part1:Vivace②

 


「ペナルティを受けるタイミングって、ゲームオーバーの時と他言した時なんだよね。だったら、指輪は外してもペナルティは受けないってこと?」

昨日、準備をしている際に子どもに尋ねた時の会話だ。

驚くべきことに、いや驚くことでもないが、指輪に語りかけた瞬間、あの子どもが姿を現した。実体ではなく映像のようなものではあるが、俺の問いかけに反応することからも、AIの仕組みだろうとは見当がつく。

子どもは一瞬黙った後、顔を上げる。

「こう、お考えになったら如何でしょう。ゲームのスタートボタンが押されているにも関わらず、コントローラーを握らないままだと、どうなりますか?進行も反撃もできずに、ゲームオーバーになりますよね。つまり、そういうことです」

「……言うまでもないってことね」

「それに不思議なことに、『指輪はつけたままで』と『ルール違反するとペナルティ』の二点のみお伝えしておきますと、わざわざ私がお伝えしなくても、皆さん律儀に守ってくださるんですよ。人間は賢いものです」

子どもは達観したように、人を小馬鹿にする。

「でも、あえてペナルティがあると言わないところが、怪しいよね」

「でしたら一度、外してみたらいかがでしょうか?百聞は一見に如かずというものです」

子どもは素朴に提案する。俺は肩を竦めて、包帯を左手に巻き始めた。

***

午前の授業を終えて、昼休み休憩に入る。
わざわざ時間を潰してまで授業に出席する必要性は感じられないな、とすでに脳内に刻まれている数式が並ぶ教科書を捲りながら思う。
適当に学内を散策して、攻略対象を選別しようとスマホを手に取る。

「玲央くんって、彼女いるの?」

席を立とうとした瞬間、隣の化粧の濃い女がニヤニヤした顔で問う。さっそく下の名前で呼ぶ馴れ馴れしい奴だ。

「いないよ~。せっかく夏休み入るのに、寂しい奴だよね」俺はへらっと笑う。

「ふぅん……」

意味深に頷く彼女に、「俺、ここの街まだわかんないからさ、今日放課後、案内してよ」と尋ねた。

放課後、化粧の濃い女と街に出て適当に散策した後にカラオケボックスに入った。

「キスだけ?」

目前の名前も知らない女は、俺の頬に手を添えて艶やかな声で尋ねる。

「さすがに、こんなところではまずいでしょ」俺は肩を竦める。

「こんなところだから、いいんでしょ」

女は俺の首に手をかけて顔を寄せる。
ゲームにはキス以外必要ではないものの、『城島』というキャラクターの思考ならば、求められたら拒みはしないだろう。

「プレイ初日で一人目クリア……。案外、簡単なものじゃん」

貸し切ったホテルの部屋内のソファに座り、左手を天に掲げて呟く。

名前も知らない女に、好意なんぞあるわけがない。だが、カラーストーンに『1』と刻まれてることからも、カウントされたんだとは理解できる。

その瞬間、指輪が光り出し、再び子どもが姿を現した。

「君、暇なの?」俺は苦笑して尋ねる。

「そういうわけではありませんが、少しばかりあなたに関心を抱いているのですよ。ここまでゲームを『攻略』される方は初めてなもので」

子どもは淡々と答える。俺は軽く笑ってソファから立ち上がり、机に置いた相棒の元へと寄る。

「『恋愛ゲーム』なのに、まさか一ミリも好意を抱いてなくてもカウントされるとはね」

「元々、感情を尊重しない人が条件付きで高額の『永遠印』に手は出しません。それに、ゲームには攻略方法があるものです。ですが、学校も名前も容姿も性格も変えられるとは予想しておりませんでした。正しく知力と財力と人脈に富んだあなただからこそ『攻略』できたのでしょう」

「お褒めに預かり、光栄ですね」俺は目を細めて笑う。

「元々、女の子には困ってないよ。でも『白金』の名前が傷つくのが嫌だったからね。単純計算で、三日に一人の異性とキスしなければならないんだ。さすがに今までの環境でプレイすることはできなかったよ。だから、完全なキャラクターとステージを作る必要があった」

子どもは興味深気に俺を見る。

「ここまで攻略した俺だから言えるのかもしれないけどさ、正直こんなの『罰』とは思えないよ」

「あなたは、そういうタイプのお方でしたか」

「健全な男子高校生が、異性に興味がないわけないよね〜」俺は目を細めて笑う。

「ですが、彼女さんはそうでもなさそうでしたが」

「あぁ、寧々。家柄的に付き合ってただけだよ。特に用事もないのに連絡をしてくるし、正直邪魔だった」

ヴァイオリンを手に取ると、弦をクロスで磨き始める。こいつに触れてる時が唯一、心が落ち着く時間だった。

正直、アクセサリーひとつ身につけていたところで演奏に支障はない。だが、自分だけの空間に異物が混入した不快感を感じるので、昔から手にアクセサリーはつけなかった。腕時計も演奏の時には外している。

ヴァイオリンを弾いている時が本来の自分であれる時間。それなのに、この先ずっとつけっぱなしにするだなんて許容できる訳がなかった。

黙ったままの子どもに違和感を感じて顔を上げると、腕を組んで何やら思案していた。

「どうかした?」

興味はないものの、少しでも情報が得られるのならばと問いかける。
しばらくすると、子どもは俺に顔を向けた。

「今のあなたは『城島』というキャラクターに変わったと仰っておりますが、普段のあなたも『白金』というキャラクターのように見えますね」

「…………はい?」
想定外の言葉に、怪訝な顔になる。

「あなたは生まれつき、容姿と頭脳に優れ、才能に恵まれてステータスが高すぎるのです。周囲も、あなたを構成する数値ばかりが目に入ってしまう。そしてあなた自身も、株が暴落しないように努められている」

