「今日ってさ、地咲は店?」
金城が私に尋ねた。その言葉だけで、意図は察した。
八月中旬。夏休みに入り、部活動の為に学校に来ていた。
窓から差す太陽の光と騒がしい蝉の声が煩わしい活動教室内で、昨年行った天文台でのイベント準備をしている。
「今日は仕事」と言っていたので、月夜は不参加だった。
「うん。仕事って言ってた」
私が答えると、金城は腕を組んだ。
「休日は、忙しいかな」
夏休みで曜日感覚がなくなりつつあったが、一般的に今日は土曜日だ。それにもっといえばお盆休みでもある。
「どうだろ。でも稼げるとは言ってた」
「やっぱ、そうか」
金城は考え込む。私は、彼を横目に窺う。
「もしかして、行くの?」
「あぁ。実は先月成人して、お酒飲めるようになったし。でも、そういう店言ったことないし、緊張するっつーか」
金城は、やり辛そうに頬をかく。正直冗談で店を進めたが、まさか本気で行くとは思っていなかった。
彼にとったらやっと得た自由。それだけに積極的なんだろう。
「天草は?」
私は、適当に思いついた単語を口にする。
「あいつ最近、相席屋に行って一万円取られたっつって喚いてたしな~」と金城は笑う。
相席屋は、相席した女性の分も男性が支払う仕組みのある居酒屋だ。
女性は、知らない男の人と相席する必要があるが、お金を払わなくていいタダのみができる場所だという。
「とりあえず一回行ってみりゃわかるよな」
「お金はたくさんあったほうがいいかもだよ」
「その辺りはご心配なく」
金城は、口角を上げて肩をすくめる。社長の息子や御曹司といったわかりやすいお金持ちではないが、留学にいけるところや、彼の身なりから節々に上流階級の匂いはしていた。
何ごともすぐに行動に移す彼が、あまりにも爽やかだった。
夏休み
手術が終わって一ヶ月。
私たちの関係は少しギスギスしていた。というよりも、私が一方的に少し冷めてしまった。
普段と変わらず毎週会えば、毎回身体を重ねる。デートも行うし、連絡も毎日取っている。周りから見れば、ごく普通のカップルなんだろう。
だが、その行動全てが作業のように感じていた。そのせいで恋人を演じている感覚にすらなった。
誕生日の時は、すごく幸せだった。改めて土屋さんが好きだと感じた。
でも妊娠した時、彼の本性が垣間見えたことで、徐々に頭が冷静になりつつあったのだ。
永遠を誓う、なんてあるわけない。
人間の気持ちなんて、たったひとつの些細な出来事であっても、あっさり反転するものなんだ。
本当にこのままでいいのだろうか、と何度も問う。金城が羨ましいなと思った。
でも、土屋さんと会うと、愛されていると感じられる。
私をこんなに愛してくれる人は、土屋さんしかいないと思ってしまうんだ。
何か大きな踏み出すキッカケが生まれない限り、私は現状維持に努めてしまいそうな気がしていた。
それだけ、変化が恐かったんだ。
***
天文台のイベント日。
昨年と同じくイベントは順調に終了し、夜は自由行動となった。
外で観望するもの、部屋で眠るもの。
空はあいにくの曇り空。わずかに雲の隙間から恒星は確認できるが、今日は、月夜と話すことを優先したので、私たちは部屋の隅で恋バナをするもの、になった。
「金城、店に来たんだよね」
私は、ずっと気になっていたことを尋ねた。
夏休みに入り、月夜とも部活の時にしか顔を合わせない。先日、金城が店に行くといった日から初めて会うのがこの日だった。
月夜は、澄ました顔で、軽く頷く。
「初めてって言ってたけど、なんか落ち着いてた」
その目には、少しだけ疑心が見られた。彼は本当に初めてなのか、という意味だろう。
