3【清水 夏帆】④




「仕方ないやん。私には見えてるものが、他人には見えてへんとかの判別が、私にはできひんし……無視することも、昔の私にはできひんかった……」

感情が激昂していたことに気づいて顔を下げたことで、語尾が弱々しくなる。

ナツのように、もっとポジティブに考えられたら。何度もそう思った。
だけどもう、これは生まれながらの性なんだ、とどこか諦めてしまっていた。

赤森中学校には、ナツ以外に知り合いはいなかった。だからこそ、『普通』を装うには適した環境だと、この学校に決めたのだ。

「でも、全員があなたを避けていたわけじゃない」

その言葉にはっとして顔を上げる。
赤髪の少女は、まっすぐ私を見ていた。

「それに、無理に『普通』になる必要なんてない。遺恨はその場に存在するのだから、見えたっておかしいことじゃない。どうせ見えてしまうのならば、活かしてしまえばいい」

彼女の言葉が心に棘を残す。
箇条書きのように淡々と物を言う無機質な彼女であるからこそ、私は冷静に見つめ直すことができた。

「あなたは恵まれているわ。じゃなければ、私はあなたの元には現れていない」

「え?」

「かっちゃ~~~~~ん!」

突如、どこからか馴染みの声が聞こえる。
ハッとして顔を上げると、目前には宿舎があった。

「い、いつの間に……?」

周囲を見回すも、確かに来た時に確認した宿舎に違いない。
それと同時に、私の身体にがばっと何かが覆いかぶさった。
遅れて、馴染みの柔軟剤の香りがふわりと舞った。

「な、ナツ……?」

「帰ってこないから、事故にでもあったのかと思ったよ~~」

ナツは私に抱きついたまま、えんえん喚く。
私は彼女の細い背中を軽く擦る。

「ご、ごめん……でも、途中で人が案内してくれて」

「人が?」

「うん、あの女の子が……」と後ろを指差すが、そこに少女の姿はなかった。

「あ、あれ?」

周囲を見回すも、赤髪の少女や眼帯の青年の姿がない。
ハッとして振り向くと、ナツがポカンとした顔をしていた。

「かっちゃん……もしかして」

「いやいや、今回ばかりは違うはず……」

ナツも見えていたのだから、そんな存在ではないはずだ。

とはいえ、私は彼女たちの名前すら聞いていない事実に今更気づく。

周囲に他の施設が見当たらないことからも、彼女たちもこの宿舎を利用しているのではないのか。
また会えるかな、と僅かな期待を胸に宿舎内に戻った。

 

***

 

風呂や夕食が済んだ後、本日のメニューは終了する。
幸いにも就寝場所は学年ごとにわかれていたことから、同期のみんなは部屋の中で各々過ごしていた。

カースト上位生たちの陽気な笑い声が響く。
隣の部屋にいる先輩に注意されないか少し不安になった。

「かっちゃん。すごい長い時間呼び出されてたけど、大丈夫だった?」
ナツは自身の布団の上で転がりながら私に尋ねる。

「う、うん。悪いのは私やしさ……」私は苦笑して頭を掻く。

あの後、先輩たちに呼び出されて、こっぴどく怒られたのは言うまでもない。

「でも川の近くにたくさん青い花が咲いていたでしょ。とってもきれいだったから、つられる気持ちはわかるよ」

ナツは噛み締めるように頷く。
そんな彼女がおかしくて、私は自然と口角が上がる。

「なんか、部活、頑張れそうだなぁ……」

何でこんな言葉が飛び出たのかはわからない。
だけど、あの少女のおかげで、冷静に感情を見直すことができていた。

私の言葉を聞いたナツは目を輝かせる。

「それならよかった!やめたらどうしようって」

「や、やめないよ……」

「だってかっちゃん。ここに来てからずっと心配そうな顔してたでしょ?練習辛いなって思っているのかなって」

図星なので言葉に詰まる。

「そりゃ、一日練習だからハードかもしれないけどさ。でもこうして皆と一晩一緒にいられる機会も修学旅行以外経験できないよ。私、かっちゃんとこうしてお布団の上でお話しできてるのも嬉しいし」

