十月に入り、部活動では来月に向けての学園祭準備が始まっていた。
天文部は、学外イベントのように、プラネタリウム上映や、展示物の紹介はもちろん、星をイメージしたカフェの出展やプラバン作成などの体験型のイベントも予定していた。
観客の対象が、学生を中心に一般客から子どもまで幅広い。学園祭はいわばお祭りなので、硬い内容ではなく、気軽に楽しんでいただけるような内容を目指す。
「やっぱ人脈は大事だな、って改めて実感したぜ」
天文部の解説班での活動中、天草が唐突に語り始めた。
いつものことなので、私は学祭の資料に目を通しながら適当に聞き流す。
「大学は、タテにもヨコにも広く浅く関係をつないでいくことが大事なんだ。そうすりゃ、俺みたいに全く勉強してない人間でもフル単取れる。こうやって要領よく生きていくことがウマい生き方なんだろ」
フル単とは、全ての単位が取れたことを意味する。
天草は、新歓の際に上級生に講義や教授の特徴をたくさん聞いて情報を得ていた。それらを活用した結果、一セメスターは単位を落とすことなく全て取れたのだろう。
「上流階級の学生は、例え難しくても、勉強になる講義を取るんだろうね」
私は、相槌のように嫌味を言う。
「ウチなんて、どうせF欄だろ」
天草は、開き直ったように言う。F欄とは、Fランクの大学を意味する。もはや説明する必要もないだろう。
だが正直、天草の言葉に納得できるところがあった。
私は、高校の頃から地元のスーパーでアルバイトをしている。そこで少なからず社会に出たことで気付いたことがあった。
それは、ルールを守る生き方ではなく、ルールの穴を探して生きる人間が得をする、ということだった。
スーパーの場合、万引きは法律で定められているので、違法だ。
だが、陳列前の商品を購入する行為は違法でない。再発注した同商品が期間限定で増量されていた場合、在庫の様子を見て陳列のタイミングを決める。だが、目ざとい人は、店員に声をかけたり、在庫を勝手に開けて商品を購入する客もいる。また、レジ後のカウンターに備えられている自由に使える割りばしや透明袋を必要以上に持ち帰る客もいる。
ルール外のことなので、こちらも声をかけずらい。悪い言い方をすれば見て見ぬふりをする。
ルールの穴を生きる人間が少なくない現実を知ったことで、図太い神経を持つべきだと知った。
真面目な人間が、バカを見る世の中なんだ。
以前、天草が力説していたことに今更納得できた。
「F欄のいいところは、人脈が広げやすいところだ。単位を取ることだけに集中しなくていいから、その分時間が有意義につかえる。だから俺は、ボランティアにも入ってるし、バイトも掛け持っている」
「でも、彼女はできない」
胸を張る天草に、近くにいた上級生が突っ込む。
野次が刺さったのか、天草は目の色を変えて上級生を睨む。
「うっせーすよ! いまの時代はケッコンしない人間も珍しくないんすよ」
「でも彼女はほしいって言ってたじゃん」
「そら彼女はほしいっすよ、男なんすから!」
喚く天草を、上級生は笑いながら対応していた。
天草は、入部当時から女子である私にもフラットに話しかけてくれ、上級生との繋がりも多い。部内でも壁を感じさせないいじられ愛されキャラだった。
だが、そこでふと思う。彼は、残念ながら気の許せる友人止まりになるのだろう。
友人以上恋人未満。広く浅く人脈を広げた結果なのかもしれない。現に、私も彼は気の合う男友達、という認識だった。
扉が開く。班長と土屋さんが活動部屋まで戻ってきた。
土屋さんは、私を見るなり、目を細める。私は、口を歪めながら視線を逸らした。
土屋さんと付き合っていることは、しばらく部活内では伏せることにしていた。土屋さんは、隠す必要ないと言っていたが、私がお願いした。
