Day1「晴れ、時々雨」①


【Day1「晴れ、時々雨」】

春は嫌いだ。
数日限定の桜が散ってしまえば、芽生える新緑から淡い雰囲気は崩れ、もれなく毛虫も発生する。
時折吹く強い春風は、防寒着を手放した無防備な身に染みる冷気を孕んでいる。
何より環境の変化からも、浮ついた人の軽いテンションに絡まれるのが面倒だった。

海に浮かんでいれば、転覆したり沖まで流されることがあるとは知りつつも、こうも毎日荒波が訪れるとさすがに疲労は募る。
だからこそ、今日から始まる一人部屋の生活に、思いを馳せていた。
すでに中学生棟から荷物の運び込みが終わり、自室内で休息を取っていた。
この学校に入学して四年目、初めての個人部屋だ。

元々物欲も趣味もないので致し方ないが、備え付けのデスクにベッド、テレビ、そして押し入れだけのおもしろ味の欠ける簡素な部屋に仕上がった。正直、スマホさえあればいくらでも暇は潰せるので問題もない。

周囲の目を気にせずベッドの上で伸びていても、何も言われないことが新鮮に感じる。昨日までの相部屋とは違い、ルームメイトがいないことにソワソワするものだ。

だが突如、バンッとドアが開かれたことで、僕は海面に打ち上げられた魚のように飛び跳ねる。

「お~奏多。どうよ、念願の一人部屋は」

べっ甲色の髪に明るいヘアピンを着用している、松尾 直樹(マツオ ナオキ)は、関西の訛りのある陽気な声で言う。
普段は意識的に標準語を使用しているようだが、幼馴染である僕の前では、もはや隠すことがない。

「のびのびできていいよ。……今までは」

「そんな露骨に嫌悪感出さんでもいいやん」

「僕って嘘吐けないんだ」

小さく溜息を吐く。
彼の登場により、「せめて一時間は何もしない時間を作る」という予定が崩れることになった。

「様子見に来ただけやって。年上の先輩としては当然のことやろ」

「新入生の女の子を見に来ただけでしょ」

「ついでにな」

すでに五人と連絡先交換済み、と直樹はひらひらと手を振る。
二年生である彼が、一年生の階に訪れた本来の理由はこちらだろうとはわかる。

「ってまぁ、俺だけじゃないんやけどな」

「俺だけじゃない?」僕の顔は曇る。

誰を指しているのか粗方予測できただけに、嫌な予感しかしなかった。

そしてその予感は、悲しくも的中することになる。

「今からパーティーだ!」

勢いよくドアを開けた柳 瑛一郎(ヤナギ エイイチロウ)は、癖のある声で宣言する。
両手にはパンパンに中身の詰まったビニール袋を携え、脇にはボードゲームを抱えていた。

何かが起こるとは予期していたとはいえ、まさかの提案に目が点になる。

「って何、この素朴な部屋」

エロ本はここか? と、瑛一郎はベッドの下を覗く。愛想笑いすらできないほどにベタベタなお決まり文句だ。
呆気に取られていると、「ほんまシンプルな部屋やなぁ」と種類の違う声が届き、顔を上げる。

瑛一郎に続き、二人の女性が室内に入ってきた。

「一年生の時ってこんなに部屋狭かったっけ?」

バッチリ化粧を施し、惜しげもなく肌を露出した服を着用している松尾 萌(マツオ モエ)は、僕の部屋を見るなり声を上げる。
関西特有の訛りや、サイドで束ねられている地毛であるべっ甲色の髪からも、直樹の姉だと実感できるものだ。

「女子の方が、部屋は大きいみたいだよ」

蒼黒色のボブヘアの山城 沙那(ヤマシロ サナ)は朗らかに笑う。シフォン生地の部屋着に、猫モチーフのルームシューズが、彼女の可憐な雰囲気を醸し出していた。

確かにうちの寮は、中学生までは相部屋、高校生からは個人部屋になるが、女子部屋且つ学年が上がるに連れ、部屋の大きさが変わる。受験勉強で自室の利用が増えることからの計らいらしい。
今年三年生の萌と比べると、僕の部屋は豆ほどに感じられるのも仕方ない。

