履修登録も終わり、授業も本格的に始まっていた。
次の講義は、刑法。法学部の一年生は全員履修する必修科目なだけに、大教室で行われる。
教室の扉を開けると、ざわざわと人の声が届いた。私は、教室内を見回す。
大学生活が始まって一ヶ月以上立った今、気付いたことがある。
教室の座る場所で、大体の民度がわかる。特に大教室で行われるほど顕著に現れるものだ。
大教室は、高校教室の三倍以上広く、後ろの席なんてほぼ板書が見えない。真面目な教授は、スクリーンで黒板を投影するが、スクリーンを使わない適当な教授もいる。
そんな大教室の座る位置。前方は、一人や二人組が多く、皆机上にレジュメやノートを広げている。対して、後方はグループで座っている人が多い。机上には、ノートではなく、漫画やお菓子などが広げられている。
そして、基本的にどの講義も、後方の席が埋まっている。
この大学のランクも目で見えるものだ。良く言えば、最低限の偏差値なら入れる一般的な私立大学とも言える。そんな大学に入部する生徒のランクも比例するものだ。
「Fランク大学、か……」
とはいうものの、自分が同類だと認めたくないので、変な意地で前方に向かう。
前から三列目に柔らかい巻き髪でシフォン素材のワンピースを着た女性を見つける。月夜だ。
私は、彼女の元へと歩く。
「月夜も、抗ってるんだ」
「は?」
「いや、何でもない」
月夜の隣に腰をおろす。彼女は、無表情のまま、何やらレポートをまとめていた。私は首を傾げる。
「課題、あったっけ?」
「いや、これは講義ノート」
「講義ノート?」
そう問うと、月夜は、すっとシャーペンを立てる。
「講義の板書をまとめたノート。ほら、別館の隣に小さな家あるでしょ。テスト前になると、あそこで講義ノートを販売するらしい」
「ノートの販売? 何のために?」
「板書を、お金で買う人たちの為に」
月夜が、シャーペンで後方を指す。「講義ノートを買うと、大抵単位は取れるから」
私は苦笑する。彼女もこの大学のランクを理解しているらしい。
板書を取ってなくても単位が取れる仕組みを知ってしまった。ある意味大学生活を謳歌するライフハックなのかもしれない。
「で、その講義ノートを作って提出すると、お金がもらえるの」
「ノートを生徒から買って、それを売ってるんだ」
月夜は頷く。「刑法は四単位だから、通常の講義の倍もらえる。割に良いよ」
「合法なの?」
私は引き攣った顔で問う。月夜は澄ました顔で私を見る。
「教授の板書に著作権とか発生しないでしょ。なんなら、まとめてるのは私なんだから、私が著作者」
「確かに、そうかぁ」
自分の受けてる講義の板書を提出するだけで稼げるなら割に良いかもしれない。それをすでに知ってる彼女も抜け目ない。
カバンから教科書とノートを取り出す。「月夜は、打算的だよね」
「私は、できるだけ働かずに仕事することが目標だから」
真面目な顔で答える。彼女らしくもあった。
「お〜、いたいた!」
気の抜ける特徴的な声が届く。天草が片手を上げてこちらにやって来た。
スポーツブランドのパーカーに、カーキパンツ。何の壁も感じられない、ラフな格好だ。天パは健全に跳ねている。
「こんなに前座るって、やっぱおまえらは、マジメだな」
天草は、周囲を見回しながら言う。
「天草は、不マジメだ」
「だってこの教授、話長ぇだろ」
天草は開き直ったように手を広げる。「そのくせ出欠とるしよ〜」
この講義は、出欠点が単位評価の半分をしめていたので、板書は捨てても単位がほしければ出席しなければいけなかった。
どうせなら板書もとれば講義ノート代も浮くのに、と思うが、人間なんて、そう打算的に行動できないものだ。
「でだ、そんなマジメなおまえらに、頼みがある」
パンッと天草は両手を合わせる。「先週の板書、写させてくんねぇ?」
「友達と受けてないの?」
「一緒に受けてる奴らが、板書取ってるとでも?」
当たり前のように言う。類は友を呼ぶとはこのことか。
「私は、商品だから難しい」月夜はレポートの手を止めることなく答える。
「商品?」
天草は首を傾げる。
講義ノート、と言うと、「あぁ、地咲、講義ノートやってんのか」と天草は全てを理解した。
「ちぇ、倉木は?」
「書いてるけど……」
「やりぃ、センキュ〜!」
天草は、しめたように指を鳴らす。私はムッとして口を開く。
「まだ見せるとは、言ってない」
「昼メシおごってやる」
「ビフテキ定食で」
手のひら返しとはこのことだ。
キーンコーンカーンコーンとベルが鳴る。
天草は、じゃ明日の部活で、と手を掲げて席へと戻る。彼は一番後ろの座席の男グループの中に腰を下ろした。
「ものにつられるのは、私だけじゃないじゃん」
月夜がぽそりと呟く。
「食事って意外とお金かかるじゃん」
教授が教室に入ってきたので、準備をした。
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