part2:Andante①

 


夏休みが明けた始業式。
陽光が肌に突き刺さる。今日は確か四十度を超えるはずだ。自らの足で登校する経験がほぼなかった為、一周回って新鮮ですらある。スクールバッグから制汗シートを取り出し、湧き出る汗を拭った。

校門前に立つ、小太りで丸い体格の教職員が目に入る。この暑い中、熱心に生徒を呼び出しては指導している。名前は忘れたが、確か生徒指導長だったはずだ。

俺の頭髪が目立つから忠告してくれたのか、夏休み前に隣クラスの海堂 菜々美(カイドウ ナナミ)に、この先生の情報を聞いたものだった。
彼女は『永遠印』をしていたが、カラーストーンが正規の色だった為、攻略対象から外れていた。彼氏持ちを攻略するのが面倒だとは考えなくてもわかる。退屈はしない女だったが、最近は連絡すらないものだ。

「おまえ、何だその頭は?」

案の定というべきか、小太りの先生は俺を呼び止めて指導を始める。海堂の言う通り、やはり頭髪が引っかかったようだ。

「や、実は彼女と別れてしまって……」

軽い調子で答える。寧々のせいでこうなったので、あながち嘘ではない。
俺の発言がよほど気に障ったのか、生徒指導長は顔を真っ赤にして怒り始めた。

ふと視線を感じて顔を向けると、一人の女が目に入る。
ボブヘアの素朴な顔、スカートの丈も弄っていなければ、髪も染められた形跡のない、大人しそうなタイプだ。呼び出されてる俺が気になったのか、足を止めてこちらへ顔を向けている。

茫然と彼女に視線を送っていたが、左手を見て目を見張る。
彼女の左手薬指には、見覚えのある黄色のカラーストーンのついた指輪がつけられていた。

「真面目そうに見えるのに、おもしろいことしてんじゃん……」

思わず口角が上がる。
俺の視線に気づいた彼女は、慌てて顔を逸らした。

ちょうど趣向を変えようと思っていたところだ。

生徒指導長が息巻いて吐く罵倒とも呼べる言葉を適当に聞き流しながら、どのように攻略すべきか、策を練り始めた。

 

part2:Andante

 

紫野学園高校に訪れた理由として「等身大の高校生活を知る為」と告げていたこともあり、基本的に午前は真面目に出席した。
「ここは押さえておけ」と力強く言い放つ先生が多いものだ。夏休みも開け、本格的に受験の為に授業体制も整えられているとわかる。
進路はゲームが開始する以前に固めていたので、今更慌てる必要もない。余裕があるからゲームに対してもここまで費やせていた。

昼休みになると、教室を出て学内を散策した。

「この学校に、庭園はないんだね」

いや、ないのが普通なのか。俺の通う高校が異常だと、たびたび忘れてしまう。
グラウンドの近くに、木々が生い茂る小さな森を見つけて足を踏み入れる。手入れはされてないものの、人気を感じずに肌を焦がす日光も遮られた空間だ。

昔から自然の中に身を置いて休むことが好きだった。普段、ノイズが多い環境であるだけ身体が浄化される気分になる。

適当なベンチを見つけて寝転がる。体育の授業なのか、グラウンドから聞こえる声に、耳を傾けながら思案に暮れた。

子どもの言葉を思い出していた。
今の俺は『城島』というキャラクターだが、確かに『白金』でいる時もキャラクターだと言われても、納得できるところがあった。

『白金』が生まれつき、人よりも高いステータスであるとは自負している。
容姿で悩んだり、授業内容が理解できなかったり、お金に困ったことがない。その為、俺へ向けられる感情が「羨ましい」「妬ましい」が通常だった。
そして俺は、その『白金』というイメージを崩さない為に、テストで結果を残したり、愛想を振りまいたり、身分の高い彼女を隣に置いていた。

だからこそ、ヴァイオリンを弾いている時だけが、唯一の自分でいられる時間だと感じていた。

「俺って、何なんだろうな…………」

急激な眠気が襲ってきた為、目を閉じた。

 

***

 