そう言うとナツはごろりとふとんの上に仰向けになる。
彼女の言葉で、確かに修学旅行みたいだな、と今更ながら思う。
先輩に注意されないかばかりに気を取られて気づかなかった。

「ナツって、本当に何でもプラスに変換できて羨ましいなぁ」

軽い調子で言ったが、「かっちゃんのおかげだよ」との言葉が届いて目を丸くする。
ナツは身体を起こして、真っ直ぐ私を見ていた。

「私のパパやママが亡くなった時、かっちゃんが言った言葉、覚えてる?」

「私が言った言葉……?」
頭を捻るものの、幼少期であることからすぐには思い出せない。

「『ナツのそばには、いつも両親が見てくれているよ』。その言葉で私はどれだけ救われたか、かっちゃんはわからないでしょ」
ナツは意地悪そうに口角を上げて言う。

「そんなことで……?」

「そんなことじゃないよ!他でもない、霊感のあるかっちゃんだからこそ効いたんだ。他の人のどんな慰めの言葉よりも響いた。パパやママが傍で見てくれているからこそ、頑張らなきゃって、情けない姿は見せられないって思えるようになったんだよ。私、かっちゃんには本当に感謝しているの」

「何それ……」
私は恥ずかしくなって不愛想な対応になる。

「私、誰よりもかっちゃんに幸せになってほしい。嫌だな、と思いながら部活を続けるほど無理はしてほしくないんだ。だから頑張れるって言ってくれて、本当に嬉しかったよ」
私から誘ったからね、と申し訳なさそうに頭を掻く。
そんなナツを目を細めて見る。

「多分、ナツのおかげだよ。ナツがそばにいてくれてるから、ナツのポジティブ感情が私に伝染している」

「元々運命で結ばれた者同士だから、相乗効果も二倍だね」

「何それ」

私たちは、周囲を気にせず心から笑った。

自身のことばかりにしか意識が向いていなかった。だから周囲を見回す余裕がなかったんだ。
こんなにも近くに、理解者がいたというのに。

案の定というべきか、消灯時間になると先輩が険しい顔で私たちの部屋まで来る。
だが、今ではこんな状況ですら楽しいと思えるほどだった。

明日はどんな練習になるのかな、と考えながら眠りに落ちた。

 

***

 

眩しい日差しが身体を襲う。
ぼんやりと目を開けると、カースト上位である同期の数人が、カーテンを開けて、窓の外を指差しながら話していた。

スマホで時間を確認するも、朝食の時間まで、まだ一時間もある。
朝早くから迷惑な行為だな、と何気なく隣に視線を向けるが、そこにナツがいなかった。

「あれ……?」

確か昨日、私の隣で寝ていたはずだ。
身体を起こして室内を見回すも、姿がない。

トイレにでも行っているのかな、と思いながら、何気なく窓の方に顔を向けたタイミングで、外を見ていた同期の一人と目があった。

「ねぇ……あの……」

同期は強張った顔で、口を開く。
彼女の困惑した様子に疑問を感じて首を傾げる。

「あそこで倒れている人って、まさか清水さん?」

宿舎横を流れる川の傍に、ナツが倒れていた。
全身濡れていることから、溺れたのだろうとは見て取れる。

彼女の元に辿り着いた時には、すでに息はしていなかった。

普段そばにいた両親の姿が見えなくなっていることからも、もう彼女の精神はこの世にいないのだと目ではっきりと伝わった。

この状況には、さすがに先輩たちも息をのみ、練習どころではなくなった。
宿舎の管理人が対応するも、山奥である為、警察や救急車が辿り着くのも時間がかかる。

目前で繰り広げられる光景を、何の感情も絡ませずに脳内に流すほどに、私の思考は停止していた。

「似瀬本さん。昨日の夜、彼女と一緒にいたのはあなたよね。何か、変わったこととかあった?」

先輩の一人が私に尋ねる。

「いえ、全然、普通に話していただけで……」

頭が回らずに、稚拙な言葉になる。

何で、ナツは外に出ている?
何で、ナツは溺れている?
何で、ナツは死んでいる?

