1【草凪春太】①




『春』と言えば、新しい環境で新生活が始まる節目の季節になることが多いだろう。
特に俺、草凪 春太(クサナギ シュンタ)は、今年の春で大学一年生になる為、自分の中で大きく切り替わる、貴重で重要な時期となる。

地元の私立大学だが高校までとは違い、制服や校則といった縛りもなく、履修も好きなように組むことができる。
空きコマには青く輝く芝生の敷かれたテラスで友人と談笑したり、オシャレなカフェでアルバイト、なんてスケジュールを組むことも可能だ。

大学はクラスといった決められた組織がなく、新しい出会いを見つけるにはゼミやサークルといった輪に入る必要がある。
昨日から始まった新入生歓迎会では、どのサークルも力が入っていると見て取れ、奥の大教室に向かう通路には勧誘チラシを携えた上級生の花道ができ上がっている。
それはもう、気を遣って受け取った時には格好の的となり、まんまと腕の上にチラシの山が生まれる。もはやここまで来ると、古紙回収車のようだ。どこかから聞こえる「一年生と思われちゃったよ~」という満更でもなさそうな声すらも新しい春の風物詩と言えるのだろう。

何より卒業するまでに成人する為、酒やたばこといった年齢制限の壁もなくなる。下宿生の家でオールで宅飲みや、数人で夜に山までドライブ、なんてまさに絵に描いたような時間を過ごすことも可能だ。

大学の自由でラフなキャンパスライフを俺も楽しみにしていたんだ。

そう、楽しみにしていたんだ。

今の俺にとったら、そんなの知ったこっちゃない。

「『今日最も良い運勢なのは、おうし座のあなた。新しい恋が始まる予感。何事にも積極的に参加しましょう』」

浮かれた新入生が陽気に騒ぐ食堂内。すでに食事を終えた友人の藤井 拓哉(フジイ タクヤ)が、スマホの画面を見ながら朗読する。その声は感情の起伏が見られずに、もはやこの現状を打破する為に占いといったスピリチュアルなものに縋っているようにも捉えられる。
俺は、冷めた目で彼を見る。

「なーにが『新しい恋が始まる予感』だ」

俺は投げやりに呟く。不貞腐れた俺を前に、拓哉は小さく息を吐く。

「春太。もう二週間も前だろ。そろそろ切り替えろよ」

「俺は一途なんだよ」

「それが重いから、今こうなってんだろ」

拓哉はピシャリと言い放つ。ぐうの音も出ない。

二週間前の三月中旬。高校の卒業式が済み、友人との決別式とも呼べる集会も落ち着いた頃だ。

高校二年の春から付き合っていた彼女に振られた。
原因は、俺の余計な一言のせいだった。

「もう……死にたい……」

俺は机に突っ伏す。昼食用に注文したカレーはまだ半分以上も残っているが、すでに冷めているのでもう手を付ける気にもなれない。

「はいはい、聞き飽きた。ほら、占いも言ってんだろ。何事にも積極的に参加しろって」

そう言うと、拓哉は勧誘チラシの山から一枚手に取り、俺に向ける。
視線を向けると、そこには大きく『新入生歓迎コンパ』と書かれていた。

「大学一回生の春なんて、出会いが一番ある時期じゃねーか。しかも、新入生はタダ。行くしかねーだろ」拓哉は嬉々として語る。

「気分にならねー……」と顔を背けると、何気なく視界に入った光景に目を見張る。

俺の目前の窓の外、北向きだからか人気の感じられない校舎の通路に一人、真っ赤な髪に黒系統でレースのあしらわれた、いわば「ゴスロリ」という服を着た少女が歩いていた。

「何だ……?」

あまりにも場違いで異様な光景に目を凝らす。

俺の態度の変化に気づいた拓哉は、視線を辿って窓に顔を向けるが、不思議そうに首を傾げる。

「どうかした?」

「え、どうかしたって、あきらかあの子、子どもだよね」俺は素朴に問う。

「何言ってんだ?」

拓哉は再び窓を見て、俺に振り返る。「誰もいねぇじゃねぇか」

「え!?」

再度窓に目を向けるが、確かに先ほど見た少女はすでにいなくなっていた。

「あ、あれ……?」

俺は目を擦って窓を注視する。
視線を感じて顔を向けると、拓哉は冷ややかな目で俺を見ていた。

「おまえ、そろそろ幻覚でも見えてんじゃねーのか」

「いや……ほんとにいたんだってば……」

「ちゃんと、現実を見ようぜ」
次のコマは出席必須だったよなー、と拓哉はトレーを持って立ち上がる。

俺はただ、呆然と窓を眺めていた。

 

