5時間目:歴史4



夜が明けると、物の怪は姿を消していた。環が率いて身を隠した。昨夜の騒動が悪夢だと疑うほどにあっさりした幕引きだった。

悪夢で済ませられるならどれほどよかったか。

春明は、一夜にして仲間も両親も妻も失った。精神は崩壊していた。崩壊しないわけがなかった。

だが、それでも数日経過した時には、思考は冷静になる。それに連れ、復讐の感情もフツフツ湧いた。

娘の燐音だけは、この身に変えても守る。

だから春明は、再び物の怪と関わることに決めたのだった。

春明は、馴染みの平屋に辿り着く。門に掲げられた「浄化隊」と記載された旗は焼け焦げ、門周囲も破壊されている。だが、結界が張られていたことで、中までは荒らされていなかった。

縁側に向かうが、当然あいつらの姿はない。

思い返すたびに悔しさが目に浮かぶが、今は泣いている暇はない。

浄化隊は、住民からはもちろん、警察との信頼関係も強い組織だった。そんな力ある者、十二人全員が一瞬でいなくなるほどに、環は強力な存在だ。

どうして音葉が捉えられた時に気付かなかったのだ、と何度も何度も後悔した。

一人で立ち向かうには、到底勝ち目はない。せめて少しでも力になるものをと物色を始める。

木製の小部屋に入る。そこには浄化の際に使用する神札を中心に、対物の怪に使用する神具が備えられている。松風や日向と手合わせする際に使用した木刀も収納されていた。それら全てに、対物の怪を示す五芒星が刻まれている。

