朱塗りの大きな鳥居の前に立つ。藍河区を代表する観光名所に、二日連続で訪れることになるとは露ほども思っていなかった。
時刻は、午後四時二十九分。噂の時間まで十五分。
「今日は俺も、鬼と会うぞ~」
東は、まるで友人と会うような調子で言う。その隣では、西久保がやれやれと手を振る。
鳥居をくぐり、本殿へと向かう。今日もちらほら観光客が確認できた。
やっぱり違う。今日は妙な胸騒ぎがしない。昨日と同じ場であるのに警戒していなかった。
気を逸らす為に周囲を見回すが、そこでとある人物が目に入った。
「北条くん、だ」
境内にクラスメイトの北条がいた。和服を着用し、箒で落ち葉を掃いている。彼の神聖な空気と神社が馴染んでいた。
西久保と東は、北条を見るなり顔を強張らせる。
「げ、北条じゃん」
「あいつ、何でこんなところにいんだよ」
二人は、まるでいたずらがばれた子どものように身を縮める。そこそこ大きい声だったのか、北条はこちらに気が付く。
「おまえ、こんなところで何やってんだよ」
東は、開き直ったように近づく。「おまえも本当は、噂が気になっていたんだろ」
「もしかして、バイト? ダメだよ~まだ中学生なんだから」
勝手に盛り上がっている二人を、北条は澄んだ目でじっと見る。
「ここは、僕の家だ」
「家!?」
東と西久保は一変して奇声を発する。莉世も目を見開いて口を開ける。
「この神社の宮司は、僕の父だ。だからこの境内に住んでいる」
「まじか、家が神社って、すげぇな……それも、こんなでけぇ神社……」
東は感嘆の声を上げた。意地を張る余裕すら忘れている。
「でも、神社に住むのって、ちょっと恐そう……」
西久保は、顔を引き攣らせて言う。
「ま、おまえの家とはいえ、ここは二十四時間入っても良いって聞いてるしな。勝手に神隠しを確かめさせてもらうぜ。昨日俺だけ上に上がっちまったからな。鬼に挨拶しなきゃいけねぇんだ」
東は友人に会うように言うが、そこで西久保があっと指を立てる。
「そういえばさ、猿、昨日上行って何見たのさ」
その言葉に莉世もあっと思い返す。確か先に上に上がった東は「すごいものがある」と言った。
「あぁ、そういえば。これこれ」
東は思い出したようにポケットを探る。取り出されたものは、水晶のような石だった。手のひらサイズで、端は割れたように歪に欠けている。
「ただの石じゃん」西久保は大げさに落胆する。
「よく見ろ。ただの石じゃねぇよ。星型のマーク入ってんだろうが」東は唇を突き出して石を見せる。
確かに石の中央に、五芒星が刻印されていた。人工的に入れられたのか不明だが、硬い石にゆがみもなくきれいに彫られている。と同時に莉世は無意識に服の上から触れた。魔除けとして使用しているこのペンダントと似た品に見えた。
東の持つ石を見た北条の表情は険しくなる。
「その石は危ない」
「え?」
「触れると命が吸われる」
「嘘だろ!」
東は反射的に石を離す。地面に落ちた石はカランカランと乾いた音を鳴らした。
慌てる東をよそに、北条はおもむろに石を手に取る。
「おい、命が吸われるんじゃないのかよ」
「普通の人間はな」
北条は石を袖に仕舞う。「これは父上に渡しておく」
冷静な北条に、「そ、そうか……ありがとよ」と東は引き攣った顔で言った。莉世は、呆気にとられる。
東の持つ石は、ほぼ確実に莉世が胸に付けているペンダントと同類のものだ。その効果が「魔除け」と「命が吸われる」なんて、対極にもほどがある。それに実際、常に身に付けていても命は吸われていない。
北条を窺う。恐らく冗談で口にしたのだろうが、冗談を言っているようにも見えない。
「あ、そろそろ時間になる。早く行こ」
西久保は、焦燥気味に言う。手には術書を持ち、妙にやる気に感じられた。
「やべ、ほんとだ。走れ!」
そう言うと、東と西久保は、本殿裏へと走り出す。乗り遅れた莉世は、その場に立ち尽くす。
北条に振り向く。その表情は、何か考えているようにも、何も考えていないようにも見える。
北条は数秒静止していたものの、何事もなかったかのように再び箒で地面を履き始めた。
「い、良いの……?」莉世は、北条に問う。
「忠告しても、ここにきたのは君たちだ」
北条はピシャリと言い放つ。ぐうの音も出ない。
「それにもう、あそこに物の怪はいない」
「そうなんだ…………え?」
「あの山の鬼は、昨夜浄化された」
