「あれ、何で倉木がいるの?」
人の声で騒がしい大教室内。
目前の金城は、私を見て目を丸くした。
私は、よっと何食わぬ顔で軽く手を上げる。
「この講義受けてみたいってよ。マジメだよな」
天草は、半笑いながら説明する。バカにされているようにしか聞こえない。
天草が金城と一緒に取ってる講義に、私も参加していた。この講義は、水谷さんは必修があるようで、確実に金城と一緒にいないことがわかっていたからだ。
大教室で行われている講義は、人がたくさん入る。例え履修していない講義でも、教室にいたところでバレることはない。
周囲は、参考書やレジュメではなく、お菓子や雑誌を広げている人たちばかりだ。後方座席に座るなんて、私も堕ちてしまった。
「だって、メッセージ送ったら、水谷さんが怒るし、連絡できないしさ」
私は肩をすくめる。「彼女にスマホ管理されてるのって相当じゃない?」
「え」
金城は慌ててスマホを確認する。「倉木からメッセージなんて来てないぞ?」
「履歴消したんでしょ」
私は、アプリを開いて金城に見せる。金城側でやり取りを消されていても、こちらには残っている。
メッセージを見た金城は、わかりやすく青ざめた。
「やっぱりあいつ……風呂から上がった時、なんかスマホいじってるなって思ったんだ」
金城は、うなだれるようにイスに座る。ちょうどそのタイミングでベルが鳴った。
教授が教室内に入ってくる。ここは大教室の後方座席なので、話していても教授には聞こえない。
「銀河から告ったんか?」
天草は、口にしづらい話題を直球で尋ねた。デリカシーのなさも、こういう時には話が早く、心強い。
「金城って、水谷さんのこと好きだったんだ」
私は、便乗して嫌味を問う。
金城は私に鋭い視線を向ける。視線に気づかないフリをして前方を見る。
天草には、月夜のことは言っていなかったのだろう。天草は状況が読めないような顔をした。
金城は何か言おうとするが、観念したように首を振った。
「俺から告ったなら、もっと浮かれてるはずだろ」
ごもっとも。今は一番楽しい時期のはずだ。水谷さんのような状態が普通だ。
だが、金城からはそんな空気が一切感じられなかった。
「じゃ、やっぱり水谷さんからだ」
「そうだな。あいつが地咲のバイトのことを言った日の夜に」
金城は、深く息を吐く。
多分水谷さんは、金城が月夜のことが好きだと勘づいたのだろう。女の予感は大抵当たるものだ。
彼女の性格的に、金城から言われるのを待っていたのだろうが、少し焦りも出たのかもしれない。
「あいつは多分、ずっと俺から言ってくれるの待ってたんだろうな。でも俺がそんなそぶり見せないから、って感じで」
「好きじゃないのに、付き合ったんだ」
同情するように問うと、金城が顔を引きつらせた。
「付き合ってくれなかったらここで死ぬって言われたら、付き合うしかないだろ」
あまりにもさらりと言うので、耳を疑った。天草も目と口を開けている。
だが、金城は大真面目な表情をしている。彼がこの状況で冗談なんて言うはずがない。
「あいつ元々精神がちょっとおかしくて、常にカッター持ち歩いててさ、今ここで付き合ってくれなかったら首を切るっつったんだ。手首のこともあったし、冗談に聞こえなくて」
「脅されてるようなものじゃない」私はこわばった顔で言う。
「なんでそれだけ気に入られてんだ?」
天草の問いに、金城は顎に手を当て、難しい表情になる。
「多分、出会ったタイミングが悪かったんだろうな」
そう言うと、金城は居住まいを正す。無意識に私も背筋が伸びた。
講義が進んでいるようだが、何の話をしているかすら聞こえない。
「あいつ、昨年まで華舞金町辺りによく通ってたみたいでさ。その、地咲のバイトの、女性向けみたいな」
金城は、言いづらそうに遠回しに説明する。こんな時でも水谷さんに気を使っていると感じられた。
「ホスト的、な?」
直球で尋ねると、金城は「それ」と諦めたように笑った。
「そのせいで一度大学中退したみたいで。でも色々あったみたいで、やり直すつもりでまた大学入ったって」
「待って、元々大学行ってたって、水谷さん何歳?」
私はふと思った疑問を口にした。
「少なくとも成人してるし、俺らよりは上だな」
金城は、頭をかきながら答えた。
この一年で、大学生は、案外年齢が違うと知ったので、特に不思議なことではない。
ただ正直、後輩属性のある彼女は意外だった。
「昔からメンタルが不安定なところあって、誰かに依存してないと生きていけないんだと思う。誰もいなければ、薬を飲んでしまうみたいで。それで体調もおかしくなって何度も入院したって。ちょうどホストと縁切ったタイミングで俺と会ったから。ホストに比べたら全然楽しませられないのに」
金城は苦笑する。私も天草も何も言わない、言えなかった。
金城は優しすぎる。依存されているとわかりながらも受け入れてしまうんだ。
以前、自分を犠牲にするタイプだと言った彼の顔を思い出す。困っている人を見過ごすことができない。もはや人助けが使命とすら感じているのかもしれない。
そのせいで、月夜を諦めるなんて、そんなの切なすぎる。
「金城は、優しすぎるよ」
思わず口に漏らすと、金城はやりづらそうに頬をかく。
「でもな、こう言ったらなんだけど、ちょっとだけいいかな、とも思ったんだ」
「そうなの?」
「だって、本当に俺のことが好きなんだろうなって伝わるからさ」
その言葉に、ふと静止する。
金城は、照れくさそうに続ける。
「行動がおかしくなるのも、全部愛ゆえなんだろうなって。なんか愛されてるって伝わってさ……。どんな形であれ、直球の好意って嬉しいんだよね」
私と同じだ、と思った。
愛されることが心地良くて抜けられない。愛を感じるから、それ以外が見えなくなる、許してしまう。
それほど好意は、嬉しくなるんだ。
「気持ちは、わかるよ」
無意識に呟いていた。金城と天草は私を見る。
「例え傷つけられても、愛されてるから離れられないもんだよね。もしかして、依存してるのは私たちの方なのかもしれないね」
そう言うと、金城は笑った。
天草は、頬杖をつき、考え込むように私たちを見ていた。
「それに水谷さん、見た目はめっちゃ可愛いし」
「そうなんだよなぁ」
金城は、何か思い返しているのか、少し口元が緩む。
「ゲスい顔してる」
「男は基本、汚いよ」
金城は、開き直る。下心も彼なら汚らわしく感じないのが不思議だ。
ベルが鳴った。いつの間にか講義が終わっていたようだ。
落ちぶれた私は、何の講義かもわからないまま教室を出た。
金城の今後が気になった。だが見守るしかできない。
相手からの愛ゆえに離れられないのは、私も、他人事ではないのだから。
仲間がいることに、勝手ながら少し安心した。
だが、そんな気のゆるみは、すぐに打ち砕かれる。
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