次々に疑問が沸き上がるも、明確な返答はない。

言葉が反響する騒がしい脳内に、突如、リンッと澄んだ鈴の音が鳴った。

聞き覚えのある音にハッとして顔を上げると、宿舎傍の木の陰に、赤髪の少女と眼帯の青年が立っていた。

だが、瞬きをした瞬間、青年の姿が消え、代わりに赤髪の少女の手に身の丈に似合わない鎌が出現した、ように見えた。

「えっ!?」

私は思わず目を擦る。
突然の行動に、周囲の人たちは怪訝な顔で私を見る。

「す、すみません……。ちょっと」

適当に誤魔化して、その場を離れる。
私はまっすぐ、宿舎傍の木の元に向かった。

「ねぇ……!あの……!」

私は焦燥気味に叫ぶ。

「何?」

突如、背後から声が聞こえて、身体がびくりと反応する。

振り向くと、相変わらず無機質な表情の赤髪の少女が立っていた。
明らかに私たちとは違う、異質な空気を纏っている。

「あなた……」
私は警戒の色で少女を注視する。

彼女が纏う空気。それは普段、私が霊に対して感じるものと近しいものだ。
だが、彼女たちからは、未練や後悔といった負の感情が一切感じられない。むしろ、そういった感情を持たないよう努めているようにすら見える。

何よりナツも見えていたことで、ずっと霊ではないと考えていた。

思案に暮れていたことで、それに気づくのに時間がかかった。

日は高く昇り、雲もなく快晴であることから、太陽の熱が全身に降り注ぐ。
その証拠として、地面には「影」が刻まれるものだ。

だが、少女の足元には、影がなかった。

初めて出会った時から抱いていた、妙な違和感。
それと、今見ている現実が一致した。

私は、恐る恐る顔を上げると、少女を見る。

「あなた……一体何者……?」

俯いていた少女は、蠱惑的な真紅の髪を揺らし、静かに私を見上げる。
「私は、死神です」
赤髪の少女は、淡々と答えた。

突飛な言葉が飛び出たにも関わらず、私は大脳で処理するよりも先に「そ、そうなんや」と言葉を発していた。

「死神」。漫画やアニメ作品でよくモチーフとして扱われる架空の存在だ。冷静に考えなくても信じられるわけがない。

だが、彼女から感じる空気には、どこか説得力があった。
脳では処理できていないものの、身体で勝手に受け入れていた。

「私たちは、【清水 夏帆】の担当だった。だからここ数日、彼女の傍で観察していた」
赤髪の少女は、淡々と答える。

「担当、だったということは、あなたがナツを殺したの?」

「その言い方は心外だわ」

赤髪の少女は険しい顔になる。彼女の刺さる視線に、私は息をのむ。

「【清水 夏帆】は今日、死ぬ運命だった。運命は変えることはできない。私たちはただ、彼女を迎えに来ただけ」

この世界には、「お迎えが来る」って言葉があるのでしょ、と少女は付け足す。
私は黙って彼女の話を聞いていた。

「彼女の最期は、とてもきれいだったわ」

「最期?」
私は怪訝な顔になる。
川で溺れて死んだナツがきれいと呼ばれることに対して、嫌悪感を抱いた。

少女は、私の視線にも全く怯むことなく、言葉を続ける。

「昨日話したでしょ。死ぬ前に未練を取り除けば、普段あなたが見ている遺恨がこの世に残ることはない、と。そして彼女に芽生えていた未練は無事、取り除くことができた」

「ナツの、未練……?」

「彼女の未練は、何だったと思う?」
少女は、私を見て問う。

周囲からは慕われ、才能もあったナツに何か未練があったようには、正直見えなかった。
不慮の事故で両親を亡くしたとはいえ、むしろ両親が見ているから頑張るんだ、という志が昨日の会話からも感じられる。

