part1:Vivace①

 


天を覆う木々から漏れる日差しが心地いい。
昨日、遅めの梅雨明けが発表されたばかりで、雨も降っていなければ、鬱陶しい湿度も感じない。夏の来訪を待機中、といったところだ。
すでに履修済みの授業を受けるよりかは、年に数日しか訪れない貴重な気候を味わう方が良いに決まってる。

人の気配がするな、そう感じて目を覚ますと、目前に見慣れた顔があった。

「玲央、やっと起きた!」

西園寺 寧々(サイオンジ ネネ)は、アッシュ色のゆるく巻かれた髪を揺らし、甲高い声で口を開く。寝起きには少々、耳障りな声だ。

「明日からテストなのにさ、寝てばっかりじゃん」

「昼寝できるほど、余裕がある証拠だよ」

「あ、出た嫌味。玲央の場合、本当に余裕だからムカつく」

寧々は頬を膨らませてむくれる。この場でテスト勉強をしていたのか、手にはプリントを所持している。

この空間は、本校舎から少し離れた庭園の片隅。人の話し声や雑音が届かず、心置きなく時間を過ごせる。
学内で数少ない一人になれる場所だったが、こいつにはすぐにバレてしまうものだ。

身体を起こす為に床に手をつく。何やら左手に違和感を感じ、顔を向けた瞬間、はたと目を丸くする。

左手薬指に、水色のカラーストーンのついた指輪がはめられていた。

「…………何これ?」

俺の反応に気づいた寧々は、「あっ、それはね」と嬉々として口を開く。

「今、話題の『永遠印』って指輪なんだよ!これをつけているだけで『永遠』を誓った証になるらしい。しかも『恋人優待』っていうやつもあってさ。ね、私たちも必要でしょ」

寧々は、目を輝かせて顔を寄せる。

「玲央、昨日も呼び出されてたでしょ。みんな、私という存在が見えてないんだもん。結構いい値段したんだから、大事にしてよね」

目に見える恋人の証、と寧々は得意げに指を鳴らす。

俺は不快な顔を彼女に向ける。

「前に言わなかったっけ?」

「えっ」

予想外の反応だったのか、寧々は少し強張った顔になる。

「俺は基本、手にアクセサリーはつけないって」

薬指に手をかけると、何の躊躇いもなく指輪を外した。

 

part1:Vivace

 

七月十二日。ゲームが開始して二日。昨日は一日準備に費やした為、今日から本格的にゲームをプレイすることになる。

「ここが、俺のステージか……」

目前には、年季の入った校門がそびえたっていた。俺の通っていた宝皇士学院高校の半分ほどの大きさだ。所々サビた箇所がレトロだとすら感じる。
視線をずらすと、『紫野学園高等学校』と書かれた看板が目に入った。
今は午前七時。グラウンドで朝練をする野球部の人が確認できるものの、登校する生徒はほぼ見られない。

この高校に目を付けた理由は単純明快、理事長と面識があるからだ。

昨日染めたばかりのカラーリング剤の香りが鼻孔を刺激する。髪に触れると、脱色してパーマを当てたことで、人形の毛のように固くて刺さる。自分で施しながらも、これが地毛なのか疑うほど変貌していた。
ピアスは、普段は透明のものを使用していたが、今日はリング状のものを着用している。カッターシャツのボタンは第二まで開け、ズボンもゆるく履いていた。

普段と反転した外見なだけに、正しくプレイヤーだと自覚させられる。
包帯で巻かれた左手を握りしめ、少しの緊張と期待を胸に学内に足を踏み入れた。

本校舎に入ると、まっすぐ理事長室に向かう。面識があるとはいえ、一応ノックをして戸を開く。

「久しぶりだね。白金くん」

理事長の岸田 源次郎(キシダ ゲンジロウ)は、目尻を下げて口にする。薄い頭髪に恰幅の良い体つきは、年齢相応のものと見て取れる。

「お久しぶりです。理事長」

「そんな、堅苦しい肩書で呼ばないでほしいな。昔は嬉々として『ハゲ』と呼んでいたじゃないか」

「いつの話をしているんですか」

窓辺に置かれたコーヒーメーカーを弄る理事長の頭を一瞥して近くのソファに腰を下ろす。

「いきなりご連絡したにも関わらず、ご快諾いただき感謝します」

「いやいや。むしろ、久しぶりに連絡を頂いて嬉しかったよ」

理事長とは、幼少期に通っていた音楽教室で偶然知り合った。腕利きの指導者を登用する為に、様々な分野の教室に足を踏み入れていたらしい。結局、うちの教室の先生には断られたと聞いたが。

彼の行動力の甲斐あってか、紫野学園高校は偏差値は低いものの、部活動は全国レベルだと聞いている。学園周囲に掲げられた横断幕や、窓から確認できる垂れ幕の数からもわかることだった。

