「すみません……僕のせいで、変な空気になってしまって……」
帰宅時、藍田川付近を歩いていると、海老原くんが言った。
「全然。恒星は、嫉妬しやすいだけだから……」
私は、やり辛く答える。海老原くんは、考え込むように黙り込む。
彼の肩を支えて歩く。下宿のようで、幸い彼の家は飲み屋から近かった。
海老原くんは男性だがかなり細い。普段大柄な天草のそばにいるだけ、同姓の友人を支えている感覚になった。
黙っていた海老原くんは「あの」と言い辛そうに口を開く。
「もしかして、天草さんは、空さんの彼氏ですか?」
「ひぇ!?」
突然の質問に、変な声が出た。
「何となく……距離感的にそうなのかな、って」
「そ、そうだよ。実はね」
私は照れながら答える。隠してはいなかったが、隠しごとがバレたかのようなソワソワした感覚になる。
「そうですか……すみません……迷惑かけて……」
海老原くんは、もし訳なさそうに頭を下げる。
いじらしい彼が可愛くて、先ほどまでのイライラがいつの間にか消えていた。
「家、ここなんだね」
私は、海老原くんの住むアパートを見て言う。
「はい」
海老原くんは、返事をすると、おぼつかない足取りで私を見る。いつも猫背だからか、背筋を伸ばすと意外と身長が高い。
「今日は、ありがとうございました。迷惑かけて、すみませんでした……」
「気にしないで。じゃ、私はこれで……」
そう言って私は軽く手を振るが、その瞬間、グッと上げた手を引かれた。
海老原くんが、咄嗟に私の腕をつかんでいた。
「せっかく、ここまで来てくださったんですから、少しだけお礼させてください」
海老原くんは、ジッと私を見て言った。まだ酔いの残る赤い頬にとろんとした目元。まるで子犬のような潤んだその瞳に私はたじろぐ。
こんな顔で訴えられたら、拒否できるわけがない。
「す、少しだけなら……」
思わず了承すると、海老原くんは僅かに口元を緩めた。
その表情が、今まで見たこともない蠱惑的なもので、思わず鳥肌が立った。
少し、嫌な予感がする。この感覚は、大抵当たる。
だが、引き返すこともできず、腕を引かれて海老原くんの部屋に入った。
「海老原くん……?」
恐くなり、そう問いかけていた。
「ずっと、待っていたんです。この時を」
気分が高揚しているのか、海老原くんは少し上ずった声でそう言った。
通された部屋を目の当たりにし、驚愕した。
やはり、嫌な予感というものは、当たってしまうらしい。
「どうです? この部屋。とても素敵でしょう」
海老原くんは、両腕を広げて部屋の壁を差す。そこには、おびただしいほどの写真が壁一面に貼られていた。
全て、私の盗撮写真。新歓のときからイベント全ての写真。部活中もあれば、講義中、友人といるとき、天草と話している写真もある。
悪寒。絶句。恐い。怖い。鳥肌が止まらない。
ここにある写真、全て海老原くんが撮ったものだろうか。
「僕、先輩と出会ってから、本当に毎日が楽しいんです。好きな人ができると、こんなに人生が輝くんですね」
海老原くんは、恍惚とした表情で言う。それが酔いからくるものなのか、素面なのかはわからない。
「もちろん、先輩に彼氏がいることも、相手が天草さんであることも知ってました。なのでひっそり想っているだけだったのですが……だめですね。欲求がどんどん高くなる……せっかく先輩と二人になれましたし、少しでも僕の気持ちを知ってほしかったんです」
海老原くんは、私に近寄る。
逃げなければいけないのに、蛇に睨まれた蛙の如く、その場から動けない。
海老原くんは、私の頭を撫でる。目を細め、怯える私をあやすようなその顔が、見たこともないほどに大人びていた。
「恐くないですよ……僕はあなたが大切なので、傷つけたりはしません。なので安心してください」
その瞬間、唇にキスされた。
呪縛が解けたように、私は身体をがむしゃらに捻り、彼から身体を離す。
慌てて玄関まで向かうが、鍵が開かない。
「鍵に加工してるので、内側からも開きませんよ。ちなみに窓も同じです。もしも先輩が部屋に来られた時に、と考えて加工してたんですが、まさかこんなに早く機会が訪れるとは思いませんでした」
海老原くんは饒舌に説明する。その手には鍵を所持していた。
「先輩が僕を引き上げてくれたんですよ。先輩が悪いんだ……。僕をこんな風にしたから……責任とってもらっていいですか?」
カシャンッと金属音が鳴る。気付けば手錠をつけられていた。
