私の言葉が予想外だったのか、惟月は目を見開く。
数秒後、「うん。こちらこそありがとう」と普段の穏やかな表情になった。
「……彼はまだ僕に、不満がありそうだけど」
惟月は、そう言って土手にいる暁に視線を向ける。振り返ると、暁はどこか困惑した表情になっていた。
惟月の前では、本心が筒抜けだ。彼をここに連れてくるべきではなかったかもしれない。
「小夜を泣かせたら許さないから。堕天して悪魔になって、キミを不幸にするからね」
「冗談に聞こえないよ」
「僕らって、嘘つけないんだよ」
当然、暁は私たちの会話の真意を理解していないはず。だが彼は、軽く首を傾げた後、「心配しないで!」とすぐに笑顔になった。
「それに俺を不幸にしたら……小夜ちゃんまで不幸になるよ」
暁は、挑発的な様子で言った。惟月は面食らった顔になるも「かっこいいじゃん」と観念したような表情になった。
「でも見下されるのは、ちょっと気に食わないな」
惟月はそう言うと、バサッと翼を広げて瞬時に土手よりも上へと上がった。暁は、目を見開いて驚く。あまりにも美しい姿に、私は「きれい……」と声が漏れていた。
「大丈夫。何もしないよ。今は純粋にキミたちの幸福を願ってるから。末永く お幸せに」
そう言うと、惟月はそのまま天へと羽ばたいた。目をはなせないほどきれいな姿だった。
「……何か、すごいもの見た気が…………夢じゃないよな?」
「うん。夢じゃないよ」
暁は、いまだ信じられなさそうに空を眺める。そんな彼が愛しくて、無意識に頬が緩む。
「一緒に来てくれてありがとう。ベンチでゆっくり話そう」
***
顔を下げると、虹ノ宮全体が見渡せるこの立ち位置。ここは天界だった。
「あの方はキレイですね。私たち天使よりも純粋な心を持っているかもしれません。だからこそ幸福へ導きたくなる。貴方が対象に選んだ理由も納得できます」
ルークは柔和に笑いながら、隣に立つ惟月に告げる。
名残惜しいのか、惟月は先ほどまで降りていた街を見つめ、ルークの声に反応を示さない。そんな彼に、ルークは少しだけ溜息をもらす。
「……貴方は彼女とお会いしていなければ恐らく失格でした。対象を幸福にできなかったからではありません。貴方も自覚しているでしょう?」
「そうだね。それでいいと思ってたよ。失格になれば……人間に生まれ変われる可能性があるからさ」
惟月は、隠すことなくそう言った。天使は、同属の心は読めないが、口に出していることで彼の真意だとは伝わった。
「小夜は、すごくキレイな心を持っているのに、少しだけ勇気がなかったんだ。だから純粋に、幸福にしたかった。そう思ってたつもりなんだ」
そこまで言うと、惟月の表情は曇る。
「でもきっと……、小夜の友だちになってあげたいと思った時点で、堕ちてた。小夜は勘違いしてるよ。穢れるのは僕じゃない。キミなんだ。だから離れなければいけなかったのに……。どうしてもそばにいたかったんだ」
人間の情に魅せられて特別な想いを抱くことは特別なことではなかった。だが、天使は、人間の幸福を純粋に願わなければならない。だから例え人間に好意を抱いても、ずっとそばにいられるなんてことはない。
それほど情というものは、運命を狂わすものだからだ。
惟月は、恐らく研修合格だろう。だからこそ、天使としての『想い』について説明する必要があった。
ルークは、惟月の想いをくみとると、居住まいを正す。
「天使に研修期間が設けられるのには、理由があります。私たちが使命を全うする為には、人間を『想う』必要があるからです」
「人間を 想う……?」惟月は、顔を上げた。
「ええ。例えば、私たちと同じく使命の為に存在する神は使命の『対象』を選択できません。土地神は配属された管轄を護り、死神は決められた魂を刈らねばならない。もしも運命に従わない場合は、使命を放棄したとみなされて存在が消えてしまいます。神は『この世』の均衡を保つ存在ですから、情で個人を贔屓してはならないのです」
そこまで説明すると、ルークは自身の胸に手を当てる。
「私たちも例外ではありません。邪心が芽生えれば堕天し、事実上の死を迎えます。情はそれほど運命を狂わせるものです。その為、純粋に幸福を願えるか見極める期間が必要なのです」
全うな理由に、惟月は黙り込む。そんな彼を、ルークは穏やかな瞳で見つめる。
「ですが私たちは『運命』の均衡を保つ存在です。運命とは、幸不幸のバランスで訪れるものです。幸福に導く天使の本質は『想い』から生まれます。不幸な人間を見かけたら、幸福にしたい『想い』が必要です。私たちが『対象』を選択できるのはその為です」
茫然とする惟月に、ルークはさらに声色を変える。
「ですから、貴方の彼女に対する想いは決して穢れなんかではありません。その想いは、天使にとってとても大切なものですから」
「…………ありがとう」
ルークの想いを受け取った惟月は、ようやく柔らかな笑顔になった。「でも、もう大丈夫だから」
惟月は吹っ切れたようにそう言うと、翼を広げ、正装に戻った。
「最後に小夜の成長した姿が見られて、僕まで幸福に感じたんだ。今は純粋に 小夜たちを見守りたいと思ってるよ」
そう口にした惟月は、まさしく天使の姿そのものだった。
感嘆していたが、惟月は子どものように頬を膨らませた。
「でもルーク……、僕のこと勝手に話したでしょ。それに小夜、まだ学校あったはずだよ。もしかして学校に入ったの?」
「……貴方を天使として 迎えたかったからですよ」
「え じゃあもしかして、学生の制服着たの?」
「……その奇怪なものを見る目 やめていただけますか?」
***