適当に見繕っていたが、そこでふと、目に入ったものがあった。

「こんな神札、あったか……?」

神札の収納されている棚の前に、十二枚の神札があった。だが、普段使用する無地のものとは違い、それぞれに十二支を示す文字が刻印されていた。

「もしかして、鬼神か……?」

春明がいた頃には、鬼神と呼ばれる神獣を使役することはほぼなかった。扱いが難しいことと、そもそも神獣を使うまでもなかった。

日向が仕入れたのだろうか。用意周到な彼女らしくは感じる。

鬼神の扱いには慣れていないが、仲間のいない今は少しでも力が欲しい。

何気なく「丑」と記載されている神札を手に取った。これから世話になる存在だ。挨拶は必要なものだ。

「『解放』」

途端、白煙が立ち込める。腕で顔を覆うが、「何だ、これは……」と聞き覚えのある声がして耳を疑う。

「その声…………て、え?」

姿を現したのは、日向だった。だがその頭には牛の角が生え、体格も以前より大柄になっている。髪の色も真紅の生える奇抜な色となっていた。

日向は、こちらを見るなり目を見開く。

「春明……? おまえ、無事だったのか……!」

「あぁ……って、いや、そうじゃない」

春明は頭を振って切り替える。「何で、日向……」

「何故……私はあの時、確実に死んだはずで……」

そこで日向は、自身の頭に角があることに気づく。「何だ、これは……」

お互いに状況が読めず、沈黙が生まれる。

春明は、他の神札に目をやると、一気に解放した。

現れた鬼神全員、浄化隊の人間だった。

「やだ〜! 何この身体!」髪をサイドに束ねている八角には、犬の耳に大きな尻尾が生えている。

「これ、尻尾ッスか? なんか猿みたいッスけど」

左門は、自身の尻から伸びる尻尾に混乱する。

「それならオレなんて、なんか翼生えてんだけど……」

松風は、顔を引き攣らせながら困惑する。

「ヒャハハ何だこの身体! 火が出るじゃねェか!」

乱丸は、手を翳しながら愉快げに嗤う。

「一体これは、どういうことなんだ……」

春明の呟きに、鬼神たちは一斉に顔を向ける。

「あれ、春明。なんでここに」松風は問う。

「いや、ここに来たら、この神札があったから」

そう言って春明は、鬼神を解放した札を見せる。

「何だ、その札は」日向は問う。

「日向が用意したものじゃないのか?」

「あぁ。基本的に我らは鬼神を扱わなかっただろう」

そこでふと、日向は表情を変える。「そうか、そういうことか」

「どういう」

「我らは、鬼神に生まれ変わったのかもしれない」

人間の時に輝かしい功績を残せば神に生まれ変わることがある、とは聞いたことがあった。浄化隊の者たちは、最後まで虹ノ宮の為に身を捧げたのだから十分可能性はある。

とは言うものの、実際生まれ変わりなど見たことも聞いたこともない。春明は暫く受け入れられなかった。

「神札が扱えんな」日向は、浄化の際に使用する神札を手に持ちながら呟く。

「ま仮にオレらが鬼神なら、一応怪異になるもんな」

松風は、自身の背中に生える翼に触れながら答える。

この巡り合わせが神の計らいなのかは、わからない。

浄化は春明しかできなくとも、鬼神に生まれ変わった彼らは、十分過ぎるほどの戦力だった。

春明は、少しでも環の妖力を削る為に、街の物の怪の浄化から手を付け始めた。寝る間も惜しんで、最優先で行動する。ほぼ自宅に帰られない日々が続いた。

その代わりに自宅に結界を張り、娘の燐音を匿った。

学校どころではない。友人と会わせられないのは気がかりだが、これも娘を護るためなのだ。

だが、その辺りから燐音の異変に違和感を抱くようになる。

★★★



今日は物の怪の浄化を終え、早くに帰宅した。自宅の修理も終え、少しずつ日常を取り戻しつつある。

「パパ、今日のごはんはカレー?」燐音は、問う。

「あぁ、よくわかったね」

「そんな気がしたの!」

以前はそこまで気にならなかったが、燐音は何かを言い当てることが増えた。

今思えば、音葉の時も、そしてあの環の騒動の時も――――

特に最近は顕著になり、まるで未来がわかっているかのような発言が目立つ。偶然にしては頻度が多い。

それに比例し、夜に魘されることが増えた。

「……嫌だ……いかないで…………」

帰宅すると、燐音が悪夢に魘されていた。春明は、燐音の頭を軽く撫でる。

「燐音……――――!」

途端、燐音の身体に異変が起こる。

頭からは耳が、腰からは二本の狐の尻尾が生えた。それに加え、莫大な妖力を放っていた。

「妖狐……!」

音葉が妖狐であった為に、燐音は半妖であると考えてもおかしくない。いや、そうである方が自然だ。

もしかしたら燐音には、特殊な能力があるのかもしれない。

そこでふと、最近の燐音を思い出す。

「未来予知、か……」

あの環の暴動も、燐音に従っていたら回避できたのかもしれない。そう考えると、燐音は強力な戦力になる――――

即座に頭を振る。

燐音を危険な目に合わせるわけにはいかない。娘だけは護る、と決めたことじゃないか。

だが燐音は、自身の力を操れていない。燐音の放つ妖力は、そこらの低級の物の怪なんかとは比べものにならない。それこそあの環に匹敵するほどで――