恐怖で動けなくなるとは、こういう状況をさすのかもしれない。
それ以降、私の記憶が途絶えた。
***
その夜は、思い出したくなかった。
気付けば私は手錠をつけられたまま、ベッドの上で、海老原くんに身体を弄ばれている。傍らにはカメラが複数設置されていた。
頭から足の指先までくまなくキスをされ、胸を優しく揉まれる。低い声で愛の言葉をささやき、敏感な部分を甘噛みされる。割れ物を扱うかのように慎重に触れ、だが欲望に忠実に手を滑らせ、したたかで容赦がなかった。
そんな行動に、嫌でも私に対する愛情が感じられた。
海老原くんは、自身も服を脱ぎ、硬く勃起したそれを押し付ける。愛情を感じてしまい濡れた膣は、意に反してするりと受け入れてしまう。
恐怖から力が入らない。抵抗しなければいけないのに、身体が言うことを聞かなかった。
「ずっと僕、妄想の中でしかしたことがなかったんですよ……先輩とこうなりたいって思ってたんです」
海老原くんは、身体を揺すりながら満足気に笑う。すっかり酔いは冷めたのか、酔った勢いなのか、饒舌だった。女性のようにきれいな顔に華奢な身体であるが、やはり体力や性欲は男性だと知ってしまった。
突かれるたびに、たまらず喘ぐ。その声に興奮するのか、海老原くんは満たされたように優しく笑う。
「かわいい……かわいい……やっぱホンモノはすごいですね……声、もっと聞かせてください……たまりません」
パシャッと音がなる。
海老原くんの腰にさらに力がこもる。狭い室内が徐々に熱気で包まれた。
レイプされているのに、歪んだ愛なのに、海老原くんの私を想う愛ゆえの行動だと感じてしまい、どうしても心から抵抗できなかった。
土屋さんのことを思い出してしまった。
「ねぇ、先輩……本当はナカに出したいくらいです……そうすればもう逃げられないじゃないですか? でも僕、まだ先輩を養えるほど大人じゃありません……これでも……現実を見られるくらいに……理性はあるんですよ……!」
次第に激しくなる。執拗に擦られ、敏感な中が反応してしまう。
抵抗したいのに、抵抗できない。拒否したら、また彼に何か異常が起こってしまうのではという思考にさえなっていた。
「ダメ……ナカ、気持ちすぎ……っ……出るっ……!」
海老原くんは勢いよく引き抜くと、私のお腹の上にたっぷりと欲を放出する。お互いに息が切れ、力尽きていた。
幸か不幸か、ピルのお陰で妊娠はしないものの、私は海老原くんに逆らえない関係になってしまった。
しばらくした後、海老原くんは室内のプリンターで写真を印刷していた。
「僕の妄想が、具現化されたみたいだ」
海老原くんは、私との行為中の写真の印刷された紙を高々と掲げて恍惚とした表情を浮かべる。
行為中に彼は何度も写真を撮っていた。恐らくそれだろう。
私は、いまだベッドで力尽きたまま、彼の様子を茫然と見る。
海老原くんは、写真の貼られた壁の中央に、印刷した写真を掲示した。他の写真とは違い、倍以上に拡大されたもので、たまらず顔を逸らした。
「海老原くんは、こんな人じゃない」
私は現実を受け入れられず、そう言っていた。
私は油断していた。無口で草食系な見た目である海老原くんなら男女の関係なんて気にしなくても大丈夫って。純粋無垢だと勝手に決めつけていた。男の人の家に上がるなとは、天草にも指摘されたことなのに。
目の前に立つ海老原くんは、いつもの雰囲気は全然違う。欲に飢えた獣の目をしていた。
天草といる時は、欲望のむき出しの目にむしろ気分が高揚する。だが、望んだ相手ではないと、印象が反転してしまう。欲に溺れた男の人が怖い。
「そうかもしれないね……僕にもこんな感情あるなんて知らなかった。愛って人を歪めるんですね」
海老原くんは、目を細めて笑う。
「大丈夫です。言ったでしょう。僕は理性はあります。監禁なんてしません。映像も写真もありますし、今はこれで十分です。今は、ね」
ゾワッと鳥肌が立った。海老原くんは軽く頷きながら続ける。
「正直、今起こったことだけでもお腹がいっぱいです。ですが人間、時間が経てばお腹が減るものです。どんどん高い欲求になるのが普通でしょう。今時、セックスは恋人とだけだなんて真面目な方はむしろ天然記念物ですよ。性欲は食事睡眠と並ぶ三大欲求のひとつです。食事は恋人以外ともするでしょう。セックスも同じですよ」
そこまで話すと、海老原くんは、私の元まできて人差し指を立てる。
「これからもよろしくお願いします。先輩」
***