7【雪村 冬馬】③




校門前には、送迎専用の待機所が備わり、迎えを待つ生徒で溢れている。敷地内に入ってくる送迎車は高級メーカーのものばかりで、ステータスの高さが窺える。
高級車が並ぶ光景も、満更でもなさそうな生徒の表情も、ここまで来ると、マウントの取り合いのように見える。

そんな光景を横目に、僕たちは白扇高校から下校していた。
ちなみに、あれから青年は、またどこかにふらりと姿をくらませていた。

「でも、本当に、僕の親は大丈夫なの?」

僕は少女に尋ねる。「病室に僕がいないとわかったら多分、世界をひっくり返しても僕を探し出すだろうし、君が関わっているとばれたら多分、君は無事ではない」

幻想が無事ではないとはどういう意味だと思いながらも、彼女は「心配しなくていい」と一言だけ呟いて顔を背ける。
具体的に説明してくれないから、釈然としないものだ。

「『今日』が終わるまでは、あと七時間半」

少女は、時計台に顔を向けながら呟く。「これからは、どうするの?」

「放課後といえば、寄り道でしょ」
僕は高揚する感情を押さえながら答える。

「ファストフード店のワック。そこは、学生が寄り道する最適のスポットだとはよく聞くんだ。だからそこに行こう」

「でも、私はお金を所持していない」

少女は肩を竦めて両手を広げる。
僕は僅かに口角を上げながら、ポケットから財布を取り出す。

「自慢じゃないけど、二大金持ち高校と呼ばれる白扇の生徒でいられる財力はあるんだ」

 

***

 

白扇高校から少し離れた駅近くのワック。
近くに紫野学園高校があることから、そこの制服を着用している人がたくさん見られる。

店内に入ると、ポテトの揚がるベルの音や、カウンターで注文を叫ぶ店員、くしゃくしゃと包み紙の擦れる音と、騒がしい環境音が耳に飛びこむ。
香ばしいフライの香りが立ち込めている。身体に害だとはわかりつつも、食欲がそそられているのは事実だ。

「君は、何が食べたい?」

隣に立つ、茫然とメニューを眺める少女に尋ねる。

「チーズバーガーで」

「俺はビッグバーガーセットで」

どこからか声が聞こえて振り向くと、銀髪に眼帯の青年が尖った歯を光らせていた。

「いつのまに……」
僕は素朴に驚いて声が漏れる。

「今、飛んできた」

青年はあっけらかんと答えると、「ぬけがけは許さねえぞ、リン。一言くらい声かけろ」と少女を指差す。

「場を離れていたのは、あなたの方だわ」少女は淡々と答える。

あまりにもしれっと混ざる青年に苦笑しながら、僕は注文窓口へと向かった。

会計を済ませた後、注文した品の乗ったトレーを二階座席へと運ぶ。

一階と同じく、ここも紫野学園高校の制服を着用した人らで溢れていた。受験が近いのか、ノートや教本を開いて勉強をしているグループが多い。
僕たちは、隅のソファ席に座った。

トレーを机に置いて腰掛けると、隣に座っている人物が、少し目を丸くして僕と、机に置いたトレーを交互に見る。先ほど店員にも同じ顔をされたな、と苦笑する。

トレー上には、ハンバーガー四つにLサイズのポテトが三つ、ドリンクは二つ乗っている。
恐らくこの量を一人で食べるのか、と思われているのだろう、と目前の席に座る少女と青年を一瞥する。

「ファストフード。栄養評価的にも、身体に悪影響を及ぼす食べ物だわ。だけどどうして人間は皆、こぞって摂取するのか、ずっと不思議だった」

少女は、さっそくパリパリと包み紙を剥がすと、はむっとチーズバーガーにかぶりつく。
もぐもぐと咀嚼するその姿は、まるでハムスターがひまわりの種を齧るようだ。

「いわば一種の麻薬みたいなもんだろ。一度食べてしまったが最後、もうこの味が忘れられねぇ。身体に悪いとわかりつつも、気づけば店まで足を運んでいる。つまりここにいる奴ら皆、中毒者だ」

少女の隣に座る青年は、ハンバーガー片手に周囲を見回す。
会話が聞こえていないか内心ハラハラするものの、その心配は不要だったと顔が引き攣る。

揚げたてポテトの香りが鼻孔を擽る。
遠い昔に嗅いだ、懐かしい香りだ。香りからジャンクフードだと感じられるものの、脳が「おいしそう」と叫んでいる。
普段、栄養の管理された食事ばかり食べていることもあり、心臓に悪いとわかりつつも食べてみたい、と思えるから不思議なものだ。確かに中毒性は感じられるな、と内心同意する。