「それにしても、さすが白金くんだね。次の楽曲テーマが『等身大の高校生』だからと、わざわざ自らが土俵に立つだなんて」

「経験ほど貴重な資料はないもので」俺は柔和に笑う。

「全力を注ぐ意欲は、昔から変わらないね」

ピッとコーヒーメーカーのスイッチの入る音が鳴る。俺は軽く頭を下げる。

「あと理事長。今は俺、『城島』ですから」

指輪を外したら始まる『恋愛ゲーム』。
寧々のせいで、とんだクソゲームに参加させられる羽目になったものだ。

 

***

 

二日前。指輪を外した瞬間、指輪のカラーストーンが光り出し、金髪のキューピッドのような子どもが現れた。
その子どもは、外見に似合わない淡々とした口調で、俺が条件を破った罰として、期間内に指定された人数の異性と両想いにならなければならない『恋愛ゲーム』に参加せざるを得ない、と説明した。

「待って。そもそも、条件って何さ」

寧々に振り向くと、彼女は顔を下に向けて口を結んでいた。

「寧々。説明しろ」

無意識に口調が強くなる。寧々は一瞬、肩をびくりと震わせると、おずおずと口を開く。

「……この指輪には『恋人優待』が利用できる代わりに、使用条件があったの。その条件が『指輪を外してはいけない』」

「何で、早く言わない」

「だって、そんなにすぐ、外すと思わなかったから……」

俺は子どもに向き直る。

「この通り、俺は知らされてなかったんだ。あまりにも不利じゃないか」

頭では、こんな理屈が通らないとはわかっている。それでも納得できる訳がない。
案の定、子どもは表情を変えることなく「そちらの事情は、私たちには関係がありませんね」と突き放すように答える。

「どのような理由であれ、指輪を外すという条件を破られたことは事実です」

「……わかってるよ。で、クリアラインってものは?」苛立ちからも、発言を急かすように問う。

「頭の良い方は、飲み込みが早いもので感心しますね」
子どもはにこにこと微笑み、咳ばらいをする。

「玲央さんの場合、クリアラインは【二ヶ月で二十人】になります」

「…………何の冗談かな?」

「冗談ではありません。クリアラインは、優待アプリに登録した情報を元に、算出された結果になります」

「優待アプリって何?」

再び寧々を見る。よく見ると、彼女の傍らには俺のスマホが置かれていた。

「……玲央が起きたら、すぐに使えるように、勝手に登録しちゃってたんだ……」

寧々は俯いたまま告白する。そんな彼女を見て、長い溜息を吐いた。

「本当…………やってくれるね…………」

今は感情的になっても無駄だ。こいつとは後で話をするとして、今はこの現状を理解することが先だ。
俺は子どもに向き直る。

「指輪を外す、という条件を破った罰として参加させられる『恋愛ゲーム』。俺の場合、二ヶ月で二十人の異性を好きにならなければならない。カウント条件は『唇へのキス』。それ以外の自由は奪われない。だけど、ルール違反やゲームオーバー時にはペナルティがある。で、OK?」

今、聞いた内容を確認する。口にすればするほど、何を言ってるのかわからなくなる。
子どもは、「やる気があるようで、嬉しい限りです」と答えた。やる気じゃなくてやけくそだ。

「でさ、ペナルティ内容って何?」

突飛なゲームだ。聞かなくても粗方、想像はできる。

「眠っていただきます」

「期間は?」

あえて素朴に聞き返す。子どもは静かに俺に振り返る。

「先ほどもお伝えしましたが、私たちは『永遠』の概念です」

「冗談キツイよ〜」

両手を広げて首を振る。いっそ夢だと言ってくれ。

アクセサリーに「外したらダメ」だなんて使用条件、聞いたことがない。だが現に、俺が指輪を外したことで、指輪から子どもが映し出されて条件を破った『罰』を提示している。
あまりにも異様な光景だが、今起きていることが現実だと判別ができるほどの頭脳は所持してる。

「そんなあなたたちに、一度だけチャンスを与えます」

子どもは指を立てて宣言する。チャンスという言葉に耳を傾けた。

「もしも、今ここで玲央さんが再度指輪をつけ、お二人の『永遠』を誓い直され……」

「必要ないね」

子どもが言い終わる前に突っぱねる。寧々がどんな顔をしているか想像できるが、振り向く気にもならない。

「残念ですね。では、今回はこのままゲームに参加ということで、玲央さんは一七二四人目のゲームプレイヤーとなります。優待は利用できませんが、指輪はつけた状態でお願いします」

その言葉を最後に、子どもは姿を消した。

「少しくらい……考えてくれてもいいじゃん…………」

寧々の、今にも泣き出しそうな声が届く。

「この先、ずっとつけてなきゃだめなんでしょ。そんなの無理だよ」

できるだけ冷静に努める。こいつの突飛な行動は今に始まったことではないが、全て俺への好意から動いているものだと、理解はあるからだ。

「そもそも、少しでも演奏の支障にきたす障害は避けたいんだって前に言ったはずだよ。左手の指なんて特にだよ」

「玲央は……彼女より、ヴァイオリンを優先するんだね」

「当たり前じゃん」

「玲央のばか…………!」

寧々は、泣きながらこの場を去った。
後を追う気にもなれない。それに、これを機に彼女と縁を切れるのならば、むしろ都合がいい。

俺は再びその場で寝転び、天を仰いだ。

「それにしても、二ヶ月で二十人はふざけてるよね~……」

溜息が止まらない。それでも現状を受け入れ、どのように対処すべきか、すでに頭は回り始めていた。

 

