5【火宮 秋奈】①




秋は気候が良いことから、何かを始めるのに適した時期であり、「○○の秋」だなんて言葉を各所で耳にするものだ。
実りの秋、食欲の秋、音楽の秋、運動の秋、行楽の秋、読書の秋、芸術の秋…。
軽く思い浮かべるだけでもいくつも候補に挙がり、どんな秋かは人それぞれ、まさに十人十色といったところだ。

美術や文学など個々が活躍できる文化系分野が盛んになることから、「友情、努力、勝利」といった夏の運動系分野とはまた違った熱意を感じることができる。

まさに私の通う青星第一高等学校は、芸術に力を入れていることで、秋は一年で最も盛んになる時期だった。
目に見えてわかるのが、十月初旬に行われる文化祭だ。

映像科は各グループの作成した映画上映、美術科は絵の展示会、漫画科は漫画本発行、音楽科はライブやコンサート開催など、一年かけて準備してきた強い個性を発表する場となる。

うちの高校は、各分野から著名人を多く輩出していることから、文化祭はメディアからも大注目されている。
何より今をときめく俳優、女優を多く輩出している芸能科があることからも、入場料制でありながら一般客が殺到し、厳重に警備されるほど大きなイベントとなっている。

当日はテレビで生中継され、ニュースにも取り上げられることで、文化祭を通じてスカウトされることもある。そりゃ皆、闘志を燃やして取り組むものだろう。

そんな戦場に耐えられなくなり、私は早々に離脱した。

「あー駄目だ。何も思い浮かばない」

平日の昼下がり。二階建ての小汚いアパート内で一人、天井を見上げて呟く。
勢いに任せてごろりと床に寝転がると、ギシッと年季の入った音が鳴る。昔からある木造アパートの激安賃貸相応とはいえ、安全面が少し不安になるものだ。

窓の外から小学生の騒ぐ声が聞こえる。壁にかけている時計を見ると、午後三時半を指しており、あぁもうこんな時間なのか、とぼんやり思う。

「はぁ……散歩でも行こう」

アイデアに詰まった時は、近所を散歩するのが昔からの癖だった。脳をからっぽにして一時間ほどあてもなく歩いていると、ふとしたきっかけでアイデアが生まれる時がある。

私はおもむろに立ち上がり、洗面所で顔を洗う。ぼさぼさの髪をとかすと、寝間着からジャージと心なし外出向けに見える服装に着替える。
大好きな作品の絵が描かれたパーカーを羽織り、近所でマスクもしているからと特に化粧をすることもなく外に出た。
秋晴れの空を見上げながら歩を進める。
日が眩しくて額に手を当てる。身体にまとわりつく湿気も感じずに心地良い気候だった。

夏はほぼ自宅に籠り、刺さる日差しを肌に受けることもなかった為、季節が切り取られたかのような錯覚に陥った。
少し肌寒い秋の風によって甘い香りが鼻に届く。釣られて顔を向けると、住宅街の並ぶ小道に生えている木々に、橙色の小さな花がたくさん咲いていた。
金木犀。この香りがすると、秋が来たな、と実感できるものだ。