「え、何で俺が?」

授業終了を知らせるベルが目覚ましとなり、教室に戻った際に担任に思わぬことを告げられる。

「せっかく転校してきたんだ。うちの生徒として、学校行事に取り組むべきだろう」担任は嬉々として提案する。

彼の余計なお世話のおかげで、体育祭の応援合戦というものに出場させられる羽目になった。
応援合戦は、俺の通っている高校でもあったが、生徒中心に創り上げるもので、正直疲労が大きいイメージしかない。
俺の為とは口にしながらも、彼の同情が混じる目の色から中々メンバーが決まらずに、その場にいなかった俺に押し付けたとは想像できる。

「それに、ホームルームをサボるおまえが悪い」

担任はピシャリと言い捨てる。正論なので反論できない。

「それは、すみません」俺はへらっと笑って頭を掻く。

体育祭の日が制限時間終了日の為、正直その日までこの学校に残っているとは思えない。
とはいえ、すでにホームルームは終了している。今更何を言ったところで結果が覆るわけじゃない。
面倒ではあるものの、どうせゲームが終われば消えてしまう。軽く適当に流せばいいだけだ。

「城島さん。今日の放課後は、応援合戦の打ち合わせでワックに寄りますよ」

クラスメイトの菅 真之介(スガ シンノスケ)が意気揚々と宣言する。彼も応援合戦のメンバーらしい。
生徒会長を担っており、真面目に見えるものの、内心学園生活を楽しみたいとわかりやすい人物だったので、見てて退屈はしなかった。

あまり放課後に遊ぶ経験がないのか、どこか浮き立っている菅の背中を見ながら、駅前のワックへと足を進める。

 

***

 

駅前のワックに辿り着くと、少し人で混雑していた。紫野学園高校の生徒の寄り道スポットなのか、同じ制服を着用した人がちらほら確認できる。

周囲を見回して無意識に選別しているところからも、ゲームプレイヤーとして、『城島』というキャラクターとして地についてきたな、と自分でも思う。

奥の席に視線を向けた時に見覚えのある女を発見する。今朝、黄色の指輪をはめていたボブヘアの女だ。黒髪で小柄な女と二人で会話している。

あまり学生が手を出せる品でないとはいえ、『永遠印』を着用してる人物自体に出会うのはそう珍しくはない。
だが、ゲームプレイヤーに出会うのは初めてだったので、少し新鮮だった。

彼女の外見からは、積極的に異性と交遊関係を持つような尻軽女には見えないものの、プレイヤーであるから異性と交流は持ちたいはずだ。
今までと系統が違う対象であるだけ、彼女には興味があった。

ポテト大袋を注文している菅をよそに彼女らに近づくと、「応援合戦」との単語が飛び出したことで、さっそく声をかけるネタに持ち出した。

「君たち、応援合戦に出るの?」

俺に気づいた彼女たちは、こちらに顔を向ける。その目に警戒の色が混じっているとはすぐに感知した。今までは頭の悪い女ばかり相手にしていたので、彼女たちの反応が爽快ですらある。

「君たち、三年生?」

「は、はい……」ボブヘアの女が、嫌悪感の滲む顔で答える。

「何で敬語?俺と同じだよ」

「城島さん。早く話し合いをしますよ」

注文を終えた菅が、ソワソワした調子で俺の元に寄る。

「だって、この子たちも応援合戦出るみたいだからさ。挨拶は必要だよ」

「あなたの挨拶は、他の目的も感じます」

「ひどいなぁ〜」その通りではある。

参加を押し付けられたとはいえ、彼女たちも応援合戦に出場するとは運がいいものだ。ひとつでも繋がりがあるだけで、関わりやすくなる。

視線を感じて顔を向けると、黒髪の小柄な女が俺の左手を見ていた。
透き通った白い肌に鼻筋の通った整った顔。まっすぐに伸びた黒髪から「清楚」というイメージを具現化したようだ。変わらない表情からも、今まで見てきた中で、ダントツに攻略難易度が高いと判断できる。