シーズン1【草凪 春太】

 

虹ノ宮駅から少し逸れた土下座像前。飲み屋の連なるこの周辺では、この銅像前が待ち合わせの集合場所によく利用されるという。新歓の時期だからか、周囲には他のサークルだろう集まりもいくつか確認できる。

道路上は忙しなく車が横行し、飲食店の各所から陽気な声が届く。仕事を終えて、各々華の金曜日を満喫しているようだ。

「じゃ、一年生はここで待機していてな」

上級生らしき人が叫ぶと、辺りから「はーい」という声が上がった。

「何、してんだろ……」俺は、小さく息を吐く。

あれから拓哉に流されるまま、具体的に何をするかもわからないサークルの新歓コンパに来ていた。俺の周囲には、飲み会という大人の場の空気に浮ついてる新入生らしき人達で溢れている。

「さすが、イベントサークル。かわいい子がいっぱい来てるな」

拓哉が目をキョロキョロさせながら言う。校則といった縛りがなくなったことで、赤茶に染められた髪、カラーシャツにベストを着用した大学デビューしたてといったスタイルだが、すでに馴染んでいるところがさすが彼、といったところか。

「全部、同じに見えるよ」俺は溜息を吐く。

実際、胸辺りまで伸びたゆるく巻かれた茶髪にベージュのジャケット、花柄のスカートを着用した「春×大学生の私服といえば、このスタイル」といった外見の女の子がたくさんいた。もはやここまでくると制服のようにすら思える。

拓哉は、険しい顔で俺を見る。

「春太、それ、絶対飲み会の席で言うんじゃねーぞ」

「さすがに、その辺りの配慮は持ち合わせてます~」俺は唇を突き出す。

「今のおまえは、何しでかすかわかんねーからな」拓哉は頭を掻く。

なんだかんだ言いながらも、拓哉は俺のことを気にかけてくれる奴だと知っている。中学生からの腐れ縁と言うやつだ。そんな彼だと知っているからこそ、俺も彼に甘えているところがあるのかもしれない。

俺は目を落とす。
自分でも今のままではダメだとわかってる。大学一年生のこの時期が一番重要なんだ。頭では理解しているものの、それでも感情というものに上手く向き合うことができない。

せっかく拓哉が道を示してくれたんだ。これを機に切り替えられたらいいのだが。

じゃ、中に入れ~と上級生が叫んだことで、俺らはぞろぞろと店の中に入った。

 

***

 

薄暗い店内では陽気な笑い声が響いていた。カツンとジョッキのぶつかる音に、パリパリと塩キャベツを咀嚼する音、先輩に対応する女子の心なし上ずった声。
この場の軽い空気を感じるたびに、俺のテンションは下がっていった。

自分から声をかけることもできずに、ただ黙々と机に並ぶ食べ物に手をつけていた。すでにグラスは空になっているが、店員に声をかけることすらできていない。

「春太。どうだ?」

拓哉は、飲料の入ったグラスを所持して俺の元まで来る。さすがというべきか、普段と変わらない表情であることからも、彼は羽目を外すような馬鹿と同類でないと見て取れる。

「なんか、余計に虚しくなったというか……」俺はすでに空になったグラスに口をつける。

「ほんと繊細だよな~。おまえは、この世に女が一人しかいないとでも思っているんかよ」

拓哉は俺の咥えたグラスを強引に引いて、所持していた方を差し出す。俺は無言でそれを受け取ると、一気に飲み干した。

「楽観的に考えることができないだけだよ」

「女子かよ」拓哉は苦笑する。

「一途で何が悪い」

「やめとけ。威勢張るだけ虚しくなるだけだぞ」

ピシャリと指摘されて口を閉ざす。彼は的確に急所を突く鋭さを持っているので、対抗するだけ無駄だ。

「とは言われてもな~。俺、おまえのように声かけるとかできないし」

「下心持つからダメなんだって。俺と話す調子で声かければいいんだよ」

「今の俺のままだと、だめだって言ったじゃねーか」

「それは、確かに」

拓哉は、もはや手のほどこしようもない、と観念したように両手を広げると、この場を離れて適当な集団の輪へするりと入る。あまりにもナチュラルだ。
俺は小さく溜息を吐きながら周囲を見回す。

舞い上がってる奴が多いなぁ、と他人事のように眺めていたが、奥の席に目を向けた時に、あっと声を上げる。

「あの、女の子……」

一番奥の端の席に、以前学内で見かけた、赤髪でゴスロリの服を着た女の子が座っていた。飲み会に参加してることから、大学生であるのは確実だろうが、その外見は小学生と言われても納得できるほどに小柄だ。

