差し出す。そこでやっと傘を落としていたことに気付く。

「でもわかるよ。雨に濡れるのって結構気持ちいいよね」
そう言うと、卓也は傘を放り投げて紫陽花の元まで向かう。

「確かに、もう随分濡れちゃったし」

僕も受け取った傘を閉じる。「それに、この時期だけしか味わえないものだからね」