***

 

「その外見も、今回の為に?」
理事長は俺にカップを差し出す。焙煎されたコーヒー豆の香りが部屋を充満していた。

「形から入るタイプですから」

「親御さんが見たら、びっくりするんじゃないかな」

理事長は軽く笑うが、俺は強い視線を向ける。

「理事長。電話でもお伝えしましたが、今回の件は、俺と理事長の間だけが知っていることです。くれぐれも、他言されないように」

「俺の半年分の給料を頂いちゃったからね。やれることはやるよ。だけど、本当に二ヶ月だけでいいのか?それに、来週からうちは夏休みに入る」

「えぇ。俺がここにいるのは、九月十日」

「ちょうど、うちの体育祭の日までだね」理事長はにっこり笑う。

理事長に、適当な理由と金を渡したことで、俺のゲームステージの場を設けることができた。
元々彼は、俺のヴァイオリンに賭ける熱意を汲み取っていたこと、さらに地元から隣県、一本電車を乗れば街に出られる好立地だったことが、ステージとなる決定打となった。
二ヶ月しかないんだ。少々手荒で早急にならした場ではあるが、立てないことはない。

通っていた高校や家族にも、具体的な行き先は明かしてないものの、同じ理由を告げていた。多少身勝手な行動をしようとも、今まで結果を残していたことから、多少の自由は許されるものだ。ちなみに昨日から始まったテストはすでに昨日、全ての教科を受け終えている。

他の奴の後始末は寧々に任せていた。『恋愛ゲーム』が他言禁止なルールからも、あいつがヘタなことを言ったところで、あいつがペナルティを受けるだけだ。

「今日から君はうちの生徒だけど、テストは受けなくてもいいよ。担任は俺の信頼できる人にお願いしたからね」

「何から何まで、ありがとうございます」

「君の意欲は前々から感心するよ。二ヶ月とはいえ、うちの生徒になってもらえることは鼻が高い。どうだ、どうせなら卒業までうちの生徒として過ごしては」

「ご冗談を」軽く笑って目を逸らす。

そのタイミングで理事長室が開いた。
振り向くと、細見でスーツの若い人が立っていた。この人が俺の担任だろうとは見当がつく。

「君が『城島 玲央』さんで大丈夫かな?」

「はい」

「今日から僕のクラスでお世話になるよ。じゃ、もうすぐで授業が始まるから教室に行こうか」

その声に引かれるように、理事長室を後にした。

 

***

 

長い階段を上がる。エレベーターやエスカレーターといったものは備わっていないらしい。三階まで毎日階段を上がるのは少々面倒だ。
すでに始業のベルは鳴り、着席しているのか、廊下に人の気配は感じられない。

「城島くん」唐突に担任は口を開く。

「は、はい」

「この時期の転校は、君自身大変だと思うけど、僕も出来る限りサポートするから安心してね」

担任は優しく笑う。俺は軽く頭を下げる。

少し反応が遅れてしまった。いまだ慣れないものだ。
『城島』という名前は、読んでた本から適当につけたものだ。母親の旧姓を名乗るか迷ったが、カウント条件的に、頭の悪そうで女好きの軽いキャラクターになる必要がある。そんなことで、母親の名前を汚したくはない。

一日時間を費やしたものの、ゲームステージが完成し、『白金』とは全く関わりのない、架空のキャラが完成した。
今ここにいる俺は、完全な『ゲームプレイヤー』となっていた。

とはいえ、ここまで準備したからには楽しもうと思っていた。ゲームとは、娯楽の一環に分類されるものだろう。

教室内に足を踏み入れた瞬間、一気に視線が注がれる。見られることには慣れているものの、その目の色が普段とは違って新鮮だ。
転校初日から、脱色された髪色にピアス、着崩された制服姿であるのだから仕方ないなとは自分でも思う。

「隣県から来ました、城島玲央です。みんな仲良くしてね」

外見通りの印象を与える為に、軽く手を振って挨拶する。緊張感の感じられない態度に、みんな気の抜ける顔をしている。出だしは好調か。

担任の指差した席まで向かう。

「ケガ、大丈夫?」

隣の化粧の濃い女が話しかけてくる。

「そうだね。痣が残ってしまって。でも全然平気だよ。心配してくれてありがとうね」

目を細めて手を振る。女は興味深気な目になって俺を観察するが、適当に顔を逸らした。

包帯で巻かれた左手に目をやる。ただでさえ指輪で違和感があるにも関わらず、屈辱ですらある。
だが、ゲームを有利に進めるには、指輪を隠す必要があった。

 

***