髪色や衣服からも目立つ容姿であるにも関わらず、周囲の人は全く気を留めることがない。いや、むしろあまりにも場違いな彼女の纏う空気に、みんな敬遠しているようにも思える。

気づけば俺は腰を浮かし、引力で引き寄せられるように彼女の元へ近づいていた。

「こ、こんにちは……」

恐る恐る赤髪の少女に声をかけると、彼女は無言で俺に顔を向ける。
陶器のような白い肌に、透き通った琥珀色の瞳、ボリュームのある長い睫毛、と着用している服も相まって、童話の世界から飛び出てきた人形のようだ。

ちらちら刺さる視線を辿ると、周囲の人が俺を見ていた。彼女によく声をかけたな、といった意志が伝わる。
正直、俺自身も自分の行動に驚いていた。

「き、君も、このサークルが気になって……?」

警戒されないように笑って声をかけるが、彼女は無言で視線を逸らす。俺は引き攣った顔で肩を落とす。
こうして女の子に声をかけるなんて初めてだから、どんな対応が適切かがわからない。拓哉に習っておくべきだったか、とよくわからない後悔までし始めた。

「だって」

ぽつりと呟く声が耳に届いて顔を上げると、赤髪の少女は、グラスの中に残った氷をカラカラ回しながら口を開いていた。

「春に行われる新入生向けのカルチャーは、積極的に参加するものだと聞いた」

どこか不器用な彼女の回答に、俺は苦笑する。

「まぁ、俺もタダだから参加しようって思えたし」心なし大袈裟に同調する。

「彼女に振られたんだっけ?」

「そうそう……え?」

俺は強張った顔で、赤髪の少女を見る。「何で、知ってるの?」

「あの人が言ってた」

赤髪の少女は、前方を指差す。差された先には、拓哉がいた。

「あいつ……話のネタにしてんのか……」

俺の顔は強張る。彼のおかげでコンパに参加することになったのだから、対価と言われたらそれまでだ。

「いや……でも……そんなつもりは全くないから……」

俺は情けない声で弁解する。「彼女に振られた鬱憤を晴らすために、タダで参加できる飲み会に参加した」だなんて卑しくて最低な印象、与えたくない。

「別に。私もこの場に馴染めていなかったから」

赤髪の少女はそう言うと、手に持ったグラスを机に置き、俺に顔を向ける。

「話しかけてくれて、ありがとう」

赤髪の少女は、僅かに微笑んだ。
そのやわらかくて大人な笑みに、心の中でぽっと小さな明かりが灯った。

もっと、彼女が知りたいな。

とは思ったものの、時すでに遅し。

「じゃ、そろそろ解散するから、一年生は先に外出てな」

上級生の一人が叫ぶ。その声を皮切りに、皆一斉にカバンやジャケットを手に取り、帰宅の準備を始める。
やっと話し相手が見つけられたものの、いつの間にかかなりの時間が経過していたようだ。

赤髪の少女も席から腰を浮かすので、慌てて「あ、あのさ……!」と言葉を続けた。

 

「気になる子、いたか?」

すでに暗くなった馴染みの帰宅道、拓哉は軽い調子で尋ねる。

「……一応」

俺は、星の輝く空を見上げながら呟く。
自分から尋ねておきながら期待をしていなかったのだろう。拓哉は目を丸くして俺を見る。

「まじか?どんな子?」

拓哉は嬉々として詳細を問う。俺は彼のテンションに流されないように視線を逸らし、顎に手を添えて彼女の容姿を思い浮かべる。

「赤髪に、黒っぽい服を着て、一番奥の端の席に座ってた背の低い子」

「そんな子、いたか?」

「あんなに目立つ外見だったのに気づかなかったの?」

「まぁ、全員と話したわけじゃないからな~」拓哉は肩を竦める。

「いや~でも、そうかそうか。やっと一歩踏み出せたんだな」

拓哉は噛み締めるように頷く。死人も同然だった俺が、少しだけ息を吹き返したことに喜んでいるようにも見える。

異性だからと気になっているわけじゃない。ただ、彼女の纏う不思議な空気からも探求心が湧いているのは事実だ。

そこでふと、彼女との会話を思い出す。

「ま、また会える?」

帰宅の準備をする少女に、俺は慌てて声をかけた。
何か言わなければと勢いで口にしたものの、あまりにも軟派な言葉が飛び出たことに赤面する。

しかし少女は特に気にせず「近いうちに」と一言呟き、凛と背筋を伸ばしてエレベーターへと歩いていった。

近いうちに。

あれは、どういう意味だったのだろうか。

だが次の日、その意味をすぐに理解することになる。

 

***