だが、今はそんなこと、どうでもいい。

「待って。何か、当然のように皆集まってるけど、パーティーって何さ……」

僕はやっとのことで問いかける。
すると瑛一郎は、得意気な顔で両手を広げる。

「やっとみんな一人部屋デビューっつーことで、サプライズお祝いパーティーだ! 俺ら先輩たちが、奏多をお祝いしてやろうと思ってな」

「はい?」

パーティー会場にアポなしサプライズほど迷惑なものはない。
それに僕が一番年下ではあるものの、この学校に一番長くいるのは僕だ。
引っ越しが終わったところなので、少しくらい休憩がしたいのだが。

唖然としていたが、皆は自室のように床に腰を下ろす。
至極当然のように行動するので「奏多、座布団ここか?」との問いにも「あ、うん」と順応してしまっていた。

「奮発して色々買ってきてやったんだぞ~」

瑛一郎は手に持つ袋の中身を床に並べ始める。
次々と取り出されるペットボトル飲料やお菓子類を茫然と眺めていた。

「あ、うち、このおかき好きやねん」
萌は瑛一郎の取り出したチーズおかきを手にとる。

「ですよね! 萌さん昔からおかき好きですし、色々買ってきたんすよ」瑛一郎は目を輝かせて言う。

「アーモンド乗ってんのは邪道やろ」直樹はしれっと否定する。

「でもこれはおかき自体が辛めだから、アーモンドで中和される気がする」
沙那はふふっと笑いながら言う。

相変わらずの会話に、僕は静かに息を吐く。

今ここにいる直樹、瑛一郎、沙那、萌は、全員地元が同じ幼馴染だ。

松尾家の二人は、僕が小学二年生の時に関西から僕たちの地元に引っ越してきた。
だが元々転勤一家であり、一年前に遠方への転勤が決まったタイミングで、この寮のある緑法館に入ることになったらしい。萌の受験を考慮しての選択だったと聞いた。
大阪に住んでいた頃は親戚の家であり、僕たちの地元にある戸建ての家が二人の実家となっている。

瑛一郎は、元々スポーツマンであるだけ、少しでも早く身体を動かしたいという理由から寮のあるこの学校に、沙那は外国語に関心があることからこの学校に、高校生になったタイミングで入学した。

その為、彼ら四人とも昨年の春からこの学校にやってきたのだ。

僕は中学の頃からこの緑法館に通っていた。国際交流に興味があったこと、さらに高校受験がないことからの進路選択だった。

一人立ちする目的もあり、地元から離れたにも関わらず、まさかの幼馴染である彼ら全員、この学校に進学してくるとは思わないではないか。
案の定、幼少期と変わらない毎日を送ることになっている。

「それにしてもほんま何もあらへんな。奏多毎日、何してんの?」
萌はチーズおかきの袋を開けながら問う。

「スマホあれば何でもできるし。そもそも昨日まで相部屋だったんだから、さ」
僕は遠まわしに「今日引っ越してきた」ことを強調する。

「まぁベッドさえ……」とそこまで直樹が言うと、萌が勢いよく彼の頭を打つ。

「何すんねんクソ姉貴! まだ何も言うてへんやろ」

「あんたが何言うかくらいわかるわ! お姉ちゃんはそんな子に育てた覚えはありません」

二人は立ち上がって言い合う。発作的に起こる姉弟喧嘩も慣れたものだ。
他の皆も気にせず、「こういうのなんつったっけ、ムニムニみたいな名前」と瑛一郎は呟く。
その隣で沙那が笑いながら「ミニマリストね」と訂正する。よくムニムニから判別できたものだ。

「俺の部屋のほうが広いはずやのに、ここの方が広く見えるしなぁ」

瑛一郎は、ポテトチップスをバリバリ食べながら言う。あえて食べカスに注視するも、彼が気付くはずもない。
が、瑛一郎は舌を出し、ゲテモノでも食べたかのような顔でポテトチップスの袋を見る。