「お酒も初めて飲んだって言うけど、すごい強いし。私も久し振りにたくさん飲んだ」
「月夜が言うなら、相当なんだ」
私は相槌を打つ。「それからは?」
月夜は、思案するように顎に手を当てる。
「気付いたら、ホテルのベッドで寝てた」
耳を疑った。驚いた顔で彼女を見ると、相変わらず冷静だ。
「そ、それって、同伴ってやつ?」うろ覚えの知識で問う。
「アフターだね」
月夜は恥ずかし気もなく、訂正した。
「相手はもちろん、金城?」
「うん」
月夜は、真顔のまま髪をいじる。
「アフターはリスクあるし基本断わるけど、でも、金城なら別にいいかなって思って」
月夜が滔々と話す。キャバクラのことを調べた際、アフターは、同伴と違って店からの還元もなければフォローもないと記載されていた。そんな状態でお酒も入った客と店外で会うのは確かにリスクがある。
意外と金城は積極的だ。いや、想像以上に。
二人ともお酒が入ってたとはいえ、そんな社会人みたいな関係になることあるのだろうか。
「月夜が記憶なくなるほどって、相当じゃない?」
「相当だと思う」月夜は軽く頷く。
「また、良いお客様を見つけたわけだ」
意地悪くそう問うと、月夜が視線を落とす。
「わからない。からかわれてると思ったのに、気前いいし」
「金城は、そんな人じゃないよ」
私は即答する。「金城は、違う」
月夜は、しばらく黙り込むが、「そうだね」と軽く微笑んだ。
「お前ら、起きてんのか。今、すんげぇ外晴れてんぜ」
外に出てた天草と金城が、私たちを見て声をかける。ここは山奥に位置するだけ、真夏であれパーカーを羽織っている。
私たちは、上着を羽織り、彼らの下へ向かう。
「あんなに分厚い雲出てたのに?」私は問う。
「マジマジ。俺のおかげで雲消え去った!」天草が腕を掲げてえばる。
「俺のおかげ?」月夜は首を傾げる。
「こいつ、空に向かってずっと息吹きかけてたんだ。アホだろ」金城は笑いながら説明した。
「でなきゃあんな分厚い雲、いきなり晴れたりしねぇよ」
天草はどこまでか本気かわからないトーンで反論した。
ラウンジを抜け、ガラス張りの扉を開ける。今は日付を回った深夜だが、外には最初よりも多く部員が見られた。
空を見上げた。
お盆を終えた八月の空。頭上には夏の大三角が輝き、一等星でない周囲の星もすっきりと輝いている。月明かりに負けない澄んだ夜が広がっていた。
「ここじゃ、やっぱさそり座は見えねぇな」
天草は、額に手を当てて空を見上げる。
「もっと南じゃないと、ダメなんだね」
月夜は、噛みしめるように呟く。
「そうだな。これはまた、合宿に期待」
金城は、頷きながら相槌を打つ。
「でもこの調子じゃ、合宿の頃には満月じゃね」
「そうかも。お月見になるね」
心に、身体にじわじわと染み渡る。仲間の話し声をバックサウンドに目を閉じ、心を無にして噛みしめる。
久しぶりに空を見た。春から色々あり、大好きな空を見上げても精神が落ち着かなかった。
じわりと目に涙が浮かぶ。頭上にはいつもきれいな空が広がっているのに、顔を上げる余裕すらなかったことに気づく。
目を開け、耳をすます。仲間たちの騒ぐ声で一人じゃないと感じた。
皆と、同じ空の下で、同じ夜を見上げてる。
「空?」
すっと声が届き、視線を落とす。
月夜が、まっすぐに私を見ていた。高級感あるナイトウェアを身に纏う彼女は、月明かりに照らされ、夜蝶のような存在感を放つ。
「月夜って、見るたびにきれいになるよね」
泣いたことを悟られたくなくて、私はあえて正直に口にした。
「仕事の副産物」
月夜は、照れる様子もなく、平静と答えた。
***