第一セメスター:四月➁



 花見を終えた夕方。
 赤く染まった空を見上げながら、帰路につく。

「空、暗いね」月夜が唐突に呟く。

「そりゃ、暗くもなるでしょう」私は、ため息を吐く。

「だよね、もう十八時だもんね」

 私は無言で月夜に顔を向ける。彼女は、いつもの無表情で空を見上げていた。

「紛らわしい!」

「あぁ、空も暗くなってたの」

 月夜は興味なさそうに顔を向ける。私は、ムスッと唇を突き出してふてくされる。

「なんか思ってたよりも、ノリが軽かったというか……」

「新歓ってそういうものじゃないの? 他のところも同じ感じだったじゃん」

「それでもさ、天体のての字も出なかったじゃん。何なら今日話したのって、あの天草って人だけだし……」

 あれから天草に流されるまま、先輩に大学生活について教わっただけだった。有意義な情報は得られたものの、部活動に関することは何ひとつ話題に上がらなかった。

「それに去年、会った先輩もいなかった……」

 意気消沈して肩をすぼめる「本当に、星が好きな人たちなのかな……」

 タバコを吸いながら空を見上げる彼の姿を思い出す。空が好きだと言った土屋さんのような人たちばかりだと期待していただけに暗くもなるものだ。

「その先輩、まだ引退してないの?」

「あっ!」

 ガツンと頭を打たれたような衝撃が走る。その可能性を全く考えていなかった。
 唐突に虚しくなった。土屋さんとは空を見上げることはできないのだろうか。

 いや、でもまだ今日一日花見に参加しただけだ。こんなことだけで夢を失うわけにはいかない。

「明日は学内イベントで、その次は飲み会。最終日に観望会。月夜も、もちろん来てくれるよね!」

「今日、たくさんお菓子もらえたし」

 そう言って月夜は、腕に下げたスーパーの袋に目をやる。残ったお菓子やジュースなどを譲り受けていた。一人暮らしである彼女には、たとえお菓子やジュースでも貴重な食料になるのだろう。

 駅に辿り着いた頃には、すっかり日が落ちていた。

 月夜と別れると、改札をくぐって帰路についた。

***

 次の日は、学内歩道にテントでブースが設けられた簡易イベントだった。
 花見の時よりも人は少ない。軽く活動内容の説明をうけたが、口頭説明が中心の為、最終的には、上級生との交流で終わった。土屋さんの姿はない。

 次の日の飲み会も花見と変わらなかった。むしろお酒が絡む分、花見の時よりもノリが軽く感じる。

 新入生である私たちは、まだほとんど未成年なのでお酒が飲めず、お酒に酔う上級生たちと一緒に空気を楽しんでいる人ばかりだ。見るからに飲みサーだった。
 参加している新入生の数は今までで一番多い。花見で出会った天草も参加していた。

「昨日は、イベントサークルの飲み会だったんだ」

 天草は、子犬のように無邪気に笑いながら言う。「タダ飯食えるから来いよと誘われてよ。新歓は、今しか堪能できねぇしな」

 天草の顔は、妙に紅潮していた。お酒であるはずないが、この場の空気に酔っている彼に顔が引き攣った。

 月夜のように、一人暮らしの人にとったらタダで食事ができるのは大きいだろう。実際参加人数が、今までで一番多いことからもそれはわかる。
『新入生』という切符を活用したライフハックなのだ。

 上級生との交流と思えば楽しいのかもしれない。
 しかし私は、もう少し真面目な部活だと思っていただけに肩透かしを食らった。

 この日も、土屋さんの姿はなかった。



***

 次の日。仮履修の講義を終えた昼休み。
 灰葉大学は、キャンパスがひとつに集められ、学内がとても広い。学食も和洋中全て取り揃えられ、十店舗以上はあるだろう。
 だが、昼休みは、どの店舗も人で溢れかえる。