「プリン味のポテトチップスとか考えた奴の気がしれねぇ」

「こうして買う奴がいるから作るんやろな~」
直樹がパキッとチョコプリッツを折りながら瑛一郎を見る。

「甘いもん食べたらしょっぱいもの食べたくなるだろ。どうせ胃の中で混ざるなら、初めから一緒に食ったほうがコスパが良い」

「でもまずいんでしょ」沙那は指摘する。

「そうだ。これは人類が食べるべきではない」

瑛一郎は丁寧に袋を折り込み「もう食べません」宣言をすると、別のお菓子の袋を開け始める。

本当、自由奔放だ。一応僕が一番年下であるものの、彼らの精神年齢を考えたら同等レベル、もしくはそれ以上だとは自負している。
だが、強い波には抵抗する気力すら沸かないものだ。薄い板一枚で滝を止めようものなら、むしろ板が割れて被害が拡大する。
だから僕は観念して白旗を降った。

「じゃ、手始めにまずはこいつからやろうぜ」

瑛一郎は持参したボードゲームの中からひとつ手に取り、僕たちの中央に置く。プレイヤーの人生を決める少し昔に流行ったものだ。

瑛一郎に流されるまま、僕たちはゲームを始めた。

 

***

 

人生を三週ほどした後、皆、室内でうな垂れていた。

「クラス替えどうなるかなぁ~」
瑛一郎は、人様のベッドの上で茫然と天井を見上げながらぼやく。

「でも、何か寮生活だし、クラスってあってないような感じかも」
沙那は人差し指を顎に当てながら反応する。

普通の学校の場合は、クラスメイトで高校生活が変わると言っても過言ではない。
だがこの学校は全寮制で、プライベートな時間までも共有することから、授業は生活のほんの一部となっている。
すでに「緑法館」という箱に入っているからこそ、確かにクラスという括りにあまり拘りがなかった。

「まぁ、でもあんたら今年、修学旅行やろ。結構クラスわけは重要やで。自由行動以外は、二泊三日一緒に行動やしな」
萌はあっさりと指摘する。

「あいつ以外やったら誰でもいいや」
直樹は口を曲げて言う。皆、触れないものの、恐らく誰のことを指しているか見当はついている。

「ってそうや。今日、寮長会議あったんや。ごめん、うちこれで」

萌は飛び起きると、片手を上げて部屋を去った。
この隙を逃すわけなく、「僕も少し疲れたな」と即座に呟く。

「そうだね。今日は解散しようか」沙那が提案する。

「おうよ。たんまりお菓子も食ったしな。ってことでこの残りたちは奏多への餞別だ」

「ただの食べ残しじゃん」

僕の顔は引き攣る。皆、各々に好きなお菓子の袋を開けているだけにどれも口が開いていた。
だが、そんなことも気にせず「萌さん寮長か~かっけ~な」と瑛一郎は目を輝かせながら部屋を出る。他の皆も軽く手を上げて部屋を出る。

一人になった瞬間、大きく溜息を吐いてベットにダイブした。

「ふ――――――……」

やっと一人だ。
幼馴染であるだけ気を遣うことはないものの、傍観者であるだけ人がいると構えてしまうものだ。
大きく伸びをする為に寝返りを打つが、そこで沙那と目が合った。

「沙那!?」

魚が海面に打ち上げられたような勢いで飛び起きる。気が抜けていたことから、顔が一気に赤くなった。

「ご、ごめん、いきなり戻ってきて……奏多くんすごく疲れてそうだったから、迷惑かけちゃったかなって思って……」

沙那は清潔な髪を耳にかけながら優しく笑う。

「ぜ、全然、楽しかったし……!」

しどろもどろになる。顔面から滝のように汗が噴き出してきた。

「奏多くんは優しいね。瑛一郎くんと直樹が弾丸で言い始めたことなんだけど、私も楽しかった。じゃあゆっくり休んでね」
そう言うと、沙那は軽く手を振って部屋を出た。

僕は思考が定まらないまま、呆然としていた。

「もう、どうでも良くなるよね…………」

彼女の純度百パーセントの言動が心に染み入る。それはもう、全ての疲れが消えうるほどに浄化作用をもたらしていた。
関西人の血の流れる姉弟に、能天気なパーリーピーポー、と傍観者である僕とは対極の系統の人間と付き合えているのは、沙那のような癒し的存在がいるお陰だ。

僕は気が抜けて再びベッドに倒れ込む。
だが、今は先ほどまでの疲労は感じていなかった。

 

***