第三セメスター:五月④



 不安になっていたことが的中した。

 生理が来ない。
 周期的にもう来てるはずだが、生理前の胸の張りやメンタルの上下もなく、生理が来る予兆もない。
 私は、今まで基本的に生理がズレることはなかったので、明らかに異常だ。

 思い当たる点は、ひとつだけある。

 想像しただけで全身から血の毛が引いた。
 嫌な予感がする。こういう時の嫌な勘は大抵当たるものだ。

 いても立ってもいられず、私は薬局に走った。避妊具が並ぶ棚にある検査薬を見つけると、まっすぐにレジに向かった。
 帰宅すると、母に気づかれないよう、そそくさとトイレに駆け込む。

 検査薬の外箱の説明を確認する。検査シートに尿をかけ、反応があると陽性のようだ。

 反応が出なかった。

 小さく息を吐く。だが、何故かわからないが震えが止まらなかった。

 どうしてだ。嫌な予感は収まらない。
 この検査薬の反応が遅いだけじゃないのか、と疑うようにすらなっていた。

 私は、もう一度検査薬を買いに行く。先ほどとは違う店で、別メーカーのものを購入した。

 帰宅すると、すぐに検査した。

 反応した。
 くっきりと、陽性を示す線がハッキリ出たのだ。

 最初に検査したものも見る。先ほどは反応が出なかったが、今はハッキリと陽性だと示す反応が出ていた。反応が出るのが遅いタイプなのかもしれない。

 目の前が、一気に暗くなった。脱力し、呆然と立ち尽くす。
 全身から血の気が引き、思考が回らない。それだけ絶望していた。

 妊娠してしまった。
 まだ大学生。子どもなんて産めるわけない。

 心当たりはいやほどあった。クリスマス頃から避妊具をつけなくなったことだ。
 タイミング的に、先月末にいったホテルの時だろう。あの時は生理明けで危険日だった。

 トントンと扉が叩かれ、身体が飛び上がる。小さく声も漏れた。

「空、大丈夫? 具合悪いの?」

 母が心配そうに言った。先ほどから外に出かけてはトイレにこもっていた。不安を与えてしまっていたようだ。母には些細な違和感もすぐにバレてしまう。

「う、うん、大丈夫」

 なるべく平静を装って応える。顔が見られていないことが幸いした。
 トイレ内の鏡を見る。自分の顔なのに、血色が悪く、幽霊みたいだな、と思う。こんな青い顔で母から隠し通せるわけがない。

「そう? なら良いけど」

 母は、そう言うと、リビングまで戻った。私はタイミングを見て、トイレから自室に戻った。

 どうしたらいい?

 母に相談できるわけない。絶対絶対、何か言われる。

 まずは、土屋さんだ。
 重い手でスマホを取ると、メッセージアプリを開いた。手が震えて上手く言葉が打ち込めない。
 やっとのことで、検査薬の写真と共にメッセージを送る。

 私はスマホをベッドに放り投げ、倒れ込む。返信を見るのが怖かった。
 なんと返答が来るかは、想像ができていた。むしろ、それ以外の選択肢はない。

 堕ろすしかない。

 私はまだ二十歳になったばかりの、大学二年生だ。在学中に子どもを生むなんてことできるわけない。
 そもそも結婚なんて、まだ一ミリも考えていなかった。

 通知音が鳴った。思わず肩が飛び上がる。

 心臓が鳴るが、恐る恐るスマホを手に取った。

「空ちゃん家の地元の産婦人科があるから、明日朝そこに行こう」

***

 次の日、私の地元の駅で土屋さんと待ち合わせた。土屋さんは授業があるはずだが、休んで私の地元まできてくれた。
 土屋さんを見るなり、私は胸が苦しくなる。

「空ちゃん……」

 土屋さんは、私を見るなり頭を撫でた。昨夜一睡もできなかった顔に、疲労が表われていたのかもしれない。

 だが、私の予想と外れた言葉が降ってきた。

「本当に、俺だよね?」

 土屋さんは、訝しげな目で、私を見た。
 あまりにも予想外の言葉に、私は開いた口が塞がらない。

「私が、浮気したっていうの……?」

 ギリギリの理性で声を落とすも、さすがにキレそうだった。通勤ラッシュの改札付近でありながら、今は周囲に配慮なんてできる心情ではない。

「ゴムつけてって言ってるのに、つけてくれなかったのは、そっちでしょ……? ナマは嫌だって言ったら拗ねるし、それで妊娠したら次は浮気を疑うわけ……? どういう神経してるの……?」

 募り募った不満が爆発しそうだった。感情が抑えきれず、目から涙が溢れた。

 さすがに土屋さんも反省したのか、それ以上は言及しなかった。

「不安で、一応確認したかっただけ……ごめん、行こう」

 そう言うと、土屋さんは私の手を引いて歩き始める。怒りの感情はまだ消化しきれてないが、大きく息を吸って自分を冷静にさせる。

「今日行く病院、口コミが良いところだよ。予約が難しかったから少し時間かかるかもだけど。男性の医師の方が、検査も痛くないらしいから安心して」

 土屋さんは言った。今は頭がいっぱいで、相槌を打つ気力もない。

 まだ不満はたくさんある。だが、貴重な教育実習を休んでまで付き添ってくれたことで、辛うじて妥協した。

 だが、その考えもすぐに切り替わる。
 そもそも、妊娠したのが私の身体なだけで、病院に来るのは当然なはずだ。

 内心悶々としていたが、「ついたよ」との声で現実に引き戻された。
 目前には「産婦人科」と書かれた看板があった。

***