2時間目:国語7



花粉の時期も終わりを迎え、肌寒さも無くなりつつある春真っ只中。

温かい日差しが、眩しくて鬱陶しいと思った。それほどに気分は、最悪だった。

莉世は目覚まし時計を止めて十分、呆然と静止中。

頭が全然回らない。それは気候のせいなのか、起きたてだからか、夢のせいなのかはわからない。

「また、悪夢…………」

隣を見るが、すでに布団は畳まれていた。この街に来てからすっかり日常となっている。

莉世は、五芒星のペンダントを手に取り首にかけた。

自分には未来を視る力がある、と言った白髪の青年を信じたわけではない。だが、ずっとこの悪夢を一人で抱えているのが不安だった。

いくらお守りのペンダントがあるとはいえ、誰かに話を聞いてもらいたかったのだ。

彼だったら、受け止めてくれるだろうか。

莉世は大きく深呼吸すると、学校の準備を始めた。

☆☆☆

今日は普段よりも三十分早くに学校へ向かった。

この学校には部活動の朝練はないようで、校門周辺は普段よりも静かに感じる。朝早くに学校へ行こうと思う優等生なんて公立には滅多にいないものだ。

時刻は、午前七時三十一分。

人の少ない物珍しい風景を新鮮に感じながら下駄箱へ向かう。

教室扉の窓から中を窺う。案の定、登校している人物は、窓側席の彼だけだ。普段と同じく外を見ている。

莉世は、大きく息を吸って扉を開く。力が入っていたのか、扉はガラリと大きく音が鳴る。だが少年は、こちらにひと目もくれずに外を眺め、相変わらず余裕が感じられる。

莉世は構わず北条に近づく。気配に気づいた北条は、こちらに顔を向けた。

「おは、よう」莉世は、語尾を強くして言う。

彼女の剣幕に圧倒されたのか、北条は数秒静止すると、「おはよう」とぽつりと言った。

「ねぇ、北条くん。昨日、物の怪は浄化しないといけないって言ったでしょ?」

そう言うと、北条は顔を上げて莉世を見る。

「私、次、どこで物の怪が出るのかわかったの。だからこれ、浄化しないとダメじゃないのかな」

莉世は正直に伝えた。

自分ひとりで考えてもわからないことは、他人に頼ってしまえば良い。特に北条は、怪異について妙に詳しいのだから。

どうして、と尋ねられると思ったが、北条は表情を変えずに首を捻った。

「それを僕に言って、どうするの?」

「ど、どうするって……」

不意打ちの反応に戸惑った。「昨日言っていた物の怪が出るんだよ」

「残念ながら、僕には物の怪を浄化する力はない」

北条はあっさり言い切る。「でも彼女なら」

「彼女?」

「あの、ヤマンバみたいな人」

「あぁ」

莉世は苦笑する。「それ、西久保さんの前では言わない方が良いかも」

「名前を覚えるのは苦手なんだ」

北条は、開き直ったように答えた。

「彼女の持っていた、あの術書で浄化ができる」

驚いた顔で北条を見る。

北条は考えごとをしているのか、遠くを見ていた。

「あの本は昔、活躍した陰陽師が書いたものなんだ」

「そ、そうなの? って、誰……」

昔、活躍したというアバウトな言い方に引っかかる。

「名前を覚えるのは、苦手なんだ」

北条は、繰り返し口にした。

「あの術書をなぜ彼女が所持しているのかはわからないけど、でもあれは本物だ」

北条の言葉の真偽はわからない。だが昨日、彼が「四人ならば可能かもしれない」と言った根拠が、西久保の所持する術書にあるとは伝わった。

そこで扉がガラリと開いた。



「あれ、おまえら早いな。ってそういえば、入学式ん時も、おまえらが一番だったっけ。学校早くに来んのなんて、優等生か学校好きかしかいねぇぞ」

東は威勢良い声で教室に入る。根拠のない自信に満ち溢れた足ぶりだ。その後ろには、耳を塞いでいる奇抜な着こなしの西久保がいた。

「あーもー朝から鬱陶しいんだよ、そのテンション」

「うるせーのはおまえだ。大体おまえが俺の登校時間に……」

「あ、あのさ、東くん。今日は、どこかに行くの?」

莉世は、二人の言い合いを無視して問う。東は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔を向ける。

「お、南の南雲、やる気だな。リーダーは嬉しいぞ」

「何であんたがリーダーなの」

「東西南北は、東が先頭じゃねぇか」

「地図上じゃ北が上だけど」

「この近くにさ、最近使われなくなった病院、みたいなところある?」

莉世は東と西久保の言い合いを完全スルーで続けた。

「使われなくなった病院?」東は目を丸くする。

「あ、それって、神社の近くにあるところじゃない? 新しく何かができる為に壊されることになった」

西久保は指を立てながら言う。

「たしかその病院に、手術中に亡くなった少女の霊が出るって聞いた」

夢を思い出す。病院独特の薬品や、アルコールの衛生的な香り。そして確かに、少女の声は聞こえた。

たまらず身震いする。少女に耳元で囁かれている感覚になった。ただの悪夢であってほしい願望は強い。

「じゃ、今日はそこに行くか」

「でも、そっかぁ、神社じゃないのか……」

西久保は残念そうに呟く。

「神社?」莉世は問う。

「べっ、別に気になってるとかじゃないけど」

西久保は、手を振って露骨に否定した。

昨夜視た夢。相変わらず直視していなかったものの、その場で感じた匂いや空気、気温、そして声は今でも覚えている。

思い出すだけで背筋が凍る。

やっぱり悪夢には近付きたくない。夢で終わらせたかった。怪我するかもしれない。死ぬかもしれない。

だが、いつまでも夢に怯えながら生活するのも辛い。

私の夢は、本当に未来を視ているのか。

夢だと確認して安心する為にも、今は行動すべきだと妙な直感が言っていた。

「無知のまま物の怪に近づくのは危険だと言ったはず」

冷静で刺さるような声に我に返る。

顔を下げると、東と西久保は唇を突き出し、北条は眉間に皺を寄せて腕を組んでいた。三人の様子から、北条は病院の怪異を確かめに行くことに賛同できないようだ。期待していただけ莉世の顔は曇る。

「昨日、北条言ったじゃん。四人ならできるかもしれないって」

西久保は肩を竦めながら言う。

「それは、物の怪と対峙する準備ができていたらの話だ」

「でも俺、気になったら確かめねぇと気がすまねぇよ」

夢を確かめたいとは考えていたが、それは北条がいることが前提だった。

彼がいなければ正直、不安過ぎる。

「北条くんも、来てほしいな……」

無意識に不安が口から漏れてしまっていた。

「ほら、南の南雲も言ってるぞ。おまえそれでも男か?」

東は挑発するような顔で笑う。

「北条、結構ビビりなんだ」

西久保も揶揄うように言う。

北条は、しばらく黙り込むが「わかった」と短く答えた。

彼の返答を聞いた三人の表情は緩む。

「そうだ。それでこそ同盟だ」

東が満足気に言った瞬間、ベルが鳴った。

北条以外の三人は、それぞれ席へ向かった。

莉世は北条に振り返る。

窓の外を見るその顔は、どこか不貞腐れているようにも見える。

「な、なんかごめん……」

乗り気でない北条も付き合わせることになったが、彼がいてくれなければ恐いのだ。

しかし北条は、「こればかりは、どうしようもない」と案外諦めていたように首を振った。

☆☆☆