もう、後先短い人生なんだ。今更健康に気遣ったところで意味もない。

僕はおもむろにハンバーガーを手に取ると、包み紙を剥がす。
ごまのかかったバンズにパティ、レタス、たまご、トマトの挟まったハンバーガーが顔を覗かせる。まさに絵にかいたような品だ。

おそるおそる口元まで運び、それに齧りつく。ふわふわのバンズの甘い香りが飛び込み、パティやたまごを噛み締めるとじゅわっと肉汁が溢れ出た。

僕は目を閉じて咀嚼する。甘めのバンズにペッパーの効いたパティ、それらを中和するような新鮮な野菜の味が細胞に染みわたる。
確実に身体には良くないだろう味だが、もう一口、もう一口、と黙々と齧りついていた。その度に脳にスッと通るような感覚になるから、薬という例えも妥当ではある。
黙々とチーズバーガーを食べていた少女は、「なるほど」と何度も頷く。

「確かに、あなたがこれを食べたい、と願うのもわからなくはない」

少女は僕を見ながら言う。
僕は一瞬静止すると「ちょっと、違うかな」と苦笑する。

「もちろん、普段食べられないジャンクフードを食べてみたかったっていうのもあるけどさ、僕は放課後、制服のまま友達同士で無意味な時間を過ごすことに少し夢見ていたんだ。だから、特に店にこだわりはなかった」

君たちは役だけど、と肩を竦める。

僕の返答を聞いた少女は、面食らった顔をするも、「友達って、やっぱりそれだけ大事な存在なのね」と過去を思い出すように笑みを漏らす。

「理屈で説明できない行動を取るのが、人間ってもんだ」

すでにハンバーガーを食べ終えた青年は、くしゃくしゃと包み紙を丸めると、ポテトに手を付け始める。

他人事のように言う彼らだが、君たちも十分人間みたいだよ、と内心思った。

ワックを出ると、そのまま駅へと向かい、隣街へと向かった。
『尾泉』と書かれた看板を通り過ぎ、改札を抜けて外に出た。

都心の虹ノ宮市とは違い、人がちらほら確認できるほどの閑散とした駅周辺。隣には総合病院が備わり、近くには大きな神社が確認できる。少し遠方に視線を向けると、大ぶりの橋のかかった川があった。
弱々しい街灯の光や、川の水に冷やされた風が、より一層この街を田舎だと感じさせる。

暗いな、と時計を確認すると、すでに午後の七時を回っていた。

「本当に大丈夫?」
僕は再度確認するように少女に尋ねる。「うちの家、いつも七時に夕食を取るんだ」

「平気」少女は相変わらずトーンを変えずに答える。

「それなら、いいんだけどさ」

僕は、駅前にある周辺案内の看板を確認する。
目的の場所を確認すると、足を進めた。

「この時期はさ、カノープスが見えるかもしれないんだ」

僕は黙ってついてくる少女に語りかける。

「カノープス?」

「りゅうこつ座をつくる星だね。おおいぬ座のシリウスからまっすぐ南に下がった位置にある、全天で二番目に明るい一等星」

そう言いながら僕は、空に一番明るく輝くシリウスを指差し、「ちなみに一番明るい星はあれ」と付け足す。

今朝、予想した通りに空は雲ひとつなく空気が澄み、月も出ていないことからより一層、星の輝きが浮き彫りになっている。

「南半球でよく観測できる星だから、地平線付近に現れて基本的に見えないんだけど、でもこの街ならビルも少ないし、ぎりぎり見えるかもしれない」

今いるこの場所からは、目的の星は確認できないものの、標高の高い位置から確認すればもしかしたら見えるかもしれない、と僕は踏んでいた。

「どうしてその星が見たいの?」

少女は素朴に尋ねる。
僕は彼女を一瞥すると、顎に手を添えて「実は」と切り出す。

「カノープスは、『長寿星』と言われているんだよね」

自虐的に言ったものの、少女は複雑そうに顔を歪めた。

目的の山を登る。
上へ上がるにつれて道は険しくなり、どんどん気温が低くなる。街中ですっかり溶けていた昨晩の雪も分厚く残ったままだ。
念を入れて、この地に訪れる前に防寒具も調達していたものの、あっけなく体温が奪われていく。

それに、体力も削られる。元々どのような構造で僕が動けるようになったのかは判明しないものの、さすがに全身が軋み始めていた。
心臓に手を当てると、ドッドッドッと鼓動が速くなっている。脳神経に伝わる痛みはないものの、少し無茶をしたのかもしれない。