思案に暮れていると、少女が私に近づき、解答を口にする。

「彼女の未練は『似瀬本 香帆がこの先、周囲に怯えることなく生活できること』だった」

私は目を丸くする。

「私が、怯えることなく……?」

「あなたは、遺恨が見える体質のせいで、周囲の目を気にして生活するようになった。そのことが、彼女は不安だったのでしょう。彼女からあなたに入部を進めたことが特に引っかかっていたようね」

――――私、誰よりもかっちゃんに幸せになってほしい

昨日の夜、言っていたナツの言葉が脳裏に反響する。

ナツは、この先私が部活を続けられるのか不安だったが、昨日の夜の会話でその未練は解消された。

でも、それにしてはタイミングが良すぎる。
元はと言えば、この少女と出会ったことで私は――――。

そこではっと気づく。

「だからあなたは……私に接触したの?」

「そういうこと」

少女はあっさりと言う。「彼女の未練を取り除くには、あなた自身が変わる必要があった」

「でも、外で体力作りも、私が迷ったのも偶然なのに……」

「偶然、偶然ねぇ……」

突如、声が降ってきて顔を上げると、私の頭上の木に眼帯の青年が座っていた。

「いつの間に……!?」

「ずっといたぜ。この位置は案外気づかれねーもんなんだ。いかに人間が下ばかり見ているかがわかるな」
青年は茶化すように言う。

「偶然なんてものは『人が死ぬ時期』だけだ。今回あんたの友だちが死んだのは偶然だった。それ以外の出来事には、元を辿ると全て何らかの事情があり、必然的に起こることなんだ。いや、起こされると言ったほうがいいのかもしれねぇな」

青年は尖った歯を見せながら嗤う。私は彼の言葉が心に刺さり呆然とする。

経緯が必然だとしても、ナツが死んだのは偶然だった。
目の前の死神は、ナツが死ぬとわかっていたからこそ、彼女の未練を取り除いて、きれいな状態で終わらせるように努めた。

ナツが死ぬことが偶然で決まっていて、かつ彼女たちは手向の花を贈った、だなんて言われると、どこに感情をぶつけたらいいのかわからなくなる。

「最期に自分のことよりも他人の幸せを心から願う。そんな人間は珍しいわ。それだけあなたのことが大切だったのよ」
赤髪の少女は、感情のこもっていない声で告げる。

私たちが『運命』だと思ったのは、虹ノ宮市で再び再開するよりも以前のことだ。
仲良くなったきっかけは、『かほ』という同じ名前であることだった。

「かほちゃん〜お母さんがお迎えにきたよ」

保育園の先生がそう言うたびに私たちは「先生、どっち?」と笑いながら首を傾げていた。

「ややこしいよね。これからは『ナツ』って呼んでもらおうかな」

「ナツ?」

「『夏帆』の『か』は『ナツ』だからさ」

ナツが太陽のような眩しい笑顔でそう言ったのを今でも鮮明に覚えている。

それから私は清水夏帆のことを「ナツ」と呼び、ナツは似瀬本香帆のことを「かっちゃん」と呼ぶようになった。

「ナツの未練は、私だった……」
私は茫然と立ち尽くす。

「未練を残したままだと、きっと彼女はあなたに憑いていたと思うわ。それはあなた自身が一番理解していることでしょう」

「それは、確かに……」
私の顔は引き攣る。

「だからこそ、今回はあなたの体質に感謝ね」

「というと?」

「私たちは普通、死期の迫った人間にしか認識されない」

赤髪の少女は、はっきりと答える。私は身体が静止する。

「たまにいるのよ。まだ開花予定日が不明でも、私たちの存在を認識できる存在が。この世界では、そんな人間のことを『霊感がある』って言われるのでしょ」

「そ、そうやな……」

私は動揺の滲む声で返答する。脳内では、必死に誰かの前で少女と話していなかったか思い返していた。

そんな私を少女は一瞥すると、「せいぜい、未練のない人生を送ることね」との言葉を残し、青年と共にこの場を去った。

 

***