この先、燐音が妖力を制御できずに被害が出ることは気がかりだ。

「燐音。最近怖い夢を見るのか?」

そう声をかけると、燐音は頷く。

「ママが死んじゃう夢から、いっぱい見るようになったの……」

「そうか。パパが一緒にいられなくて悪いな」

燐音の頭を撫でると、あるものを差し出した。「これをパパの代わりだと思ってほしい」

五芒星の刻印されたペンダントだった。浄化隊でも使用する対物の怪の為の品。燐音から物の怪を『敬遠』する為、そして、燐音の中に眠る妖狐を『呪縛』する為だった。

燐音は、ペンダントをじっと見つめながら目を輝かせた。

「きれい……」

「だろ。ずっと身に着けておけよ」

「うん!」

燐音は、春明の腕に抱きつく。

無邪気な娘の小さな身体を、春明は優しく撫でた。

★★★



環の暴動以降、音葉の実家でもある藍河稲荷神社へ訪れるようになった。

北条家に代々伝わる「憑依」の呪術。それによって、北条家の者にも物の怪の浄化の補佐をお願いしていた。

また、燐音を家に匿っていることで、神社の宮司の息子である友人に会わせられていないことも気がかりだった。

そんなある日、水月に出会った。

水月は、藍河稲荷神社に仕える眷属であり、音葉の元々いた息子だった。

飄々と掴めない性格で、何ごとも諦めたような態度が、春明にとってやり辛いところがあった。

だが、そんな彼の性格も仕方ない。

「やはり、環は悪玉でしたね〜」

ある時、水月は投げやりに言った。

「わかっていたと言いたいのか?」春明は、怪訝な顔で問う。

水月は、自身の白髪を弄りながら柔和に笑う。

「えぇ。僕には、未来を視る力がありますから」

その言葉に、春明は思案する。

水月は、反応のない春明を一瞥すると「信用されていませんね」と肩を竦めた。

「いや、やはりそういった能力を所持しているんだな」

「そうですね。僕たちは一応、神の遣いですから。僕の場合は未来予知、ですね」

そう言うと、水月はちらりと春明を一瞥する。「やはり、とは何か引っかかることがあるようで」

「……別にない」

水月に隠しごとは通用しないと知りつつも適当に流す。そんな春明に水月は苦笑する。

「ですが神でもない限りは、未来を知っていようが、大抵は変えることができないんですよ。むしろ、未来をわかっていない方が、気が楽かもしれません。知らぬが仏と言うでしょう」

水月は、諦めたように空を見る。

「どうせ変えられないならば、頑張ったって無駄ですし、幻滅もしない。あの人が僕を捨てて人間として生きることもわかっていたので、特に悲しくもありませんでした。それに、あなたのような方と一緒にいられたんですから、少しは幸せだったでしょう」

水月は滔々と語ると、顔を下げる。この目には、僅かに憂いを帯びていた。

「ですが、少々寂しかったのですよ」

「……そうか」

春明は、言葉が続けられなかった。だが、特に気にしていないのか、反応がわかっていたのか、水月は調子を変えずに続ける。

「僕もまだ幼かったですからね。親に放っておかれるのって、案外子どもには酷なんです」

そう言うと、水月は春明を見る。春明は、顔を上げることができなかった。

「燐音、さんでしたね。よくこの神社で紫翠と遊んでいたんですよ。ですが、最近は姿が見られません。紫翠も寂しそうな顔をしてます。まさか、学校にもいかせていないのでしょうか」

「…………今はまだ、物の怪が蔓延っている。外に出すには危険だ」

そう答えるが、水月は諦めたように目を細めるだけだった。

燐音の安全を確保することが一番だ。それがエゴだとは気づかなかった。

燐音は、春明の気づかぬ間に成長していた。

ある時、燐音は家から抜け出し、音葉の眠る墓へ出向く。そこで懺悔をしていた。

母親や、友人が亡くなる夢を見ながらも、救えなかった自分の幼さに、燐音は母親に現実を見ると誓った。

自分の能力を自覚し、そして未来に立ち向かおうとしている。

そんな時に、燐音の視た未来。

――――パパが死んじゃうのは嫌だよ

「でもねぇ、神でもない限りは、未来を視ていても、大抵は変えることができないんですよ」

耳のすぐ後ろで、水月が囁いた感覚だ。

どうせ死ぬならば、せめて自分にしかできないことをしなければ。

「自分がいなくなれば、環を浄化できるものがいなくなる。その為には……」

そこで春明は、力を継承する為の術書を作成した。

誰の手に渡るかはわからない。だが、その力を持つものなら、必ず使えるはずだ。

水月は、未来が視えない方が良いと言ったが、春明は違った。未来を知ったことで、未来に対して十分備えることができたのだから。

「パパ、いかないで!」

環を迎え撃つと決めた当日、燐音は強く引き止めた。

なるほどな。恐らく良くない未来を視たのだろう。

冷や汗が流れる。とうとうその日が来たのかもしれない。わかっていた現実だが、やはり死となると身体が震える。娘に不安を与えない為にも拳に力が入る。

だが、やっと環を迎え撃つ算段が整った。

環に少しでも復讐したい気持ちが勝っていたのだ。

未来への備えができた今、娘を護るのは自分以外にも可能だが、妻の復讐ができるのは自分しかいない。

「必ず、帰るから」

その言葉が、春明の最期だった。

☆☆☆