並木道の通りをぼんやりと歩く。目先の公園ではしゃぐ子どもの目には、未来への希望が秘められ、純粋にきらきら光っていた。

傍にある公民館のガラス戸に映った自分の姿を見て、眉間に皺を寄せる。

「ひどい顔……」

光合成の行われていない不健康な肌、生えっぱなしの伸びた髪、身を屈めて猫背になっている姿勢。
花の女子高生と呼ばれるには程遠い、幸の薄そうな自身の外見に同情した。

地面にどんぐりが点々と転がっている。周囲を見回すと、松ぼっくりや赤い実など、秋の実りがたくさん転がっていた。

公園の近くに生えている木からの便りだな、とぼんやり思う中、突如、リンッと心地良い鈴の音が鳴った。

音に釣られて顔を上げると、公園内のブランコを漕ぐ赤髪の少女が目に入る。
先ほどまで姿がなかっただけに軽く驚く。

真紅の髪を揺らし、黒くてゴシックな衣装を身に纏ったその姿は、私の創作している物語から飛び出てきたキャラクターでは、と疑うほど現実離れしていた。

背丈からも小学校低学年くらいに見える。だが、公園で遊ぶ小学生とは思えないほどに無機質で笑顔のない顔をしていた。

魔力に魅せられたように少女に釘付けになっていると、彼女はブランコから飛び降り、トンッと着地してこちらに顔を向ける。私は反射的に視線を逸らす。

「案外、おもしろいものね」

少女はこちらに近づきながら、おもしろくなさそうな顔で口を開く。
突如、話しかけられたことで、私は「え?」と素っ頓狂な声が出る。

「揺られることに何の価値があるのか見出せなかったけれど、やっぱりジャパニーズカルチャーは侮れない」

「ジャパニーズ……カルチャー?」

「いんや、ブランコは多分、ジャパン発祥じゃないぞ」

突如、背後から声が聞こえる。
振り向くと、全身黒服の痩身の青年が立っていた。

銀髪に赤い瞳、右目につけられた眼帯、尖った歯も相まって、彼も赤髪の少女と同じく、二次元的な存在に見えた。
青年はスタスタと少女に近づく。私ではなく彼に話していたのか、と内心赤面した。

少女は興味もなさそうに踵を返して、今度は動物の形をした左右に揺れる乗り物に跨る。青年は傍らのベンチに腰かけて、少女を見守る。

まるで保護者と子どもだな、とその様子を眺めながら、そそくさとその場を離れた。

日の沈み始めた空を見上げ、何かのネタに利用できないかな、と頭を捻らせながら帰路につく。

シーズン3【火宮 秋奈】

 

帰宅すると、帰り道にコンビニで購入した親子丼を机に置いて、床に乱雑に投げられているノートとペンを手に取った。

適当に空白のページを開けると、そこに『公園から始まる非日常』『物語の中から飛び出してきたキャラクター』『銀髪青年×赤髪少女』『いかつい保護者と無表情少女』と溢れ出る脳汁を染み込ませる。

外出する機会がほぼなくなった以上、今日のような少し色の違った日常は、創作者にとっては貴重なものだった。

一通り書き留めると、そのまま風呂場に向かう。
あまりにも二次元的な外見をした彼女たちとの出会いから、何か生み出せないかと久しぶりに湯舟に浸かりたくなった。

一人暮らしになってから機会は減ったものの、湯舟に浸かりながらぼんやりアイデアをまとめる行為も、私のネタ抽出方法のひとつだ。

使用感のある湯舟をスポンジで洗う。どれだけ擦っても、年季の入った黄ばみが取れることはない。

「でも、本当、びっくりしたなぁ……」

街中ではたまにロリータな衣装を身に纏った姿を見かけることはあるものの、彼女たちからは外見だけでなく、オーラそのものまでもが、現実離れしているように感じられた。

言うならば、キャラクターそのもの。コスプレなどで演じているのではなく、何かの存在、そのもののような佇まいだった。

と、ひと目見ただけにも関わらず、勝手な妄想を膨らませて個人的な解釈をしてしまうところも、創作脳の悪いところだな、と苦笑する。

湯はりボタンを押して部屋に戻る。それと同時にスマホから通知音が鳴った。

私は聞こえないふりして、テレビの電源を入れた。

「もうすっかり秋晴れの今日この頃。そして、この季節といえばそう、『芸術の秋』ということで、『青星第一高等学校』の文化祭ですね」

馴染みの学校名が耳に飛び込み、目を見張る。
テレビの画面には、『直前潜入レポート』とのタイトルと共に、見慣れた学校が映っていた。

警備の厳重な校門前には、来週の文化祭に向けられて作成された立て看板が複数設置されている。映像科はモノクロフィルムに作品タイトルが並び、音楽科は音楽記号がたくさんあしらわれた、各々の学科の個性が顕著に表れたデザインだ。

「いよいよ、来週に迫りましたね」
画面に映る女子アナが、嬉々として言う。

「さて、直前スペシャルということで、今日は各学科の展示物について詳細をリポートしていこうと思います」

リポーターが意気揚々と宣言すると、胸を張って校門の中に入っていった。

「もう、来週なんだなぁ」

私はテレビを眺めながら他人事のように呟く。だが、それと同時に、懸念事項が生まれた。

うちの文化祭は、メディアからも注目されて、当日は生中継もされる。
それなのに、我が子の姿や作品がひとつも映らなければ、さすがに両親も妙に思うはずだ。

そうなれば、私が学校に行っていないことがバレるのも、時間の問題ではないのか。

顔が強張るものの、夏休みが明けてから既に一ヶ月以上経っており、ましてや挫折の多い一年目の生徒の席が残されているほど甘い場所でもないはずだ。
何より、今さら文化祭で発表できる作品もないことから、足掻くことだってできない。
私は山積みになっているボツネームの山を見ながら、敷きっぱなしのふとんの上に寝転がる。そのままパソコンを立ち上げて、メールを確認する。

