次の日の水曜日。
昨夜に、土屋さんと連絡した際、明日ドライブに行こう、という話になった。昼間はお互い、バイトと研究室だったので夕方に合致の予定だ。
バイト中も、ずっと浮かれていた。
アルバイトの店から出ると、前に車が止まっていた。
ガーッと窓が開かれると、そこに大好きな顔があった。
「や、空ちゃん」
開けた窓から土屋さんが手を振る。
「土屋さん!?」
「早く終わったし、来ちゃった」
土屋さんは軽く笑うと、助手席を促す。「ほら、乗って」
視線を感じた。ハッとして振り返ると、アルバイトの人たちが私を見てニヤニヤしていた。
「彼氏さん?」
アルバイトの一人が問う。
「は、はい…」
私は、照れながら頭をかく。
「ドライブいいね。楽しんどいで」
アルバイトの人たちに頭を下げると、車に向き直り、助手席に乗り込む。
車内は、おしゃれな音楽が流れていた。
「選曲は空ちゃんの仕事ね。 好きな曲、かけていいよ」
土屋さんは、車に繋がれたスマホを指差す。有志観望会の時を思い出し、高揚感が湧き上がる。
「今日はちゃんと上着、持ってきた?」
土屋さんは、にやにやしながら問う。
「もちろんです……! もうご迷惑はおかけしませんから」
私が胸を張って言うと、「なーんだ」と予想に反する声が返ってきた。
「今回なら、堂々とぎゅっとしてもらえるって思ったのに」
「なっ!」
「あの時の空ちゃん、たまらなくかわいかった。ウブで、緊張してて。今もだけど」
土屋さんは楽しそうに笑う。私は、顔を真っ赤にしながら口をパクパクさせていた。
「ま、忘れてくれたおかげで、距離が近づいたかなと思ってるんだけどね」
物理的にも、と土屋さんは口角を上げる。
その言葉に、ふと思い返す。確かに土屋さんを意識し始めたのは、あの頃からだった。
「あの時から、私のこと、好きでいてくれたんですね……」
恐る恐る確認すると「当然でしょ」と至極当然といった余裕の声が返ってくる。
「言ったじゃん。俺、新歓の観望会の時から空ちゃんが、好きだったって。俺は一度欲しいって思ったものは、絶対に手に入れるから」
改めて言われると胸がくすぐられるような感覚になる。
完敗だ。自分で言いながら墓穴をほったようだ。
だが、土屋さんは、少し困惑したような表情になる。
「でもぶっちゃけ、ちょっと苦戦した」
「そうなんですか?」
「だって、空ちゃん、俺のこと男として好きじゃなかったでしょ?」
言われて口籠る。確かに恋人同士になる未来は見ていなかった。
私の様子に、土屋さんはふてくされたように唇を突き出す。
「先輩としての壁を超えるのがちょっと難しかったというか、憧れから恋愛感情に変わるのって近いようで違うからさ。ま、もうそんなことどうでもいいけど」
信号待ち、土屋さんは、私の顔を引いてキスをする。「今は、俺の隣にいるんだからさ」
すっかり日も落ちた煌びやかな街を、車で颯爽と抜ける。
そんな自分が少し大人になったようで、気分が良かった。
土屋さんのおかげで、今までとは違う世界が見られそうだった。
***
夕食を済ませ、山へと向かう。
土屋さんは、運転に慣れているのだろう。山道でも車体が大きく揺れることなく酔うことがない。それに絶対に事故の起きない安心感もある。
免許の持ってない私でも運転が上手い、と感じるほどに慣れた手さばきだった。
「土屋さんって、運転上手いですよね」
私は感心しながら伝える。
「そ? まぁ運転好きだからね。有志とか合宿でも運転する時は基本俺がするし」
土屋さんは肩をすくめる。「他の人がやりたがらないっていうのもあるけど」
「やっぱり運転は、怖いですよね」
私も免許を取ろうと思わない理由だ。確実に事故をする自信があるので勇気が出なかった。
「空ちゃんは、免許取らなくていいじゃん」
俺がいるんだし、と土屋さんはさらりと言う。私も彼の運転なら安心できるので感謝していた。
山の展望台に辿り着く。
車から出て外を見ると、冷たい風が吹く。身体が冷えるも、今日は防寒具があるので平気だ。
視界いっぱいに夜景が広がった。
柵に身体を預け、空を見上げる。街灯に邪魔されない夜の世界が広がっていた。
時刻は午後十時を回っている。今は十一月。秋から見られた木星も輝き、すでに冬の星座が姿を現していた。
冬は一等星が多く、四季の中で一番騒がしい空だ。毎年この空を見ると冬が来たなとワクワクするのだ。
「きれい……」
思わず呟くと「そうだね」と全身が大好きな香りに包まれた。
灰の香ばしさの中にラベンダーの安らぎの甘さがある。彼独特の安心できる香りだ。
