夏休み➃



 結果をいえば、イベントは上々の出来だった。

 初めて解説班の一員として、プラネタリウム解説や、スライド解説を行ったが、子どもたち向けに作成したシナリオが好評だった。

 イベントの後は、外に出て部内で観望会を行ったりしたが、その日はあいにくの曇りだった。
 天体も、雲の隙間から一等星が覗く程度だ。天体観測で一番難しいのが、雨ではなく曇りの日だ、とも学んだ。

 曇り空のように、私の心も曇っていた。
 気づけば、土屋さんを目で追っているが、話しかける勇気がない。

 土屋さんは部長で、イベント監督として率先して行動していた。そんな彼の邪魔はできないし、近づくこともできなかった。

 土屋さんからも、話しかけてくれない。

 いつもは、何かと私を気にしてくれていた。メッセージでもそうだ。
 だけど今回は、天文台についてから一度も話していなかった。

***

 次の日の朝。
 朝食を取り、諸々の片付けを終えた後、ロビーに集まった。

 宿泊した場所は、一般の公共施設。シャワーは備わっていたが、ベッドやふとんまでは人数分備わっていない。
 その為、大部屋で雑魚寝という形だった。大学生の扱いなんて、大抵そんなものだ。

 満足な睡眠が取れるわけもない。皆、顔には疲労が見られた。
 オールで起きていた人もいたようだ。昨晩からロビーで麻雀をしていた人たちは、妙なテンションで、皆の顔を覗き込む。

 天草や金城たちもオール民のようだが、すでに限界のようで、歩きながら寝そうな勢いだ。

「じゃ、今から帰ります。順番にバス向かおうか」
 土屋さんが、そう切り出すと、まずは機材から、と誘導を始めた。

 そんな彼の様子を、茫然と見つめる。

 眠気と疲労で思考が回らず、隠すことなく視線を送り続けていたようだ。
 土屋さんが、こちらを向いた。だが、目をそらして反応する元気すら、今の私にはない。

 土屋さんは、ジッとこちらを見る。
 ずっと起きていたのかもしれない。その目には、クマが見られた。

 ふっと、表情が和らいだ。

 土屋さんは、こちらまで歩くと、私の頭をポンッと叩いた。

「空ちゃん。もう帰るだけだから、あと少し頑張ってね。お疲れさま」

 そう言うと、土屋さんは、スッとこの場を離れ、皆の誘導に戻った。

 今、何が起こったのか理解するのに時間がかかった。
 遅れて、ジワジワと実感を始めた。

 無意識に自分の手で頭を撫でる。次第に頬が熱くなった。

 いつもの、土屋さんだ。
 皆をまとめるしっかりした部長で、大人な彼だ。

 昨日からのモヤモヤが、一瞬で晴れたようだ。

 そう思った瞬間、一気に安堵が溢れた。
 目に浮かぶ涙がバレないように欠伸したフリをした。



***

 午前中に自宅に帰宅すると、その日は爆睡した。目が覚めた頃には夜になっていた。

「空〜。いい加減起きなさい。風呂湧いてるわよ」

 母親の声で意識が戻る。苛立ちのこもった声につられるように、私もムッとなった。

「うるさいな〜…」
 
 昨日は、寝れなかったと伝えたはずなのに、容赦ないもんだ。自分のペースで事が進まないと機嫌が悪くなる。
 こういう時に、下宿だと楽なんだろうなと感じる。

 私は、渋々身体を起こして、浴室へと向かった。

 風呂上がり、冷えた炭酸ジュースとスマホを手に持ち、ベランダに出る。
 炭酸ジュースは、昔から、自宅で観測する時の相棒だった。無心で空を眺めていると、気づくと喉が渇く。欠かせない存在だ。

 私は、ベランダに身体を預け、スマホを開く。

 昨日から、土屋さんに返信をしていなかった。今さら返信しても良いだろうか。

 しばらく悩んだ後、意を決して文字を打ち込む。

『イベント、お疲れさまでした。ゆっくり休んでください』

 なんとも面白みのない定形挨拶文だ。
 だが、これ以上何かうまい言葉も見つからない。定形の定義は、無難に広く使えるから定形となるのだ。
 
 送信した後、空を見上げる。

 今日は昨日よりも薄い雲だった。だが、まだ街が明るいので、星はそこまで見えない。

 昨日訪れた天文台は、外灯の光が届かない山奥だった。晴れていたら、きっとこの街よりもっときれいに見えていたんだろう。

 雨ならば、諦めがつくが、雲だと判断が難しい。
 日時の決まっている観望会だと、曇りという天候が一番厄介だと知った。今まで気まぐれで空を見ていただけでは知らなかった現実だ。

 ぼんやり眺めていると、通知音が鳴った。

『空ちゃんもお疲れさま。すごく眠そうだったから、今日はゆっくり寝てね』

 赤面した。土屋さんは、本当に人を見てる。
 何故か強気になった私は、すぐに返信する。

『今まで寝てたので、もう復活しました』

『本当? じゃ、今日は構ってくれるんだね』

 はた、と返信の手が止まった。土屋さんの言葉の真意が見えない。

『構ってもらえる、ですか?』

『うん。だって昨日は、お預けくらったからね』

 思わず笑みが溢れる。やはり、あの顔文字の意味は、寂しかったというのだろうか。

『先輩、もしかして寂しかったんですか〜?』

 ふざけた調子で送った。
 だが、既読がついても数分、返信がなかった。

「あれ、もしかして、怒った……?」

 急激に不安になる。
 だが、つかの間、通知音が鳴った。

『よくわかったじゃん』

 素っ気なく、そう返信が来た。
 何か返そうと文字を打ち込んでいると、続けてメッセージが来た。

『俺いなくても、空ちゃん楽しそうだったもん。嫉妬しちゃうよ』

 予想外の内容で、言葉を失う。
 嫉妬ってどういうことだ。

 土屋さんは、私に嫉妬していたのか?
 何故? 天草たちと盛り上がってたからか?

『だって土屋さん忙しそうでしたし、話しかけるのも悪いかと……』

『部長は指示するだけで、身体は動かさないから、意外と暇なんだよ笑』
 軽い調子で返信が来る。本心なのかわからない。

 私は、しばらく返信に悩み、文字を打ち込む。

『じゃあ、次のイベントでは、たくさん話しかけますね』

『じゃあさ、予約取っていい?』

 私は首を傾げながら文字を打ち込む。

『予約、ですか?』

 そう尋ねると、予想もしていなかった返答が返ってきた。

***