確かに、自分や環境を変えた理由は、全て『白金 玲央』の印象が落ちる懸念から生じたものだ。

「何が言いたいの?」子どもの言い方に引っかかりを感じて苛立ちが混じる。

「あなたは、心から人を好きになった経験がないのでしょう」

直球で問われて、僅かに怯む。

「……そう言われたらそうかもね。俺が本当に好きなのは、ヴァイオリンだけだよ」

変に強がっても無駄だとは理解しているので、開き直ったように答える。

「あなたが、このゲームを通じてどのようにお変わりになられるかは、見ものですね」

子どもは意味深な言葉を吐くと、姿を消した。

「ゲームを通じて、ね……」

さすがにゲームの為に、年齢を詐称して法を犯すことまではできない。だから学校という出会いの場の保険をかけたものの、正直、こんな街に二ヶ月もいるつもりはなかった。好意が必要でないのだから、夏休み中にでも終わらせられる気だってする。
感情さえ抱かなければ、簡単なものなんだ。

包帯を外して、消音器をつけたヴァイオリンを構える。そのまま流れるように弓を引く。

緩やかな旋律から徐々に上り詰めると、新しい春の来訪を祝福する明るくて跳ねる拍子となる。
パッヘルベルの『カノン』は、俺が初めて演奏した曲だ。今では息をするように弾ける馴染みの曲となっている。

自然と目を瞑り、響く音色に心委ねる。
最近は作曲にも力を入れていたので、理事長に告げた理由もあながち嘘ではない。唯一、本来の自分でいられる時間だからこそ、経験や感情を素直に乗せた楽曲が制作できていた。

「でも、今だと贋作になっちゃうだけだよねぇ……」

一曲弾き終えて構えを崩す。
無意識に左手に視線を向けていた。

「やっぱり、やりずらいなぁ」

左手薬指につけられた指輪の存在がちらつくたびに現実に引き戻される。パーソナルスペースに土足で入られた気分がしてかなり不快だ。

「ま、その為にも、さっさとゲームを終わらせなければね」

ヴァイオリンの手入れをして片付けると、浴槽へと向かった。

 

***

 

夏休みが入るまでの一週間は、攻略対象内に入った女には声をかけた。
『城島』用に準備したメッセージアプリの友だちの数が五十を超えた頃には、指輪のカウント数は『7』を刻んでいた。

「玲央くん、私のことは忘れないでね」

今日もカラオケボックスで、カウント条件以上の交流を終えた時のことだ。
その言葉を聞いて、ふと気づく。

「……馴れ馴れしく、名前で呼ばないでもらえるかな」

「え?」女の顔は強張る。

「俺は『城島』だからさ」

机に金を置くと、軽く手を振ってその場を去った。

「そうか……。クリアしたら、ゲームのことは忘れてしまうんだ。言及されてないけど、ゲームに関わりある記憶は、全て消えてしまうはずだよね」

俺のクリアラインは異常だけど、恐らく普通はもっと数が少ない。
『永遠印』に手を出す奴のことを考えたら、カウント条件を満たす為に相手に好意を抱こうと、真面目に取り組む奴が多いとは理解できる。また、行為を正当化する為に、自分に都合よく言い訳する奴もいるだろう。ゲームの内容が口にできないだけ尚更だ。
その中で、必然的に幸せな感情や経験を手に入れてしまう仕組みになっている。

「それなら『罰』は、……得た経験や時間を奪う、ってところかな」

確かに幸せな思い出が消えることが「恐怖」と感じるのは自然だ。
ただ忘れるだけなら意味がない。忘れる瞬間に、「思い出を忘れてしまうんだ」とプレイヤーに自覚させて恐怖を与えるのだろう。つまり、消える思い出が深ければ深いほど「罰」が重くなる。

「それなら、なおさら俺の攻略方法は、合ってたってことじゃん……」

『城島』でいる間は、思い出を作ったり、好意を抱いてはダメだ。

そこで、決めたことは三つ。

ひとつ目は、他人から物を貰わない。金で解決できることなら金に物を言わせる。
ふたつ目は、輪に入らない。できるだけ広くて浅い交友を心掛ける。
みっつ目は、ヴァイオリンに関することは他人に話さない。唯一本来の俺であれるものだ。
これらさえ気を付ければ「罰」だって怖くないはずだ。

夏休みが終わる頃には、カウント数は『15』を刻んでいた。
クリアラインまであと五人。夏休み期間で達成することは可能だったものの、「罰」の意味も理解した今では、せっかく準備したステージだからこそ、ゲームを楽しもうという気になっていた。

あと半月はある。今までは外見に吊られるような頭の悪い女ばかり攻略していたものの、少し趣向を変えてみるのもありかもしれない。

「せっかくなら、攻略難易度の高い人に手を出してみるのもありかな」

ソファから身体を起こし、窓にかかったカーテンを開ける。

相棒を手に取ると、目前に広がる夜景をバックに弓を引いた。

この時の余裕が穴だったとは、考えなくてもわかることだった。

part1:Vivace 完