いまだ担当さんから返信がないことにどこか安堵すると、そのままSNSを開く。

「こんな落書きに、いいねが五百もつくんだから、本当、よくわからないものだなぁ……」

昨日アップした二次創作のイラストの反応を見ながらぼやくも、承認要求が満たされたことに気分が良くなる。

イラストについているリプライを適当に返すと同時に、湯はり完了の音が鳴り響いたので、身体を起こして浴槽に向かった。

 

このままではダメだ、と頭では理解している。
だが、どこか居心地の良さも感じてしまっていて、現状から抜け出せないでいた。

「ネーム、今回もボツになったらどうしよう」

湯舟に浸かりながら、思考を巡らせる。
テレビから思わぬ雑音が聞こえて邪念が混じり、ネタ出しどころではなくなってしまった。

できるだけ外的要因を断ってきたにも関わらず、些細なノイズで脳が疲弊する。
特に最近は意識的に避けていたことから、以前よりもデリケートになったように感じられる。
脳は豆腐のように柔らかいとは聞いたが、まさに今の私は骨格に覆われてないむき出しの状態なんだろう。

湯の熱が肌をじわじわと刺激して、凝りがほぐされている感覚に陥る。脳がくらくらして、邪念すらも吹っ飛び洗練される。
茹だりそうになったので、浴槽を出た。

 

***

 

部屋に戻ると、香ばしい香りが鼻孔を擽った。
濃厚な卵黄にだしの効いた醤油の香り、採取された磯を彷彿とさせる熱された新鮮な海苔の香りと相まって食欲をそそる刺激だ。

それが、帰宅時に購入した親子丼だ、と思い出すと同時に、違和感を抱いて正気に戻る。

室内に視線を戻すと、小さいテーブルを囲むように二人の人影があった。

「まだ生まれていない生命を食べる人間は、残酷な生き物だわ」

目前に座る、赤髪でゴシック服を着た少女は、親子丼をもぐもぐ咀嚼しながら感想を述べる。

「しかもそれは『親子丼』っつー名前の食べ物だ。まだ息のしてねぇ子どもと生んだ親を一緒に食っちまう。だがそいつらは、『家畜』と呼ばれる、ある意味、人間に食われることが使命の生き物だから仕方ねぇんだ。いわばこれはそいつらの運命だ。この世界ではそういうのを『食物連鎖』と言うらしい」

少女の隣に座る、銀髪で眼帯をした青年は、胡坐をかいて頬杖をつきながら雑学を語る。

「親子丼……」
少女は複雑そうに顔を歪める。「人間の気が知れないわね」

「ちなみに鶏じゃなくて豚を使用する『他人丼』というものもあるらしい。誰の子かもわからない奴と一緒に喰われちまうんだ。人間の考えることはわからねぇもんだ」
あまりにも無慈悲だ、と青年は尖った歯を光らせながら嗤う。

私は思考が停止していた。

それは、あまりにも突飛な光景だからか、先ほどまで脳が茹でられて思考回路がショートしているかの判別はつかない。

赤髪の少女の「お帰りなさい」との言葉に「ただいま」と口が勝手に反応していた。

「いや、待って。それ、私の親子丼」

豆腐から絞られた汁が青汁だった時のような、ずれた言葉が飛び出る。
食欲が刺激されていただけに、仕方もないはずだ。

少女は、何食わぬ顔でこちらに振り向く。

「『親子丼』は、誰が考えたのかしら」

「え?」

「卵はいわば、与えられた生命がまだ誕生していない状態。これから彼ら自身の人生が始まるというのに、息もさせてもらえずに食べられる。それも、親諸共に。仲間が見たら発狂するはずだわ」

