第五セメスター:五月➀



 ゴールデンウィークに入り、講義も休みになっていた。
 連休中には私の誕生日があるが、大型連休には大抵部活と重なる。当日夜は、天草の家で過ごす予定だった。
 外食も提案してくれたが、私はあえて家で食べたいと言った。日程的にも私の誕生日は大抵外に出ていたので、自宅でのんびり過ごす誕生日というのも経験してみたかったのだ。

 それに、いまだに気分が落ち着かなかったこともある。

「クリスマスの日に、山の崖から車が転落したらしい」

 飲み会の際に、土屋さんの訃報を聞いた。
 部員はほとんどの人が知っていた。それなのに、私は半年近く知らなかった。

 クリスマスに山の崖から転落。
 恐らく部員たちは、クリスマスに恋人と山に夜景でも観に行ったのではと思ったのだろう。私と土屋さんが付き合っていたことは、部内でも知られていた。なので私の前では、話題を避けていたのではないのか。

 皆は事故だと考えているが、私はそうとは思えない。
 冬場の山は危険だと、彼から教わったことだ。夜景を観に行ったとは到底思えない。私と一緒にいたときも、冬だけは避けるように言っていた。
 仮に、彼に新しい恋人がいたとしても、危険だとわかっていながら山に入ったことになる。

 ドクドクと鼓動が鳴る。考えれば考えるほど、嫌な思考になる。思いたくないのに、そう思ってしまう。

 私と別れたことが、原因でないのか。

 私がいなければ駄目だとは、散々言われていた。実際死ぬことを考えていた、とは言われたことがある。

 私が土屋さんから離れたから、自ら死を――――

「――――空」

 ハッとして意識を戻す。顔を上げると、シャワーから上がった天草が不安気な顔で私を見ていた。
 彼の家にお邪魔している時に、土屋さんのことを考えてしまっていた。

「ご、ごめん……」

 引き攣った顔を逸らすと、天草はじっと私を見る。
 
 また土屋さんのことを考えているんだろ、と指摘されることはわかっていた。飲み会以降、私は冷静でいられていないからだ。
 だが、身近にいた者の死だ。動揺して当然だろう。死は軽くない。

 この大学に入り、忙しくあったことで精神が冷静になり始めていたのに、私は「再び」身近な者の死から現実逃避をしなければいけないのだろうか。
 それも自殺だ。どうして私の周りでは、自ら死を選ぶ人が現れるのだろうか。
 特に今回は、私なら気付けたはずなのに――――。

 悶々と言い訳を考えていたが、天草はそのことには触れず、「明日さ」と切り出した。

「部屋着、買いに行くか」

「部屋着?」

「おまえの、ウチ用の部屋着」

 付き合って半年。部活後には天草の家に帰ることが多くなり、自然と歯ブラシや化粧水といったものが部屋に置かれるようになり、突然の外泊もほぼ心配が不要となった。
 だが、部屋着はいまだ彼に借りた大きいシャツのままだった。

「ウチ用に、いいやつ買いに行こうぜ。なんつったっけ、えーっと……アイスみたいな名前の女子が好きそうな」

「ジェラート・ビスケね」

「そう、それ」
 天草は、口角を上げて指を立てる。

 ジェラートビスケは、パステルカラー調をメインとした可愛いルームウェアが中心のブランドだ。ここのルームウェアを着るのが女の子の憧れでもある。

「でも、高いよ?」

「なんの。これでもバイトしてんだ」
 天草は得意げに指を振った。

 私は、天草の腕に思い切り抱きつく。彼の心遣いにも感謝していた。
 天草も、私に応えるように、腕を背中に回す。

 もう一生、解答は聞けないんだ。前に進むしかない。
 ここ最近ずっと悶々としていたが、天草は、いつも私の顔を上げてくれる。

***

 ファッションビルに向かっていた。
 このファッションビル、通称マルビルは、虹ノ宮の街内にあり、おしゃれな若者が通う場所だった。ちなみに、衣服に関心の薄い私は、数える回数しか来たことがない。

「今おすすめなのは、新作である、このデザインですね」
 
 若い女性店員は、朗らかな笑顔で説明する。店員の対応に、天草は顎に手を当てて頷いていた。
 私は、ファッション店の店員がすぐに話しかけて来るところも苦手だった。だが、天草はまるで友人のように気兼ねなく話しかけている。この辺りのコミュニケーション能力は、さすがといったところか。

「これとか良いんじゃね?」

 天草は、服を私にかざして言う。真剣に選別する天草を見て、店員さんは笑う。

 三十分ほど服を選んだ後、結局店員さんチョイスのものを購入して店を出た。



***

 夕食は私の希望通り自宅で取ることになった為、スーパーに寄って天草の家に帰宅する。
 今日は水曜日で明日は午前から講義があるが、準備は万端なので今日も彼の家に泊まった。

 食事を終えた後、シャワーへと向かう。もちろん、購入してもらったルームウェアを着用した。

 さすがブランド品だ。今まで着た部屋着の中でも飛びぬけて着心地が良い。ふわふわの生地が肌に触れるたびに、まるで赤ちゃんの肌に触れたかのような幸福感で満たされ、無意識に笑顔になる。私も女子だったのだなと気付かされた。

 シャワーから上がり、リビングに向かうと、天草はベランダでタバコを吸っていた。天草はルームウェアを着用した私に気づくと、口角を上げながら室内に入る。
 
「良いじゃねーか」
 そう言って天草は、私を引き寄せて服をさするように撫でる。

「これ、ほんと着心地が良いよ。ありがとう」

「なんの。まじでふわふわだな〜。小動物みてぇ」

 天草は、スリスリと肌を擦る。大柄な天草に抱きしめられると全身が包まれている感覚になり、安心感が訪れる。
 私も天草を抱きしめ返す。女の私とは違う太い筋肉が服越しに伝わった。

 しばらくハグしていたが、天草は思い出したように「そうだ、空」とクローゼットを漁る。私は、首を傾げる。

「誕生日、おめでとう」

 そう言って天草は、小さな小箱を差し出した。私は目を丸くする。

「えっ、だって、誕生日プレゼントはこれって……」

「たまたま、良いやつ見つけただけだ。これはおまけ」

 天草は得意げに笑う。
 恐る恐る箱を手に取ると「開けていい?」と尋ねる。天草は頷く。

 中には、サソリ座をあしらったネックレスがあった。心臓部のアンタレスは赤い石が輝いている。

「かわいい……!」

「だろ。絶対、好きだと思ったぜ」
 天草は、ドヤ顔をキメる。

「で、でも、私、サソリ座じゃないけど……」

「知ってる」
 天草は、照れ臭そうに顔を逸らす。

「それ見つけた時、一年の合宿の時に、サソリ座見た時のおまえ思い出してさ。あんときの空見るおまえが、すげぇ嬉しそうだったから、よ」

 まだ手探りで大学生活を送っていた二年前のことだ。夏合宿の観測の際に、初めてサソリ座をこの目で見て、あまりもの大きさに圧巻されたものだった。

「そんな前のこと、覚えてたんだ……」

「忘れねぇよ」

 天草は、ぶっきらぼうに唇を突き出す。「忘れられるわけが、ねぇ」

 思いがけないサプライズに、思わず涙が溢れた。
 そんな私に気づいた天草は、目の涙を拭う。

「……好き」私は呟く。

「知ってる」
 天草は、私の顔を引き寄せ、目元にキスをする。

「しょっぱいな」

 天草は苦笑すると、再びキスをする。そのまま彼に身体を預けた。

***