「もっと、笑顔笑顔! 君、素材がいいんだからもったいないよ」

警戒心を持たれないように、できるだけ笑顔で対応に努める。種は蒔けるだけ蒔いておいた方がやりやすい。

さすがに、後ろで怒る菅を無視するのも不憫になってきたので、身体を戻す。
目前で繰り広げられる、価値の見いだせない議論を聞き流しながら、思考を巡らせた。

月曜日の放課後、攻略対象の選別の為に顔合わせに出席したものの、難易度の高そうな指輪をつけたボブヘアの風嶺 唯(カザミネ ユイ)と、黒髪美人の桃山 明日香(モモヤマ アスカ)に関心が向いていた為、それ以外には特に目移りしなかった。
寄ってくる後輩の女を適当に相手して教室を出る。

数回会話しただけだが、風嶺と桃山はガードが堅いので、攻略に時間がかかることは明白だった。今までは放っておいても向こうから来ていたが、難易度が上がるにつれて、こちらから積極的に仕掛けなければならない。
その為にも、ぎりぎりまでカウントを稼いでおくべきだと、今日は学校が終わると街に出た。

偶然乗車している際に女から連絡が来たので誘いに乗る。いつ出会ったのかすら覚えていないが、連絡先を削除していないことから、まだ攻略していない相手だとはわかる。

カラオケボックスに向かう途中、見覚えのあるボブヘアの女が目に入る。と同時に彼女と目が合った。
風嶺だ。手には大きめのクーラーボックスを所持している。

彼女は目を丸くして静止している。恐らく俺が練習に参加せずに、街で女と遊んでいるから呆れているのだとは想像がつく。
何とでも思えばいい。それに軽い印象を与えられた方がやりやすくはなるものだ。

適当にカラオケボックスで戯れた後に、自宅と化してるホテルへと帰宅する。

もはや作業と化していた。初めこそ、そんな空気に持っていく為に会話で繋いだものの、正直今では、それすらも面倒になっていた。
俺と二人で会う時点で勝手に攻略可能と受け取り、早急に実行に移った。

相手に何と思われようがどうせ忘れる。いらない手間をかけるのも惜しい。
二人きりの空間になった瞬間に、顔を引き寄せて唇を重ねる。多少手荒な方が興奮するのか、拒まれることもなかった。
キス以上求められた時以外は、適当に都合をつけてその場を去った。攻略したら連絡先は削除して脳内を切り替える。変に思い出を作りたくはない。
このゲームの真意に気づきさえすれば、攻略は単純なものだった。

だが次の日、想定外のことが起こる。

 

***

 

昼休み、普段通りに教室を出ようとした時のことだ。

「城島」

突如、冷静で突き刺さる声が響き、肩を震わせる。
振り向くと桃山だった。その顔には怒りの色が混じっている。

「明日香ちゃん……?」

彼女の反応の理由が読めずに、首を傾げる。
小柄でありながらも、威圧感をひしひしと感じて、妙に萎縮した。

「練習に来なさい」

「え?」

「あなたが勝ちたいって言ったんでしょう。ちゃんと言葉には、責任を持ちなさい」

淡々と、しかし重い言葉を放つ。こんな風に真向から叱られるのは初めてだったので、圧倒されてしまった。

「…………ごめんね。今日から、ちゃんと行くよ」

軽く笑って答えると、桃山は表情を変えぬまま、この場を去った。

呆気に取られていた。
彼女は本気で勝ちたいと思っているのだろう。確かにそんな中で俺みたいな統率を乱す奴がいたら、頭に来るのも当然だ。

元々カウント数がノルマまで達成したので、高難易度向けに体制を整えるつもりだった。だが、この件のおかげで休むという行為がやり辛くなった。

「担任……本当、面倒なことに巻き込んでくれたよね…………」

いつの間にか昼休み終了のベルが鳴り響き、この場を離れるタイミングを逃してしまった。

 

***

 

久しぶりに練習場に訪れると、記憶にない後輩の女が声をかけてくる。名前で呼ばれるのは不快であるものの、表に出さないように努める。

風嶺があからさまに嫌悪感丸出しに俺を睨む。

「唯ちゃん、顔恐いよ」

見当はついてるもの、苦笑して肩を竦める。

「……練習よりも、女の子が大事?」

予想通り、風嶺は昨日、街で出会った時のことを持ち出す。

「何のことかな」

軽く手を振って視線を逸らすと、前方の机で背筋を伸ばしてプリントに目を落とす桃山が視界に入る。凛とした佇まいでタイミングの確認をしてる彼女に息を呑み、目を落とした。

