第三セメスター:四月⑥



 部室でミーティング待ち中。珍しく金城が一人で部室まできた。

「水谷さんは?」

 冗談めく尋ねると、金城は、一瞬怪訝な表情になるも、「別に俺は、あいつのお守りじゃない」と肩を竦めた。

 金城は、私の隣に座る月夜に目を映すと、「あ、地咲あのさ」と話しかけた。嬉しそうな彼を見て内心ほっとする。今だけは、二人だけの時間が流れているように見えた。

「銀河センパーイ!」

 甲高い声に、おもわず肩が飛び上がる。それは金城も同じで、表情を反転させて青くなった。

 部室前廊下を水谷さんが満面の笑みでパタパタと走る。そのたびに黒レースのスカートがふわふわ舞った。
 部室に辿り着くと、勢いよく金城の腕に抱きついた。

「ちょ、ちょっと!」

「えへへ。だって〜今日一日会えなくて寂しかったんですよ~」
 水谷さんは、金城の腕に頭を擦りつける。そのたびに砂糖を煮詰めたような甘ったるいグルマンな香りがした。

 金城は、目前の月夜をチラチラ伺いながら困惑する。
 内心同情した。好きな人の前で変な誤解を与えたくない気持ちはわかる。だが当の月夜は、普段通りに澄ました顔をしていた。

 金城の視線に気づいたのか、水谷さんは、彼の視線を追うように月夜に顔を向ける。
 ジッと観察し、僅かに唇を歪めたと思うと、「あー!」と声を上げた。周囲にいた人たちは彼女の声に引かれるようにこちらに顔を向ける。

「もしかして、『夜沢あかり』さんでは?!」

 誰のことかわからずに首を傾げる。それは周囲にいた皆同じ反応だ。
 ただ一人、月夜だけは目を見開いて水谷さんを凝視している。白い肌がさらに白くなっていた。今まで見たこともないほどに青ざめている。

「うの、華金辺りよく行くんです〜見たことあるなぁって思って」

 そこまで言うと、あっと水谷さんは大げさに手で口を塞ぐ。

「ごめんなさい〜うの、興奮してうっかりしちゃってました。まさかあかりさんが同じ部活の人だと思わなくて〜」

 明らかに悪意を感じる。
 月夜は、青ざめたまま硬直していた。その表情からもただ事じゃないとは感じられた。

 華金とは、華舞金町という名の虹ノ宮市内の中でも「眠らない町」として有名な繁華街だ。風俗やキャバクラ、ホストクラブなどが連なり、日が暮れるにつれてキラキラした客引きの人たちが増え、幼い頃から近づかないようにと言われていた。
 その街の名前と、先ほどの別名のような名前。もしかして、月夜の「源氏名」だろうか。

「え、地咲さんって、キャバ嬢?」

 どこからか声が聞こえた途端、月夜は、カバンを持って勢いよく部室を飛び出した。

「地咲!」

 金城は、慌てて後を追おうとするが、水谷さんが引き止める。

「先輩、行くんですか?」

 水谷さんは、ジッと金城を見ながら低い声で言った。その瞳には、有無を言わさない力強さがあった。
 金城は、頬が痙攣している。そんな彼が見ていられなかった。

 私は、席から立ち上がると、金城の肩を叩く。

「私、行ってくるから、大丈夫だよ」

 そう声をかけると、金城は安心したような表情をした。

「悪いな……ごめん」
 
 私は火野さんに声をかけると、彼女は理解したように軽く頷いた。こちらの状況を把握してくれたようで、柔軟に対応してくれた彼女に内心感謝する。
 私は、そそくさと月夜を追った。

***

 月夜は、建物外のベンチで呆然と空を見ていた。

「月夜」

 声をかけるが、彼女は空から目を離さない。聞こえていないわけないが、ここに意識がないようだ。

 恐る恐る近寄ると「引いた?」と言葉が届く。

 おもむろに顔を下ろした月夜の表情は、普段よりも冷静で、だが僅かながら青ざめていた。
 吸い込まれそうな澄んだ瞳だ。引き締まった頬に、艶のある髪、洗練された容姿に思わず見惚れてしまった。

「キャバクラで働いてるって、知って」

「全然。何なら、ちょっと納得できるというか」

 夜のバイトをしていること、金曜日は度々部活を休むこと。さらに彼氏がいないのに、どんどんきれいになっていくところ。
 キャバクラで働いていたとなると、全て腑に落ちる。

 ただ、正直彼女が働いている姿は想像できなかった。

 月夜は、しばらく私を観察するが、観念したように大きく息を吐く。

「キャバクラって時給がいいのよ。ちょっと男の人と話して、お酒を飲むだけでかなり稼げる。それに同伴も行えばチップももらえるし」

「打算的だね」

「それが私でしょ」月夜は開き直ったように言った。

 ふと、引っかかったことがあった。

「でも、なんで水谷さんが知ってたの?」

 そう問うと、月夜は、表情を変えぬまま、顎に手を当てる。

「水谷、店の近くのホストクラブに通ってたみたい。だからその時に、知ったんだって。一応私、あの辺りでは少し有名だから」

「ホスト……」
 予想外の言葉に口を開ける。「それ、わざわざ月夜に言ったんだ?」

「私が面白くなかったんでしょ。マウントとるように仕事のことを言われたんだよね」

 月夜が今まで水谷さんの話題を避けていたことも納得できた。

「だから少し警戒してたけど、あぁ来るとはね。私も、ばらしてやろうかしら」
 冗談めく口にする月夜の目は、笑っていない。

「やっぱ水谷さんは、ネコ被ってるよね」

「当然でしょ。でも、ま、ある意味、私と同じなのかもしれない」

 そう言うと、月夜は再び空を見上げた。私もつられるように、空を見上げる。

 西日で赤く染まり、雲が影になっていた。ポツリと宵の明星が輝いている。
 私は顔を下ろし、月夜を見た。夕日に染まる彼女の顔も美術品のようで、本当に美人だな、と思う。

「別に、隠す必要ないと思う」

 本心から言った。今はアニメ好きなオタクだとからかわれたり、夜職を軽視される時代ではない。

 月夜はしばらく思案すると、「でも」と口を開く。

「だからと胸を張るのは違うと思う。街に店のポスターを貼ったり、テレビでCMを流せるような仕事じゃない。それって一般的じゃないって意味なのよ。TPOはわきまえる必要がある」

 ぐうの音も出ない。確かに公になるものは、多数派に合わせるべきなんだ。

 意に反して頬が緩む。月夜とは長い付き合いだが、初めて彼女の内心に触れられたかのようで、少しだけ嬉しかった。
 尋ねたいことはたくさんある。だが、最も気になっていることがあった。

「月夜はさ、仕事中は愛想がいいの?」
 
 そう問うと、月夜はふっと目を細めた。その余裕のある強い目線で、全てを悟った。
 彼女も、顔を使い分けている。

「じゃなきゃ、ナンバーワンにまで昇りつめられないよ」

第三セメスター:四月 完