第三セメスター:五月➂



「あれ、何で倉木がいるの?」

 人の声で騒がしい大教室内。
 目前の金城は、私を見て目を丸くした。
 私は、よっと何食わぬ顔で軽く手を上げる。

「この講義受けてみたいってよ。マジメだよな」

 天草は、半笑いながら説明する。バカにされているようにしか聞こえない。

 天草が金城と一緒に取ってる講義に、私も参加していた。この講義は、水谷さんは必修があるようで、確実に金城と一緒にいないことがわかっていたからだ。

 大教室で行われている講義は、人がたくさん入る。例え履修していない講義でも、教室にいたところでバレることはない。

 周囲は、参考書やレジュメではなく、お菓子や雑誌を広げている人たちばかりだ。後方座席に座るなんて、私も堕ちてしまった。

「だって、メッセージ送ったら、水谷さんが怒るし、連絡できないしさ」

 私は肩をすくめる。「彼女にスマホ管理されてるのって相当じゃない?」

「え」

 金城は慌ててスマホを確認する。「倉木からメッセージなんて来てないぞ?」

「履歴消したんでしょ」

 私は、アプリを開いて金城に見せる。金城側でやり取りを消されていても、こちらには残っている。

 メッセージを見た金城は、わかりやすく青ざめた。

「やっぱりあいつ……風呂から上がった時、なんかスマホいじってるなって思ったんだ」

 金城は、うなだれるようにイスに座る。ちょうどそのタイミングでベルが鳴った。

 教授が教室内に入ってくる。ここは大教室の後方座席なので、話していても教授には聞こえない。

「銀河から告ったんか?」

 天草は、口にしづらい話題を直球で尋ねた。デリカシーのなさも、こういう時には話が早く、心強い。

「金城って、水谷さんのこと好きだったんだ」

 私は、便乗して嫌味を問う。
 金城は私に鋭い視線を向ける。視線に気づかないフリをして前方を見る。

 天草には、月夜のことは言っていなかったのだろう。天草は状況が読めないような顔をした。

 金城は何か言おうとするが、観念したように首を振った。

「俺から告ったなら、もっと浮かれてるはずだろ」

 ごもっとも。今は一番楽しい時期のはずだ。水谷さんのような状態が普通だ。
 だが、金城からはそんな空気が一切感じられなかった。

「じゃ、やっぱり水谷さんからだ」

「そうだな。あいつが地咲のバイトのことを言った日の夜に」

 金城は、深く息を吐く。
 多分水谷さんは、金城が月夜のことが好きだと勘づいたのだろう。女の予感は大抵当たるものだ。
 彼女の性格的に、金城から言われるのを待っていたのだろうが、少し焦りも出たのかもしれない。 

「あいつは多分、ずっと俺から言ってくれるの待ってたんだろうな。でも俺がそんなそぶり見せないから、って感じで」

「好きじゃないのに、付き合ったんだ」

 同情するように問うと、金城が顔を引きつらせた。

「付き合ってくれなかったらここで死ぬって言われたら、付き合うしかないだろ」

 あまりにもさらりと言うので、耳を疑った。天草も目と口を開けている。
 だが、金城は大真面目な表情をしている。彼がこの状況で冗談なんて言うはずがない。

「あいつ元々精神がちょっとおかしくて、常にカッター持ち歩いててさ、今ここで付き合ってくれなかったら首を切るっつったんだ。手首のこともあったし、冗談に聞こえなくて」

「脅されてるようなものじゃない」私はこわばった顔で言う。

「なんでそれだけ気に入られてんだ?」

 天草の問いに、金城は顎に手を当て、難しい表情になる。

「多分、出会ったタイミングが悪かったんだろうな」

 そう言うと、金城は居住まいを正す。無意識に私も背筋が伸びた。
 講義が進んでいるようだが、何の話をしているかすら聞こえない。

「あいつ、昨年まで華舞金町辺りによく通ってたみたいでさ。その、地咲のバイトの、女性向けみたいな」

 金城は、言いづらそうに遠回しに説明する。こんな時でも水谷さんに気を使っていると感じられた。

「ホスト的、な?」

 直球で尋ねると、金城は「それ」と諦めたように笑った。

「そのせいで一度大学中退したみたいで。でも色々あったみたいで、やり直すつもりでまた大学入ったって」

「待って、元々大学行ってたって、水谷さん何歳?」
 私はふと思った疑問を口にした。

「少なくとも成人してるし、俺らよりは上だな」
 金城は、頭をかきながら答えた。

 この一年で、大学生は、案外年齢が違うと知ったので、特に不思議なことではない。
 ただ正直、後輩属性のある彼女は意外だった。

「昔からメンタルが不安定なところあって、誰かに依存してないと生きていけないんだと思う。誰もいなければ、薬を飲んでしまうみたいで。それで体調もおかしくなって何度も入院したって。ちょうどホストと縁切ったタイミングで俺と会ったから。ホストに比べたら全然楽しませられないのに」

 金城は苦笑する。私も天草も何も言わない、言えなかった。

 金城は優しすぎる。依存されているとわかりながらも受け入れてしまうんだ。

 以前、自分を犠牲にするタイプだと言った彼の顔を思い出す。困っている人を見過ごすことができない。もはや人助けが使命とすら感じているのかもしれない。
 そのせいで、月夜を諦めるなんて、そんなの切なすぎる。

「金城は、優しすぎるよ」

 思わず口に漏らすと、金城はやりづらそうに頬をかく。

「でもな、こう言ったらなんだけど、ちょっとだけいいかな、とも思ったんだ」

「そうなの?」

「だって、本当に俺のことが好きなんだろうなって伝わるからさ」

 その言葉に、ふと静止する。
 金城は、照れくさそうに続ける。

「行動がおかしくなるのも、全部愛ゆえなんだろうなって。なんか愛されてるって伝わってさ……。どんな形であれ、直球の好意って嬉しいんだよね」

 私と同じだ、と思った。
 愛されることが心地良くて抜けられない。愛を感じるから、それ以外が見えなくなる、許してしまう。
 それほど好意は、嬉しくなるんだ。

「気持ちは、わかるよ」

 無意識に呟いていた。金城と天草は私を見る。

「例え傷つけられても、愛されてるから離れられないもんだよね。もしかして、依存してるのは私たちの方なのかもしれないね」

 そう言うと、金城は笑った。
 天草は、頬杖をつき、考え込むように私たちを見ていた。

「それに水谷さん、見た目はめっちゃ可愛いし」

「そうなんだよなぁ」
 
 金城は、何か思い返しているのか、少し口元が緩む。

「ゲスい顔してる」

「男は基本、汚いよ」

 金城は、開き直る。下心も彼なら汚らわしく感じないのが不思議だ。

 ベルが鳴った。いつの間にか講義が終わっていたようだ。
 落ちぶれた私は、何の講義かもわからないまま教室を出た。

 金城の今後が気になった。だが見守るしかできない。
 相手からの愛ゆえに離れられないのは、私も、他人事ではないのだから。

 仲間がいることに、勝手ながら少し安心した。
 だが、そんな気のゆるみは、すぐに打ち砕かれる。

***