「君の友人に怒られちゃったからね。大丈夫、これからちゃんと来るよ」

俺の言葉がよほど意外だったのか、風嶺は少し拍子抜けしたような顔になる。俺はそのままB組三年生の集まる場所へと足を進めた。

三日間も無断欠席した自由奔放な俺に対して、菅が息巻いて言葉を捲し立てる。頭を掻いて反省した振りして聞き流した。

宝皇士学院高校は、偏差値が高く、学費が通常の私立高校の約十倍はかかる。その為、周囲は学校の階級と親の権力に驕るような奴ばかりだ。
俺が言えたものではないが、地位を下げない為に、努力や時間を金で買う行為が通常となっている。そんな奴らと同類に見られたくないからこそ、俺はヴァイオリンにだけは拘りを持っていた。

今の俺は『城島』ではあるものの、人の努力を踏みにじる行為はしたくない。
クリアまであと二人で、制限時間まであと十二日。まだ余裕はある。

何かに真剣に取り組む人は、嫌いではないんだ。

「城島くん。具体的に指摘してくれるから、助かるよ」

団長を務める速水が爽やかに褒める。彼には一切濁りが感じられず、何事にもひたむきなところが好感が持てる。

「やるからには勝ちたいじゃん」

俺は、目を細めて答えた。

 

***

 

休日、応援合戦の練習後にスタジオに向かった。

桃山に呼び出されてから、練習は休まずに出席していた。
輪に入らないように流しているものの、それでも同じ場の空気から彼らの熱意が俺にも感染したようで、久しぶりに消音器無しでヴァイオリンを弾きたくなった。

紫野学園高校の最寄り駅から、街とは反対方向の電車で五本先、ちらほら人が確認できるほどの閑散とした駅に辿り着く。
カラオケでも練習は可能なものの、ヴァイオリンを持つ場面が目撃されると危惧した為、あえて街から離れた地方にあるスタジオを借りた。

駅から少し歩くと、広い神社が目に入る。
この地に訪れるのは初めてだが、「夏祭りの出店の規模が桁違い」と、いつか攻略した女が連絡をしてきたことで、名前には覚えがあった。結局、返信すらしなかったのだが。

大きな橋を渡ると、老朽化したスタジオが目に入る。外観は音漏れを心配するほど年季が入っているが、中に入るときちんと整備されているようで安堵する。愛想のいいおばちゃんに軽く会釈をして入室する。

指輪を外せないのが癪だが、やはり隔たり無く鳴る音が至高だった。

導入はパッヘルベルの『カノン』を弾き、チャイコフスキーの『ヴァイオリン協奏曲 二長調 作品35 第1楽章』へと移る。
脳に染みつく濃い旋律からなされる特徴的な曲。中盤まではゆったりとしたヴァイオリンの独奏が響き、終盤にかけて徐々に激しくなる。俺が小学生の頃、コンクールの際に弾いたものだ。
テンポが上がるにつれて左手指が複雑に動く。幾度となく練習して身体が覚えているとはいえ、薬指の違和感のせいで引っかかりを感じ、そのたびに小さく舌を鳴らした。

最後に、忙しない夕時から静かな夜へと移る情景を描いた自曲で心を洗う。
ヴァイオリンを弾いてる中でも、やはり自曲は特別だった。音やリズム、テンポ、自分の持てる全てを注ぎ込んだ技術や感情から紡ぎ出される曲であるのだから当然でもある。

仮面を脱いだ感覚だった。ヴァイオリンに触れている瞬間だけは、雑念や邪念といった雑音が介入せずに、脳が洗練される気分になる。
虚構に埋もれた中に本来の核があると再確認できて、どこか安堵した。

あっという間に二時間が経過する。時計は午後八時を指していた。
手入れを済まして部屋を片付けると、スタジオを後にした。

 

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