唐突な告白に、反応が遅くなる。北条は、変わらず澄ました顔をしていた。
「な、何でわかるの?」
「ここは、僕の家だから」北条は当然の如く答えた。
昨日と同じ神社であるのに警戒心の薄れていた理由。
北条の言う通りに、鬼がいなくなったからであるのは間違いないはずだ。昨日訪れた時は、境内に入っただけでも異質な空気を感じた。
だが、どうして北条から聞く前に、今日は鬼がいないとわかったのだろうか。
いや、わかってはいなかった。今日は危険がないだろう、という妙な直感が働いただけだ。自分の場合は、よく直感が当たるというだけで、何の根拠もない。
未来を視るなんてことは、ありえないのだ。
自分に弁解することに必死で、莉世は黙り込む。そんな彼女を北条は一瞥すると、懐から何かを取り出す。
「『松風』」
北条がそう呟くと共に、白煙が舞い上がった。
「わっ……何?」
咄嗟に手で顔を覆う。しかし、突如目前に現れた「何者か」に目を見張った。
「ふぅ~。久しぶりに解放されたと思ったら、また掃除か」
煙の中から姿を現した青年、松風は、頭を擦りながらぼやく。琥珀色のラフな髪に額にゴーグルが装着されている。和服を着用した人の容姿でありながらも、背中には「翼」が生えていた。
唖然とする莉世をよそに、北条は松風に近寄る。
「雑用が多くて悪いな」
「ははっ。まぁ、これがオレの分野でもあるか」
松風は軽く笑うと、翼を大きく動かした。ばさっと鳴ると共に、地面に散らばっていた木の葉は風で踊り、円を描いて中心に寄っていく。
瞬く間に、散乱していた木の葉が一か所に集まった。
「す、すご……」
莉世の呟きに松風は気付く。突然目が合ったことで莉世はたじろぐ。
松風の目の色は変わる。
「あれ、この子…………」
「松風」
その声と共に何かが宙を舞う。松風は振り向き、それを可憐にキャッチする。
「いつもおまえばかり使って悪いな。一番扱いやすくて」北条は言う。
「いやいや。他の連中がやりずらいのは、オレも知ってるし」松風は肩を竦める。
「ま、オレはこいつがありゃいくらでも働くよ。じゃ」
松風は、手に持つ林檎を軽く振ると、ボンッと白煙を出して姿を消した。北条は、松風の消えた神札を袖に仕舞う。
莉世は、状況を理解するのに時間がかかった。
何だったんだ、今のは。
「い、今のは……」
やっとのことで言葉が口に出る。
北条は、莉世を一瞥すると「鬼神だ」と短く答えた。
「鬼神って?」
「いわば、怪異の一種だ」
莉世は両腕で身を護る体勢になる。だが、北条は態度を変えない。
「『式神』と聞いたことがあるだろう。これは『鬼神』とも呼ばれ、簡単に言えば、主に仕える神だ。人間に害をなす物の怪ではない」
北条的に、「怪異」は科学で証明されない現象あるいは存在、「物の怪」は怪異の中でも人に害をなす存在、の認識で使い分けているようだ。怪異全てが悪ではないらしい。
「この鬼神は、うちにある『呪石』を見張る為に、北条家に仕えている」
「今は、掃除をさせてたように見えたけど……」
「主の命令を聞くのが鬼神だ」
北条は毅然と言うと、本殿の方へ顔を向ける。
「北条家に仕える鬼神は全員で十二体。一体でも物の怪に立ち向かわせることのできる強力な神なんだ。だが、それでもなお、呪石の力が上回ってしまった」
呪石にヒビが入り、この街に怪異が増えたことを指しているのだとは莉世も伝わった。
北条は、悔しそうに目を細める。
「呪石を浄化するには、呪石によって生み出された物の怪を浄化して妖力を削る必要がある」
「妖力を、削る……」
「鳥が鳥小屋から脱走したならば、鳥を捕まえてから小屋の鍵を締めるものだろう。数匹逃せばその鳥は遠くへ離れ、さらに繁殖する可能性もある。物の怪もそれと同じなんだ」
そこまで話すと、北条は空を見上げる。
「無知のまま怪異に近づくのは危険だ。だが、誰かが物の怪を突き止め、浄化しなければならない」
莉世は胸元のペンダントを握る。科学で証明されない「怪異」という存在を目の当たりにしたことで、改めて突きつけられてしまった。不可思議なことは、夢の中だけでなく現実でも起こる。
それでも、どうしても認めたくなかった。本当は救えたのかもしれない、と考えれば考えるほど、悔しさと後悔に苛まれる。
未来を知っていたのに、見て見ぬふりをした。そんなどうしようもなく惨めで意気地なしな自分を認めたくなかった。
再び黙り込んだ莉世を、北条は静かに見ていた。
☆☆☆