至極真面目な顔で語る少女に圧倒されて、何故か申し訳ない気持ちになる。

「人間がどんな気持ちで食事しているのか気分を知りたかった。だけど、案外悪くはない」

そう言って赤髪の少女は、空になった親子丼の入れ物をこちらに向ける。
まるで大食い選手が完食を示すために皿をカメラに向けるような堂々とした態度だ。

「俺らの気持ちが、わかったろ?」

青年は尖った歯を光らせながら少女に嗤う。そんな青年の言葉を無視して、少女は近くのティッシュで口を拭く。

尋ねたいことが多すぎて混乱する。
徐々に脳が冷めているとはいえ、現状を理解すればするほど困惑する。

「いや……待って、そうじゃない。何、何なのあなたたちは……」

やっとのことで、本質的な内容が尋ねられる。

二人はおもむろに私に視線を向けて、口を開く。

「私たちは、あなたのファンです」

赤髪の少女は、そう言いながら懐から一冊の本を取り出す。
表紙の絵を見て、あっと声を上げる。

「私が出した本……」

少女が所持している本は、半年ほど前にイベントで発行した同人誌だった。

当時、まだ中学生であった私は、両親の力を借りて、初めて大きなイベント会場でサークル参加した。
発行数は百ほどだが、SNSではそこそこフォロワーがいるだけ、イベント当日はたくさんの人が来てくれて、すでに完売しているものだった。

「あなたの出された本に感動して、会いに来てしまいました」
赤髪の少女は、真顔のまま告白する。

「会いに来たって……」私の顔は引き攣る。

もちろん、本には名前や住所などの個人情報は記載していない。
SNS上でもそういったやり取りには気を付けているだけ、不安になった。

だが、すぐにその答えを知ることになる。

「あなたが、このキャラクターのTシャツを着用していたので」

そう言って少女は私を指差す。釣られて自身を見ると、確かに羽織っているパーカーには、私が出した本と同じキャラクターの絵が描かれていた。
散歩の時にも同じパーカーを着用していたことから、恐らく公園で出会った時にでも気づいたのだろう。

「でも、それだけで家までついてくるって……」

「だってこれは、あなたの考えた作品でしょう?」

少女は淡々と問う。その言葉を聞いて私は正気か?と問いたくなる。

「えっと、一応言っておくけど、それ、二次創作だから」

「二次創作?」

少女はキョトンとした顔で言う。その反応からも私は額を押さえる。

少女の所持している私の同人誌は、原作が漫画のアニメ化もされている『REBELS』の二次創作だった。
今年の夏にアニメ放送されてからは、老若男女問わずに見られている作品であり、作品に登場するキャラクターのグッズや衣服を着用している人物もそこら中にいる。

本当に偶然、発行者だったとはいえ、彼女の突飛な行動に顔が強張る。

「それに普通に不法侵入だし、ましてや勝手にごはんまで食べててさ」

「私たちに、この世界の法は適用しません」
少女は本気かわからないことを真顔で言う。

その彼女の様子からも、突っ込むとかえって混乱するな、と観念する。

初めて会った時に思ったではないか。
彼女は、キャラクターそのものなのだ。

脳がそういう人物だと捉え始めた瞬間、不思議なことに、法や常識といったものを追求することを忘れて、現状だけを受け入れ始めていた。

「……で、会いに来たって言ってたけど、具体的には何の用?」
私は尋ねる。

「あなたが生み出した、ジャパニーズカルチャーを他にも読ませてほしいのです」
少女は淡々と答える。

私は一瞬身体が静止し、そして視界の端に映るボツネームの山を一瞥した。
だけどすぐに少女に視線を戻して、溜息を吐いた。

「そんなものないよ」

私は敷きっぱなしのふとんの上に座る。その様子を二人は無言で見つめる。

「一次でまともに形にできた作品なんてないし。偶然、雑誌に載せてもらえた作品でさえ、今では直視できないもん……。ここにあるのは、形にならなかったゴミの山だけ」

私は複雑だった。
二次創作でも自分の作品が好きだと言ってもらえるのは嬉しいが、本当にしたいこととは少しずれている。
それなのに、認めてもらえることが心地よくて、ずぶずぶ沼に浸かったままで這い上がることができない。

思考の海に流されていると、突如、リンッと目を覚まさせるような鈴の音が響く。

「あなたは今、楽しいですか?」

「え?」

唐突な問いかけに、思わず顔を上げる。

だが、その場には、少女も青年もいなくなっていた。

「あ、あれ……?」

目を擦って確認するも、姿はない。
その場に残されているのは、空になった親子丼の容器だけだった。

「幻覚……?」

身体にひやりとした感覚が襲う。
それと同時に、まだ髪を乾かしていなかったと気づく。

私は首を捻りながら、洗面台へと向かった。

 

***