「土屋さん……」
私は、土屋さんの回された腕を包むように手を添える。
土屋さんは、応えるように身を屈めて私に顔を近づける。
「冬の星座、もう見えてるね。あれはおうし座かな」
「はい。スバルもきれいです」
何気なく答えたつもりだが、ふと、土屋さんは制止した。
そしてじっと、私を見る。
「もう一度、言って?」
土屋さんは、ニヤニヤした顔で問う。
その言葉が、どういう意味か理解し、遅れて羞恥心が湧き上がった。
「い、今のは星のことで……!」
「ふふっ、空ちゃんも、名前呼ばれた時、こんな感覚だったのかな。ちょっとドキッとしちゃった」
土屋さんは、楽しむように私を抱きしめる。
一瞬で熱くなった私を「空ちゃん体温高いねー」とからかう。
「でも、もうそろそろ山では見納めかな」
「そうなんですか」
「冬は雪が積もって山に入れないんだよ。さすがに路面凍結してたら、俺も怖いし」
土屋さんが苦笑する。
四季で一番騒がしくて楽しい空なだけに少し残念だった。でも仕方ない。
しょぼくれる私に、土屋さんは助け舟を出す。
「冬は基本的に、大学から観測するよ。大学でも十分きれいに見えるしね」
うちの大学は、山に近いところに位置するので、観測がしやすかった。
みんなで見上げる空を妄想して、口元が緩む。
「みんなで見るの楽しみです」
そう言うと、土屋さんはむっとした表情で顔を近づける。
「みんな? 俺とじゃないの?」
「だって、引退して……」
そう言うと、土屋さんは、わかりやすく拗ねた顔をする。
「俺といる時は、俺のことだけ考えて」
「ごめんなさい……」
車に戻る。土屋さんは、後部のイスを倒し、そして屋根の扉を開けた。
土屋さんの車は屋根が開くタイプのようで、車の中でも寝転んで空が見える状態にした。
「この車、すごいですね…!」
屋根の開くタイプの車が初めてだった。
「観測向きでしょ」
土屋さんは、両手を広げた。
しばらく、車内で寝転んで空を見てた。
ふと、視線を感じて横を見ると、土屋さんは私をじっと見てた。
「土屋さん?」
「空ちゃんが、空を見てる顔が、大好きなんだよ」
そう言うと、土屋さんは、手で私の髪をすくう。「キス、していい?」
彼の問いに、私は小さく頷くと、土屋さんは私に覆いかぶさる体型になって唇を重ねた。
視界は、彼でいっぱいだった。
長く、甘く、とろけるようなキス。
誰にもいない山の中とはいえ、車の中で、なんていけないことをしている感覚になる。
土屋さんの唇が、次第に下に滑る。
「きょ、今日はシャワー入ってないので、汚いです……!」
「汚くないよ」
土屋さんは躊躇うことなく服の中に指を滑り込ませる。「お腹へったから、食べたいの」
唇が、全身くまなくなぞる。その度に身体が敏感に反応した。
かわいい、好き、と彼に囁かれるたびに感情が熱くなり、のぼせたように頭がぼうっとする。
「空ちゃん、キスマークつけていい?」
ふと、耳元で囁かれた。
「キスマーク、ですか?」
「うん。ここに」
そう言って、土屋さんはツッと首筋を指で触れる。
「もう隠す必要ないでしょ。俺が引退したら、空ちゃんを監視できないし。俺のものだってみんなにわかってもらわないとさ」
キスマークが、どういうものかよくわからなかった。
だが、正直彼の欲求には、できるだけ応えたい。
「つ、つけてください……」
そう言うと、土屋さんは満足したように首筋に唇を当て、力強く吸った。血が止められたようで少しだけ痛みが伴う。
パッと離される。土屋さんはしばらく眺めた後、口に手を当てて苦笑した。
「ごめん、ちょっと強くつけ過ぎたかも……」
「えっ」
土屋さんがスマホで写真を撮ると、私の首筋に二センチほどの赤紫色のアザのようなものができていた。
「多分、しばらく取れない……」
珍しく困惑する土屋さん。そんな動揺する彼がたまらなく愛おしく感じた。
「いいです。私は土屋さんのものなので」
「ま……、俺がそれだけ、空ちゃんが好きってこと」
狭い車内。
頭を撫でられ、愛の言葉を囁かれる。
唇を何度も重ね、身体を愛でられる。
汗と唾液が混じり、呼吸も乱れる。
次第に、身体がひとつになった。
「いけないこと、してる気分……」
息を切らしながら呟くと、土屋さんもいたずらに笑う。
「カーセックスなんて、俺も初めてだよ。空ちゃんがかわいいのがいけないよ」
振動に合わせて車体も小刻みに揺れる。
こんなにたくさん愛されて、求められて、今まで感じたことのない幸せを噛み締めていた。
***