土屋さんは、百人近い部員のいる天文部をまとめる部長だ。そんな人と一年生の私が付き合っていると知られたら、少なくとも周囲の目が変わるはずだ。
学園祭が終わると三年生は引退する。それまであと二ヵ月もない。
少なくとも、来月の学園祭が終わるまでは、現状維持に努めたい。だから同学年はともかく、月夜や天草にも言っていなかった。
***
「もしかして、土屋さんと付き合った?」
活動帰りのバス待ち中、月夜の唐突な言葉に、過激に反応してしまう。
そのせいで、全てを悟られた。
「やっぱ、そうなんだ」
月夜は、普段の無表情のまま、髪をサラリとかき上げる。妙に引き付けられるミステリアスな雰囲気のある彼女をジッと見る。
「……何で、わかったの?」
「何となく、変わったなと思って」
月夜が言う。「土屋さんを見る目とか、距離感とか」
口を曲げる。彼女は他人に無関心なようで、意外と見てる。それが彼女なのだ。いや、むしろ感情が表に表れないだけで、内心は他人に関心があるのかもしれない。
「もしかして、他の人にもバレたりしてるのかな?」
「それはないんじゃない? 私が勝手に思っただけだし」
「それならいいけど……」
バスが到着する。ぞろぞろと車内に人が乗り込み始めた。
今日は話し合いがある、と土屋さんはまだ部室に残っているようで、姿はない。
「いつから?」
バスのイスに座るなり、月夜は尋ねる。
「が、合宿の時から……」
私は、おずおず答えると、「あー、確かに最終日のとき、途中で抜けたね」と月夜は納得したように言う。抜け目ない。
バス内は座席が埋まってもなお、人がぞろぞろと入る。この時間はいつも混む。半年生活したので、もう慣れたものだ。
「あ、地咲と、倉木さん」
明るい声が聞こえて顔を上げると、金城がいた。私たち二人掛けイスの通路側に立っている。
いつ見ても皺の無いシャツに、清潔感のあるヘアスタイル、壁の感じさせない彼の雰囲気も、さすが出来過ぎた彼だった。
「金城も、このバス使ってるんだ」
私は問う。
「俺、実家だしな。毎回部活終わりは、人多くて大変だよな」
金城は苦笑しながら答えると「あ、そういや地咲、今日言ってたことだけどさ」と思い出したように、月夜に話しかけた。月夜は導かれるように、彼に顔を向ける。
二人は、同じ展示班がきっかけで話すようになったらしい。夏休み以降、天草交えて四人で昼食を取る機会も増えていた。
だが、私の中では、納得できるところがあった。
あいかわらず月夜は真顔だが、楽しそうに話す二人を横目に、私はバスの窓から空を見上げる。
「じゃ、また部活で」
駅に着き、金城とわかれる。彼は、土屋さんと同じ路線を利用しているようだ。
軽く手を振る月夜を横目に見る。
「仲、いいじゃん」
「別に。向こうが話しかけてくれるだけ」
月夜はぶっきらぼうに答える。私には、その理由が何となくわかっていた。
金城は、恐らく月夜のことが好きなんだろう。
金城は、学部が違い、部活動でしか話す機会がないが、今のところ、彼に欠点は見られない。周りが嫌がることにも積極的に行い、男女平等に友人が多い。学内で見かける時も常に傍に誰か人がいる。
そして、頭が良い。留学を目標にしていることで、英語検定は一級を持ち、教職も取っている。
天草がF欄と決めているが、この大学は無難に真面目に将来を考えて進学してくる学校でもあるのだ。
そんな彼が、何となく、月夜にだけ態度が違うな、とは感じていた。
明確な根拠はない。月夜が私と土屋さんの関係に気付いたように、当人同士でないものだとわかる雰囲気、というものがあるのかもしれない。
だが正直、月夜がどう思っているかは全くわからない。
昔から知っている旧友であっても読めないので、中々難易度の高い人間を好きになったな、と内心金城に同情していた。
***