「なんだかなぁ……」
 ざわざわ人でひしめく食堂内、私は机に突っ伏して呟く。

「この食堂のそば、安いのに美味しい」

 月夜は、そばをズルズルすすりながら答える。目前でわかりやすく落胆する私を、一ミリも気にする素振りがない。

 相変わらずの彼女に、私は唇を突き出して視線を向ける。

「大学の部活って、やっぱサークルみたいなノリなのかなぁ」

 新歓イベントで、感じたことだ。この一年、思い描いていたイメージと全く違ったのだ。
 無性に悔しくて、虚しくなる。イベント自体は楽しいのに、純粋に楽しめていない自分がいた。

「そこまで本気だとは、思わなかった」

 ふと、冷静な声で返答がある。
 顔を向けると、頬杖をついた月夜と目があった。

 食べ終えたそばの器を横にずらし、私を物珍しそうに観察する。長いまつげに澄んだ瞳は、相変わらず吸い込まれそうなほどにきれいで、女の私でもドキドキした。

「天文部って運動部みたいに明確な試合とかあるわけじゃないじゃん。いわば愛好会でしょ。もっと肩の力抜けば良いのに」

 ごもっとも。私は、期待しすぎていたのだ。
 しかし、昔から憧れていたので、仕方ない。
 
「ずっと、憧れてたの。誰かと空を見上げること……だから、この大学で皆で空を見上げて、感動を共有したかった」

 初めて流れ星を見た時のことを思い出した。

 当時、中学三年生の私は、学校で話題に出た双子座流星群に興味を持った。そして流星群の夜、ベランダで空を見上げていた。

 その日は新月だったことで、濃紺の広がる空に、きらびやかな星がいくつも確認できた。
 授業で習ったオリオン座を見つけると、手元の早見版を頼りに双子座を探した。

 早見版と同じ星図が、空に広がっていることに感動した。
 神話に登場するキャラクターたちが、今にも動き出して冒険が始まるようなワクワクした気持ちになる。

 あっと声をあげた時には、消えていた。一瞬の出来事で何が起こったかわからなかった。
 確かに今、星が流れた。

「すごい……きれい……!」

 感情が、ぶわりとこみ上げる。

 すごい、はやい、きれい。
 流星って、こんなに速くてきれいなんだ。

「今の、すごいよね……」

 そう口にして、はたと気付く。家族はすでに就寝し、その場には私一人だ。

 消化しきれない、高揚した感情の処理に悶々となる。
 誰かと共有したい。今の流星、すごかったね、と言い合いたい。

 この時から憧れ始めた。誰かと空を見上げて、感動を分かち合いたいと。

「昨年、オープンキャンパスに来たときに天文部の人に会ったの。この人がいるなら、私の夢も叶えられそうだな、と思ったんだ……」

 珍しく月夜は、真剣な顔で聞いていた。いや、彼女の場合、無表情がデフォルトだが、それでも私に向き合ってくれている気がして、歯がゆくなった。

「おっ、偶然だな」

 上から声が降る。顔を上げると、天草がいた。隣にいる友人も、天文部の新歓で見た顔だった。

 天草と友人は、私たちの隣の席に腰をおろした。混み合う食堂の難しい席確保、本当に偶然だろう。

 天草は、大盛りのカツ定食を頼んでいる。
 能天気に食事する彼に、何故か無性に腹がたった。

「……でも実際は、こいつみたいにタダ飲み歩きするような人間ばかりだし…! 天体好きな人なんていないんだ!」

 わっと感情が溢れた。いきなり声をあげた私に、天草やその友人も目を見開いて私を見る。月夜は驚く様子もない。

 こんなの八つ当たりだ。
 私は立ち上がってその場を離れようとする。

「この後の講義は?」
 月夜が冷静に、事実確認をする。

「出るよ! 飲み物買ってくるだけ!」

 私はそう言うと、逃げるようにその場を去った。

***