後ろの少女を窺うものの、彼女はけろっとした顔をしていたので目を丸くする。

「君、本当に寒くないの?」

僕は少女を見ながら尋ねる。彼女は変わらずに黒いゴシック服を着用したままだが、どう見ても防寒機能が備わっているようには見えない。

「えぇ」
だが少女は、本当に寒くなさそうに答える。それに、息ひとつ乱していない。

何故、と尋ねたところで、納得できる回答が得られるわけでもないだろうとはわかっているので、そのまま顔を前に向けた。

小休憩所に辿り着く。
上を見上げると、「わ、すごい!」と思わず感嘆の声が漏れた。

頭上には、見たこともないほどの満点の星が輝いていた。
周囲は山で囲まれ、光が少ないことから、より一層暗く、星の輝きが際立っていた。

「やっぱり、郊外はすごいなぁ。僕の病院も、少し都心から離れているとはいえ、ここまできれいには見えなかった」

手を伸ばしたら触れられそうなほどに澄んでいる。
高山の上から見下ろす街。郊外であるとはいえ、生活に不便のないほど栄えていることもあり、建物の光が輝いていた。

「なるほど」

隣の少女は小さく頷く。

「人間は、努力の先に見えるものがほしいから、頑張ることができるのね」

「そうだね」僕は即答する。

「ここまで上がって来るのに、寒いししんどいし、心が折れそうになったけれど、でも、これが見られたら、そんな疲れなんて吹っ飛んじゃうんだよ」

「それで?」
少女は尋ねる。「長寿星は、見えるのかしら」

僕は頭を掻きながら、「残念ながら、やっぱり見えなかったみたいだ」と苦笑した。

「でもさ、もう十分だよ」

僕は心の底から答える。「もう、満足だから」

「特別何かをしたわけではないわ」

「こうして外に出られることができて、夢見た学生生活を過ごして、きれいな星空も観られて。僕にとっては、特別だったんだ」

そこではっとする。

「そうだ。ずっと病院暮らしで、まともな生活を送られていなかったんだから、みんなにとっての普通が、僕にとっては特別。それってある意味、幸せだったのかもしれないね」

僕は、過去を思い出しながら滔々と語る。少女は黙って聞いていた。

僕の心臓は、元々の機能が弱かったことから、治療で回復は望めない、とは昔から言われていたことだ。

少しでも負荷を軽減するために、母は僕に栄養の行き届いた食事を提供し、運動を避け、そして外に出したがらなかった。
でも、義務教育が始まると、そうはいかない。

しぶしぶ登校を許可してくれたものの、数ヶ月後、運悪く交通事故に巻き込まれる。それにより、足を中心に後遺症が残った。

母はそれ見たことか、と今度はわかりやすく僕を部屋に閉じ込めるようになった。
幸いにも父は医者で、入院場所に困らなかったこと、経済的に裕福であったことから、その日から今日まで、外に出してもらえることがなかった。

でも、僕は何も反論できなかった。できるわけがなかった。

僕の巻き込まれた交通事故。原因は高齢者の操作ミス、と片づけられたが、実際はそうではなかった。

登校中、いきなり発作が起こったことで眩暈がして、僕が道路に飛び出してしまったんだ。
でも、当時幼かった僕は、怒られることが怖くて、正直に言い出せなかった。
いつバレるだろうと内心ひやひやしたが、案外バレないものなんだ、とも知った。

「でも、なんてことない日常が送れただけで、こんなにも幸せになれる単純な奴だから、今考えたら、この人生でよかったのかもしれない」

本心から感じたことだ。
毎日同じ景色を窓から眺め、ネット経由で簡素な授業を受ける。過保護な母もあって、外に出してもらえずに友人は娯楽品だけ。

そんな生活を送っていた僕だからこそ、今日一日が、十年分くらいの価値があった。

「昔から長くない、とはわかっていたし、お父さんに余命を宣告されても、ついに来たか、という感情しかわかなかったんだ」

もう僕の心臓は、あと一週間も持たない、とは、昨日父から涙ながらに宣告されたことだ。
一応、仕事中であるにも関わらず、ボロボロと涙を流す父を茫然と眺めながら、確かに自分の子どもに余命を宣告するのは辛いだろうな、と思っていた。
普段からいつ死ぬかわからない身体だっただけに、ついにこの時が来たんだ、としか思えなかった。

ほとんど病室に籠り、特に何かをしたわけでもない人生。少し長い眠りにつくだけだ。

だから僕は、『死』に対しても恐怖を感じていなかった。

「この人生を何度も呪ったよ。生まれつき人と対等でないんだから『不平等だ』ってね。でも、これが僕なんだから仕方ないんだって受け入れていた」

僕は空に向かって告白すると「でも」と苦笑する。